第9話 みんなの笑顔


 紅い竜から飛び降りた客は足を捻ってしまったらしい。今日の出立はとりやめるようだ。

 セイランはその客のところへ見舞いにいってしまったので、トゥトゥは取り残された。

 結局、昨夜のことを詫びることはできなかった。


 館に入るとナルンがまだ玄関あたりで待っていて、彼女の姿をみると走り寄ってきた。手を握らんばかりに興奮している。


 「すごい! すごいです奥さま! ずっとそこから見てました、まるで竜たちと会話してるみたいな……それにあの、手綱も使わない騎乗……!」


 目を輝かせ、いかにトゥトゥが優れた竜使いかをずっと力説している。途中でトゥトゥが、朝ごはん、行ってもいい? というと、あっと両手でくちを抑えて赤くなった。


 食堂でトゥトゥがひとりで食事をしているあいだも、支度室のほうで給仕たちと先ほどのことを話しているようだった。ときおり給仕が顔をだし、引っ込める。つど、小さな歓声があがる。

 たいへん落ち着かない朝食だった。

 

 食事が済み、戻る。まだしゃべり足りなさそうなナルンだったが、ちょっと他の侍女の手伝いを頼まれておりまして、と、部屋には同行せずにどこかへ行った。


 トゥトゥは久しぶりにひとりになり、くつろいだ。

 与えられた居室は、応接をする前室、衣装棚や化粧台がある本室、そして寝室の三部屋からなっている。どれも大きくはないが、トゥトゥの実家の部屋はあえて竜舎の横の物置を改築したところだったので、居住環境は飛躍的に向上した。

 が、落ち着かない。

 今も前室の長椅子の隅にちょこんと座って、壁の絵をぼうっと眺めている。

 と、扉が叩かれた。みずから開けると、リッセンだった。


 「おや、ナルンがおりませんな」

 「用事を言いつかってるといって、どこかへ」

 「いけません。ナルンは奥さまの専従の侍女です。外すのであれば行く先を報告すべきです。わたくしからも言いますが、奥さまもきつく、お叱りのほどを」


 そういい、眼鏡の縁をくいっと持ち上げる。

 

 「あ、は、はい……すみません」

 「それはそうと、今日のご予定をセイランさまから聞かれておりましたか」

 「いえ、まだ」

 「そうですか。実はさきほど呼ばれまして、今日はお館のまわりをセイランさまご自身で案内されるおつもりだったが、お客さまのお具合が悪いから取りやめる、ついてはわたくしリッセンが案内せよと……」

 「ひ」

 

 トゥトゥは思わず本音をわずかに漏らしてしまった。散策をともにするにはもっとも適切でない人物だと、トゥトゥは確信している。

 が、リッセンは眉を八の字にして、頭を下げた。


 「そのようなご下命だったのですが、あいにくわたくし諸事ございまして、お付き添いが叶わぬのです。誠に申し訳ございません」

 「……よかった……」

 「ん? なにかおっしゃいましたか」

 「いえ! いえ、たいへん、残念です……」

 「わたくしもです。それで、もし奥さまさえよろしければ、かわりにバヤールに案内させようかと存じますが」

 「あっ、では、ぜひ」

 「承知いたしました、では別の侍女を呼びますので、お着替えのほど」

 「いえ、ひとりでできます、大丈夫です」


 またなにか小言をいわれそうだったので、トゥトゥは大丈夫大丈夫と呪文のように呟きながらリッセンの背を押し、扉の外に追い出した。

 ふうと息をつき、着替えにかかる。


 衣装棚には、実家から持たされたものも、この家が用意したものも仕舞われていた。どれもトゥトゥにはあまり馴染みのない意匠と材質であり、着慣れた作業衣などは持たせてもらえなかった。

 が、ともかく外出ということだから、できるだけ動きやすそうなものを選び、よいしょと身につけた。


 そうしていると再び扉が叩かれ、返事をすると、竜使いの長バヤールがその大きな髭面を出した。案内を得ずに女性の居室にあたまを突っ込むのは重大な不心得だったが、トゥトゥはバヤールであればよいと思っている。


 「や、奥さま。聞きましたぞ。今朝もまた、大活躍されたそうで」


 トゥトゥは、ええびっくりしました、と応じて、扉を出た。

 並んで歩きながら今朝の顛末を話す。

 バヤールはすこし驚いて、そうですか、竜は泣いていましたか、と言った。聞けば客人の竜を預かるときにはしっかりと決まり事があって、心細い思いをさせないように工夫しているという。

 すこし竜舎のやつらに説教が必要なようですな、と、髭の大男は憤然と言った。


 こんどは正面玄関ではなく、裏口を使う。ここはトゥトゥも以前、来たことがある。商売の出入りにはこちらを使うからだ。

 外にでる。朝方の雲はすっかり消えていた。陽光が暖かい。

 白い花がさく裏庭を抜けて小道をゆくと、畑と竜舎の横に出た。振り返ればトゥトゥの居室もみえる。

 竜舎に近づくに連れて、トゥトゥは息苦しいほどに、胸を高鳴らせていた。

 声も、おおきく聴こえてきていた。


 このあいだの、にんげんだ。

 とぅとぅだ。

 おどろう、ねえ、おどろう!


 「んん? なにやら竜が騒いでおりますな」


 バヤールが竜舎のほうを見やって呟く。

 トゥトゥは、ふふ、と笑った。


 竜舎は、ぜんぶで十棟、並んでいる。

 どれも大きな施設だ。左右に五棟ずつ。

 そのあいだに立って、トゥトゥは息を呑んだ。


 「……すごい」

 「いまは二百頭と少し、おります。最盛期には五百ほどもおったのですが、まあ、ご時世でずいぶん減りました」

 「黒い子が多いのですね」

 「そうですな、黒玻璃くろはり城という名前もそうですが、ウォジェの紋章が黒地に金ですから、自然と」

 「みんな、きれい……」


 言いながら、トゥトゥはちかくの舎に歩いていった。窓のところから係竜された竜たちが顔をだしている。

 近寄り、順番に額をなで、頬をこすり、抱きしめた。竜は、くるる、と声をだしてよろこんだ。

 しばらく邂逅をたのしみ、バヤールのところへ戻る。腕を組んで、感嘆したような表情で待っていた。


 「……たいした、ものです」

 「えっ?」

 「そこの舎はみな、初めての人間には警戒するやつらばっかりでしてな。わしなどは今でも嫌われとる」

 「ああ、初めてではないので」

 「と、申されると」

 「昨日の朝、わたしの部屋の前で声を聴いたので。しばらくいっしょに遊んだんですよ。ふふ、みんな、すっごい甘えん坊の良い子たち」


 バヤールはトゥトゥをまじまじ見て、首を振り、かなわんなあ、と笑いながら歩き出した。


 畑をとおる。ちょうどトゥトゥの実家、白薄荷しろはっかの宮と同じほどで、ということはウォジェ家のおおぜいの家人を養うには足りないのではと思ったが、それを察知したように、これはご一門のお好きな菜をとくに料理長のルノが育ててるのです、とバヤールが解説する。

 いろとりどりの野菜たちがトゥトゥを迎える。

 目をつむり、手を胸にあて、交流する。


 「……みな、笑ってます」

 「へ? 笑ってる?」

 「ええ。とてもよく、お世話されているようで。ルノさん、すごいですね」

 「……食いもんとも、話せるんですかい?」


 トゥトゥは、あはは、と笑った。


 「まだ、もうすこし畑にいたいと言っていますよ」

 「……いや、ほんとに、かなわんな……」

 「それと、あっち。西のほうの白い菜は、すこし追肥が足りないみたいです。おなかが空いてるって。あと、こちらの根菜。水が多すぎるみたいですね。土が締まって息苦しいよって、言ってます」

 「つ、伝えましょう……」

 「花粉をはこぶ虫たちが、お花が乾いてるっていってます。畑のまわりの白い花にお水を多めにあげるよう、お伝えいただいてもよいですか?」

 「あいや、ちょ、ちょっと、ここで待っててくだされ」


 バヤールは両手をトゥトゥのほうへ差し出し、後ろ向きに走りだした。畑の奥にある小屋に駆け込む。すぐに何人かの働き手を連れて戻ってきた。


 「畑と畜舎を任されてるものどもです。いまの奥さまのおはなし、直接つたえてやっていただけませんか。わしが間に入ってもうまく伝えられそうにない」


 バヤールが彼らの方に手のひらを示しながら言う。男も女も、みな陽に焼けている。すこし恐縮したような感じで、頭を下げる。トゥトゥは、はい、と笑顔でこたえた。


 そのあとトゥトゥは請われるままに畑や草花、畜産のことを話した。ひとりが、あの作物がなりが悪くて、というと、トゥトゥはしばらく黙ってなにかを聴いて、さいきん隣に植えた果樹と喧嘩してるみたいです、と、困った顔をつくってみせた。

 そのことに心当たりがあるものがいて、たしかに昨年、あのあたりは植え替えをした、という。

 みな大いに感嘆して、ではあれは、こんどはこれも、と、トゥトゥは連れ回された。

 彼女にとってはたいへん楽しい時間だったが、バヤールは散策の時間がなくなることを案じてひとりやきもきしているのである。

 

 

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