第8話 竜は泣いていた
新婚、二夜目。
セイランの部屋で一夜を過ごした。
深夜に祝宴が終わり、なかば朦朧としながら自室へ引き上げようとしたが、セイランに手を引かれた。侍女のナルンは、離れて行った。
ふわりふわりとしながらついてゆき、部屋に入り、奥の間にあるベッドへ直行して、倒れた。そばにセイランがいるが、そのことの意味を考える前に、意識が途切れた。
そのまま、朝を迎えた。
たしかに夫の部屋で、過ごした。
ただし、過ごしただけである。
昨日に続いて早朝に目が覚め、部屋がちがうことに気がつき、周囲を見回す。
隣に、夫のながい黒髪が絡まりながら散乱している。
むこうを向いて、寝息を立てている。
トゥトゥは五十を数えるほどのあいだ凝固し、記憶をたどり、それから声をださずに叫んだ。
ゆっくり身体を起こし、ごくしずかにベッドを降りて、逃げるように部屋を出た。格好は昨夜の宴のときのままだった。
自室のちかくで、たまたまナルンとでくわした。
ナルンは、トゥトゥがつとめを終えて戻ってきたのだと理解し、気遣う様子をみせた。トゥトゥはそれを否定せず、ん、とあいまいに微笑んで、お風呂にはいります、と告げた。
風呂の中で頭を抱えながら無言で絶叫し、悔恨とともに部屋にもどった。
「今朝はセイランさまはおひとりで朝食をとられました」
ナルンがそう言ったので、トゥトゥは倒れそうになった。
まずい。本気で怒らせてしまったか。
が、ナルンは淡々と説明した。
「昨日の宴のお客さまのうち、遠方の方はお泊まりになられました。それを朝方、セイランさまがお見送りされるので、さきほど早めに済まされたんです」
「そ、そうなんだ……」
「奥さまはいかがなされますか。こちらに膳を運ばせましょうか」
「……ええと、そのお見送りというのは、もう終わってしまったのかな?」
「え、いえ、これからだと思いますが……」
「じゃあ、ごはんは後にして、わたしもお見送りします」
昨夜の失態の詫びを兼ねて。夫に対しても。
こころでそう思ったが、とくだん言わない。
が、こんどはナルンがぎょっとした。
「えっ、いまからですか」
「ん? うん、だめかな……」
「……いえ、わかりました。少々おまちください」
言い、走り出ていった。トゥトゥが首を傾げて待っていると、すぐに戻ってきた。五人ほどの侍女を引き連れている。
年長の侍女が号令をかける。昨日、義兄のところで見た顔。義姉シノア付きの侍女と思われた。
トゥトゥはあれよというまに身ぐるみ剥がされ、着付けを受けつつ、立ったまま化粧をされる。髪をつくられる。嵐のようだった。
はいできた! と、年長の侍女が手を叩く。ぜんいん即座に道具を片付け、頭を下げながら退出してゆく。百を数えるほどもかからなかった。
「……すごい、ね」
ナルンが、ふふん、と鼻を鳴らした。
「当家は商売のお家柄。急のお客さまもいらっしゃいますから、慣れております……ただ、次回よりご予定は、早めにお申し付けくださいませ」
「あ、はい、すみません……」
「それでは、ご案内いたします」
ナルンに連れられ、本館にまわり、一階の正面玄関前の広場に出た。おとといの夜、
外に出ると、湿度を感じた。今朝は雲がおおい。
頭上は晴天だが、空城とおなじ高さのあたりには厚く雲が湧いている。
広場には、数頭の竜が手綱をひかれ、待機していた。みな、よく肥育された美しい竜だった。
竜のまえに、いく人かの男たち。
セイランはこちらに背を向け、来客たちと談笑していた。
トゥトゥが近づいてゆくと、こちらに向いていたひとりが気がつき、笑って頭を下げた。セイランも振り返る。少し驚いていた。
「きたのか。準備が大変だろうから、声をかけなかったのだが」
トゥトゥは目で応え、セイランの後ろで立ち止まり、来客たちに礼をとった。しっかりした挨拶の口上を述べる。彼女自身も商売の出自であるから、こうした点にはそつがない。
来客たちは笑顔で頷いた。大したべっぴんだ、よくできた嫁さんだ、とセイランの肩をたたくものもあった。
なごやかな会話が少しつづき、それではお暇を、というところで、ひときわ年嵩の白髪の客が改まった。
「……では、次の
「はい、兄とも以前から相談しておりました。三月後、
「安堵しました。今回は
白髪の客のことばに、セイランはふと眉を曇らせたが、客はその肩をぱんぱんと叩いて、力強く頷いた。
「大丈夫。セイラン殿の技量は我ら、よう知っとる。だからこその、このお家での開催です。馴染みの空で、安心してまた、大いに飛翔してくだされ」
「きれいなお嫁さまももらったんだし、地に足をつけて、心機一転だな」
「地に足か。あまり例えが良くないな」
くちぐちにセイランを励まし、わっはっはと、豪快に笑う。
気持ちの良いひとたちだな、とトゥトゥは胸をあたたかくした。
では、と、みな竜に騎乗する。
セイランたち見送りはすこし離れ、手をあげる。
右端の竜から一頭ずつ、ふわりと飛翔する。
残る竜が三頭となり、白髪の客の紅い竜が背丈ほどまで浮遊したとき、とつぜん、雷鳴が轟いた。
季節外れの雷だった。
この空城のすぐ横で生じ、落ちたらしい。
轟音に驚いた紅い竜は、胴を激しくくねらせた。
白髪の客はずり落ち、手綱いっぽんでぶら下がった。
竜の恐怖により、重力場の制御も正常に働いていなかった。
むしろ、騎乗者を振り落とそうと、もがいた。
そのまま、浮遊しようとする。
セイランは走り、跳んだ。
垂れた係竜紐を掴む。
白髪の客と同様に、紅竜にぶら下がる。
よじ登って、竜の背に出る。
手を伸ばす。が、相手は掴めない。
竜は浮上をやめない。
このままでは空城を出てしまう。
「鎮まれ! 鎮まれ!」
セイランは大声をあげ、竜の背をたたき、腹を蹴った。
手綱は白髪の客が掴んでいるから、使えない。
意思の伝達の方法がなかった。
首を腕で抱き、締める。なんとか下を向かせようとする。
が、竜はなおもがき、暴れる。
と、トゥトゥが別の黒い竜に走った。
来客に目で詫び、飛び乗る。
トゥトゥは手綱を使わなかった。
竜の首元、耳のあたりに顔をちかづけ、なにか呟いた。
黒い竜は即座に上昇し、紅い竜の上に出た。
紅い竜は上を塞がれ、浮上を停止した。
セイランは上を仰ぎ、トゥトゥの顔をみた。
彼女は、セイランを見ていない。
紅い竜の目をみていた。
じっとみて、くちを薄くあけ、ときおり首を動かす。
頷く。
笑顔になる。
紅い竜は、身悶えをやめた。
ゆっくりと下降する。
足がつく高さとなり、白髪の客は飛び降りた。
騒ぎを聞いて走り出てきた家人たちに支えられ、館に連れてゆかれる。
セイランも降り、竜はふたたび地面に腹をつけ、係留された。
トゥトゥが騎乗する竜も戻ってきた。
彼女はすぐさま紅い竜に走り寄った。
膝を折り、頭を抱きしめ、額に頬をつけ、なにごとかずっと呟いている。
やがて顔をはなして、首筋をなんども撫で、ようやく立ち上がった。
「……トゥトゥ」
セイランは、膝の土埃をぱんぱんと払っているトゥトゥに声をかけた。トゥトゥは振り返り、セイランに走り寄ってきた。
「大丈夫ですか。お怪我は」
「……ああ、なんともない。客も、無事だ」
「よかった。あの子、ここにくるのが初めてだったって。一晩、慣れないところでずっと待たされて、やっと帰れると思ったところに雷のすごい音で、すごくびっくりしちゃったって、泣いてました」
「……泣いてた、のか……」
「はい、泣いてました。もう帰れるからね、大丈夫だからね、って言ってあげたらやっと落ち着きました」
トゥトゥは笑いながら言ったが、セイランは目を合わせなかった。
俯き、なにも言わずに首を振った。
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