第7話 大事にしたい


 トゥトゥは立ったまま、きゅっと手を握った。

 

 セイランは、給仕が運んできた茶を受け取り、がばっと乱暴に飲み干す。たん、と器をおいて、茶請けの漬物を手でつかんで、ばりばりと食べた。

 窓の方を向いて肘をつき、拳にあごを乗せたまま、くちを動かしている。


 「……あ、あの……」


 トゥトゥは出すべきことばを考えたが、良い案は浮かばなかった。

 それでも、いわなければならない。

 ゆっくり、深く、頭を下げる。


 「あの、きのうは、ほんとうに……」

 「すまなかったな」

 「……え?」


 トゥトゥは思わず顔をあげた。

 セイランは姿勢をかえず、窓の外のなにかを睨むような表情を浮かべていた。

 くちのなかでもごもごと、呟いている。


 「すまなかった。きのう」

 「……」

 「……まず、座らないか」


 トゥトゥは、あ、と言い、腰をおろした。

 給仕が料理を運んでくる。トゥトゥは配膳を手伝わなくてよいのか迷ったが、あとで確認することにした。


 「食べながら、でもいいか?」

 「あ……はい」


 ふたりとも箸をとる。トゥトゥは実家でしていたのと同じように手をあわせ、食前の礼をする。

 と、セイランはそれを見て、すこし迷い、真似をした。トゥトゥは驚いた。


 「……昨日、な。あの言葉は、どれもほんとうのことだ」

 「……はい」

 「来てくれると思ってなかった。噂は知ってるだろ。竜を堕とすとまでいわれているこの俺に、しかも一度しか会ったことがないのに。竜の祝縁を受けて、竜の声が聴ける君なら、望めばどんな竜捌きにも嫁げたろう」

 「……そういうわけでも、ありません」

 「だから俺は、申し入れを受けた君の本心が、よくわからなかった。財産か。名誉か。俺は次男だから家を継ぐわけでもないのに」


 トゥトゥが反応しようとすると、セイランは少し手をあげ、遮った。


 「こちらから申し込んでおいておかしな話なのはわかってる。でも、君も驚いたろうが、俺も驚いたんだ。まさか、受けるとは、って。それで、どちらでもいい、結婚してもしなくても、っていう態度で、君の様子をみた」

 「……」

 「そうしたら、君は、怒った。怒って、自分は竜たちのために来たんだ、この家の竜にこそ嫁いだんだって、言った」


 そこまで言ったかな、とトゥトゥは思ったが、黙って聞いた。


 「その言葉で、俺は納得した。君は竜の籠守かごもりで、竜の祝縁を受けた、ほんものの、竜使いだ。竜使いが竜のためにいきるということは、よくわかる。俺もこれでも、まだ竜使いの端くれのつもりだ。だから……謝るべきは、俺だ」


 セイランは箸をおいて、トゥトゥの目をみた。


 「すまなかった。そして、頼む。ちからを貸してくれ。この家の、竜たちのために」


 膝に手を置き、あたまを下げる。

 トゥトゥはしばらく黙り、最初に思いついたことばを、そのまま返した。


 「……昨日は、たくさん、お酒を召し上がったのですか」

 「ん? いや、ああ、うん。夜半まで、呑んでいた。君のお付き添いの皆さんと」

 「養父ちちはたぶん、呑まずにいましたね?」

 「……そう、だったかな」

 「そうです。呑めません。家族はみなそうです。なぜか、おわかりですか?」

 「……や、わからぬ」

 「お酒は、竜のことばを受け取ることを、妨げます。酔っていると竜のこころが分からなくなる。だからあまり、竜の宮のものは呑まないのです」

 「……そう、か」

 「それと、お風呂で侍女の方に伺いました。お湯に浸からないそうですね」

 「あ、ああ、縁起がわるいというのでな。海に堕ちると」

 「竜の声を聴こうとせず、縁起を担ぐ。そのことが、このお家の……ご商売に、障っているように思います」


 セイランは、しばし黙った。トゥトゥも同様である。

 それでもしばらくして、彼女はくちを開いた。


 「竜の声は、竜の縁……祝縁をもたなくとも、聴こえます。目をみてください。頬を、あの子たちの額につけてあげてください。それで、聴こえます」 

 「……」

 「……わたしは、ご縁をいただいた方、あなたさまを、大事にしたい。それとおなじように、あなたを育てたこの家を、竜たちを、大事にしたい。あなたのことはぜんぜん、知らない。だけど、これからゆっくり、知りたい。時間がかかるかもしれないけれど……それでも、よろしいですか」


 トゥトゥは相手の目をみながら、ゆっくり告げた。

 セイランは、なにもいわず、手を伸ばしてきた。

 その手のひらに、トゥトゥの手が、包まれた。


 婚姻が、成った。

 トゥトゥ自身が、そう、感じた。


 食堂の隅からぐすっという音が聞こえた。トゥトゥがそちらをみると、給仕が鼻をすすり上げていた。顔が火照る。あわあわと夫の手をはなした。


 「さあ、ごはん! いただきましょう!」


 朝食はたいへん味がよく、滋味豊富で、トゥトゥは満足した。


 食事のあとはそれぞれ部屋に戻り、着替えた。

 セイランの部屋で待ち合わせることとなっている。

 待ち合わせは、別館に住むセイランの両親、大殿おおとのと呼ばれるドゥオン・ウォジェ夫妻への挨拶のためである。


 ウォジェ家はディオラ、セイラン兄弟から数えて十代前に成立した竜捌きである。もっとも隆盛を誇ったのがドゥオンの代であり、それは英雄セイランの飛演祭ひえんさいでの活躍にも依っていた。

 が、ドゥオンは比較的若くして健康を崩し、ディオラに実務を託して一線を退いた。

 それとほぼ時を同じくしてあの事故が起こったのである。

 ドゥオンの胸中は察するに余りある。しかし彼は穏やかな人柄で知られており、そのことに過剰な反応を示さなかった。


 セイランは部屋で待っていた。

 着替えて到着したトゥトゥを見て、慌てて目をそらす。

 トゥトゥは、伴ってきたナルンと顔を見合わせて首を傾げた。

 セイランの脳裏にあるトゥトゥの印象は、あの日の簡素な騎竜衣のままなのである。しっかりと化粧をし、よそゆきを着た彼女が眩しかったのだが、それは当人を含めた誰にもわかっていない。


 歩いてゆくこととなり、館の外にでる。日傘をもった数人の侍女と、竜使いの長であるバヤールが待っていた。護衛の意味なのだろう。

 別館まではわずかである。トゥトゥははじめて夫と肩を並べて歩いた。あたまひとつぶん、背が高い。あらためて男性を意識して、しらず頬が染まる。


 義両親おやへの挨拶は円滑に済んだ。

 どうか息子をよろしく頼みます、という義父ちちのことばに、トゥトゥはこころからの礼を返した。愛することができるひとたちだ、と、感じた。

 

 館に戻り、いちど着替えて、こんどは義兄、ディオラへの挨拶。実質の当主だが、トゥトゥは朝にいちど会っており、そう緊張はしない。正装だが、柔らかな物腰は変わらなかった。セイランにも朝のできごとは伝えてある。

 なごやかに談笑し、そのまま、昼食の席となった。

 当主の部屋にはひろい接待室が隣接しており、そこでみな揃って昼をとった。


 ディオラの妻、義姉はシノアといった。

 遠くの竜捌きの出身だという。自身は竜に乗れないが、彼女もまた竜の縁を受けており、わずかながらこころを読めるという。きさくな女性で、トゥトゥとはすぐに打ち解けた。

 夫の食事をみずから作ることもあると明かし、いずれトゥトゥと台所で並びたいとほがらかに笑った。トゥトゥは、やや引き攣った笑みを返した。


 当主のところを辞したあと、夫とともにその部屋にもどった。家令のリッセンが現れ、順に家中のおもだったものたちを呼び込み、次々に紹介した。

 料理長は体格のよい豪快な女性で、ルノといった。リッセンのご内儀だ、とセイランに明かされたが、リッセン自身は苦虫を噛み潰したような表情をしていたから、トゥトゥはとくに何もいわないでおいた。


 夕方にようやく解放され、トゥトゥだけでよろめきながら居室へ戻り、倒れ伏した。しかしすぐにリッセンが訪れ、この館の各階の配置やしきたりなどについて長い講釈をおこなった。途中で睡魔に襲われたが、なんとか正気を保った。


 が、夜の宴の支度のときにはすでに意識がない。ナルンがベッドから無理やり引き剥がし、着替えさせ、廊下を引きずり、合流したセイランが肩を支えて会場へ連れて行った。

 来客への挨拶はそつなくこなしたらしいが、トゥトゥ自身にもその記憶がない。

 

 彼女の人生でもっとも多忙な一日が終わったのは、月が中天を過ぎた頃である。


 

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