第6話 ご大身の流儀


 義兄ディオラを見送ってからも、トゥトゥはしばらく庭にいた。


 実家、白薄荷しろはっかの宮の周辺ではあまり見られない草花がいくつもあったから、手を添え、耳を澄まし、交流をした。

 やがて太陽もすっかり顔を出し、朝露を帯びた風景がきらきらと輝き出した。もういちど大きく息を吸い込み、彼女のあたらしいふるさとを抱きしめ、挨拶をした。

 この街の空気は、自分を受け入れてくれていると感じた。


 部屋に戻ってしばらくすると、扉を静かに叩く音が聞こえた。

 童顔の侍女が入ってきて、頭をさげる。トゥトゥに付くように命じられたという。

 ナルン、と名乗った。深い蒼の髪と瞳が特徴的だった。

 ナルンは、沐浴の用意が整っていると告げ、なにも持たなくて良いのでこちらへどうぞ、とトゥトゥを促した。


 ナルンについて廊下をすすみ、階段を降りる。やがて香油のよいかおりと湿気が漂う場所にでた。脱衣所、そして奥が浴場らしい。

 と、ナルンが背にたった。失礼します、と小さく言って、寝間着の帯を解きにかかる。トゥトゥは、ひゃっ、と声をだしてしまった。


 「あ、大丈夫です、自分でやります」

 「……失礼いたしました、それではお召し物は、あちらの籠に」


 ナルンはなにか自分が失態をおかしたと捉えたようで、俯き、下がる。髪をまとめ、するすると脱いだトゥトゥが浴場に向かって歩き出すと、ついてくる。


 浴場は、さほど大きくはなかったが、白い石造りで、あかるく、清潔だった。浴槽は三人が入れる程度。トゥトゥは湯船に浸かるのが好きだったから、喜んだ。

 さっそく身体をながして湯にはいろうと、桶を探す。みつからない。

 背後にいたナルンに声をかける。服を着たまま、ついてきていた。


 「あの、桶、ありますか……?」

 「は、桶、でございますか……お湯をかけるのは、わたくしが行いますが」

 「いえ、流して、お湯に浸かろうかと」


 ナルンは、おどろいた顔をした。


 「お湯に浸かられる、の、ですか?」

 「え、は、はい、だめ……ですか?」

 「……竜使いの方々は、水に入るというのは海に堕ちることを表すために、縁起をとって敬遠されると伺っておりました」

 「ええっ」


 聞いたこともない験担ぎだった。侍女によると、ウォジェの家では以前からそうしているという。トゥトゥは、その発想にむしろ感心した。

 なんとなく、ウォジェの家が竜捌きとして勢いを失っていることの理由の一端が見えたような気もしていた。


 トゥトゥはナルンを説き伏せ、桶を受け取り、ばっしゃばしゃと身体を流して、ぞんぶんに湯に浸かった。それでもナルンが待機しているので、もしや身体を洗ってくれるつもりなのか、ときくと、そうだという。

 礼をいって断り、どうぞどうぞと、浴室の外に追いやった。ナルンは、粗香油はあちらに、背磨きはこちらに、と戸惑いながら説明して、出て行った。

 トゥトゥは浴槽のふちにあごを乗せながら、ふう、と息をはいた。


 しばらくして上がると、ナルンは拭うものを用意して待っていた。それも自分で、といい、受け取る。替えの内衣も用意されていた。

 汗が引くのをまって部屋に戻る。


 歩きながらナルンのことをきいた。義弟ガザルとおなじ十六歳だった。昨年からこの家に奉公しているという。

 出身は、星竜せいりゅう、つまり空で生まれる竜の宮だという。地竜ちりゅう、地表で生まれる竜をあつかう白薄荷のトゥトゥとはいわば商売敵だが、それよりトゥトゥは、おなじ竜の育て手に会えたことが嬉しかった。


 ナルンとともに部屋に戻り、身支度をすませたころ、再び扉をたたく音があった。

 ナルンが扉を細く開けて確認し、家令のリッセンさまです、と告げた。

 はい、どうぞ、とトゥトゥは居住まいをただした。


 扉が開けられて、細身の男性が部屋に入ってきた。

 焦茶の髪を後ろに撫で付け、細い銀縁の眼鏡をかけている。年の頃は四十と少しというところか。

 みすかすような細い目をトゥトゥに向けて、それでも、丁重に礼をとった。


 「おはようございます。当家の家令をさせていただいております、リッセンと申します。お見知り置きのほどを」

 「白薄荷の宮よりまいりました、トゥトゥです。昨夜よりお邪魔しており……」


 トゥトゥが頭を下げながら挨拶しようとすると、リッセンは遮った。


 「奥さま。ここはあなたさまの家でございます。邪魔などということばをお使いになりませぬよう」

 「あ、う、はい、失礼しました……」

 「それと……昨夜はこちらの部屋でお休みになられたとのこと。わたくしどもになにか、不手際がございましたか」


 物言いは穏やかで丁寧だが、詰め寄られるような圧をトゥトゥは感じた。リッセンは横にいたナルンにも厳しい目を向ける。トゥトゥ以上に、ナルンは震え上がっている。


 「あ、あの、セイランさまもお疲れとのことで、お身体に触りがあってはなりませんから、大事をとってお休みいただきました。なのでわたくしも、お部屋に……」

 「そうですか。セイランさまは昨夜、広間にいらっしゃって、奥さまのお付き添いの方々とずいぶん遅くまでお酒を召し上がられていたようですが」

 「……そ、それは、楽しい宴になって、なによりでした……」


 トゥトゥが無理やり笑顔をつくりながら意味のとおらないことを言うのを、リッセンは黙って聞いた。じっとトゥトゥの目を見ていたが、眉をちょっとあげ、うなずいた。


 「ご夫妻のことは、ご夫妻にてよくご相談くださいますよう。なにか心配ごとがございましたら、ただちにわたくしどもにお申し付けください」

 「は、はい」

 「現在、ご体調に問題はございませんか」

 「はい……」

 「結構です。それでは、本日のご予定を申し上げます。まずこれよりご朝食をセイランさまとおとりいただきます。その後はお召し替えをして、別館の大殿おおとのさまへのご挨拶。こちらにお戻り後にまたお召し替え、それから大若おおわか、ディオラさまへのご挨拶、昼食は大若さまご夫妻と。午後は家中の者たちからのお祝いをセイランさまのお部屋でお受けいただきます。その後はこちらのお部屋でわたくしが館のことについてご説明を。夜は城下の主だった方々を招いての披露の宴。招待客は百名ほどですから、できるだけ事前にお名前を覚えておいていただきたく……」

 「あ、あのっ!」


 たまらず、トゥトゥは声をあげた。同時に挙手をしている。


 「なんでしょう」

 「……それ、ぜんぶ、今日、ですか」

 「さようですが、なにか」

 「……いえ……」


 ナルンが横で指を折って暗唱している。予定を覚えておいてくれるのだろうか。絶対にナルンのそばから離れないようにしよう、と、トゥトゥは誓った。

 その後もリッセンはいくつかの言付けをして、慇懃に頭を下げ、退出した。

 トゥトゥは額をおさえ、ばふっと長椅子に座り込んだ。


 「こ……これが、ご大身、なのね……」


 ナルンはくちに手をあて、くすりと笑った。


 「お疲れかとおもいますが、ご朝食です。お席にご案内いたします」


 トゥトゥは昨夜、実家からの出立前にかるく食事をしただけだったし、到着してすぐこの部屋に篭ってしまったから、空腹だった。朝食と聞くとこころが騒ぐ。


 が、同時に、憂鬱も湧き起こる。

 夫、セイランに、どんな顔をして会えばいいのか。なにを言えばいいのか。

 とはいえ、悩んでもしかたない。誠意を持って臨むしかない。

 意を決して、ふたたびナルンに導かれ、さきほどの風呂とは逆、館の中心と思われる方へ向かう。


 白い木の扉。

 ナルンがかるく叩くと、内側から開けられた。

 ナルンを外に残し、部屋に入る。

 正面には大きな窓。空城の中心街が一望できた。

 窓の手前に、真っ白の布がかけられた、おおきな食卓。

 いくつかの食器が置かれているが、まだ誰も席についていない。

 トゥトゥはその右側にとおされた。


 落ち着かない気持ちで待っていると、やがて、扉が開いた。

 トゥトゥは立ち上がって迎えた。


 「……よぅ」


 セイランは昨夜と同じ服装を着崩し、乱れた長髪を掻き回しながら入ってきた。トゥトゥに向かって片手をあげ、しかめ面をした。頭痛がするようだ。

 給仕に案内されるまでもなく、どっかりと、卓の反対側に腰をおろす。

 ふうと吐いた息は、酒臭かった。


 「花嫁さん。昨日は、よく寝たか?」


 セイランはトゥトゥを見上げ、ふっと歪んだわらいを浮かべた。


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