第5話 会えて嬉しい


 わずかに雲がかかる地平線。

 いまだ顔を出さぬ太陽が空をとろりと葡萄色に染めてゆく。

 

 ウォジェ家の空城そらじろ黒玻璃城くろはりじょう

 早朝の鮮烈な大気がこの巨大な空中都市を包んでいる。


 竜のたまのちからにより、空城周辺の気圧なり気温は地表とそう大きくかわらない程度に保たれている。それでもやはり環境の影響は受けるから、いま日の出直前の庭にたつトゥトゥがかんじる爽やかな冷気は、けして気のせいではない。


 寝間着に肩掛けという格好で、トゥトゥは部屋から直接、庭に出た。


 昨夜、あまりに早く眠ったために日の出前に目が覚めてしまい、ベッドのうえで悶々としていた彼女は、カーテンの隙間からうすく光が見えることに気がついて起き出したのだ。


 ううう、と大きく伸びをし、かくんと手を下ろす。俯いて嘆息する。


 はあ。

 やってしまった。

 

 前夜、夫としては初めて対面したセイラン・ウォジェに彼女は啖呵をきり、憤然と与えられた自室に引きこもってしまったのだ。


 あなただけに嫁いだのではない。

 この家のために、竜のために嫁いだのだ。

 よく言うな、と、自分自身でもげんなりしつつ、反芻はんすうした。


 暖かく迎えてくれることを期待したわけではなかった。

 一度しか会ったことがない、しかもあんな状況でしか顔をみたことがないのに求婚するからには、なにかしら理由わけがあるとも思っていた。

 それらを覚悟した上で、それでも、自分の新しい居場所を大事にしようと、夫となるひとには良くしようと、心を決めてきたはずなのだ。

 しかし。


 結婚してやっても、いい。

 きっと君の方が嫌になるだろう。


 これには我慢がならなかった。

 自分の覚悟も、白薄荷しろはっかの宮のみなの気持ちもないがしろにする言葉だと感じた。

 それに、竜使いの長だというバヤールや、まだ会わぬ家令のリッセンというひと、みなおそらく、なかば無理な婚姻だとわかっていながら、この話を進めたに違いなかった。すべては、堕ちた英雄の、復活のためだ。わたしはそのためにも、彼を支えるためにも、ここに呼ばれたのだ。

 だからこそ、彼の投げやりで不貞腐れたような態度に腹がたった。


 とはいえ。

 初めての、夜、である。

 いかなトゥトゥといえども、しきたりは知っている。

 そして彼女がそれを台無しにし、また、これからの務めを難しくしたことも自覚している。


 「……謝ろう」


 謝って許してもらえるのか、もともと困難であろう結婚生活がはたして正常にゆくのか、少しも自信がなかった。

 が、ともかく、決めた。

 決めると、少しはこころが落ち着いた。


 「まずはこの場所のこと、みんなのこと、知らなくちゃ……」


 ひとりごちて、胸に手を当てる。

 それから大きく開き、手のひらを天頂に向ける。

 目をうすく閉じ、上を向く。集中する。

 そのまましずかに、呼吸を続ける。


 やがて、ざわりざわりと、彼女のこころにたくさんの想いが入ってきた。

 

 まず、草花。あたりの樹々。

 ことばではない。波のような、さざめきのような、揺れ。

 その伝わり具合と強弱により、トゥトゥは植物たちのこころを読むことができた。

 館の庭、みえる範囲の樹々たちは、よく面倒をみてもらっている。満足している。でも、どこか、元気がない。

 さほど暗い印象は持たなかったが、気をつけておこう、と、トゥトゥは考えた。

 

 そうして次に、ちいさな生き物、虫。それから鳥、小動物。

 植物の場合と似ているが、より鮮明だった。

 波は、ちいさな光の点の集まりでできていた。点のひとつひとつが、生命であり、想いだった。

 植物の波と混じりあうように、トゥトゥの中で輪を描き、うねり、踊る。

 嫌な感じはしない。平穏といえた。それでもやはり、植物同様、なにか翳りのようなものを感じた。


 やがて、おおきな想いが飛んできた。

 トゥトゥはそれを喜びとともに受け止めた。

 竜だ!

 いま立つ庭は段状の小高い場所にあり、降りて行った先に竜の世話をする場所、係竜舎けいりゅうしゃがあると聞いている。思念はそこから飛んできた。

 

 だれ?

 だあれ?

 あたらしいにんげん。

 あたらしいにんげんが、ぼくたちをみてる。

 ぼくたちをしろうとしてる。


 トゥトゥは微笑み、思念を抱きしめた。

 ああ、嬉しい! みんなに会えて嬉しい!

 どうかどうか、仲良くしてください。

 わたしの名前は、トゥトゥ。

 これからずっと、あなたたちのそばにいます。


 竜たちはいっとき困惑し、それから恐る恐るトゥトゥのこころに触れて、その温度を確認した。安心したのか、いままで静かに見守っていた竜たちがいっせいにしゃべりだした。


 とぅとぅ、あたらしいにおい!

 あたらしいいろ!

 ぼくたちのおどりをみて、はやくみて!

 とぼう! さあ、とぼう!


 トゥトゥは声をだして笑い、想いのなかで竜たちとしばし踊った。


 と、竜たちが急に黙る。

 思念が戻ってゆく。

 トゥトゥのこころに別の思念が入り込んだ。

 人間だ。


 「……失礼、お邪魔してしまいましたね」


 彼女のたつ庭のすぐ下、右手の方から続く細い歩道に、杖をもった男性が立っていた。彼女を見上げて微笑んでいる。

 トゥトゥはあわてて礼をとる。

 もっとも、寝間着姿である。どれだけ丁重であっても、すでに礼を失しているのだ。薄化粧すらしていない。その姿で庭にいること自体が失態である。

 男性は白いローブをふわりと羽織っている。耳の上までで切り揃えられた黒髪。黒い瞳。年の頃は、彼女の夫、セイランの少し上というところ。杖をついているが、年寄りではない。


 「いま、なにかと会話をされていたのですね。もしや、竜ですか?」


 男性の声は柔らかく、穏やかだった。

 トゥトゥは肩掛けを胸の前で合わせ、相手にどう見えているかを気にしながらうなずいた。


 「……はい、あちらの係竜舎のほうから、声が」

 「そうですか、なんともうらやましい。わたしもそのちからを願い、努力はしてきたのですが、とうとう竜の縁を受けることは叶わなかった。それにしてもずいぶん距離がある。それでも、聴こえるのですか」

 「ええ、ここは静かで、集中できましたから……」


 男性は感嘆したように係竜舎の方向を見やり、また振り返った。


 「すばらしい。これが竜の祝縁しゅくえんというものなのですね……ああ、これは失礼した。わたしは、ディオラ・ウォジェと申します。あなたはトゥトゥさんですね」


 男性、ディオラは杖を横に向け、姿勢を低くして丁重な礼をとった。

 トゥトゥはあわてた。

 ディオラ、すなわちセイランの兄。

 竜使いとしては引退をしているが、老いた両親にかわって家の運営をほとんど一手に行っている。つまり、事実上、ウォジェ家の当主なのである。

 だから彼のトゥトゥに対する礼は過分に過ぎた。彼女はおおいに狼狽し、駆け寄ろうとして自分の身なりを思い出し、踏みとどまった。かわりにぴょこんと、大きく頭を下げる。


 「さ、昨夜からお世話になっています、白薄荷の宮、トゥトゥ・リン……あ、トゥトゥ、と、申します。弟君おとうとぎみ、セイランさまのお側に伺うこととなりました」


 お世話になっています、は、出入りの業者の挨拶であり、この場にふさわしくない。トゥトゥの地が出たかたちである。

 それでもディオラは特に気にした様子もなく、笑ってうなずいた。


 「昨夜の輿入れの行列、美しかった。さすがは良い竜を産む白薄荷と、みなで噂していたところです。わたしはしきたりによって部屋におりましたが、本日、あなたにお会いするのが楽しみでした」


 竜捌きへの嫁入りは、相手の男ひとりが受け、ひとばん過ごしたのちに家中に挨拶をする。それがならわしだった。おそらく、うまくいくか、を確認してから周知するという意味だろう。

 トゥトゥは、消沈した。


 「は、はい……」

 「昔ほどではないが、この家であつかう竜は種類がおおい。気質もいろいろなのです。あなたにご相談したいことがたくさんある……とはいえ、今日はとてもそんな暇はないでしょうね。家令のリッセンにはもう会いましたか?」

 「あ、いえ、まだ……」

 「そうですか。彼がおそらく段取りを説明することになるでしょう。気さくな男ではありませんが、驚かないでやってください。この家もずいぶん小さくなったとはいえ、まだ関わる者も多いのです。諸事、面倒ごとがつきまとう。彼のような人間も必要なんです」

 「はい」

 「忙しい一日になるでしょうから、まずはしっかり沐浴と朝食をとってください。ただ、無理なさらず。今日はあなたが主役なのですから……ではまた、のちほど」


 ディオラは手をあげ、杖をつきながら小道を去って行った。

 頭をさげてその背を見送り、トゥトゥはふうと息をついた。

 なんとも穏やかで柔らかで、優しげなお人柄。


 ああ、兄弟で、こうも違うものか……。


 

 

 

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