やどりみず
五道 正希
やどりみず
今では統廃合で地名が変わってしまいましたが
岩手出身の父親の育った辺りは昔
降った雨は深い谷を通って他所に流れてしまい
水に恵まれなかった関係でとても貧しい村だったようなのですが
あるとき旅のお坊さんを泊めてあげたところ
一宿一飯のお礼にと彼が錫杖で叩いた岩が割れ
そこからこんこんと清水が湧き出すようになり
豊かな村へと変わっていったそうです。
私が生まれた時分も住んでいた土地ではあるのですが
もうすっかり記憶も薄れ、ただのどかで空気のきれいな
たぶん誰もが持っている田舎への
漠然とした郷愁のような印象しか残っていませんでした。
父が亡くなったと聞いて十数年ぶりに戻ってきたそこは
その印象通りの田舎、よりはすこし現代らしくかわっていました。
隣町になりますがコンビニもありますし
国道まで出れば都会とおなじファストフード店が並んでいます。
それでも村の突き当たりに奥まった、山を背負う実家のあたりの
深い緑の匂いや田舎独特の湿気を帯びた空気は
息子の大輝にとって新鮮なものに映るらしく
ずっとはしゃぎっぱなしで家の周りで虫をとったりカエルをとったり
そのたびに私に報告してくれます。
「いきなり孫がこんな大きくなって帰ってくると、大輝くんのほうが孫みたいな気がしてしまうなあ。」
縁側でぼんやりしていた私に、祖父が麦茶を出してくれながら言います。
そう言われれば、私がここにいたのは今の大輝と同い歳くらいの頃まででした。
それきり一度も顔を出さなかったのだからお互いただの他人同士のようなものですが
ただ孫娘というだけで祖父は歓待してくれました。
高校を出るか出ないかのうちに私は大輝を妊娠し、そのまま家を出てから勘当状態で父とは疎遠でした。無理もないことですが。
思い返してみると、母の葬儀で顔を合わせたのが父との最後だった気がします。
娘が家を出ていき、妻を亡くした父はこの実家に引戻り祖父と畑仕事をしていたらしいのですが
どうやらここ数年は半病人のような暮らしぶりだったようです。
祖父はそのあたりにはあまり触れませんでしたが。
父がたまに寄越すメールの文面からはそのような雰囲気は汲み取れませんでした。
ただ細かいことに五月蠅く厳めしい、うっとおしい父親。
そんな印象のままの別れになってしまったのはやはりすこし後ろめたく
これから祖父に切り出そうとしている話はあまりにあつかましい気もして
私は祖父が促してくれる世間話に歯切れ悪く答えるばかりでした。
「大輝くん、スイカ冷えとるよ。ちょっとこっちで一休みせんけ。」
大輝にとっては丸のままのスイカもめずらしいようで、口の周りをべたべたにしながらうまいうまいと連呼しています。
「裏の井戸でまだ2つ3つ冷やしてるから、いくらでもけぇ。」
その祖父の言葉で突然私は井戸のことを思い出しました。
井戸といっても、山の斜面の岩の裂け目から湧く水を丸く石垣で囲ったものです。
そういえば私も幼い頃そこで冷やした果物を取りに行かされたような。
夏の昼間でもひんやりとする濃い木陰の奥の、ちょっとこわいかんじのする場所でした。
その井戸が、冒頭にお話しした伝承の湧き水だったのです。
自分の実家がそんな
もっとも今では湧水に頼らずに田畑に水を引いているそうですが。
「したっけ、この村ではよそから来た人にもみんなして親切にするのさ。うちもあの井戸のおかげで代々栄えてきたようなものだからさあ。んだけおめさんも、まあ好きなだけこっちにおればいいさ。」
祖父は私が切り出しにくかった言葉を、先回りして言ってくれました。
義父の葬儀にも顔を出さないのだから隠せたものではないのですが
大輝の父親は何年も前に姿をくらませており、私は女手ひとつの都会での子育てにも限界を感じ、こちらに甘えるつもりがありました。
ひどい話ですが、父が亡くなったのはタイミングとしては好都合、だったのです。
都会の殺人的な蒸し暑さと違い、こちらの夏の夜は過ごしやすく
昼間はしゃぎすぎた反動か、大輝はいつも欠かさず見ているテレビも忘れて寝てしまいました。
私は祖父の晩酌に付き合っていましたが、お酒にあまりよい思いのない私はただお水を飲んでいました。
これは裏の井戸から引いている水だそうです。
普段はまったく気にしないタイプの人間ですが、やはり都会の水は相当に不味いものを飲んでいたのだな
と思ってしまうほど、涼やかに切れのあるおいしいお水です。
私にとってはお酒の何倍もの価値があるように思えました。
いちおう、この辺りにも有名な日本酒の蔵がいくつかあるようですが。
「大輝くんの学校なら心配すっこたねえ。ちょっと前に統廃合でぴっかぴかの学校が出来たから。スクールバスがこの下の丁字路のとこまで迎えに来るしさ。」
祖父はもう具体的に私の転居の話を進めるつもりのようでした。
生前の父と祖父の間でどのような会話があったのかは想像するしかありませんが
身勝手で出ていった私を許さなかった父との仲を取り持ってくれようとしていたのかもしれません。
そして父が亡くなった今、この広すぎる家に祖父ひとりというのももったいないかんじがしました。
半病人の父よりは、私と大輝あわせてもこの家の負担にはなるまい。
などと都合のいい考えも浮かんでしまい
そんな浅ましさを取り繕うように、私はかたちばかりの遠慮もしてみせました。
「…昼間話した井戸の話さ、実はあれさ、全然違う話だったってのを、昔聞かされたことがある。」
酔いが回り始めたようにみえる祖父がいきなりそんな話を切り出した意図が、はじめ私は分かりませんでした。
祖父が聞かされたその話では、この土地に流れてきたのは本物のお坊さんではなく
平家か藤原氏の落人、とにかく身分を隠した偉い人だったのだと。
そしてそれに気付いたうちの先祖は、宿を貸した晩にその人を殺して金品一切を奪い
それを元手にしてここを豊かな村にしたというのです。
「ぶっそうな話で悪いけどもさ、東北の寒村なんてのはそんだけ生きるのに必死だったのさ。その坊さんだかお侍さんだかには悪いけども、おかげでうちはこうして何代も栄えとるし、お侍さんだったら所詮命は取るか取られるかだわ。自分らだってさんざ人の命は奪ってきただろうしさ。大事なのはそのあと。掴んだ命をどんだけちゃんと使うかさ。だからおめさんも、大輝くんを立派に育てたら、ほかのことはなんにも恥ずかしがることなんかないのさ。」
ずいぶんと飛躍した、身勝手な、おそらく他人からは理解も同意も得られそうにない説得でしたが
見栄や体裁ばかりに拘っていた父の言葉とは全く逆に、私の心には深く響きました。
そしてそれとはまたまったく別のところで、私は私の中に芽生えた衝動の正体が理解できたのでした。
落ちのびた貴人の財産を奪った後、私の遠い先祖はあの井戸のあたりに遺体を埋めました。
その穴を穿った際に清水が湧き出したのを、伝承のようにすり替えたのです。
そしてその水に、死者の呪いが宿りました。
それは千年の時を経てなお、消えることなくこの村を呪っています。
その水を飲んだ私の意志を奪うほど、激しい声で命じてくる何かが私を動かします。
さっき、私は西瓜の代わりに大輝を井戸に投げ込んできました。
いまから祖父の頭を落とし、それから
今夜のうちに何人の頭を、あの井戸に浮かべることができるでしょうか。
(終)
やどりみず 五道 正希 @MASAKI_GODO
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