恋人関係じゃなくなった君へ
友川創希
本文
僕には、高校時代の同級生でもある
いや、違う。正しくは、
――僕には四条百合という彼女がいた。
こういう過去形の方が正しいだろう。
過去形ということは、つまり今はそういう関係ではないということだ。お付き合いの関係が終わってしまったのはたしか今から約半月前。ちょうど梅雨が明けて、大地に太陽という光が希望のように降り注いだ……そんな日だった。僕と百合は、付き合っていたと時によく来た、彼女が好きな百合の花がきれいに咲く公園でこの関係をやめた。
でも、その百合に今日の午後7時、この街にある山の展望台の近くに来るよう呼ばれて――いや、そこに来るようお願いされているのだ。関係が変わったとはいえ、そんな百合からのお願いはしっかり守ろうと思う。
だから僕は午後7時に遅れないように準備を始めた。鏡を睨みつけながら何度も気になるところの髪型を整える。普段はここまでしないが、なぜか今日は細かい部分まで気にしてしまう。あと、気にしてしまうといえば、さっきから1つの指を何度も何度も触ってしまう。
その百合に言われている山までは車で35分ほどだけれど、途中に寄りたいところもあるので、午後5時50分には荷物を持って家を出た。
まず、僕は山でなくその通り道にある友達の家に向かう。その友達に借りていた本があるから、返しに行こうと思ったのだ。いつもなら友達の家は車で10分ぐらいで着くが、今日は道が混んでいたためか、倍の20分近くかかってしまった。
この家に住んでいる友達は最近ある理由があってここに引っ越してきたらしい。だから、今いるのは外ではあるけれど木の匂いがプンプンとするような気がするのだ。この雰囲気が少し憧れる。
インターフォンを鳴らすと、すぐに友達はインターホン越しに「はーい」と反応し、ドアを開けてくれた。ドアが開いた途端、僕の視線は自然と下に向く。運動靴やヒールのような靴の他に、僕の手に十分収まりそうなぐらいの靴が置かれていた。でも、すぐに視線を友達の方に移す。
「おー、久しぶり。今日はどうしたー?」
1か月前に会ったのが確か最後だが、特に変わった様子はない。変わってるとしたら僕の方なんだろう。
「借りてた本を返しに来たんだ」
僕は借りた本が入った紙袋をその友達に渡した。この紙袋が切れそうなぐらい沢山の本がそこには入っている。
「おー、どうも。というかこの本、役に立った?」
「まあな。友達でこういう本を持ってるのがお前ぐらいしかいないから」
そう、僕の求めていた本を持っている人は僕の周りではこの友達ぐらいしかいない。それに、高校の時からの同級生だし、こいつに頼った。
「まー、そうかもな。というか、新築祝いでお前がくれたお菓子、美味しかったぞ。ありがとうな。でも、期間限定を選ぶところとか、昔から変わってないよなー。高校の修学旅行の時も何個も期間限定商品を買ってたしなー。だけど、お前の変わってる部分も色々あるんだろ」
「まあな。お互いぼちぼち頑張ろうな。よかったら今度うちに来てよ」
「ああ、分かった。じゃあ、またな。あの子のこと、大切にしろよ」
友達はそういった後、僕に一瞬、指につけてある銀色に輝いたリングを見せた後、ドアを閉めた。それが眩しく、僕は一瞬、目をつぶった。そして、少しの間、閉められたドアを見てぼーとしていた。特に何かが起きるというわけでもないのに。
僕は、今、何を思っているのだろう。
友達の家から山までの道も、まだお盆時期ではないのに、その時期の高速道路みたいに混んでいて、結局その場所に一番近い駐車場に着いたのは、約束の7分前――午後6時50分過ぎだった。
駐車場に車を止めて、もしかしたら間に合わないかもしれないから百合に言われた場所に小走りで向かう。さっきまでは浴衣を着ている人がちらほらいたのに、少し進んだ瞬間にそういう姿の人がポツリと消えた。その代わりに虫の音が鮮明に聞こえるようになった。
「あっ、
誰かが僕の名前を呼びながら大きく手を振っている――百合だ。百合はひらひらと揺れるスカートを身にまとっていた。僕は髪の毛に一瞬触れた後、百合の方へ駆け寄った。
「ごめん、遅くなって」
百合のもとに着いたときには、はーはーと呼吸が乱れていた。たぶん、この音は百合にも聞こえているだろう。知らない間に少し、歳を取ったのだろうか。
「いや、まだ大丈夫だよ。3分前。ギリギリセーフ。というか、今日はお祭りだから混んでたでしょ? 私は仕事場からそのまま行ったから早く着いたけど……」
僕も腕時計を確認したが、今の時刻は午後6時57分。あれの開始までは残り3分だ。どうやら、ぎりぎり滑り込めたらしい。
「早く出たつもりだけど、こんなに混んでるとは思わなくて……」
「そうか。まあ、ここはあまり人がいない絶好のポイントだから、とにかく楽しもう!」
僕はうんとうなずいた後に、この山から広がる祭りの世界を見下ろした。そう、今日はこのあたりで夏祭りが開催されているのだ。焼きそばやりんご飴などの食べ物や、射的などの屋台まで様々なものが並んでいる。その様々な屋台には小さい子からお年寄りの方まで多くの年代の人で賑わっていた。
人生の様々な姿を見ている、そんな風に思えた。
――バーン。
突然、そんな音がした。
その音が胸に響いた後、夜空に僕らを照らすような光が輝いた。
その景色が僕の瞳にくっきりと映し出される。
それが、周りの空気を全て吸い込む。
でも、一瞬にして消えてしまう。
それは虹なんかより、もっともっと短い時間で消えてしまった。
だけど、その一瞬に全ての美しさを詰め込んだ、そんなものだ。
そういうものが次々に打ち上がっていく。
――花火だ。
「きれい……」
百合は、その景色に思わずそう呟いていた。そして、自然と足を前に出していた。僕も気づけば、百合と同じことをしていた。
「あのさ、手を繋ごう」
百合がこの花火みたいな美しい声で、僕にそうお願いしてきた。
「でも、僕らもう、そういうんじゃないんだし……」
そうだ、僕らはそういう関係じゃない。でも、百合はそんなことはお構いなしに、手を繋いで、僕の目を少し眺めていた。たぶん、握っちゃったという意味と、僕の瞳に映っている花火でも見ているんだろう。
「別に、手なんか繋がなくていいのに」
「何でよ、私たちってさ――」
百合は僕と手を握っている方の手を、そのままの状態で夜空の方に上げた。でも、まだ夜空には到底届かない。だけど、僕らはある地点に届いてしまった。
――夜空には、花火の他に僕ら2人がつけている銀色のリングが輝いている。
「――恋人から、家族になったんだから」
彼女の声は一音一音、音楽を奏でるようなものだった。まるで、この光景にBGMをつけるかのようだ。
「まあな」
僕は少し微笑した。僕らはいつの間にか変わっていたのだ。
――僕には四条百合という彼女がいた。百合はもう僕の彼女ではない――百合が言う通り、恋人から家族になったんだ。
――百合の咲くあの公園で、関係を変えたのだ。本当の恋をした百合を一生大切にする決断をしたのだ。
「そう言えば、君の友達にも私たちの前に結婚した人がいたんだっけ?」
「あー、いるよ。その人に赤ちゃんの育て方とかの本を借りてたから、さっき返してきた」
「そうなんだ。気が早いなー。それより、私がここに連れてきた目的。もちろん2人でどこかに行きたかったっていうのもあるけど。もうそろそろ、打ち上がるよ」
僕はそのことは知らされていないので、少しキョトンとなってしまったが「いいからいいから」と百合は言う。
すると、さっきまでは丸い形の花火だったけれど、一瞬、何かさっきとは違う空気を感じた後に、次の花火が上がった。
夜空には愛が輝いた――いや、ピンク色でハート型の花火が上がった。
「私達がまだ高校生だった頃、ハート型の花火みたいねなんて話、この場所でしてたでしょ」
「確かに、そんな話したな」
あのときは確か、冗談で言った気がする。ただ、百合と特別な花火を見たい……そんな願いからでた言葉だったと思う。でも、もう特別な花火は――
「まあ、僕にとっては百合と結婚できたことが、花火なんかより何倍も特別だけどな」
「何だよ、せっかく見せてあげたのに……――まあ、いいや。これからも、よろしく」
その花火が消えた瞬間、僕の顔を見て、百合はどこまでも届いていきそうな声でそう言った。百合がそういう言葉を言うのなら、僕が言う言葉の選択肢は1つしかない。
僕はそれを百合に言うために、百合の顔をしっかりと見た。
そこには、いつも通りの君がいた。
そして僕はたった1つの言葉を言う。
「――百合、こちらこそ、よろしく」
その瞬間、まるで僕らの姿そのものを表しているかのような百合の花の形にも見える花火が夜空を照らした。
――僕には四条百合という彼女がいた。でも、今はもうそれ以上だ。
恋人関係じゃなくなった君へ 友川創希 @20060629
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