第14話・嘘つき
「あの色ぼけ陛下の、晩餐の席での発言なんて気になさらない方が良いですよ」
ミランにしては、辛辣な言葉だった。近衛隊総隊長が言うに相応しくない言葉に驚いた。
「いいの? その様なことを言ってしまって?」
「どうせ皆も口には出さずとも、同じようなことを思っているでしょう。陛下は若い頃から異性関係では、良い噂を聞きませんから。私の発言も他言無用でお願い致します」
ミランは口元に人差し指を当てた。それが色っぽく感じられて、不覚にも胸が騒いだ。陛下は、執務以外はあてにならなかった。女性にだらしなかったのだ。わたしが宮殿に上がった頃から、若い女性との噂が絶えなかった。でも、エルメリンダ前王妃さまはそれを耳にしても平然としていた。わたしもあの御方の強さを、見習いたいと思う。
「どうしようかしら?」
「妃殿下」
「分かっているわ。誰にも言わないわよ」
軽くミランに睨まれて笑うと、彼も微笑みを返してきた。宮殿に古くから仕える者達も、現両陛下のことはあまり良く思っていない。
特にリチェッタ王妃は、評判が宜しくない。国一番の美姫で聡明で知られていた、前エルメリンダ王妃殿下が寝付くようになった頃から、陛下のお手つきになり、前王妃殿下が亡くなると、その後釜に座るような形で王妃となったせいだ。
元は子爵令嬢で下位貴族出身の彼女が、陛下の再婚相手。しかも、王妃になるのは本来ならあり得なかった。それを兄王と衝突する事を裂け、臣下に下っていた王弟のバスコ公爵を引っ張りだし、渋る彼に彼女を養女として認めさせて後妻に迎えた。その時、彼女はすでに身籠もっていたという。侍従長や女官長らは呆れ果てていた。
わたしの仕事がなかなか片付かないのは、現王妃が処理できない仕事が回ってくる上に、殿下がサボった仕事が加わるからだ。リチェッタさまは単なる「王妃」と言う名の愛人に過ぎない。陛下は彼女には、前王妃に任せていたような政務をさせる気もなく、着飾らせて贅沢させて寝台に留め置くだけ。
「これでいいのかしらね?」
誰に言うのでもなく呟けば階下の外の、中庭の方から聞き慣れた声がしたような気がした。
「あ、……め、こんなところだれかに……たり……したら……」
「……ぶ。誰もここには来ない……」
「ティ……。でも……」
「愛し合う僕らに……、覗く方が無粋な……」
廊下の外はバラの花壇が広がる。その中央のベンチに男女がいた。女性は着ているドレスを着崩して、肩まで晒していた。そのドレスの色や形に見覚えがあったし、女性の胸元に顔を埋めている男はテレンツィオに間違いなかった。その腕がせわしなく動き、女性のドレスの裾をたくし上げているように見える。何をしているのか容易に知れた。
「あ。だ……」
「ジータ。あ、いい……」
男女は場所も弁えず愛を語り合っていたようだ。彼らの吐息が側まで聞こえてきそうで耳を塞いでしまいたかった。
「あ。あんっ。ティオ……」
ミランのエスコートする足が気のせいか、早くなった気がする。彼に合わせるようにその場を後にすると、背中に彼らの睦言が聞こえてきた。
「……愛しているよ」
「ティオ。私も」
テレンツィオの声には、相手を想う甘い響きがあった。ジータも女として愛される喜びを声で伝えていた。それを背後に、わたしは最悪の初夜を思い出していた。
「嘘つき。何がジータとは、そんな仲じゃないよ」
テレンツィオには腹が立って仕方なかった。彼はジータとの仲を否定するくせに、人目に付くところで堂々とイチャイチャしている。宮殿内で醜聞になると、引き合いにされるのは、このわたしだ。
「妃殿下」
「ミラン」
いつしかエスコートしてくれていたミランの手を振り払い、自室に駆けて戻っていたらしい。部屋の前に着いてからそれに気がついた。怒りに支配されていたらしい。ドアに手をかけると背後から声がした。
「妃殿下。大丈夫ですか?」
「ミラ……」
中庭の二人を目撃して、わたしが衝撃を受けたと思っているらしい彼の声音は、どこか同情の色を含んでいた。
「大丈夫だから……、一人にしてもらえるかしら?」
いま、腹の内が煮えくりかえっている状態で、彼を振り返りたくなかった。苛立つ感情のままに口走ってしまいそうだ。そんな醜い自分を彼には見せたくない。
「御意」と呟く彼に安堵の息を吐き、一人部屋に入る。ドアに背を預けていると、向こう側から声がした。
「妃殿下。しばらくの間、この部屋は人払いを命じておきますので」
「ありがとう。ミラン」
ミランの気遣いには感謝しかない。気持ちを落ち着かせるために深呼吸を繰り返し、沸点まで上り詰めていた熱量を逃そうとした。
──わたしは王太子妃──
他の者に侮られるような行動を取るわけにはいかない。それでも無性に、前エルメリンダ王妃さまに会いたかった。あの御方に愚痴りたかった。両陛下のこと、テレンツィオのことを。
もしも、エルメリンダ王妃さまが今もお側にいてくれたのなら……。
そう思うと、瞼が熱くなりポロリと涙が落ちた。次から次へとこぼれ落ちる涙。心に亡き御方を浮かべ、救いを求めていた。涙を払うことなく、そのままドアに背中を預け、わたしは天上を仰ぎ続けた。
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