第3話

 九月になると、盛夏にあった予備校特有の喧騒けんそうは止み、日ごとに加速する夕べの冷涼さに驚く間もなく、予備校は夏以前の元の授業スケジュールに戻った.その日、修の予備校の授業は午後三時に終わった.夕方からの授業がなかったので、修はそのまま荻窪の自宅へと戻った.

 家に戻ると、玄関先で母が茫然としていた.狼狽する母の様子に、修は、家の中で起きた事件の、だいたいの内容については察しがつくような気がした.しかし母の方は、家の外で、屋内での事象の解決を思案していたというより、家の中からただけがれを避けて逃げ出してきたという面持ちであった.

「お父さんがね私にセックスしようっていうの.さっきなんか私がお風呂に入っていると、服を着たまま湯船に入って来ようとするの.もうこわくなっちゃって」「前立腺の手術をしたんだし、そんなことはできないんだって何度言ってもわかんないのよね」と、母は修とは眼をそらしたまま、事の顛末てんまつだけを伝えた.

 部屋へ行くと、修治が叱られた児どものように正座していた.しかし頬には、ばつの悪そうな笑みを浮かべていた.

「お父さん、お風呂へ入ろう」と修は言った.こういう時の認知症の老人の気分転換には風呂へ入るに限る.風呂の湯の刺激と爽快さが最前のことを忘却させるからだ.

 修は父を脱衣所に連れていった.しかし、父はすでにひとりでは服を脱ぐことができなかった.しかも脱いだはずのズボンを、もう一度頭からかぶろうとしていた.

「お父さん、それはもう着なくていいんだよ」

「ああ、そうか」と、修治は修を見て恥ずかしそうに微笑んだ.

 母が入った後の浴槽の湯は少しぬるくなっていたが、父にはあまり熱くない方がよいと思った.修治が浴槽の縁に手をかけようと前のめりになった.足下であやまって蹴り上げた風呂用の小さな腰掛けが、丸い音になってタイルの壁に反射した.修は、自分の方に戻そうと、腰掛けをすべらせ、その上に修治を座らせた.

 修はスポンジに石鹸を付け、父の身体をこすった.うなだれて用済みになった父の陰茎を見ながら、最前の母の言葉を思い出した.『六八歳の男が六三歳の女に性を求めるとは』、『いや、七〇歳の男だって若い女をはらませることがある』.修には、これが笑っていいものなのか、厳粛なことなのか、判然としなかった.そういえば、脳死状態になっても視床下部という組織が最期まで生き残って、しかもそこは性欲などの情動の中枢だという話を聞いたことがある.人間とは最後まで何て哀しい生き物なのかと思った.

 修は湯気に霞む父の顔を見た.修治は寝ているように眼をつむっていたが、下唇が僅かに痙攣していた.修は今度はスポンジで修治の股ぐらを撫ぜた.陰毛に白い気泡が絡みついた.

 洗面器で肩から湯をかけ石鹸の泡を落とし、いく分張りを取り戻した父の肌を見て、修は満足した.修は修治を促して浴槽に入れた.浴槽に横たわる父の身体は、湯を通して見ると、しまりのない白い塊のように感じられた.

 修は、立ったままの修治の身体をバスタオルで丁寧に拭いた.その間、修治は拝むようにして両手を胸の前で重ねていた.寝室に連れていき、父を寝かせその両脚をM字型に拡げた時、納豆の豆粒を箸ですくい上げる時に届くような臭いが周囲に漂い、修の鼻腔びこうの奥に粘り付いた.一日に何度も失禁する父の股間の臭いは、石鹸付きのスポンジで撫ぜた程度では、簡単に消臭されるものではなかった.このむかつく臭いに耐えながら、松葉蟹の触手のように細くなった父の両脚の真ん中に紙オムツを押し当てた.当初、修治はオムツを非常に嫌い、息子が押しつけるたびに投げ捨てたが、今や観念し、息子が父にむつきを当てるという行為は自然な日々の習慣となった.

 入浴後の快い疲労感に誘われたのか、修治は自らベッドの布団に潜り、すぐに乾いた唇に寝息をたて始め、腹部は柔らかに起伏した.修も父のベッドの下にした.かび臭い畳の臭いを嗅ぐうち、修の周囲は水飴のように揺らぎ始めた.修は、自然としば午睡ごすいの内にまどろんだ.


 修は夢を見た.修は薄暗いトンネルの途上にいた.彼方から心地よい風が吹いてきたが、自分はそちらへは行くべきではないと思った.逆の方向から、修の名前を呼ぶ声がした.それはとても懐かしい歌のように聞こえた.修はそちらの方向へ歩を進めていった.

 周囲が突然明るくなった.それは遠い昔の、荻窪の街が今ほど殷賑いんしんを極めていなかった頃の、春の日差しの柔らかな日であった.幼い修は、父の修治の駆ける自転車の後ろの荷台の上に乗せられていた.古い自転車は時折、金属のきしみを修の華奢きゃしゃな身体に伝えた.父の背中にうずめた顔から時おり横を見遣ると、家々の軒が、木々が、花々が、まるで水晶の内側で色彩を放つ光のように、眼の前を通り過ぎていった.

 しかし突然空が反転した.修治と修はくさむらに転倒したのだ.立ち上がった父の声は聞こえなかったが、修の方を見て『大丈夫か』と言っているようだった.目前では、地面の摩擦から解放された自転車の車輪が、光のしぶきを氾濫はんらんさせていた.修の周囲は草むらの匂いで満たされた.その香りは緑の草の苦みというより、懐かしい甘美な香りだった.父は笑いながら再び修の横にした.時に小さな虫が眼前を交錯する以外は、親子の前には淡い水彩画のような空があるだけだった.

 修は何かをさかんに父に話しかけ、修治は息子の言葉を引き受けた.すべてが昔のままだった.昔のままの陽の温もりと、大気の感触だった.息子は父の手を握ったが、それは現実のありのままの感触だった.それは体温さえ伝えていると思ったほどだった.


 無縫むほうの空が、矩型くけいに仕切った天井に代わった時、修は午睡ごすいから目覚めた.白い蛍光灯の昼間の輪郭を見た時、修は偽りのない現実に戻されたのだと感じた.最前の夢の記憶が、鮮明であっただけに、現実に覚醒した今となっては、すべてが重く、虚しく、腹の底に重く沈澱していくものを、修はどうすることもできなかった.窓外からの黄色い鈍重な午後の日差しを感じながら、改めて、父の認知症というこの恐ろしい病を、今や当然のように引き受けている自分自身に哀感を覚えざるを得なかった.

 立ち上がって横を見ると、ベッドの上の、乱雑にしわを寄せた敷布の上に父はいなかった.修は急いで玄関の方へと向かった.

 玄関へ行くと母が座り込んで、開けっ放しになった戸の外を眺めていた.修は驚いて母の前に立った.

「お母さん、お父さんは?」

「出ていったわよ」と、澄江は素っ気なく言った.そして立ち上がって部屋へ戻ろうとした.

「どこへ!」と、思わず修は母の片腕をつかんだ.母はいく分態勢を崩し、茶色い小さな染みのある肩の皮膚がのぞいた.

「知らないわよ!」と、澄江は修の手を払いのけた.

「知らないって、追いかけなかったの」

「どうせまた駅の方にでも行ったんでしょう.私の方なんか見向きもせず、わけのわからないことを言いながら素通りしていったわよ」

 母は横顔にずるそうな薄ら笑いを浮かべていた.そして面倒臭そうにその口を閉じた.修はさらに澄江の前に立ちはだかった.母は重い溜め息をついた.

「心配ないわよ.また警察から電話がくるわよ.そうしたら、修、あなたがまた迎えに行ってあげなさいよ」

 澄江は修の顔を見ず、吐き捨てた.

「だってお母さん、自分の夫でしょう、どうして捜しに行かないの!」と、修は哀れむように母の顔をのぞき込んだ.

 すると澄江はゆっくり顔を上げ、反抗的な眼で顔をいく分傾けながら言った.

「じゃあ、あんたは息子なんでしょう、自分で追いかけなさいよ.誰も止めないわよ」

 母は意味なくこの言葉を使ったつもりだった.

「何だって・・・ 」.修は陰険に歯茎を露出させた.「僕はお父さんを捜しに行く」.修は大声をあげた.「お母さん、いいのこれで?本当にこのまま終わってしまうよ……、もうお父さんには、時間はそんな残されてないかもしれないよ」

 修は母の両肩を激しく揺さぶった.指が激しく骨に食い込んだ.澄江の白髪が額に散乱した.

 夫は妻を見下しそして忘却し、積年の遺恨により妻は夫をうとんじ、そして今は息子が母を罵倒し…….この醜悪な因果の羂索けんさくの中で、この三者は回転するにつれ解体していく車輪のように思われた.

「構わないわよ.さんざんしたい放題したんだから、悪いのは向こうじゃない.私には仏様のばちは当たらないわ.それに、あんただって……」

 修は次の言葉を待ち構えた.修は、母の次の言葉の意味が取り返しのつかないものであればこそと、その刹那、不思議に心待ちにさえした.

「あんただって、あの男のせいで結婚をあきらめたんじゃない.あんなに好きあっていたのに……」

 母は言葉を発しながら、後悔を震える声で懸命にゆるめようとしていた.修の方はそう言われたことで、かえって心のつかえが取り除かれたような気がした.

「それでも僕には父親なんだ」

 そう断固として言い放ったことで、修の心の傷跡は再びうずくことはなかった.


 修は、以前も駅前の駐在所にいたのだから、父がまたそちらの方へ行ったに違いないと、心のどこかで判断したのかもしれなかった.杉並区の中央図書館を過ぎ、十字路を曲がり表通りに出た.修は、徘徊する父の姿を想像し、一瞬嘆息した勢いで、さらに急激に気分が滅入っていった.眼下の石畳は黒く埃にまみれていた.

 修は荻窪駅南口の自転車置き場で修治を見つけた.修治は焦点の定まらない眼差しで周囲を見回していた.

「お父さん!」修は思わず父を抱きしめた.「よかった無事で」

 修は父の孤独を思った.しかしその刹那、修が幼い日に台所の隅で身を屈めて泣いていた母の残像も脳裏をかすめていった.修は修治の肩に顔を押し付け泣いた.父もわけのわからないまま唇を震わせ眼を潤ませた.

「修、大変だ、犯人が逃げたぞ」と、修治は震える指で駅の方を指した.

「うん、わかった」と、修は指で涙をぬぐった.

 修は修治の腕をつかむと、たもとからスマホを取り出した.「よし警察に電話してみよう」と言って、修はわざとスマホのダイヤルを修治に見せた.

 数字をいい加減にプッシュして、受話器に聞こえてくる無機的な女性の声の機械音に、耳をすます体裁をとり、

「あ、そうですか、ありがとうございました」と言って、スマホを切った.

「お父さん、犯人はもう捕まったって.警察の人がそう言っていたよ」

「そうか」と修治は児どものように無邪気になった.「安心したよ、一時はどうなるかと思ったよ.通帳ごと持ってきやがったんだ」 

 修は『通帳ごと』という言葉を聞いた時、自分が小学校の頃、家に泥棒が入って、確か『通帳ごと』盗まれたことがあったのを思い出した.

 父と腕を組みながら斜陽の街から、住宅街へ戻って来ると、買い物帰りの、修とは幼なじみの息子がいる近所の主婦に出会った.実は修治は以前徘徊した時、この主婦の家に迷い込んだことがあった.

「修ちゃん、頑張ってね.近所の人みんな応援しているわよ.何か困ったことがあったら、いつでもうちの息子をよこすから」

 その主婦は今度は修治の方に向き直ると、

「ああら、田辺さんじゃありませんか、こんにちは.またお茶を飲みに寄って下さいね」

「どうも……」と言って、修治は何事もなかったかのように微笑んだ.白い無精髭を尖らせた唇が震えた.

「修ちゃん、やっぱり介護は娘か息子が一番よ」.そう言いながら主 婦は顔だけをもう一度修治の方に向けて微笑んだ.

「うちの親戚の嫁なんか介護するといったのに、一か月も持たないで放りだしたんだから.そして結局、本人のおばあちゃんは親戚じゅうをたらい回しにされて、命を縮めちゃった.まあそんな話、世間には山とあるけどね」と、その主婦は言った.

 『ほんとうだ』と、修は心の中でその主婦の言葉にうなづいた.介護の意味を見かけの「優しさ」と間違えて、取り返しのつかない泥沼に入り込んだ人たちが、この太陽の下に何人いるかと思った.介護するとは、優しさでも善意でもなく、何よりも「忍耐」だと修は思った.それも頑張るというよりも、踏ん張るという気持ちでなければ、とてもやっていけない.

 むろんその「忍耐」でさえ、際限がないわけではない.「忍耐」の限界状況が、時間軸の思いがけない瞬間に破たんをきたす.介護施設の職員が認知症の入居者を虐待死させたという最近の報道も、その加害者を非難するのは簡単だ.しかし、今の修には、月並みな道徳観念だけでは、これを裁断できないような気がする.「こんなはずではなかった」という行き場のない追いつめられた気持ちが、当初の善意を結果として憎悪へと変えてしまったのではないのか.

 しかも、まがりなりにも介護が無事に終えられたとしても、それで一件落着というわけではないことさえあるのだ.介護が終わるなり妻から離婚を切り出されて、右往左往する夫の話というのも聞いたことがある.妻は忍耐の瀬戸際にあったのに、夫はまったく気付かなかったのだ.結局介護とは、当事者にも、家族・親戚にも、あるいは誰にあっても、不愉快なわだかまりという火種をその後も長く心の中に残すのか.


「最初のきっかけは台所の使い方のトラブルから始まったんですって」.さらに主婦は付け加えた.「おばあちゃんが食べ残したものを、そのまま台所の流しに流すのね.手も不自由だし台所の床をびしょびしょにしちゃうのよね」

 『トラブルの発端は家中の水回りでの取り扱いか……』、これもまたよくある事例だと修は思った.

「でもねえ」と、その主婦は最後にまた付け加えた.「介護を終えた時、介護は素晴らしい体験だったとも言っている人もいるわね」

 主婦は遠くを見るように言った.修はその理由を尋ねることはしなかったが、

「ありがとうございます.私もそう思える日が来るといいんですが」 と、主婦に礼を言った.

 主婦の言葉を引き受けて、介護の渦中にある修は、では介護が終わるという彼方のいま一つの現実を考えてみた.そのいつか来る日は、果して希望なのか、それとも単なる諦念な のか .修には、介護のわずらわしさの中で、この苦役から解き放たれたい気持ちもあれば、他方、介護から解き放たれる、すなわち父の死とい う現実に耐えうるのだろうかという相矛盾した気持ちもあった.しかしそれならば、介護が素晴らし い体験だったともいう主婦の言葉は、どのような総括のもとで発せられた言葉なのか…….

 主婦と別れた後、今度は近所に住む初老の男性と出会った.修にとってこの人は、幼いころの遠い記憶に壮年期の表情が僅かに思い浮かぶ、ただの無関心な空気のような人に過ぎなかった.しかし最近では道端で、しばしば親しく声を交わすようになっていた.

「お父さんの具合はいかがですか」.その男性の親しげな眼差しに、あたかももうかなり以前からお互いに行き来があったかのような錯覚を、修は覚えた.

「何かあったら私にもお手伝いさせて下さい.私も今、妻を介護しています」

 そう言うと男性は、家の門の外側に車椅子を押してきた.石畳に車輪が きしんだ.車椅子の中に、寝間着姿の老年の女性が背中が埋もれそうなくら い、身体をあずけていた.その女性は修と修治を見ると、あどけない笑み を浮かべながら両手を振っていた.修治は丁寧に頭を下げた.その女性は今度は修の方に手を伸ばした.そして修とうれしそうに握手をし、手を大きく上下に振った.

「田辺さんのお父さんと息子さんだよ、覚えてる?」                  男性はそう言いながら、妻の口許のよだれをハンカチでぬぐった.

「覚えてますよ、ずいぶん大きくなって……」

 隣家での楽しいやりとりに気付いたのか、今度は塀越しに急に別の中年女性が顔をのぞかせて、

「がんばってね、田辺さん、鈴木さん、私のことも忘れないでね」と言った.

 そう言ってその女性は、最前の男性と目を合わせて微笑んだ(男性の名前は「鈴木」だったと、修はその時ようやく思い出した).

 そういえば、顔をのぞかせたこの女性は、『田辺さんのお父さんへ』と言っては、田辺家に野菜や果物を差し入れてくれる人だった.では、この女性は一体何という名前だったろう…….

 ゆくりなくもこの数年の間に、修は自分の周りにはこんなに人がいたのだということを知った.修は決して自分本位な人間ではなかったかもしれないが、仕事にかまけて、家の周囲の人間をなおざりにしていたかもしれなかった.修は、父の介護をとおして、人間の絆、ひいては、「人間」というものを、今頃になって初めて知ったともいえる.

 さっきの主婦が言った、介護が素晴 らしい体験だといえるとするなら、それはもしかしたらこの人間どおしのつながりを知るということではないだろうか.それは「感謝」という言葉の意味を実 感するということなのかもしれない、と修は思った.それは自分が支えられて生きていることへの「感謝」であり、おおげさに言えば、この人生の不思議な因果の中でそれを実感させてくれた何ものかへの「感謝」でもあるかもしれない.

 そして、介護をとおして修が得たさらにいま一つの実感を表現するとすれば、それは人間本来がもつ「優しさ」を再発見できたという感慨であった.思えば、男である自分が介護の当事者になるとは、数年前までは考えもしなかったはずだ.しかしそれが現実ともなれば、まがりなりにも修にさえも介護という任務がきちんと務まっているではないか.「優しさ」と「忍耐」は相反すると、前に述べたが、実は相反するのではない.「優しさ」が「忍耐」に代わって裏切られるのではない.もしかしたら「優しさ」とは、先行してに価値認識されるものではなく、「優しさ」の前に「忍耐」がはじめにあって、その経過の中で、見返りや打算を放棄した時に初めて実感できるものであるはずだ.

 むろん自分の父親に対してであれば、それは当たり前かもしれない.でも、惰性に身を任せて生きてきたはずの自分の内面にさえ、このような優しさがあったのであり、この世知辛せちがらいと思われた世間にも、そして自分のすぐ近くの人たちにも、実はこんなにも思いやりといたわりの気持ちがあったのだ.

 一人ひとりの人間は、ほんとうは幸せの種子を隠れた真実として、内面に宿しているのではあるまいか.それが分かってみれば、人間とは一人ひとりが実はこんなにもかけがえのない存在だったのだ.これは少しも神秘でも特別なことではないのだ.私たちはいつでもこの偉大な現実の中に生きているのだ.

 この世界は結果だけを求める世界だという.ではそれなら、いずれは死 んでしまう人間にどんな結果が意味をなすというのか.誰かが、人間とは本能が壊れた動物だと言った.それならば、利得を追い、自己保存だけを 企図するのは人間の真の姿ではないということになるではないか.

 内面に幸せの種子を宿した、かけがえのない一人ひとりの人間が、社会というシステムの歯車や函数かんすうであるはずがない.人間どうしの営みが、目的のための手段であるはずがない. すべての人々は関わりあいの中に生きるのであり、私たちはそれを知らないままに、日々を寛怠かんたいのうちに過ごしているのではあるまいか.

 残照ににじむ父の横顔の輪郭をなぞりながら、修は思った.父の終わりの日を迎えた時、この体験は、やはり「希望」として修の内面に生まれ変わるに違いない.いな、必ずそうしてみせると修は確信を胸に抱いた.


 家に戻ると、修治は今度こそは疲れ切ったのか、いびきをかいて寝てしまった.偶然に点けたテレビから聞こえてくるクラシック音楽に耳をすましながら、修も今度はベッドで寝た.

 画面には八十七歳でアメリカのオーケストラを指揮したという日本人指揮者が、ブルックナーを指揮する姿が映し出されていた.ブルックナーの荘重なアダージョ楽章に包まれるうち、修はその晩は夢も見ず朝まで眠った.


   









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