第2話

 五月の連休明けに、修治は入院することになった.前立腺にできた癌を切除するためである.医者によれば、癌はかなりの初期で手術は実に容易とのことであった.実は八十歳以上の男性高齢者の三人に一人は前立腺癌にかかっている可能性があるそうで、癌の進行が遅いことも多く、したがって本人が癌であると知らないまま、腫瘍が拡がる前に本人の寿命が尽きてしまうことさえあるそうである.簡単な手術ではあったが、その晩に修は、母と一緒に病棟の隅の談話室のソファーで一夜を過ごすことになった.

「朝の回診が始まるわよ」という母の声は、朝の寝惚けた修の意識の中では湿って響いた.父がいる病室へ行くと、若い医者が数名の看護師たちを引き連れてやって来ていた.

「おはようございます」と修は会釈をした.看護師たちは修の方に向き直り軽く礼をしたが、眼鏡をかけた若い医者はカルテに眼を遣ったままだった.医者の眼鏡の縁を横から覗くと、カルテの文字は滑稽に湾曲して見えた.

「もう少しデカイやつだったら、切っても後遺症が凄いよ、オシッコが出っぱなしになるしな.親父さんのはたいしたことはなかったね.でも転移があるかもしれないから、これからも血液検査は必要だね.もし骨に転移していたら痛みが出るし、まあそうなったら、あと半年だな」と、若い医者は実に何気ない口調で、流暢に言葉をつないだ.修にはその尊大な口調が気に障った.でも修治はこの数年、いくつかの病気で入退院を繰り返したため、息子の修は何人もの医者と付き合ううち、この程度のドクターハラスメントには慣れているつもりだった.

「おじいちゃん、どうだい具合は?」と医者は修治に無遠慮に顔を寄せて尋ねた.半開きだった眼を修治はびっくりして開けると、その覚束ない灰色の瞳を修の方に向けた.

「具合はどうなんだっけ」

 修が返答する間もなく、

「自分の具合ぐらい自分でわかんないの?」 と、若い医者は焦れったそうに言った.修は、間髪入れずに言った.

「別の科でも診てもらっています.認知症との診察を受けています.先生には以前そのように申し上げ.またカルテにも・・・」

「そうかボケだったけか、このじいさん」と言って、今度は医者が修の言葉を遮った.そして連れ添ってきた看護師の方を向き直ると、こめかみの横で人差し指を回して、掌を大きく開いた.


 午後に修治の姉、つまり修の伯母である淑子が我孫子からやって来た.修治を病室に見舞い、談話室にいた修を見つけると、修を激しく責め立て始めた.

「修ちゃん、お父さんの目を見た?目尻も睫毛まつげ目脂めやにだらけじゃない.澄江さんは何をしているの?しょうがないから、私がティシュを濡らして取ってあげたわ」.

 伯母は妊婦のような腹を突き出して言った.陰険な表情のために、顔に塗り込められた白い粉がしわをいっそう際立たせた.

「多分こんなことかと思って、今日は急いで病院へやって来たのよ.よかったわ、早く来て」と、伯母は言葉を続けた.

 その割には伯母の化粧は念入りだと、修は思った.

「すみません.ただ父は認知症なもんですから、自分では何もできませんから.私もいろいろやることがありまして、気が付きませんでした」

 修は認知症を理由にする気はなかった.もっとも、修の方は、朝からまだ顔を洗っていなかった.

「認知症、認知症って、そんなこと理由にして、あなたはお父さんをしっかり介護しようていう気がないんじゃないの」と、むくれた顔の皮膚をきつく寄せながら、伯母は言った.

「ただ私も仕事があるもんですから、すべてをこなすというわけにはいきません」と修も、やや意地悪そうに歯茎をのぞかせた.

「仕事を理由にして親を放っておくの.修ちゃんはそんな親不孝者なの?」.そう言って迫ってきた伯母から僅かにナフタリンの臭いが漂った.

「放っておくわけではありません.でも介護というものはやった者でなければわからない大変さがあるんですよ」

 修はこれでどうだと言わんばかりに言い張ったつもりだった.しかし伯母は何としても会話の主導権を取り戻そうとした.

「そんなこと言うから、駄目なのよ.だから修ちゃんは女の子に相手にされないのよ.一生独身ね」

 最後の、飛躍してはいるが、修に投げつけたとどめの言葉で、修をねじ伏せたとでも思ったのか、鼻先を真上に突き上げて、伯母は再び父の病室へ戻って行った.後には修の煮え切らない気持ちが残った.

 伯母のように、ほんの一日か二日だけ見舞いにやって来た人間に、介護現場の壮絶さや、あるいは絶望感の何がわかるものかと、修は思った.修には、その時俄にわかに、初めて修治のしもの世話をした日の情景が浮かんだ.息子が父に初めてむつきを当てた時の、あの濃縮した寂寥感が胸中を重く満たしていくのを感じた.

 しかし修は、病棟の廊下を父の病室へと向かう伯母のかがんだ背中を見ながら、伯母の心の内を想像してみた.『でも伯母だって自分の弟を思い、懸命な気持ちをもっているのではないだろうか』、『その気持ちは、父を思う自分と違うはずはないであろう』、そう伯母を自分の感情に重ね合わせ理解したつもりになって、修は伯母への反発心を懸命に誤魔化していた.

 伯母がいなくなると、何処へ行っていたのか、傍らから母の澄江が姿を現した.白髪が幾筋も乱雑に伸びた母の毛髪は、光沢と統一を失い、苛立つほどに、その一本一本が勝手な主張をしていた.

「結婚なんて所詮、余計な親戚が増えるだけね」と、澄江は白い唾を飛ばした.母の両の瞳は深くよどみ、拭い去れない倦怠感が幾重にも重なり、その光を曇らせたた.

 そうなのだ、夫と妻の後ろには、その家族と親戚という膨大な他人の群れが控えているのだ.この他人の群れは、文句は言うが、カネは出すはずもない.その取り去り難いしがらみが、年次の経過とともに、時に露骨に醜悪にからみつく.

「まあ女なんて結局自分のことしか考えてないんだから、相手への優しさなんてそのための方便よ.自分の取り分を計算した上での優しさなんだから、自分が損をするとか、自分が恥をかくなんて、絶対にしないわよ.女なんて皆そうよ.平気で嘘をついて、メンツだけは保とうとする.往生際が悪いというか、女ほど功利的な生き物はないはね」

 目尻に細かい皺を幾筋も寄せながら澄江はそう言ったが、自分のことを言っているのか叔母のことを言っているのか、あるいは単に自分の経験則を披歴しただけなのか.修には結局、母が何を言いたいのかよくわからなかった

「あなたも気を付けなさいよ、あなたも結婚する気があるなら・・・」

 澄江は言葉の途中で急に両眼をしばたたいた.修には、母が何かの思いを急速に胸の奥にしまい込んだように感じた.修もその話題を打ち切るように母から眼をそらした. 

 その時、談話室の点けっぱなしのテレビの音声が修の耳に届いた.その番組は視聴者が電話で自分の悩みを打ち明け、ゲストの芸能人が解決法を答えるという視聴率の高いお昼の人気番組であった.

 電話口にその声だけが聞こえる相談者は、四〇年連れ添った夫ともう別れたいと言っていた.その女の人の言によると、彼女の夫は自分本位なだけで、四〇年間少しも自分を理解してくれなかったとも言った.妻を馬鹿にし奴隷のように扱ったのだという.夫は元企業戦士だが、定年後の今は一緒の家で同じ空気を吸うのも嫌だと言っていた.

「なんで四〇年も黙っていたの」とある芸能人が聞いた.

「言えなかった」「言ってもしょうがない」と、その相談者の女の人の声は受話器を通すと一層みじめに聞こえた.「離婚するのは何年も前からの計画.でも子供に申し訳ない」とも言った.司会者は「決断するのはあなたでしょう.子供のことなんて理由ですよ」と、かなりきつい調子で言った.

 母の澄江はその時聞こえないふりをしていたが、母にももしかしたら同じ四〇年が去来しているのではないかと、修は考えた.

 修は小学校の時『僕のお父さんとお母さんはめったに喧嘩しないよ』と担任の教師に語ったのを思い出した.『仲が良くて素敵だね』と、担任の教師は微笑んだ.しかし長じた今、修にはその事実が、そのような幼い長閑のどかな結論を下すべき類のものではなかったことを理解している.そして、滅多に起きないはずの夫婦の衝突の陰惨な光景を思い起こした.それは、修治が賞与のかなりの額を茨城の大洗の実家に仕送りをする度に、母と衝突した光景だ.しかもそのやり取りはといえば、単なる思いの行き違いというような水準ではなかった.お互いの人格をえぐるような言葉の飛び交いに、そして取り返しの付かない空気の行方に、幼い修は戦慄したものだ.そして最後はいつも母の澄江が、うずく痛みに堪えるかのような面持ちで引き下がった.翌日、何事もなかったように振る舞う夫婦に、何も分からない修はただ安堵し、いつもの空気が戻ったのだと思った.でも夫婦の間では重い空気の梗塞状態が、とりわけ母の方には何十年も続いたのかもしれなかった.

  母は父に全く愛情を持っていなかった.修が長じるに従い、親としての責任が減衰していったことと、その安心感ゆえか、母の澄江は夫の修治に、次第に愛情のなさを偽る必要さえ感じなくなっていったようだった.妻が夫に時に見せる謎をかけるような含み笑いは、夫をいっそう苛立たせたが、しかしそんな感情さえいつの間にか消え失せた.時の経過の中で夫婦の機微は、お互いへの絶望的な無関心へと変わっていった.辛くも修という息子の存在が、まさに最後のかすがいとなって、夫婦の離隔りかくを引き止めているようであった.

「修にだけは言うけど、お母さんはねあんなじじい早く死んでしまえばいいと思っているのよ.甲斐甲斐しく介護なんて誰がするもんですか.さんざんやりたい放題やって、勝手に惚けたんだから.紙オムツ代だけでも一体いくらかかると思ってんのよ」

 母は言葉を吐き捨てるように言った.修には、このような言葉を息子の前であからさまに露出させる母の心の瀬戸際が思いやられた.

 その時、修の心に「濡れ落ち葉」という言葉が浮かんだ.この言葉は掃いても掃いてもほうきにまとわりつく湿った落ち葉を、停年後の男になぞらえて言うのだそうだ.妻の澄江は、まとわりつく夫の修治をさながら犬でもあしらうかのように、片手を箒のようにして夫の前で振った.父の修治は、母の澄江を気の利かない「女中」とみなして、今やまとわりつく相手を息子の修の方に代えていた.しかしいずれにせよその言葉の響きは、何とも残酷に響いた.

 そして、母は父の介護を次第に息子に丸投げするようになった.母は一時は新興宗教にはまり、むせぶような煙の臭いが廊下まで漂った.宗教の方はすぐに飽きてしまい奇怪な祭壇は撤去されたが、今度は母の部屋の壁には、家族の写真は取り払われ、甘美な笑みをたたえる韓流スターの写真が代わった.修は廊下から垣間見えるその写真に、いつも顔を歪めた.この微笑みの裏側に、いびつな商魂が潜んでいるような気がして、そのことが修をいっそう不快にさせたのだ.


 その次の日、かなり元気になった父はベッドの上で暴れた.点滴を自分で引き抜いて、ベッドのシーツがしたたかに血に染まった.修はいちおう父の説得を試みたものの、父は「家に帰る!」と言って、聞かなかった.修は看護師に頼んで修治の両腕をベッドの手すりに縛りつけさせた.「おさむー!おさむー!」と病室も憚らず修治は大声を上げた.

「誰、あんなことしたの」と、宿泊しているホテルから今朝も病棟にやってきた伯母は、甲高い声をあげた.今度は伯母が看護師に頼んで、修治のベッドの紐を解いた.修治はさんざん騒いだ疲労のためか、おとなしく眠り込んだ.

「それ、ごらんなさい.きちんと話せばちゃんとわかってくれるのよ」と、伯母は余裕たっぷりの勝ち誇ったような笑みを、修と澄江に見せつけた.しかし、その晩遅く、修治は病院を脱走した.

 翌朝、荻窪駅前の駐在所から電話が来た.病院から警察に捜索の連絡が事前にあったこともあり、老人の身元は直ぐに判明したようだ.修は自宅から五分ほどのルミネ前の北口駅前の交番に向かった.狭い交番ではあったが、修治の着ている浴衣は周囲の尋常な空気にはあまりに不釣り合いで、遠くからでもすぐに交番内のその姿は確認できた.

「退院したって言うんですよ」と、修が中に入ると制服姿の中年の警官は笑いながら言った.警官は修治の方に向き直った.

「おとうさん!息子さんが迎えに来ましたよ」

「あれ、修、来たのか」と、テーブルの上に貼られた荻窪周辺の地図をぼんやり見ていた修治は、顔をあげた.白髪混じりの髪の毛は、そののんびりした表情の上で猥雑わいざつたわむれていた.

「さあ、おとうさん、行きましょうか」と、警官は修治の両脇を介助しながら立たせた.「おとうさん、お大事にね」

 腰に下げた警棒と拳銃とは不釣り合いなほど、警官は親切だった.

「どうもお邪魔いたしまして、ありがとうございました.また来ます」と、父の修治は腰をかがめて警官に会釈をした.

「いいえ、お構いいしませんでした」と、警官はやや顔を斜めに傾けながら、額に片手をかざした.

 修は父と腕を組んで病院に向かって歩き出した.駅前の立ち飲み居酒屋の背後を通過していく中央線特快が、線路を騒々しく振動させた.バス停の混雑もいつものようであった.浴衣を着た不精髭の老人の手を引く男の姿は滑稽であったが、それに比して周辺はあまりに庸劣な日常の風景を繰り広げていた.

 どこへ急いでいるのか、せわしない表情で歩道を小走りするサラリーマン風の男性がいた.停留所でバスを待つ間、乳母車の赤ん坊をあやす若い女性.あやされているピンク色の産着を着た女の子の表情は、修にもとても可愛らしく見えた.また上の方に眼を遣ると、組んだ足場の上で、周りにいる作業員たちにさかんに指示を与えている黄色いヘルメットをかぶった中年の男もいた.ヘルメットの下には上気した赤銅色の頬が垣間見えた.

 「でも」、と修の中に刹那に思いがめぐった.この人たちだって、自分だって、あの元気な頭領でさえも、そして生まれたばかりのあの赤ん坊だって、これから何十年かの後には、耄碌もうろくし、最後は修の父のようになってしまうのではないのか.『そうだ、あそこでのんびりとショウウィンドウを眺めているおばあさんなどは、もしかしたら近い未来のことなのかもしれない』.

 生まれて、老いて、病気になり、死ぬ.それは確かにお釈迦様の言う通りである.でもそれが既定の道筋だというなら、そもそも人間とは何のために生まれ、また結局死んでしまうのか.人間には、なぜ老いて死ぬことが、生きることの必然の条件として、最初からセットされているのか・・・.

 人間はたとえどんなにか「立派」になったにせよ、所詮は死にゆく動物なのだ.「勝ち組」、「負け組」、「成果主義」、こういった言葉をこの国に流布した人間たちは、高齢者が増えるということばかりを危惧するだけで、自分も年寄りになり、衰えるということを少しも顧慮していないのであろう.そして最後は死んでしまうのに.そんなことを考えない人がこの国の仕組みをつくっているのだ.

 横断歩道の前で、お揃いのバッグを背負った小学生たちが、信号待ちをしていた.道路の向こうには、合格者の氏名と合格校を記した紙を窓ガラス一面に貼りめぐらした進学塾の建物が待ち構えていた.この市場主義の先兵たちもいずれは、遠き道を行くがごとく、一流高校とやらへ、一流大学とやらに、そして一流企業と進み(まだ終わらない)、それにつれてその矜持や資産も増幅させていくのかもしれない(修のようにすでにそのルートからはじかれた人間もいるが).『勝ち組』は当然のように、その成果を受け取るのであろう.この社会では、何の躊躇もなく人間を序列化しておきながら、他方では人間は平等だと厚顔にも唱道される.そんな虚妄に少しも疑問を感じない人間たちの面の皮で、偽装されたのがこの世界なのだ.平等な社会という建前で、差別のツールをこれでもかと整えるわけだ.

 だがそれもやがては、死によって無となるであろう.ではそれならば一体……、何のために生き、老い、病を得て、死ぬのか、先ほど来の疑問が修の脳裏を旋回した.遺伝子を残すためという生物学的な回答は至当かもしれない.でも不幸なことに人間は自意識を持ってしまった.生きて子孫を残すためだという生物学的な説明はできても、もしそれだけの目的なら、なぜ進化の過程で、人間はこんな厄介な精神なんてものをもってしまったのか.しかもその精神でさえも、やがては衰え、虫食むしばまれ…….

 修たちの横を大型トラックが通り過ぎた.親子の周囲が僅かにかげったためか、修を振り返った父の両眼は心なしか潤んでいるようにも見えた.

 その時、修治が歩道と道路の段差につまづいた.修は修治の肘に腕を回し、やや乱暴に歩道側に引き上げた.「シルバー民主主義」と揶揄やゆされるこの国で、なぜ歩道と道路の段差が平然とで存在しているのだろう.この国では、シルバーと言われる人たちは、ほんとうに幸せなのか.数字だけを大げさに語り、ではその数値の向こうに人間が見えているのだろうか.若い人たちの「未来」に投資せよという、しかし年寄りに未来はないのだ.

 幼い日、父に連れられて、茨城県の大洗の祖父(修治の父)の家に連泊した時ことだ.命旦夕めいたんせきに迫る最晩年の祖父が、朝の覚醒の度に、蟹の足のような両腕を寝巻から露出させて、「今朝も生きていたか」と遥かな眼差しをしていたのが、修には今もしみじみと寂しく思い起こされる.

 突然、修は胸元に微動を感じた.修は胸元をまさぐった.修には、このスマホのタッチパネルなんていうものを発明した人間の周りには、年寄りは一人もいなかったと断言できる.年寄りは指先が震えるのだ.高齢者の人口比率が世界一のこの国で、年寄りが難儀するこんな商品を蔓延させる.年寄りはますます疎外されるわけだ(年寄りを疎外した分、市場が消滅していることを、商魂たくましい人たちはなぜ気付かないんだろう?).


 それにしても父は、小便で満たれた透明な袋を小脇に抱えながら、総合病院を出て駅前の警察に保護されるまで、夜半の荻窪界隈のどこどう歩いたのだろう.四面道を越えて青梅街道は夜でもそれなりの通行量はあるだろうし、老人がこんな覚束ない足元でよく事故に会わなかったものだ.修は父が駐在所にたどり着くまでの経緯を警官に聞くのを忘れてしまった.

 歩道から横道に折れて住宅街を行くと、一組の親子に出会った.陽は中天を超え、白く傾きかけていた.小学校の中学年くらいの男の子が、門の傍らで、さかんに父親と思しき人間の袖口を引っ張っていた.男の子の方の「車に乗せて」という声が聞こえた.修はそこに懐かしい顔を発見した.

「やあ、賢治、あれっ、今日は仕事はないの、会社は休みなの?」と、修は、ガレージの横にいた幼馴染みの上村賢治に声をかけた.ガレージの横には真新しい二階建ての住宅が、陽光を染み込ませていた.

「あれっ修じゃないか、しばらくだね」.賢治の驚いた丸い両眼は、その柔和さが心なしか修には小さな驚きとなった.「お互いに仕事をしていると、近所に住んでいても会わないもんだよね」

 修の方を振り返る刹那、塀の傍らに伸びた木々の木漏れ日が、賢治の顔にまだら色の痕跡をとどめた.

「俺は仕事は今日は休みなんだ、チビの方も今日は小学校が授業参観で、授業は午前の二時間目まででおしまい、母親の方はまだ学校にいて担任の教師と何かやりあっているらしいよ.あんな親を、きょうびモンスターとかクレーマーとか言うらしいよ.はははっ・・・」

 若いころはスポーツマンだった賢治は、昔は笑い顔がもっと凛としていたように思ったが、今の表情は情けなく所帯じみているように見えた. 

「結婚していたのは知っていたけど、こんな大きな子どもがいるんだね」 

「生意気になってしょうがないよ.来年から小学校四年生になる.塾だなんだと大変だよ。私立の中学校に行くなんて言い出したら、いったいいくら金がかかるのやら」

 賢治は目尻に幾重にも皴を寄せたが、少し脂が分泌し始めた頬の上で瞳だけは澄んで見えた.息子の負荷は、父親には少しも苦ではない様子であった.月並みだが、これが「幸せ」というものかと、修は思った.

「お父さんはね、こないだ車を買ったんだよ.エコ車、銀行ローン・・・」

 いく分出始めた中年の父親の腹の周りで顔をねじりながら、小学生の息子の方は、少しの擦れあともない白い頬に少女のような茜色の唇が映えていた.

「成績の方はどうなの」と、修はたずねた.

 相手が息子に関心を向けてくれると、賢治の両方の瞳は顔じゅうに広がった笑みの中に消えた.向かいの住宅の二階からピアノの音がした.つたない指によるものと思われるその音は、最前から同じ箇所で何度も間違えていた.

「国語はまあまあなんだけど、算数のほうがね・・・.まあ俺の息子だからしょうがないよ、はははっ・・・」

「お勉強のことを言っちゃだめだ」と、息子は本気になって父親の背中を叩いた.

「ごめん、ごめん」と父親は息子の頭を撫ぜた.

 結婚もしていない、子どももいない修の前で、家族の話題を持ち出すのは、ともすれば気遣いがないことであろう.さらには息子の成績ことなど、本当は修の関心外の空世辞であることも、賢治には十分わかっていたはずだ.賢治は大声で笑った分、急に興がさめたように口許を引き締めた.賢治はやや申し訳なさそうな面持ちになって、今度は修の傍らにいる父の修治の方へ話題を向けた.

「おじさん、こんにちは、賢治ですよ.修君と小学校、中学校がいっしょだった、小さい頃、よくそちらの家に遊びに行ったんですよ、覚えていますか?今日はお天気もよくって・・・」と、賢治は愛想よく言い、月並みの時候の返事でも求めるような顔をした.

「はああ、どちら様ですか・・・.はじめまして・・・」と、修治は力なく言葉を引きずった.「お会いしたことはありましたっけ……」

 賢治の瞳は突然、色を失い、修の父を見たまま静止した.賢治は驚愕の面持ちを顔に残したまま、ゆっくりと修の顔を見た.賢治は修の父が浴衣のままであることも、脇に小便を満たしたパックを抱えていることも、この時初めて気付いたようであった.

 しばらく無言のままだった.新緑を僅かに通り過ぎて行った風が、冷たく感じられた.息子をあやす父親と、父親を介護する息子.往来で手をつないだ二組の父子の不思議なコントラストを、陽射しはいつものように無関心に照らしていた.

 子どものいない修にはわからないが、子育てとは親にとって子どもの成長という悦びがあるのかもしれない.では親の衰えと死を待つだけの介護とは何であろう.そんな問いが急に心に発した.その回答をさがす渦中に身を置くことで、修はこの心疚やましい沈黙の中に佇立ちょりつできたのかもしれなかった.

「例の認知症、昔は『痴呆』と言ったやつだよ」

 やっとそう言って、修は言葉を始めた.賢治はますます申し訳なさそうに眉を寄せた.

「何と言っていいのかわからないけれど、がんばってと言うしか・・・」と言って、賢治は眼を伏せ、息子の手を強く握りしめた.息子は不思議そうな顔で同輩の二人を見上げた.

「ありがとう.ところで賢治のお父さんとお母さんは元気?」

 今度は修の方が申し訳なくなってきた.

「今のところは二人とも元気だよ、おかげさまで」

 そう言った賢治は、しかし先ほどのような笑みを顔に表すことはなかった.

「よかった」と修は微笑みながらうなづいて見せた.「賢治のお父さんにはもう何年会ってないかな.会ってみたいなあ.お孫さんもできて喜んでいるんじゃないの?」

 賢治の口許にほんの僅かだが笑みが戻ったような気がした.

 修と賢治は、照れ臭かったがなぜか握手をして別れた.別れた後、今度は修と修治の背中に、子どもの甘えた声は聞こえなかった.

 妻がいて子どもがいて、自分にはああいう普通の幸せはやって来るのだろうか.先ほどよりは少し長くなった二人の歩く影を見ながら、修は考えた.修が修治の方を振り返ると、修治は「ふふっ」と児どものように微笑んだ.父と手をつないで歩きながら、修の脳裏には様々な問いが去来した.「結婚が女の幸せではない」というのなら、それは男も同じことであろう、と修は応えた.でも賢治の息子を見ながら、子どもを持つということには、修にははかり知れない悦びがあるようにも思えた.このまま自分は、もちろん父のせいだというわけではないが、人間が享受することのできる幸福というものの何分の一かを知らないまま、この人生を終えることになるのであろうか・・・.

 適齢期を過ぎても、結婚もせず子どももいない女性のことを、この国では「負け犬」と言うそうだ.するとこの場合の「負け犬」とは雌犬ということになる.では、まもなく四〇歳を迎えようとしている修のような人間のことは、一体何と言われるのであろうか.『さしずめ、「負け雄犬」と言ったところかな』と思った.修は往来もかえりみず大声で笑った.修が笑うと、なぜか修治も大声で笑い始めた.でもその父の顔は笑っているというより、泣いているようにも見えた.往来の声に驚いたのか、住宅街のどこかで、昼間だというのに犬が長く遠吠えをした.


 病室に戻ると、よほど腹が減ったのか、修治は病院の飯をうまそうに平らげた.

 午後に脳神経内科の中年の主治医が一人でやって来た.修治はベッドにぼんやりと腰をかけていた.

「田辺さん、どうしました?」

「父が昨晩、病院を抜け出して徘徊しまして」と修は答えた.

 医師は悲しげに眼を細めながら、修の言葉にうなづいた.医師は今度は、白衣の裾を床に滑らせながら、修治のベッドの横で中腰になった.そして両手で修治の片手を握った.

「田辺さん、昨日お外に行ったんですって?」

 医師は眼鏡の中で優しく眼を細めた.不意に片手を握られた修治は多少狼狽したようだった.

「おそとへ行ったのか?」と、修治は修の方を向いて尋ねた.

「うん、その辺までね」と修は笑って答えた.医師は二人を交互に見ながら、その表情は楽しげであった.

「どうでしたか、お外は、寒くなかったですか?」と、医師が修治に質問した.

「いいえ、とても暖かくなりましたね.ずい分歩きましたよ.途中で若い方と駅まで散歩したんです」

 修はそうだったのかと、父の突然の発言に事情を悟った.早朝の荻窪駅の周辺にいた誰かが、駅前の駐在所まで父を送り届けてくれたのだ.

「それはよかったですね.でも今度はお外へ行く時は、看護師さんにもひとこと言って下さいね.この近くにはお寺もありますし、きれいなところがたくさんありますよ.ではまた来ますね」

 修が医師に礼をすると、修治も片膝に両手を重ねてやや怪訝そうに頭を下げた.

修は廊下に出て、もう一度医師に深々と礼をした.

「どうも申し訳ありませんでした.他の患者さんにも迷惑がかかっているようで」

「いいえ、そんなことありませんよ.ここは病院ですからお互いさまです.ただ、息子さんもあまり無理をしない方が.介護保健制度を利用したらいかがですか.それから、特別擁護老人ホームの予約をなさったらいかがですか」

「はあ」と修は力なく言った.

「姥捨山なんてことはありませんよ.ただ予約しても実際に入所するまでには時間がかかるかもしれませんが.

 それからグループホームに入居するという手もあります.ただ、認知症ということは別にしても、入居となると男の人はなかなかホームになじめなくってね」と言って、医師は苦笑した.

「女の人はおしゃべりが好きだからだから、直ぐ他の入居者とみんな仲良くなってホームに順応できるんですがね.駄目ですね男は、プライドが高くて、偏屈で、結局は自分が苦労するだけなんですけどね.ここの病院だって、男の入院患者さんの六人部屋は、一人ひとりみんな自分のベッドの周りをカーテンで区切って、お互いにわれ関せずって感じですからね」

 医師はため息をついた後、修の二の腕に掌を添えると、

「まあ、でも当面は何といってもご家族の方の修治さんに対する愛情ですよ.息子さんとお母さんのね.また何かあったら、遠慮なくおっしゃって下さい」

 医師は行ってしまったが、修はその背中に三たび礼をした.

「誰だ、あの人は?」と、病室に戻った修に修治が尋ねた.

「お父さんの担当の先生だよ」

「ふうん、この辺の人か?」

「いや、よく分からないけどね」

 

 修治が眠ったことを確認すると、修は病棟の廊下の途中にある休憩所へ行った.ソファへ深く座ると、疲労が 一挙に押し寄せてきたような気がした.窓から斜めに射し込んだ陽射しに、埃が舞って見えた.小さなテーブルをはさんだ向こう側のソファでは、最前から老人がしわぶいていた.

「お父さんの介護たいへんそうですね」

 修の横にさっきから座っていた寝間着姿の男性が声をかけてきた.土色の顔に、眼窩がんかと頬骨が顔の輪郭とは不釣り合いに隆起し、口許と首筋には、黒い髪とは対照的なくらいに皴が刻まれていた.

「手術が終わって元気になるや病院を飛び出しちゃって、前立腺の腫瘍を取ったばかりなんですが・・・認知症なんです」と修は言った.

「でも腫瘍の方は、お年寄りの場合は大丈夫でしょう.進行も遅いですから.それに比べて私の腫瘍の場合は・・・」

 相手の男性はそう言って、修に対し次の問いを誘いかけたが、修は敢えて相手に病名をたずねることはしなかっ た.誘いに乗ろうとしなかったのではなく、勇気がなかったのだ.

「触ってみますか」

 男性は組んでいた両足を解いた.寝間着の浴衣の裾から棒のような両足が垣間見えた.男性は急いで裾で両足を隠したが、今度は浴衣の上に骨ばった膝頭の輪郭がむき出しになった.男性はお腹の方を指差した.男性の頭の上に吊ってあった点滴のパックが揺れ、それを支える点滴パック用の台車がきしんだ.

 修は、今度は拒絶する勇気よりも、自分にさかんに話しかけようとしている男性への憐憫れんびんの方がまさった.

 いく分湿ったような浴衣の上に手を遣ると、すぐに形あるものの輪郭を掌に感じた.硬い石のような異物に手が当たり、そこにだけは生命力があるように思えた.この寄生した異物は、この男性の代謝をはばみ、栄養物を奪って成長しているようであった.

「ここへ飛び火したみたいです.前より少し大きくなったような気がします」と男性は笑った.

 病棟の三階の窓外の、建物すれすれに架かる電線に一羽のカラスがとまり、こちらを見ていた.間近で見ると、カラスのくちばしとはあのように鋭利でよこしまに見えるものかと修は思った.

「どうして、他の誰でもなく、私がこんなになっちゃったんでしょう・・・」と言って男性は頬の無精髭を撫ぜた.

「いいえ、日本人の三人に一人はこの病気で死ぬんです.私は例外というわけではないですね」

 修は、男性のこの『どうして』という言葉を心の中で引き受けた.気付いてみれば結婚適齢期を過ぎ、世間的にはこれから働き盛りとされる時期に、自分は『男性介護者』になってしまった.ほんとうなら、昼間に会った友人の ように幸福な家庭生活を、今頃は修だって享受していたかもしれないのだ.また不安定な予備校教師ではなく、安定した正規の採用で働いてみたいものだ.しかし、認知症の父親を抱える息子にそれは難しいかもしれない.母親が息子 に介護を丸投げしている現状ではなおさらである.『いったいどんな理由があって、自分はこういう人生になって しまったものか・・・』

 しかし、そう自問しながら、実は修は心のどこかで未来への不思議な期待も持っていたのだ.普通の人とは異なり、いちおうの艱難かんなんを強いられた人生である以上、当然将来のどの時期かに、自分の人生は普通の人以上に報いられてよい筈だ.実はこんなこの理に合うような合わないような信念を、修は持っていたのだ.

 『でも・・・』、と修は眼前の男性のこけた鉄屑のような頬を見ながら思った.『でもこの人には、苦しみに見合 う未来はもはやないであろう・・・』.『どうして』という因果の答えは出そうになかった.『いや、きっとこの人 には妻がいて、子どもがいて、幸福な家庭生活があったのだ.もしかしたら仕事でも賞賛を得る地位にあったに違い ない.どの人の人生も比べてみれば、プラス・マイナスはゼロ、平等にできているものだ』.そう信じたいのだ・・・.

「でも確実に言えることは、生まれる時も死ぬ時も、ひとりっきりなんです.これだけは他人に代わってもらうこと はできません」

 修の前でそう言った男性は、痩せこけ憂悶ゆうもんの情に駆られた古代インドの哲学者のようであった.

「まあどうせ人間は死んでしまうわけですから、ただ私の場合は少し早かっただけです」

 午後の陽は次第に傾きかけ、残照が休憩所にいた人間たちの影を床に長く映じた.男性の土色の顔は先ほどより濃く暗くなったようにも思えた.

「これいりますか?」と、男性は個々に袋に小分けされたビスケットの一つを修に差し出した.修が少しためらうと、

「きたなくありませんよ.このように一つ一つ袋で分けられています」と苦笑した.

「とにかく踏ん張りましょう」、とその男性は別れ際に言った.修は、いい言葉だと思った.


 その日から修は父が退院するまでの数日間、病院に許可をとって修治のベッドの横で夜を明かすことにした.父の夜間の徘徊を阻止するためと言ったら、むしろ病院は快諾してくれた.予備校には結局一週間の休みをとるとの連絡をした.

 夜中に何度か修治は眼を覚ました.父は暗闇の中で両眼を黒く潤ませ「そろそろ家に帰るか」と言った.その度に修は「明日家に戻るよ」と言って寝かしつけ、その寝息を確認するまで修治の右手を両手で握った.

 修治の横には、ICUから戻ったばかりの重篤の老人が寝ていた.修には、この老人の病院での、まだ新しい記憶がよみがえった.この老人がICUに入る前、ごく稀に、間に合わせ程度とさえも言えないような日数の間隔で、老人との面会にやって来る家族と思しき人たちがいた.その帰り際、面倒くさそうな面会人たちの背中に、老人が「今度はいつ来るんだ」といつも寂しそうに尋ねていた風景が、修の脳裏をかすめていった.家族が帰った後、老人のベッドの周りは徹底的に空虚だった.

 病室のドアの隙間から僅かに洩れる廊下の電灯のか細い光が、老人の体から蛸の足のように投げ出されたチューブ管の表面ににじんでいた.老人の機械を通した心臓の電子音は病室の闇に滑稽な色合いを点滅させるかのようであった.しかしそれは生命の仄かなほむらの痕跡を伝えていた.そして修にとっては、病室の漆黒の闇が耳に押し寄せる空気の重圧を、その電子音はいくらかでも緩和しているかのように思われた.

 真夜中に、その老人はびたような、喉の奥から絞り出したような声音で、小さく「お母さん」と言ったのを修は確かに聞いた.

 深夜にすっかり目が冴えてしまった修は、病棟の廊下を彷徨さまよった.靴音がずい分と近く感じられた.それにしても深夜の病院の廊下とはこのように寂しいものかと修は思った.昼間の看護師や入院患者たちの喧騒を思い起こすと、いっそうその思いを強くした.もう少しにぎやかな方が、入院患者たちはかえって眠れるのではないかと思ったりもした.両脇のドアのない大部屋の病室の奥の暗闇に、入院患者たちを区切る白いカーテンが浮かんで見える.

 廊下を彷徨さまよい歩くと、とある病室の奥が白く照らし出されているのに気付いた.カーテン越しに、「看護師さ~ん」と、その声はいていた.当直の医者と思しき人間が、修には眼もくれず、病室に駆け込んだ.カーテンの向こうから、女性の看護師が動揺するというより、覚悟したような顔つきで出てきた.深夜のせいか、患者の声はずい分と大きく思えたが、同じ部屋の他の患者はカーテンを閉め切ったままだった.医者がベッド脇のカーテンを開くと、白い光が周囲に拡がった.でもその光は、無機質な波長のように感じられた.過日の昼下がりに会った時の黄ばんだ浴衣は、白い蛍光ランプでも十分に見分けはついた.あえいでいた患者は、修がいつか休憩室で会ったあの中年の男性だった.大部屋の天井に黒い影が躍った.「どうなってもいいから、痛いのを何とかしてくれ……」.そのうめき声は、父の同じ病室で『お母さん』とつぶやいた老人のように惨めだった.男性には悪性腫瘍の疼痛とうつうに耐える体力はもう残っていないように思えた.医者が何か管のようなものを男性の体に刺し込んでいるように見えた.


 廊下の奥の曲がり角は暗闇だった.昼間の記憶から、角の台の上にのせてあったはずの白い花瓶が不気味にその側面を見せている.人間とは、この病棟の廊下の彼方の暗闇に吸い込まれていくかのように、そしてスイッチが切れて真っ暗になるように、最後は消えてなくなるのか.あの廊下を曲がっても実は何もないのだ.手前の天井の電灯の1つが、暗闇に馴染もうとしないかのように、小さな音を立てて懸命に点滅していた.

 翌日、父と同部屋の老人は亡くなった.病棟の窓から朝の鈍重な陽射しが廊下を満たした.よどんだ空気をかきわけるかのようにして、修はあの中年男性の病室へ向かった.六人部屋のいちばん奥のベッドからマットが外されていた.窓からは同じように黄色い陽射しが射し込んでいた.修は男性の名前を聞かなかったのを後悔した.ベッドの上の名札もすでになかった.動悸の後の不快さが、修の胸を僅かに圧迫した.

 『どうせ死んでしまうなら』、過日の昼間、父の手を引きながら荻窪の街を歩いた時に去来したあの言葉が修の脳裏に旋回し始めた.修は病院の屋上へ昇った.杉並区今川の住宅街の屋根が彼方まで続いていた.傍らには積み木を重ねたようなマンションが見えた.数羽のカラスが品の悪い声で鳴き交わした.病院横の附属高校のグラウンドで、生徒たちは今日も健康な四肢を躍らせた.修は手すりの埃を指で確かめた.頬をつたう涙が、住宅街を流れて行く風に冷たく感じられた.ポケットの中にあったビスケットを修は握りつぶした.











































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