後半

「この間の話だけどさ。本当に幼馴染は幼馴染なんじゃない? いやマジで」


 あれからしばらく経った昼休み、前の席の近藤くんが突然振り返る。彼はいたって真剣な表情だけど、内容がふざけているとしか思えない。

 でも、彼自身は大真面目らしく、僕が冗談混じりに、首を傾げると、彼は少し不機嫌そうにした。

 

「家族と一緒だと思うんだよね」

 

「家族?」

  

「幼馴染も家族も、自分たちで決められるようなものじゃなくてさ、いつの間にかなっているものじゃん」

 

 僕はとりあえず頷いた。

 

「家族ってどこまで行っても家族じゃん? じゃあ、幼馴染はどこまで行っても幼馴染なんじゃないの」


 僕は何か言わなきゃと口に力を込める。だけど、その言い分に反論する言葉は見つからなくて、パクパクと口を動かすことしかできていない。

 彼の言葉は受け入れることしかできなくて、自分の心に深く突き刺さった。 

 

「新井さんは相変わらず木田くんとアレだし」

 

 彼は再びドラマの主役達を向く。僕は目を向けなかった。

 

「幼馴染は幼馴染なんだからさ、それはそれとして、新しい恋探せばいいじゃん」

 

 間違いなく僕をからかうような言葉だったけれど、僕を励ましているように聞こえて、否定することができなかった。

 だから、僕はゆっくりと頷く。

 

「矢川さんとかどう? なかなか可愛いよ」

 

「たしかに……」


 僕が小さく相槌を打つと、彼はニヤリと笑った。

 

「横川くんって! 矢川さんが好きだったたの?」

 

 また彼は大きな声を出す。

 

 その声も、今の僕には憎めなくて、呆れたため息をつくだけにした。

  

 * * *

 

「ちょっと、話があるから、今日一緒に帰らない?」

 

 朝、教室で新井さんは、いきなり僕の元に近づいてきた。そして一言残すと木田くんの元に戻って楽しそうな話を再開する。

 

 彼女とは帰り道に会えば一緒に帰るけれど、わざわざ約束して帰るようなことはしなかった。木田くんと付き合ってると教えてくれるのかも知れない。もしそうだった場合、僕はどうすればいいのだろうか。


 僕にはどうすることもできなくて、想いをルーズリーフに綴った。打ち明けるかどうか、それすらも決められていないのに。

 

 二人で並んで歩くいつもの帰り道、緊張のせいか、あちらこちらに目がいく。だけど、左隣にだけは、どうしても目が向かない。

 

 校門を出てから彼女はずっと無言だった。その静寂が怖くて、ポケットの中でルーズリーフ握りしめる。

 

「あの……」

 

 その声は、僕だけのものじゃない。重なってしまった声に、お互い見つめ合い、口を閉じてしまう。


「お先にどうぞ」と伝えると、彼女はゆっくりと頷いた。

 

「あのさ……私たち幼馴染やめない?」

 

「やめるのっ? …………どうして?」

 

 突然の言葉を、僕には理解できなかった。

 

 

「この間さ、幼馴染は『いかり』のようなものって言ったじゃん?」

 

 僕は言葉に代えて、一つ頷く。


「いかりがあったらさ、船は強い波が来ても流されない。どこかわからない場所に放り出されることもないし、いつの間にかなくなることもない。だけど、全然前に進めない。危なくはないけれど、前に広がる素晴らしい全ては見ることができない。だから、私は危険があっても出航して大きな海をみたいと思っている」

 

「そう…………」


 僕はかろうじて声を絞り出す。

 彼女の長々とした言葉は、苦しい言い訳にしか聞こえなかった。

 

 

「確かに座礁したり、沈没したり、するかも知れない……でも、大海に出てみないとわからないことだってたくさんあると思う! だから、もういかりはいいかなかなって」

 

「じゃあ。幼馴染はこれで終わりなんだね。…………これまでありがとう」


 僕の声は、はっきりと震えていた。


「こちらこそ、長い間ありがとう。楽しかったよ」


 彼女の表情は少し寂しげながらも、晴れやかだった。 

 

「こういうのってどうするのが何が正解なんだろうね」

 

 彼女は照れくさそうに、右手を差し出してきた。幼馴染みを終わらせる握手だろうか。僕は彼女の手を握ること無く、ずっとポケットの中でルーズリーフを握りしめている。


 それでも、僕の右手はいつまで経っても動いてくれない。

 

 彼女は不思議そうに首を傾げた。もちろん、差し出された彼女の手を握れば終わる話。だけど……。

 

「幼馴染は終わりだから、ごめん!」

 

 どうしてもその手を握ることはできず、彼女の前から逃げてしまった。

 

 * * *

 

 いくつ僕は走っただろう。

 

 橋の上で夕陽が映える川面を眺めていた。

 

 結局自分の感情に蹴りもつけられなかったし、認められもしなかった。

 

 せめて関係だけでも昔のままであって欲しかった。


 時間が経つことで変わるものはたくさんあるし、消えてしまうものもたくさんある。もちろん今は心が痛いし、悲しい。でも、この感情でさえ、時間が経てば落ち着いていくのだろう。それがどうしても寂しかった。

 

 いつしか視界に映る夕日がぼやけた。

 

 どうせ時間と共に変わっていくものなら、自分も変わっていかなといけない。

 

 もし彼女のいう通りなら、いかりを外した船はどこにもで自由に行けるはずなのだから。

 

 

 僕はポケットから、ルーズリーフを取り出し、丁寧に開く。


 ぼやけて見にくいけれど、さっきまで間違いなくあった想いがそこには綴られている。もちろん、その思いは今だって引きずっているし、一生消えない。でも、このいかりに縛られていてもいけない。


 僕はその紙を縦、横、斜めに折ると、出来上がった飛行機を手でそっとつかみ、風に乗せてまぶしい川へ放った。

 

 僕の想いが、誰にも知られぬまま、どこか遠くに消え去ってくれと願いながら。

 

 

 * * * 

 

 ちょうど強い風が吹いた。

 

 白い紙飛行機は真っ直ぐ進むこと無く、強い風に吹き戻されて、こちらの方に戻ってきた。僕はその紙飛行機を追いもせず、ため息を吐いていると、紙飛行機は偶然にもある人の手のひらに収まった。

 

「それ僕の…………」

 

 僕の言葉は途中で途切れていた。紙飛行機を手にした彼女を、僕は懐かしく感じている。

 

「な、なんで……逃げたの?」

 

 新井さんは僕が逃げた場所から走ってきたらしく、膝に手をつき、大きく何度も息を吸う。

 

「ごめん……でも、幼馴染やめたんだから、もう関係ないよね」


 僕はくるりと、彼女に背を向けた。例え彼女が必死に走ってきたとしても、どうしてもその先の言葉を聞きたくなかった。



「なっ、なんでよ! だって、幼馴染やめたら……………………」

 

 

 

「恋人になるでしょ普通!!」

 


「はぁっ!?」


 

 僕は彼女の言葉の意味がわからなっくて、大声と共にふり向いた。夕陽に染まった彼女のほおは、真っ赤に染まっている。

 

「だ、だって…………私の好きな本にはそう書いてあったから……」

 

 彼女はうつむきながら、ぼそぼそと口先だけで呟く。彼女の好きな本。彼女は昔から、少女漫画に憧れていたことを思い出す。

 

「私、幼馴染みのことを『いかり』だって言ったよね? どういう意味だと思ってたの?」

 

「だってあれでしょ? 木田くんと付き合う枷のようなものでしょ?」

 

「なんで別の人が出てくるの! 船は二人乗ってるのよ? 確かに沈没したり関係が壊れるかも知れないけれど、なんで最初から壊れるの?」

 

「え……。でも、言ってたじゃん! アイツが好きだって?」

 

「うん言ったよ。いつも一緒にいる、横川君が好きだって。私てっきりその気になってたんだけど?」

 

「いや、木田くんと一緒にいたじゃん?」

 

「そりゃ、テニス部で男女の学年リーダーだからねぇ……? それ以上に私は、横川くんともいたつもりなんだけど! 昔から一緒にいるし」

 

 僕は言葉を失った。何も言わない僕に、彼女はハリセンボンのように頬を膨らませる。

 

「で、どうなの? 横川くんは?」

 

「えっと…………その手にあるものを見て! じゃあね!」

 

 僕は、彼女が紙飛行機を開く間に、全力疾走で彼女の元から逃げ出した。その純粋無欠の本心は、直接読んでもらうには、あまりにも恥ずかしすぎた。


 途中、後ろから彼女の悲鳴が聞こえた気がしたけれど、聞こえなかったことにして、とにかく走る。

 

 誰にも知られないままの想いをのせた紙飛行機は、どこか遠くに都合よく消えてくれなかった。


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紙飛行機は濡れないままに さーしゅー @sasyu34

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