風船

@RandomBoat

風船

酒が切れたから死のうと思った。

土塊色の眼窩に諦念を溜めて、眼差しも気遣わずぶらぶらと道路へ出る。そういえばタンクトップの黄色い染みはなんだったか。ああ、先日こぼしたインスタントラーメンか。いや、また別の日に引っ付けた吐瀉物の跳ね返りだったか。

坂の上から目を刺す西陽は、ぽつぽつと向かってくる真っ黒い影に後光を飾りながらその面を隠し気味が悪い。いやいっそ誂え向きだろう、これから何もかも放り出して黄泉へ逃げ込むのだから。

焼けた銅でも飲まされて舌でも抜かれるのかなぁなどとぼんやりしていたら、真っ黒い影の一つがうねうねと波打って見える。ちょうど胃痛に耐えていたところ、眼鏡の置き忘れに気づき「どおりで」と刹那に納得した。このまま死ぬのだから眼鏡などどうだっていいだろう。

繰言から注意を戻し、影の頭が一瞬前よりわずかに大きく見えてもなお理由をつけてぶつぶつと納得していたが、変化に加速度を感じた時、情緒的なぐずぐずした妄想は吹き飛んだ。

あたまが膨らんでいるのではないか。あれは3つの影の一番後方、あれに気づいているのは私だけか。

みるみる膨張してついには遠景で拳大になった真っ暗な頭部は、赤い西陽に目が慣れてもなお真っ黒で、それはそもそも真っ黒だった。

細い身体がゆっくりと地面を離れ、浮いていく。前2つの影もいつの間にか頭が膨らんでいて、ゆっくりと浮かんでいく。一番前の影は魚眼レンズで接写したような笑みを浮かべていた。

ついに世界がぶっ壊れたか。坂も塀ものっぺりと横長に伸びていって、西陽などは蛙の黒目のようだ。鏡など見なくとも己のニタニタした綻びが分かる。

なんと愉快なことだろう。しみったれた世間が眼下に降っていく。私を下した世間が、今は私の足裏にひざまづいている。なんとも言えない高揚に胸がきゅうきゅう高鳴り、世界は薄っぺらに、矮小に、ついには真っ赤な線一本だけになって、それから真っ黒になった。

真っ暗でも皮膚の逆立ちで重力が分かる。惑星が私を引き止めようとしても、もはや無駄だ。いつの間にか胃痛も治まって、気怠いじめじめとした蒸し暑さもない。皮膚の逆立ちだけが感覚を支配する。

やがて膨らみきってツルツルになったら、唯一残った肌の感覚さえも失われるのだろうか。それもいい。そうしよう。そうあるべきだ。

もはや何も感じない。ただ思考のみが残った。しかし思考は五感と違っていつまでも明晰であることをやめてはくれない。ぼんやりとした霧散を望んでも、なんと澄み渡っていることだろう。

ああ、これが地獄か。

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