第358話 彼らの全てとも呼べた一瞬



「ぷはっ、さすがにこんな短時間で4回も生き返るとか、人類初じゃない?」

 真紅の宝石が砕け散り、英雄ラクス・ハーネットは『リバースライフ』の力で合計4度目の蘇生を果たす。それはつまり彼女は魔神ひとりのみによって4たび殺されたということ。


「さすがにきっついなぁ。リバースライフのストックはもうないし、回復アイテムも切れちゃってるし。それに特効武器も通じないとか、コレなんて無理ゲーって感じ」

 息も絶え絶え、疲労困ぱいの身で彼女はなおも星剣アトラスを握り続ける。

 死を肩代わりする『リバースライフ』といえども、彼女の体力まで回復させるわけではない。

 ラクスは連戦に次ぐ連戦と度重なる死亡によって底のついた体力のまま、気力のみで戦い続けていた。


「もうさすがに、作戦会議とかも終わったよね。休んでいいかな、わた、し……」

 限界を超えた疲労により、彼女の意識が途切れてそのまま大地へと倒れ込みそうになる。


 だが、


「─────でも、やっぱりやられっぱなしって気分良く、眠れなさそう」

 星剣アトラスを握る手に力が籠る。倒れかけた英雄は、最後の矜持プライドで今もなお立ち続ける。


「まだ、いきてるの? だいぶしずかになったけど、それでもあなた、うるさいよ」

 再び死の魔光が魔神アーシェの口元に収束していく。

 次に死ねば、ラクスといえど二度と生き返ることなどできない。


「3、2、1、」

 その絶望的な場面において、彼女は冷静に数を数えていた。


「こんどこそきえて、死音シオン

 死に至る光が放たれる。同時に、


「ゼロ!」

 タイミングを見計らっていたかのように、ラクスは全力で斜め上空へ飛び上がり『死音』の魔光を回避していた。


「そう何度も同じ技喰らってちゃ英雄なんて呼ばれないっての。さっきの一発はわざと避けないでタイミング測ってたんだからね。よっ!」

 ラクスは回避動作からそのまま星剣アトラスを魔神アーシェへと叩きこんで再び地面に着地する。


「また、しぶとい。そんなもの、いたくない、のに。なにも、かんじない、はずなのに。あなたの、はげしいおとが、ほんとうに、ほんとうに……」


「楽しそう、でしょ?」

 不敵な笑みを浮かべながら、ラクスは言った。


「そんなつまらなそうな顔しないの魔神ちゃん。生きてるなら、心臓が鼓動を打ってるなら、楽しまないと損だよ。私は誰かの人生を指南できるほど大した人間じゃないけど、この身をもって生きることの楽しさはいくらだって表現してあげる」

 星剣アトラスをラクスは天に掲げる。


「“たとえ私は愚かでも、その高みに手を伸ばさずにはいられない” 起きろ、アトラス!」

 ラクスの口にした起動キーによって瞬く間に巨大化し、使用者である彼女すら潰そうとする星の剣。


「また、あなたは、死音シオンっ」

 いまだ戦意を見せるラクスに反応して、魔神アーシェは魔光を収束させる。しかし、


「遅いっ!!」

 ラクスに残った全ての体力、気力を使った星剣アトラスによるフルスイングが、魔神アーシェが『死音』を放つよりも先に直撃する。

 遠慮なく振り抜かれたアトラスは、魔神アーシェを数百m先まで吹き飛ばした。


「ん~~、いたく、ないのに、なんでっ」


 無論、魔神たる彼女にダメージなどない。

 与えることができたのは彼女に芽生え始めた自尊心への微かな傷と、久しぶりにできたへの距離的猶予のみ。


「はぁ、はぁ。これでみんな、彼女の警戒範囲からは逃れたはず、だよ。あとは、まかせる、からね」

 崩れるように、ラクスは背中から地面に倒れ込む。

 その顔はすでに眠りについたかのように安らかで、本当に楽しそうな笑みを浮かべていた。



「どうやら、ラクスくんは仕事をきっちりと果たしてくれたみたいだね。それもありがたいことに魔神アーシェに魔光を予定よりも一発多く撃たせてくれてる」

 リノンは空を見上ながら戦況を正確に把握する。

 そして、自分が命を懸けて行動すべき手番が回ってきたことも理解していた。


「それじゃあシロナ、申し訳ないけどここに寝ておいてくれるかな? 大丈夫、ちゃんと仕事を終えればすぐに迎えにくるからさ」

 抱きかかえていたシロナをリノンは優しく地面に下ろそうとする。


「リノン、自ら行くつもりでござるか?」

 シロナはリノンの意外な行動に目を見開く。

 大賢者リノン・ワールド・ウォーカーは安全が保障されていない戦いの場に率先して出ていくことは決してない。それはこれまで戦いをともにしてきたシロナだからこそはっきりと断言できる事実。

 だが今シロナの目の前の男は、自身を殺しうる手段を持つ魔神に対して自らの命をエサに注意を引こうとしている。


「もちろんそのつもりさ。僕もラクスくんほど鍛えていないとはいえ究人エルドラだからね。全ての異能が役立たずになったとはいえ、陽動くらいはこなせるさ」

 リノンの答えは、シロナが驚くほどに真っ直ぐだった。

 いつもの彼なら他人が白い目を向けたくなるほどのえげつない手段を取るというのに、そしてシロナはリノンがそういう手法を取るのならとここまで口をつぐんでいた。


 しかし、リノンがその身を危険にさらそうというのなら、シロナは黙っていられない。


「そうか、だがその前に────リノン、拙者のままを聞いて欲しいでござる」

 白く澄んだ瞳をして、シロナはリノンに言った。


「珍しいね、シロナがそんなこと言うなんて。……なんだい?」

 シロナが次に口にするであろう言葉に薄々気づきながらも、賢者は優しく続きを促す。


「刀と、動かせる手足が欲しい。この一瞬、少しの間だけでも構わない」

 シロナは何よりも真摯に、大賢者へと自身の望みを告げた。

 この男ならば、どんな想いにも答えてくれると欠片も疑うことなく。


「……どうしてだい? キミはようやく、誰も傷つけることのない身体を手に入れた。それを、また手放すのかい?」

 リノンはシロナの要求に、少しだけ悲しそうな顔で聞き返す。

 多くの魔族を斬り伏せるたびに顔と心を曇らせていったかつてのシロナを思い出して。


「言われてみれば、そうであったな。は何者も傷つけたくなくて、星を斬るなどという無謀に挑み続けたのだった。そうか、今なら、誰も傷つけることは、ないのだな」

 リノンに指摘されて今さら気付いたと、シロナは目を丸く見開いてしみじみと呟く。


「だったら、」


「だが構わないリノン。おれはもう迷わない、答えはとうの昔に手に入れていたのだから」

 気付かされた上でなお、シロナの瞳には微塵の揺らぎもなかった。


「答え? なんだいそれは?」


「おれは何のために刀を振るうのか。ずっと悩み続けたわりには、答えは随分と当たり前のことだった」

 シロナの声は迷いなどなく、ただひたすらに清く涼やかだった。


「そうかい、シロナがそう言えるのなら僕は止めないよ。さあ、キミの我が侭を叶えようじゃないか。求められたら道を示す、それが僕の大賢者としての在り方だからね」

 リノンは穏やかな顔でシロナを優しく地面に寝かす。


「すまないリノン」

 対するシロナは全幅の信頼をもってリノンを見つめていた。


「いいさ、僕もそろそろ潮時だとは思ってたからね。─────告げる! ハルモニアならざる異邦の世界よ、我が身に宿る五つの権能をここに手放そう! その対価に今ひと時のみ、この世界に偽りを刻みこまん!」

 リノンが掲げる右手の五指が輝き、瞬く間に次々と光を失っていく。


「我が友シロナへ、剛毅なる右腕を、柔靭なる左腕を、俊敏たる右足を、盤石たる左足を、そして夜を開く絶剣を与えたまえ!」

 リノンの言祝ことほぎが終えると同時、シロナには光沢のない白磁の四肢と彼の手に一振りの漆黒の聖刀が握られていた。


「……おお、なんと。驚き以外の言葉が出てこないが、リノンよ何かすごいことを言っていなかったか?」

 新しく手に入れた手足を使い、シロナは身体を地面から起こす。

 彼の手足は生まれた時からそうであったかのように自然に自身の意志に応えて動いていた。


「別に大したことじゃないさ。僕が持っていた異能の一つ『焦点化リアル・フォーカス』、世界を騙すことのできる力をただ放棄しただけだよ」

 シロナの問いに本当になんでもないことかのようにリノンは答えた。


「なんと、その力の中にはリノンの不死と不老を固定するものもあったと記憶しているが」

 シロナの記憶通り、リノンは世界を騙すその力で自身を約300年前の状態で止まらせている。止まらせて、いた。


「そうだね、だけどいいんだよ。僕もいい加減歩みを進めるべき時が来たってだけさ。僕は、キミたちと一緒に歩いていきたい。─────もう、誰かに置いていかれるのは、ごめんなんだ」

 悲しそうに笑みを崩しながら、それでも強い意志をこめて大賢者は自身の超越性を手放していた。


「そうか、リノンがそれでいいのなら、おれも何も言わずこの厚意を喜んで受ける。してリノン、この刀、見事な聖刀のようだが」

 シロナが手にした漆黒の聖刀は、あらゆる光を飲み込むがごとく切っ先に至るまで一切の反射がない。


「ああ、僕がイメージする最強の刀を用意したつもりだからね」


「ほう、それで刀の銘は?」


「それはシロナが決めていいさ。その刀もキミの手足も数分ともたない仮初めのモノだ。だから遠慮なくとびっきりの名前を与えてあげなよ」


「…………では黒武クロムと。いつか辿り着きたい理想を、今ここに前借りする」

 シロナは立ち上がり、ラクスによって吹き飛ばされた魔神アーシェを見上げ視界に捉える。


「まだ、おれにもできることがあってよかった。刀神白名シロナ、もう一度この身は一振りの刀になろう」

 両手で聖刀の柄を握り、シロナはゆっくりと聖刀黒武クロムを大上段に構え、瞳を閉じた。


 魔神アーシェとの距離はおおよそ500メートル、彼の持つどのような剣技であろうと間合いからは大きく外れた位置関係。


「シロナ、まさかそこから何かするつもりかい? さすがにあの魔神にも気づかれなければ陽動もなにもないよ」

 リノンは一応の注意をシロナへ告げる。


「大丈夫だリノン、おれはリノンのくれたこの手足と刀を信じる。おれは親父殿のくれたこの身体を、心を信じている」

 シロナは目を開け、自らの斬るべきモノを見定める。


「おれの刀は敵を切るためになく、星を斬るためでもなく」

 刹那一閃、


「ただ、友の道を切り開くためにあった」

 シロナの刀が虚空を振り抜いた。


直心一刀じきしんいっとう夕斬ゆうぎり」

 虚飾のない一刀が、まるで世界を切り裂くように一切の魔素を斬り払う。



「っ!?」

 驚愕は魔神アーシェのもの。

 当然だろう、シロナの極技はたったの一振りで彼女を中心とした周囲の魔素を漂白していた。


「─────え????」

 突然の出来事にアーシェは困惑を隠せずにキョロキョロとしている。



「いや、本当、驚きだねシロナ。今の一撃で魔神アーシェは。これで彼女は一時的ではあるけど転移も魔素の回復もできない。キミは、最高の仕事をしてくれたよ」


「おお、そうであったか。うむ、いいになったでござろう?」

 すでに崩れ始めた手足と聖刀を惜しげもなく見送りながら、いつもの調子に戻ったシロナはリノンの賞賛に無垢で柔らかな笑みを返していた。

 


「すっげえな今の、アレはまさかリノンがやったのか?」

 目の前の、一瞬で漂白された世界を見てアゼルは驚愕の声をあげる。


「いや、多分だけど今のをやったのはシロナだよ。とんでもないことやってのけちゃって、また戦ったら、アタシの完敗かな」

 シロナの偉業に、感慨深そうにエミルが呟く。


 彼女たちがいるのは見晴らしの良い小高い丘。

 気配を隠し、そこから米粒のように小さく見える魔神アーシェの姿を捉え続ける。


「今のがリノンの言っていた陽動なら動かないといけませんが、かなり距離がありますよ。エミルさん、行けますか?」

 アゼルの手にする聖剣からイリアの声が響く。

 魔神アーシェとアゼルたちの距離はおおよそ5キロメートル。エミルの直感では、奇襲を成功させるならその距離を一瞬で詰めなければならないという。


「う~ん、ま、多分大丈夫でしょ。シロナが一帯の魔素を消しちゃったから魔力の予備はないけど、幸いアタシの魔力は満タンのままだし。今からので、全て絞り出すよ」

 全身から灼銀の魔力を迸らせて、エミル・ハルカゼには一切の迷いなどなかった。


「一撃ってな、お前のそれを受け止めるのはなんだが」

 アゼルの声に緊張が走る。

 何故なら彼は今、『歩く大災害』と呼ばれるエミルを背にして彼女に全てを任せた状態であったからだ。


「大丈夫だって、普段は当たった瞬間相手が爆散する技だから使わないけど、今のアゼルなら壊れないから…………多分」


「おい、今って言っただろお前。そんな恐ろしい技を俺に使うな、もっと安全な方法を…………お前に期待するのが間違いだったか」

 アゼルはここまでの付き合いで、彼女に破壊を伴わない解決法を求めることがいかに無駄であるかを知ってしまっていた。


「さ~て、どうだかね。ま、別に光を超える速度は出ないから安心しなって」


「は? わけのわからんことを言い出すな。普通、光の速さは超えられんだろ。てか、光に速さとかあったのか?」


「うん、さっき超えてきた。身体も魂もボロボロになったっぽいからマネしない方がいいよ」


「誰もマネせんわ! というかそれに準ずることを今からするつもりだろお前。本当に大丈夫なんだろうな?」


「ま、ホントのこと言うと大丈夫なわけないじゃん。これって100人いたら100人を天に送っちゃう技だし。……でも、アタシの知ってる魔王アゼル・ヴァーミリオンはアタシなんかの技で絶対に壊れたりしない。それだけは、信じてるから」

 アゼルに見えない背中で、エミルの言葉に熱い感情がこもる。


「ん?」

 エミルの言葉に、いつもと違った声音が乗っていることにアゼルは気付く。


「こら振り向くなっての、アゼルは前だけ見てればいい」

 後ろを振り向こうとしたアゼルをエミルは拳で軽く小突いてそれを止める。


「前だけ見てろとかガキに言うセリフだろうが。お前は俺をなんだと思ってんだよ」

 ぶつくさと言いながらもアゼルは素直に前を向き、これから突撃することになる魔神アーシェを見据えて眼差しが少しだけ細く鋭くなる。

 そんな彼を見て、エミルは眩しそうに一度だけ目を閉じた。


「─────少しだけ、昔話するよ。子供のころ、初めてアタシが戦場に立つアゼルを遠くから見た時、心の中に風が吹いた。絶対の強者、揺るぐことなき威風、自分と世間のズレに悩み始めてたアタシは、そんなヤツがいるんだって知って涙を流した」

 静かに吶々とつとつと、エミルは語る。


「エミル、さん?」

 それは、イリアですら初めて聞くエミルの自分語り。


「だから、アンタがアスキルドでイリアと連れだってアタシの前に現れた時、アタシはアンタに落胆した。こんなどこにでもいる弱い男にアタシは心動かされたわけじゃないって、否定したかった」


「そりゃ、悪かったな。その分ボコボコにされてやっただろうが。それで、何が言いたいんだよエミル。時間、そんなにねえぞ」

 シロナが切り開き、漂白化された世界が少しずつではあるが元に戻っていくのを見ながらアゼルは制限時間が迫っていることをエミルに告げる。


「言いたいコトはさっき言ったじゃん、前だけ見てろって。それだけでアンタは誰かを救ってるんだから。たとえ、それが勘違いでもさ」

 小さな呟きとともに、エミルの左手がアゼルの背中に照準のように添えられる。


「エミルさん、もしかして」


「まあ、だから勘違いなんだって。どこかにいて欲しい理想の誰かを、勝手に押し付けたガキみたいな話。つまりはどこにでもいる弱いアゼルを好きになったのがイリアで、どこにもいない強いアンタを…………」

 エミルが練り上げる強い魔力によって吹き上がる風が、彼女の言葉を消していく。


「あ、なんだって? 聞こえなかったぞエミル」


「今のは聞こえなくてよかったんだからいいし。────さ、翼を広げなよアゼル。アタシがどこまでも吹っ飛ばしてあげる」

 エミルは腰溜めに右の掌底を構え、そこに全魔力と気力、体力、筋力を収束させていく。


「ん? ああ、わかったよ」

 エミルに促され、アゼルは二振りの魔剣を背中に翼のように広げて膨大な魔素を滞留させる。


「全なる者、一なる物、我が拳が等しく握る。あまねく八卦を束ね、四象を紡ぎ、両儀を結びて、太極と成さん」

 最強の魔法使いによって紡ぎあげられる詠唱、純粋な魔法からでは派生しない、武の極みに座す者の魔拳。


「合わせなアゼル、極天至星きょくてんしせい!」

 アゼルの背中、二振りの魔剣が連なる極点へとエミルの究極の掌打が撃ち込まれる。


「おう! アルス・ノワール・インパルス!!」

 それをアゼルは爆縮するかのような魔素の噴射で受け止める。


 エミルの打ち放つ極限の魔力とアゼルの莫大な魔素がぶつかり合うことで、大気が割れんばかりの超常的な爆発が生まれ、アゼルは轟音だけを残して吹き飛び消えた。


「………………行ってこい、アタシの初恋」

 音速を超えて射出されたことによるソニックブームの波動がエミルの誰にも聞こえない独り言を掻き消していく。

 エミルの右手はアゼルを撃ち出したことによる代償で灼銀に燃え滾り続けるが、彼女はそれを気にすることなく既に米粒のように小さくなった憧れの魔王と大切な勇者を見送る。


「全部、持って行きな。──────イリア」


 エミルのもとに、その名を表すような爽やかな風が吹きすさび、彼女はかつての幼い想いに別れを告げた。



「ぐ、エミルのヤロウ、思いっきり殴り飛ばしてくれやがって!」

 音速を容易く超えるほどの速度で飛翔するアゼルに、猛烈な大気の圧力が襲い掛かる。


「手加減なんかしてたらそれこそエミルさんじゃないでしょ。……それにしたってモテモテだね、アゼル」

 さらには、イリアからの圧力も襲い掛かる。


「ああ? いつ俺がモテたんだ?」


「べっつに~」


「んん? まあいい、そんな話はあとでいくらでもしてやるよ」


「……そだね、あとでたくさん話そっか」


「ああ、もうすぐそこだぞイリア!」


「うん、ちゃんと見えてるよアゼル」

 魔神アーシェの警戒範囲の外側からの奇襲、爆速で迫るアゼルたちは残り数秒で彼女へと到達する、


 はずだった。


「あ、死音シオン!」

 コンマ数秒、魔神は迫りくるアゼルを知覚してからのほんの刹那の時間で死に至る魔光を解き放つ。

 英雄ラクスとの戦いを経て、攻撃にいたるまでのがいかに致命的かを学んだ魔神アーシェは、ここにきてアゼルたちにとっての最悪の成長を遂げていた。


「は!?」

 奇襲を仕掛けた側が完全に虚を突かれるタイミング。超高速で魔神アーシェへと直進するアゼルにこの死の光を回避するすべはない。


 そう、アゼルには。


「させない! ヴァイス・ノーヴァ!!」

 聖剣に宿ったイリアは、単身で無垢結晶を共鳴させて浄化の極光を解放した。


 数瞬、時間がスローモーションのように減速してアゼルには体感される。


 魔神アーシェの放つ死の極光『死音シオン』と聖剣イリアの放つ浄化の極光『ヴァイス・ノーヴァ』が衝突し、拮抗する。

 しかしそれも一瞬のこと、両者の光の力の天秤は加速度的に魔神アーシェへと傾いていく。

 聖剣となったイリアのみの無垢結晶の力では、魔神アーシェのところまでにアゼルが到達するための数秒すら持ちこたえることができない。


 いかに封印から解放された魔王アゼル・ヴァーミリオンといえど、『死音シオン』の光に触れれば死に至るのは避けられない。


 あと一秒もすれば、イリアの『ヴァイス・ノーヴァ』が『死音シオン』に飲み込まれようとするその時。


「打ち砕け、オルタグラム!!」

 聖剣でもなく、魔剣でもなく、どっちつかずの魔聖剣が魔神アーシェのひたいを打ち抜いた。




 それは、アゼルがエミルによって丘から撃ち出される5分前。


「…………アルト、オレを、起こせ」

 魔人ルシアは、絶え絶えな声でそう告げた。


「はぁ!? 貴方なに言ってるのよ! 動けば死ぬって何度言ったらわかるのルシア。そうやって喋るのだって貴方の命を削ってることに気付いてよっ」

 度重なるルシアの無理に、アルトの瞳にはずっと涙が溜まったままだった。


「わかってる。だがアルト、何もしないことが、ただ死を待つことなんだとしたら、何かをするしか、ないだろ?」

 ルシアはアルトの細い肩に手をかけて自力で立ち上がろうとする。


「何かって何をするつもりよ。貴方にできることは全部したでしょ!? あとはもう、お父様たちに任せるしかないじゃない!」

 無理やりにでもルシアを寝かせようとアルトは彼を押し倒そうとする。だが、


「お前、らしくもねえ。普段のお前なら、そんな発想は出てこなかっただろよ。黙って大人しく、誰かに任せるなんて、そんなことはしない。……ちっ、オレが、お前の重荷になってるのか」

 自分を悔やむようなルシアの言葉に、彼女は止まる。


「バカ、言わないでルシア。誰もそんなこと言ってないでしょ。貴方は十分よくやった、私はあるじとして従者の命懸けの貢献に応えてるだけ。何も、おかしくなんかないでしょ」

 そう口にしながら彼女自身が気付いていた、自分の矛盾に。


「おかしい、だろ。戦いはまだ、終わっちゃいねえ。いよいよオレの未来演算も、ズレてきたらしい。お前にだから言うが、正直くやしいな。あの男は、グシャは、このを平気で、使いこなしてるってのに」

 アルトの肩に必死に力を入れ、ルシアは顔を起こす。

 その目は、どこか焦点が合っていなかった。


「ルシア、貴方、目が!?」

 彼の蒼い瞳は、幾重にも同じ色を塗りたくられたように濁っている。


「情報で、視界を塗りつぶされちまった。もうお前の顔もロクに見えねえよ。結構、気に入ってたのにな」

 見えない瞳でアルトを見つめながら、かすかにルシアが笑う。


「本当バカなこと言ってないで目を瞑って頭を休ませなさいよ! 今ならまだ間に合う、間に合わせてみせるからっ」


「ああ、だがそれは、全部終わってからだ。アルト、今はお前が、オレの眼になってくれ。足をやってくれ。不様なボロ雑巾でも、心臓が動いて、まだできることがあるのなら、オレはお前の、

 アルトはずっと気付いていながら、気付かないフリをしていた。

 目の前の少年は誰かに生かされたいのではなく、生きている限りはその命を使って誰かのために生きたいのだということを。

 ずっとそれに気づきながら、彼に生きながらえて欲しい一心でアルトはその気持ちを無視をしていた。


「っ、ルシア」

 だが、ルシアの『誰かの役に立ちたい』という言葉を聞いた瞬間、アルトの瞳から涙がボロボロとこぼれ落ちる。

 誰よりも不幸な出生から世界を憎むように生きてきた少年が死の淵で口にした尊い想いを、否定することが彼女にはどうしてもできなかった。


「どこに、行けばいいの? 遠くまでは、無理よ。貴方の身体がもたない」

 震える声でアルトはルシアに聞く。目の前の少年は、ひとつでも余計な負荷がかかるだけで容易くその命を終えるのだと彼女は強く予感している。


「そんなに、移動しなくていい。この辺からでも、魔神は見えるだろ?」


「ええ、少し遠くに離れたけど、ここからでも見えるわ」


「ならここでいい。立たせてくれ、アルト」

 そう口にしたルシアの右手には魔聖剣オルタグラムが顕現している。


「……わかったわ。何を、するつもりなの?」

 アルトは慎重にルシアの身体を起こし、彼の左半身に寄り添って支える。


「ガキにだってできる、簡単なことだよ。─────あの男にできた、ことを、オレにはできないなんて、考えたくねえからな」

 ルシアは、もはやまともに見えなくなった瞳を、魔神アーシェがいるであろう方向へ向ける。


「いいかアルト、タイミングが大事だ。お前の親父が、これから魔神に突っ込む。それが見えたら、オレの身体を全力で強化してくれ。一秒も、いらない。ほんの一瞬でいい、それがオレにとっての合図になる」


「ルシア、本気で言ってるの? 貴方の身体は、その一瞬にさえ耐えられないわよ」

 アルトが口にしたのは彼女なりの心配であり、またそれ以上に無慈悲な現実でもあった。

 ルシアの脆弱な肉体では、どうやっても越えられない壁がある。いや、幾度も越えられないはずの壁を越えてきたからこそ、最後の現実という壁だけは彼の命を容赦なく潰すだろう。


「……ワガママの暴君姫が、人の身体に気を遣いすぎだろ。頼む、アルト、これが最後だ。あとはお前の言う通り、大人しくしてる。だから今だけ、オレのワガママを聞いてくれ」

 ルシアは、自身の命を懸けた誰かのための行動を、ただのワガママと断じた。


「────私も、ヒドイ男に引っかかったものだわ。そんなこと言われたら、聞いてあげないわけにはいかないじゃないっ」

 ずっと彼女の瞳からこぼれ続ける涙をボロボロに流しながら、アルトはルシアの決意を汲んだ。

 これから起こること、全ての結末を受け入れて。


 同時に、空気の破裂するような音とともに、視認すら困難な速度で魔王アゼル・ヴァーミリオンが空を駆け抜けていく。


 そして魔神アーシェは迫るアゼルに反応して死の光『死音シオン』を解き放ち、イリアの『ヴァイス・ノーヴァ』がそれを防ぐ。


 直感的に、アルトはこれがルシアが伝えたタイミングなのだと理解した。


「魔剣グラニアよ、我が従僕に命じる。ほんのひと時、彼に壊れえぬ四肢を与えたまえ!」

 細心の魔素の制御のもとで、アルトはルシアの内側と外側に自身の力を走らせて彼を強化する。


「ぐっ、すまないアルト。─────行け、オルタグラム!!」

 身体中に生じる痛みをこらえ、ルシアは魔聖剣オルタグラムを全力で投擲した。

 賢王グシャ・グロリアスと、同じように。


 同時に痛感する全身を引き裂くような衝撃。

 完全に壊れゆく右腕。


 だがそれよりも、自身の肉体がこのように壊れゆくのを承知で、ルシアのために王剣を投げ捨てた父の行動に思いを馳せてしまったことが、彼には何よりも痛かった。


「くそっ、たれ」


 大気を裂きながら魔神を目指して空を駆けるルシアの剣。


 しかし、無常にも彼の魔聖剣オルタグラムは途中で霧散する。


 魔神アーシェが常時展開する微弱な魔素の障壁。


 勇者イリアや魔王アゼルであれば意にも介さないその壁を、ルシアの剣は越えられない。


 神の無意識に触れるだけで、彼の力は容易く砕け散る。


「がっ!」

 魔聖剣が打ち砕かれたフィードバックを受けてルシアは激痛で意識が飛びかけた。


 それを、


「しっかりしなさい、ルシア! 貴方は私の従僕でしょ!! なら胸を張って顔をあげなさい。貴方は…………誰よりも強い人でしょ!?」

 アルトの涙ながらに叫ぶ声が引き留める。

 魔剣グラニアの輝きが、ルシアに意識を失うことを許さない。

 彼女の瞳からは涙が今もこぼれ続けていた。この自身の行動が何を意味するのか理解してなお、彼の背中を押すために。


「くっ、酷い主人、いや最高の女だよお前は。─────ああ、お前の誇る男に、オレはなってやるよ!」

 ルシアは飛びかけた意識を取り戻し、同時に蒼い瞳が魔神を視界に捉える。


 彼の意志に呼応するように、空で霧散したはずの魔聖剣オルタグラムが再度顕現し、加速して魔神アーシェを目指す。


 それでも、彼の剣は魔神にひとつ近づくごとに霧散し、

「うおおおおお!!」

 霧散するたびに何度も現れて加速しながら魔神へと迫る。


 魔聖剣オルタグラム、それは持ち主の意志が挫けぬ限り何度でも蘇る不屈の剣。


 そしてこの者の心は、誰よりも強く、決して折れることはない。


「行けー!!」

「行きなさい!!」

 ルシアとアルトの言葉が重なり、魔聖剣はついに障壁を貫きそのまま魔神アーシェの額を打ち抜いた。



「───え?」

 魔聖剣を受けても一滴の血すら流すことなく、彼女は突然襲ってきた衝撃にただ困惑するのみ。


 これは、決して魔神を傷つけるには至らない儚い一撃。


 だが、この一撃によって彼女の魔光、『死音シオン』の射線は魔王アゼルから大きくズレる。



「今のは、ルシアかな!? アゼル、これなら」

 打ち負けていたヴァイス・ノーヴァの極光が、『死音シオン』の光が外れたことで再び勢いを取り戻す。


「ああ、今しかない。行くぞイリア!!」

 イリアの宿る聖剣を手に、魔王アゼル・ヴァーミリオンは魔剣の両翼へ限界以上の魔素を走らせてさらに加速し、魔神アーシェ・アートグラフに向けて突撃する。


「─────あっ」

 もはや何の工夫もなくただ真っ直ぐ、純粋な速さのみを頼りに突っ込んでくるだけの敵、しかしそれを回避する術が魔神アーシェにはもはやなかった。


 聖剣アミスアテナが、魔神アーシェの胸に刺さった『魔神殺し』の柄に突き当たり、そのままかの剣を


「───え、なんで?」

 驚きの声は魔神アーシェから。『魔神殺し』の痛みが消失したことで彼女はかすかな正気を取り戻す。

 同時に彼女の胸に突き立つ聖剣。


 アゼルとイリアは、そのままの勢いを殺すことなく魔神ごと空を駆けていく。


「何も、殺すだけが、戦いを終わらせる方法じゃないからな」


「はい。私は、私たちは、そうやってここまで来たんですから!」


 魔神アーシェの胸に刺さる聖剣が光り輝く。

 それは、勇者イリアと魔王アゼルの出会いの光。


 二人は同時に、その名を叫んだ。


「「封魔の楔アミスアテナ!!」」


 魔を封じる、彼らの始まりの剣の名を。

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