第357話 希望の声、目覚める剣

「イリア、本当にイリアなのか!?」

 アゼルは自らが手にする聖剣から聞こえる彼女の声に、思わず涙をこぼす。


「う~ん、本当にって言われると、もうこんな身体だし困っちゃうけど。私は、アゼルの知ってるイリアだよ」

 確かにその声は、その反応は、彼の知るイリア・キャンバスそのものだった。


「なんでっ、いやもちろん俺は嬉しいがどうしてイリアが聖剣の中にいるんだ?」

 アゼルが抱くのは当然の疑問。


「アミスアテナが言ってたの、希望が入る隙間を作っておくって。聞いた時はよくわからなかったけど、多分このことなんだと思う。あの人が、アミスが消えたことで残った聖剣の隙間。きっと私はそこに入り込んだんだね。一応これでも私、無垢結晶だから」

 少しだけ自虐的な彼女の笑い声。それすら、アゼルには懐かしく思える。


「そうか、そうなのか。ああ、でも理由なんかどうでもいい。イリアが生きていてくれる、それだけで俺は嬉しい。それだけで、まだ明日に向かって戦える」

 アゼルは両手で聖剣アミスアテナの柄を握りしめる。同時に聖剣より浄化の光が強く立ち昇っていく。

 本来であれば魔族を問答無用で討ち滅ぼす光、それが今アゼルには一切の害意を示さない。


「今まで気付かなかった。本当は、こんなに優しい光だったんだな」


「いつだって、私はこのくらいの気持ちで貴方を想ってたんだよ、アゼル」


「…………本当か?」


「…………ウソ。たまにはアゼルにものすっごく怒ってたこともある」

 ピリッと、それこそ手の甲を抓まれるくらいの痛みがアゼルに走る。


「ああ、それくらいでいいさ。あんまり優しくされると、俺は甘えてしまうからな。俺はイリアに甘やかして欲しいわけじゃない、ただ一緒に、ずっと側にいて欲しいんだ」


「うん、今ならきっと、それができるよ」

 勇者と魔王、彼らは確かに今、文字通り一つになって最後の戦いに挑もうとしていた。


「やさしい、しずかなひかり。あなた、いきてたんだね」

 聖剣から放たれる浄化の光で『魔神殺し』の痛みが和らいだのか、魔神アーシェの瞳がわずかに穏やかになる。


「はい、身体は失いましたけど。どうにかこうして、生きています」

 魔神の声に、誠実な言葉でイリアは応える。


「せかいが、あなただけなら、よかったのに。あなたみたいなひとだけがいるせかいなら、わたしはずっとねむっていられた」

 魔神アーシェの、切実な言の葉。自分の世界が自分に優しい人たちだけであったならよかったと、誰もが一度は思うようなささやかな願い。しかし、


「それは多分、すごく退屈でつまらない世界ですよ。笑い合える人がいるから、怒り合える人がいるから、世界は驚きと楽しみで満ちていくんです。誰かがいなければいい世界も、誰かだけがいればいい世界も、きっとないんですよ」

 イリアは静かに魔神アーシェの願いを否定する。彼女の言葉はどこか優しさに満ちて、身体を失ってもなお誰かに手を差し伸べているかのようであった。


「イリア、お前」

 この極限状態におけるイリアの紡ぐ言葉に、アゼルは驚きを隠せない。

 彼女は今、誰かからの受け売りの言葉や想いではなく、自身の人生から紡ぎ出した言葉で魔神の少女と向き合っている。そんな彼女の出した答えが、言葉が、アゼルには何よりも眩しかった。


「きっと、すごく難しいことです。でも私は、手を取り合えるのならその手を握りたい。勇者としてではなく、ただ当たり前のどこにでもいる誰かとして、どんな人にでも手を伸ばしたい」

 イリアの決意に呼応するように、聖剣の光はなおも神々しく輝きを増していった。



「あれ、なんか聖剣の光強くなってない? リノン、理由分かる?」

 地上からアゼルの戦いを見上げていたエミルたちは、聖剣の光の変化に気付く。


「─────ああ、よかった」

 それを見てリノンは一滴、こらえ切れなかった喜びの涙を流していた。


「だ、か、ら、何がよかったのかを説明しろっての」

 エミルは思わずリノンの頭を叩く。


「あ痛っ、ひどいなぁエミルくん」

 普段であれば無効化される一撃が、当たり前に通る。それほどまでにリノンは忘我の喜びを噛み締めていた。


「ごめんよエミルくん、一人で喜んで。でも、僕は嬉しいんだ。イリアは、まだちゃんと生きてるっ」

 リノンの声はまだその嬉しさでふるえている。


「ん、リノンどういうことでござるか? イリアがまだ生きているとは?」

 リノンに抱きかかえられながら、純粋な疑問をシロナは口にする。


「イリアは聖剣と同化したんだよシロナ。魔王アゼルの力を解放してからっぽになった聖剣アミスアテナのコアにイリアの魂は今収まっている」


「ええ~、それってアゼルくんは最強になってイリアちゃんもとりあえず元気ってことでしょ。そんな簡単な強化手段があるなら、言い方は悪いけどもっと早い段階でそれをしててもよかったんじゃない?」

 私なんか一回死んじゃったし、と付け加えてラクスは不満そうな顔をしていた。


「本当に、最悪の言い方だなお前。そこの賢者の顔を見れば、わかるだろうが。確実な手段じゃなかったんだろ。イリアが、無垢結晶として完全な石に変わる寸前でないと、魂が聖剣に定着する可能性は低かった。それでも、確率は半々だったんだろうがな」

 リノンの言動、ここまでに起きた出来事から逆算してルシアは正確な現状を把握する。


「もうルシア、無理して話すなってなんど言えばわかるの。─────でも良かった、イリアはまだ生きてるんだ」

 アルトもそう言ってもう一度涙を流す。今度は嬉しさからこぼれ落ちる雫を。


「ああ、これで全てのピースは揃った。ラクスくん、申し訳ないが魔王アゼルとイリアを呼んできて欲しい。これから作戦会議がしたいんだ」

 実に晴れ晴れしい顔でリノンはラクスへと依頼を告げる。


「え、別にいいけど何で私? それにこの状況で作戦会議なんてする時間あるの?」

 ラクスの言葉は現状を考えれば至極真っ当なものだった。しかし、


「だからテメエが行くんだよ最強女。お前が時間を稼ぐ、ついでに魔神の魔素の総量を減らす、どっちもテメエがこなしてこないとまともな作戦が立てられない」

 返ってきたのはさらに辛辣なルシアの発言だった。


「もう、腹が立つ言い方するなぁこの少年。でも私が殴ったらそのまま死んじゃいそうだし我慢する。それで、具体的には何をすればいいの?」

 少し不満そうなラクスの質問に、大賢者リノンと魔人ルシアは示し合わせたかのように口の端をニヤリと上げて、


「3回死んできて欲しいんだ」

「3回死んでこい」

 非常に非情な指示を下した。



「と、いうわけで戻ってきたが本当にラクス一人で大丈夫か? あの魔神はラクスの顔見たとたんにまた暴走を始めたんだが。あ、ほら見ろ即死の光でラクスが死んだぞ」

 ラクスと入れ替わりでアゼルが聖剣を手に帰還する。


「問題ないよ、彼女は例のアイテムの力で3回は復活できる。逆を言うと3回はあの技『死音シオン』を撃たせて魔神アーシェの魔素の総量を減らしてくれないと困る。ラクスくんが4回目の死亡に到達しないうちに話を進めようじゃないか」

 アゼルの報告にも驚くことなく、リノンは淡々と作戦会議を開始する。


「おう、そうなのか。まあとりあえずわかった」

 アゼルもそんなものかと受け止め、地面に腰を下ろした。


「ねえリノン、私はできることならあの子を殺すことでこの戦いを終わりたくない」

 アゼルの手にする聖剣からイリアの声が響く。


「イリア、キミとまた話すことができて僕は嬉しいよ。それに、今から話すプランはキミの希望にも沿っている。安心して聞いてくれ」

 イリアの声を耳にして、かすかにリノンの頬がほころんでいた。


「おい、イリアの希望に沿ってるってことはあの魔神を殺さないってことか? それは、」

 あまりにも難しいことではないか、アゼルの言葉が続こうとするがそれをリノンが遮った。


「分かってるよ魔王アゼル。本来なら敵を殺すことよりも生かすことの方が物事は遥かに難しい。だけど今回に限っては別なんだ。魔神アーシェを完全に殺しきることの方が圧倒的に困難だからね」


「ではどうするでござるか? やはり最初の方針通り、ディスコルドから逃げきってこの世界に彼女を閉じ込めるか」


「そこのオートマタの案は、魔神を殺すことの次に難易度が高い。そもそも動けないオレやテメエがいることもそうだが、それを差し引いても空を自在に飛び、その気になればこの世界のどこにでも転移できるアイツから逃げる術はねえ」

 シロナが口にした案もルシアが容易く否定する。

 討伐も、逃亡もできないと断じられた中、


「え、だからみんなであの子をタコ殴りにして気絶させるんじゃないの?」

 キョトンとした純粋な瞳で、エミル・ハルカゼが悪辣なことを口にした。


「エミルさん、あの姿の相手にその発想が出てくるあたり相変わらずですね」

 聖剣となったイリアに表情はないが、その声は明らかにドン引きしていた。


「まったくだよ、だけど実はエミルくんの案が遠いようでいて僕の想定に一番近い。要は総力をあげて魔神アーシェを無力化する、作戦なんて口にしてしまえば簡単さ」

 パンッと手を叩き、リノンが話をまとめる。


「おい勝手にまとめるな、何も決まってねえだろうが。魔神を無力化するのはわかったよ、できるならそれに越したことはねえからな。だからその肝心の手段をだな……」

 当然、アゼルは何の解決策も示されていないと抗議しようとするが、


「キミがそれを言うのかい魔王アゼル。世界でただひとりキミだけが、その身をもって体験したっていうのに」

 リノンは、解決策ならすでに提示されているとでも言いたげな視線をアゼルに向けていた。


「は、何のことだよ、俺だけが体験した? …………ってそうか。その方法があったのか」

 リノンの言葉に、アゼルもハッと何かに気付く。


「アミスアテナのアミスという頭脳体を失っていた先ほどまでは無理だったけどね。でもイリアがいる今なら、可能なはずさ」

 リノンの視線は続けて聖剣となったイリアにも向く。


「────え、あ、そういうことなんだ。うん、私頑張る」

 そのリノンの視線を受け、イリアも彼がどんな方法を提示しているのかすぐに気付いた。


「と、いうわけで大事なのは彼女の存在規模をいかに小さく、魔素の総量をいかに抑え込むかって話だけどそれは現在進行形でラクスくんがこなしてくれてる。あ、今の光でもう1回死んだかな」

 魔神アーシェが放つ魔光を見て、リノンは冷静に状況の進行を確認する。


「オレの計算なら、あと1回の無駄撃ちで、魔神は制圧可能な存在規模にまで低下する。だから次に、あの最強女が死んだタイミングで、奇襲をかけろ。いいか、決して悟られるな。あの魔神が危機を察して転移をしたら、二度とチャンスはない」

 アルトに身体を預けながら、ルシアは皆に厳しい言葉を投げかける。


「ルシア少年の言う通りさ。僕たちは多大な犠牲を払って魔神アーシェの存在規模を低下させてるけど、一度安全圏に飛ばれて魔素を回復されればもう打つ手段がない。ちなみに彼女が元通りに全回復するまで10分とかからないはずさ」

 イリアが復活して調子を取り戻したのか、リノンは饒舌になって現状を語る。


「ふ~ん、それじゃあアゼルとイリアが遠距離から一気に近づいて魔神に仕掛けるってこと? ならアタシが発射台やってあげる。今のアゼルも十分に速いけど、さっきそのスピードを見せすぎてたしね。さらに高速じゃないとあの子対応しちゃうでしょ」

 エミルは瞬時に作戦の意図を理解し、自身のすべきことも決定する。


「発射台、だと? なんだか嫌な予感のする響きだが、とりあえずお前に任せるぞエミル。ここで我が身可愛さに失敗するわけにはいかないからな」


「それじゃあキミたちは奇襲に適切な場所に移動してくれ。ここは完全に彼女の警戒範囲の中だからね。どこに移動したところで魔神アーシェの耳を誤魔化すことはできないけど、注意を引きつければそれだけ警戒網は小さくなる。だから僕も陽動ができる場所に潜んでおくよ。ルシア少年とアルト嬢は、申し訳ない話だけどここで息をひそめておいてくれるかい?」

 リノンは人差し指を口に当てるジェスチャーをしながらルシアたちへとお願いをする。


「うるさい、さっさと行け、ヘボ賢者。オレが足手まといなことは、十分承知している」


「足手まといだなんてとんでもない。キミの未来まで見通す眼は十分に僕の力不足を補ってくれたさ。アルト嬢も、彼を頼むよ」


「本当にうるさいわねヘボ賢者。あなたに言われなくたってわかってるわよ」

 今もなおルシアの治療に専念しているアルトは言葉を取り繕う余裕もなく、ルシアと同じような悪態をリノンに返した。


「う~ん、お似合いな二人だね。さあ、シロナは僕と一緒に来てもらうよ。ここに残るのもいいけど、二人の邪魔をして睨まれたくはないだろ?」


「「うるさい、さっさと行け!」」

 ルシアとアルト、二人のリノンへの罵倒の声が重なる。


「まったく、この期に及んでもリノンの減らず口は衰えないのだから、実に頼もしいでござるよ」

 追い出されるように小走りで駆けだすリノンに抱えられながらも、シロナは落ち着いた様子だった。


「それじゃあ俺たちも行くぞイリア、エミル。奇襲に相応しい場所なんて言われても難しいが、おそらくラクスもそう長くはもたんだろう。とにかくここからできるだけ離れた場所に移動して気配を隠す」


「ならアタシはアゼルに抱えて貰おうかな。その方が速いし魔力も節約できるから」

 エミルはトコトコとアゼルの側に寄っていく。


「ん、相変わらずお前は俺に引っ付きたがるよな。まあいい、さっさといくぞ」

 背中に魔剣を展開するアゼルはエミルを左腕で小脇に抱える。


「…………いいなぁ、エミルさん」

 そんな彼女を見て、イリアの心の声が漏れ出ていた。


「たく、こんなんで嫉妬しないでよイリア。─────まあ、そんなに悪い気分じゃないけどさ」

 エミルも小荷物のように抱えられながら、まんざらでもない笑みを浮かべている。


「お前らあんまりお喋りしてるなよ。舌を噛んで詠唱ができない魔法使いとか笑えないからなっ!」

 アゼルは魔剣の翼に魔素を迸らせ、イリアとエミルとともに爆速でこの場から消えていった。



「───あいつら、行ったか?」


「ええ、行ったわよ。だからルシア、貴方も休んで……」


「休んで、あいつらが失敗して、オレもお前も死んだら世話ねえだろ。魔王やヘボ賢者たちが配置に着くまで3分はかかる。あの最強女がもう1回死ぬまで予測だとあと5分だが、」

 ルシアが言葉を続けようとした時、空で再び魔神アーシェの即死の光『死音シオン』が輝いた。


「ちっ、即席の未来予測じゃ精度が足りねえな。……早えよ英雄」

 舌打ちをしながらルシアは空を見上げる。

 

 英雄ラクスは合計で4度目の死を迎え、もはや次などない5度目の死を賭けて魔神に挑まんとしていた。

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