第356話 魔剣の翼、魔王の聖剣



 聖剣を残し、勇者は散った。


 残されたのは彼女の仲間たちと、魔王の慟哭。


 そして真の最強が目覚めようとする鼓動だった。


「イリ、ア」

 悲しみの涙を流しながら、魔王アゼルの肉体は漆黒の極光に包まれる。

 彼の姿が黒い闇の中に消えてもなお、絶大な力の波動が周囲へと伝わっていく。


「イリア、自分の死を代償にお父様の封印を解いたの? そこまでして、貴女は」

 唐突なイリアの死にようやく感情が追い付いたのか、アルトの瞳からも涙がこぼれ落ちる。


「ああ、だからあの賢者は、魔神に勝つ手段があるなんて口にしなかった。それは、イリアがこうするしかないって、知ってたからだ」

 アルトに抱き支えられているルシアは、彼女の涙を受け止めながら悔しそうに傷だらけの右こぶしを握り締めた。


「…………この光景を見たくなくてこれまで必死にあがいてきたつもりだったけど、結局僕は無能な愚か者だったみたいだ。本当、困ったものだよ、なかなか人生は、思い通りにいかないものだね」

 大賢者リノンは片手で顔を覆い天を見上げる。涙が、決してこぼれ落ちてしまわぬように。


「だが担い手イリアは、笑っていたでござる。せめて、それだけは……」

 救いではなかったのかと、シロナは口にしようとして悲しみで言葉を続けることができなかった。


「救い、だったと思うよ。少なくともあの子の死は無意味なんかじゃなかった。無意味なんかには、絶対にさせない」

 強く、強く、血が出るほどに両の拳を握りしめて、エミル・ハルカゼは俯いてつぶやく。


「イリアちゃん、最後まで勇者としてみんなを守ろうとしてた。本当は貴女をこそ、守ってあげないといけなかったのにね」

 ラクスは顔色一つ変えず、静かに悼むように一度だけ目を閉じた。


 同時に、黒の極光が収束し、一人の王を形作る。


 現れたのは、あらゆる封印・束縛から解放された魔王アゼル・ヴァーミリオン。


「──────────、」

 アゼルがただ呼吸をするだけで黒き雷電が迸り、辺り一帯の魔素が彼の従属下に置かれていく。


「──────、ァ」

 彼の魔素炉心は本格的に起動していないにも関わらず周囲に鳴動を伝え、その威圧感はこれまでの彼の力が赤子と思えるほどに絶大だった。


 封印の解けた自身の突然の変化に戸惑いながらアゼルは両手を見つめ、


「───イリア、お前。こんな、ことのために」


 心の内で笑ってしまう。


 全身を駆け巡る絶対的な魔素の奔流。全能を錯覚するほどの圧倒的な支配の権能。

 彼の200年に渡る人生の中で戦いという戦いを感じさせなかった、生まれながらにしての強大で隔絶的な力。


 そんな力をたったの一度も惜しいと、取り戻したいと思わなかったほどに、


「俺は、イリアを愛していたのか」


 勇者と、イリアとの旅に連れ出されて、たくさん彼女と言い争い、認め認められ、互いの未来を押し付け合うように願い続けた。


「そうか、俺は、勇者に負けたんだな。イリアは、俺に未来を押し付けて先に逝ったのか」

 ゆっくりと、魔王アゼルは顔をあげる。

 その先には、魔神アーシェ・アートグラフが天にそびえている。


「お前たち、俺のワガママだ。少しだけ、アイツと一人で戦わせてくれ」

 アゼルの声に誰も言葉を返せなかった。

 彼は剣を手にする。

 自身の魔剣でもなく、父の魔剣でもなく、彼女の、愛した勇者の聖剣を引き抜いた。


「ぐっ、」

 当然、魔族である彼にとって聖剣は猛毒。

 触れ、握るだけで全身を激痛が駆け抜ける。


「こんな痛みじゃ、足りねえよ」

 アゼルは歯を食いしばり、なおも強く聖剣アミスアテナの柄を握りしめる。


「イリアは、もっと苦しい思いを、ずっと隠してきたんだからな」

 右腕から消し飛んでいきそうな聖剣の浄化の力を、アゼルは莫大な魔素で抑え込む。


「確かに、魔王にこれだけの力を発揮するような聖剣なら、そりゃ魔神にだって効いてくれるよなっ」

 アゼルは地上から天にいる魔神を睨みつける。

 神と王、絶対的な力の隔絶を示すかのように、空を自由に動くことのできる魔神アーシェに近づくすべがアゼルにはない。


 だが、


「魔剣シグムント、魔剣シグルド、

 アゼルの二振りの魔剣が意志を持つように浮かび上がり、彼の背中に翼のように配置される。


「いくぞ、魔神アーシェ!」

 翼となった2本の魔剣がアゼル自身と大気の魔素を収束、加速、そして背面へ放出することで莫大な推進力を発揮し、アゼルは天へと恐ろしいほどの速度で飛んでいく。


「っ!」

 急速に接近してきたアゼルに魔神アーシェは気が付くも反応が間に合わない。

 アゼルは彼女の真横を通り抜けながらも肩口を聖剣で斬りつけていた。


「うぅ、いたい、うるさいっ。せっかくしずかに、なったとおもったのに。また、うるさいひとがきた」

 胸部に刺さった『魔神殺し』を抑えながら、赤雷の瞳で魔神アーシェはアゼルを睨みつける。


「悪いな、今はこの気持ちの置き所がないんだ。お前に、全部ぶつけさせてもらうぞ。大人げなくて悪いが、半分は八つ当たりだ!」

 募る悲しみと高揚する力に呼応するように、アゼルが放出する魔素は際限なく広がっていく。


「しらない、かんけいない。いたい、くるしい、きえて、きえて! 死音シオン!!」

 魔神アーシェも胸を掻き毟るような苦しみから逃れるため、アゼルへ向けて英雄ラクスさせ即死させた魔光を解き放つ。


「喰らうかよ、そんなもの!!」

 だがアゼルは背中の魔剣の翼の力で超加速して上昇し『死音』の光を躱す、そしてそのまま重力も加えた急降下で再びアーシェを斬り抜けていった。


「また、いたい! もう、いや! もう、きえてぇ!」

 錯乱するアーシェの叫び、しかしアゼルにつけられた傷も瞬く間のうちに癒えていく。


「本来の担い手でない俺じゃ聖剣のダメージはたかが知れてるか。だが、だがなぁ!!」

 自身が保有し、今もなお彼の魔素炉心から恐ろしい速度で生み出され続ける膨大な魔素を、アゼルは全て魔剣の翼に吸わせる。


「何度でも、いつまでだって続けてやる! イリアは、俺たちに生きることを望んだんだからな!!」

 アゼルは超絶的な速度で魔神への突撃を繰り返し、瞬く間に再生していく彼女を何度も聖剣で斬りつけていった。



「アゼル君やるぅ。ちょっと今の彼とのタイマンなら、普通に負けちゃうかも私」

 上空を縦横無尽に駆け抜けるアゼルを見て、英雄ラクスは感嘆の声をあげる。


「うむ、すごいでござるなアゼルは。あの速度、拙者では捉えきれないでござるよ」

 神速の速度域にいるシロナですら、アゼルの軌道を細い糸のようにしか捉えられずにいた。


「シロナがダメだってんなら誰も捉えきれないでしょアレ。攻撃は聖剣に任せた分、元々のアゼルが持ってた力を全部機動力と危険察知に振ってる。これなら魔神の即死攻撃だってアゼルには当たらないか」

 エミルも灼銀の魔力を滾らせて、熱い瞳でアゼルの行く末を見守っている。


「これが本来のお父様の力、初めて見た。想像よりもずっと上、私なんかじゃ到底追いつけないほどの高みだわ」

 アゼルをいずれ追い越すことを至上の命題とするアルトも、彼のあまりの強さを見て自身が目標とする場所のあまりの高さを痛感した。


「別に、戦いだけが王に必要なことじゃないだろ、アルト。…………それに問題は、あの魔王がいくら強かろうと、決定打には到底足りないことだ。仮に魔王の魔素が無尽蔵だとしても、魔神の方は命自体が無尽だ。アレが世界と繋がってる限り、殺すこともできないしそれに、」


の終わらせ方もできない、そうだねルシア少年。まだピースは揃っていない、それは確かさ。でも僕はもう諦めないよ。イリアが自分の命を犠牲にしてこの状況を作ったんだ、その時が来たのならこの命だって、かけてみせるさ」

 リノンは祈るように空を見上げながら、その覚悟を口にした。



「いたい、いたい。くるしい、しなないし、しねない! ねえ、もう、やめて! もう、あきらめてよ!」

 少女の咆哮とともに再び『死音』が放たれる。

 アゼルはそれを死と隣り合わせの緊張感のもと、展開する魔素による感知とともに確実に見てから回避した。


「諦めるわけには、いかねえんだよ。たくさんのモノが失われた、大切な人を、失った。だから、俺はもう何一つ、諦めるわけにはいかないんだ!」

 アゼルの感情とともに莫大な魔素が立ち昇る。

 出力だけでなら、かの大魔王グリモワール・ペンテレジアにも並びかねないほどの魔素の暴威。


 彼は再び聖剣を強く握りしめる。命ある限りは、魔神に立ち向かい続けるため。


 だが、


「……っ!?」

 自身の右手にまったく痛みがないことに、アゼルは今さらながら気付く。

 内側を駆け抜ける痛みも、腕を燃え焦がすような熱も感じない。


「なんでだ、まさか?」

 聖剣が力を失ったのか、彼は当然の考えに到達する。

 魔族が聖剣を使用したことによる機能不全。

 この戦いにおける唯一の生命線が断ち切れた可能性。


 しかし、アゼルの直感がすぐにそれを否定した。



 彼が握る聖剣の柄から伝わってくるのは、ただただアゼルを受け入れるかのような優しさと、


「アゼルは、諦めないんだ。うん、だったら私も、もう少し頑張らなきゃ」


 鈴鳴りのような美しい音、アゼルがなによりも求めた彼女の声だった。



「イリ、ア?」

 響く声は、彼が手にする聖剣より。


「アゼルが頑張ってくれるなら、私も諦めない。どんな形になったって、どんな命になったって、私は生きてアゼルの側にいるから」

 それはかつてのアミスアテナのように、勇者イリア・キャンバスは聖剣へとその命を同化させていた。

 

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