第355話 彼女の死、解かれる封印



「おい、ラクス! お前が死ぬとか、嘘だろっ」

 アゼルは魔神アーシェの放った魔光の一撃によって死亡したラクスに駆け寄り、目の前の光景が信じられないと自身の目を疑う。


「嘘では、ないみたいだな。オレの目も、ソイツの死亡は確かだと判定してる」

 遠目に、魔人ルシアはアルトに身体を預けながらも、蒼い瞳を輝かせて残酷な事実を告げた。


「どうやら先ほどの魔神アーシェが放った光は単純な魔素の収束砲じゃなくて、即死効果も付与されたものだったらしいね」

 死亡したラクスの顔に、なんとも言えない表情で触れながら大賢者リノンが今起きたことの解析をする。


「即死、だと? それは喰らった時点でこっちの体力関係なく終わりってことかよっ」


「その理解で正しいよ魔王アゼル。人智を越えたタフネスを持っていたラクス嬢でさえ、たった一撃で生命力を全て持っていかれた。当然僕らも同じように今の技を受ければ、…………おや?」

 リノンが解説の途中でラクスの微かな違和感に気付く。

 彼女の胸、豊満な谷間から真紅の宝石がひとつ転げ落ちて、砕けた。


「ぷはぁっ! 何さっきの!? 死ぬかと思った!!」

 同時に、死んでいたはずのラクスがなんと息を吹き返す。


「いや生きてるじゃねえか!」

 即座に入るアゼルのツッコミ。


「……本当だよラクスくん。何でちゃんと死んでないのさ?」

 リノンすら、ゴミ箱にきちんと捨てたはずなのに転がり出てきた思い出の品を見るような視線をラクスへと向ける。


「ちょっとぉ、せっかく復活したのにその言い方は傷つくんですけど~」

 周囲からの白い視線に、ラクスは不貞腐ふてくれた顔で抗議した。


「みんなも少しは私のこと心配してくれたっていいのに~。でも、本当に今のは死んじゃったと思ったんだけどなぁ。…………あ~、コレが効果を発揮したのかも。『リバースライフ』、装備しておけば死亡した場合に持ち主の身代わりになってくれるレアアイテム。今まで死んだことないからわかんなかったけど、ちゃんと効果あったんだコレ」

 ラクスは転げ落ちた赤い宝石をマジマジと見ながら感心していた。


「死んでも蘇るって、あいかわらずむちゃくちゃなアイテム持ってるなお前」

 アゼルの視線は、お前ひとりで戦ってこいよ、と言いたげでもあった。


「そんなこと言われてもコレってあとたった3個しかない貴重品なんだからね。どうも取得者にしか効果ないみたいだし。──────ほんと、たった3回死んでいいくらいで、あの魔神ちゃんをどうにもできないでしょ」

 ラクスは呆れ顔で空に浮かび続ける魔神アーシェを見上げる。


「結局、お前の『魔神殺し』は効かなかったのか?」

 根本的な問いをアゼルは投げかけた。


「わかんない。そもそも私だって持ってる武器の仕組みを理解してるわけじゃないしね。魔神ちゃんが生きてるってことは、殺せなかったってことじゃないの」

 見たまんまでしょ、とラクスはお手上げといった感じでアゼルに答えた。


「条件が整わなかったってのが正しいかもしれないね。さっき僕が言っただろ、魔神アーシェはこの世界に遍在してるって。見た目の上では幼い少女の姿かたちをとっているけど、彼女の存在規模は果てしない。そんな彼女に一太刀いれた程度じゃ十分な効果を発揮しなかったってことさ」


「となるとあれか、あの『魔神殺し』を取りに行って何度も斬りかからないといけないのか? だがまあ、それでなんとかなるなら……」

 おそろしく困難な道ながらも、アゼルが微かな光明を見出そうとしたその時、


「ふむ、どうやらそんな悠長な時間はなさそうでござるよ」

 リノンに抱きかかえられていたシロナが空を見上げて言った。



「まだ、いきてる。まだ、うるさい! きえて、きえて、きえて!!」

 魔神アーシェは空からイリアたちを見下ろし、赤い瞳をさらに禍々しく輝かせて叫ぶ。



「まずいね、ラクスくんの『魔神殺し』が突き刺さったままで彼女は暴走状態に入っている。さらには僕たちを自分の命を脅かす危険な存在と認定したようだ。─────つまり、さっきの即死技が僕たち全体に向けてくるよ」

 リノンは淡々と恐ろしい予測を立てた。


「はあ!? だったらお前が仕事しろよ大賢者。とりあえずお前の側にいれば死なないって話だったろうが!」

 アゼルはリノンが以前話したことを思い出して彼に詰め寄る。


「あ~、残念なお知らせだけど彼女の即死付与は僕の能力と同じく世界に干渉する力だ。ダメージ総量が死に至らなくても、『殺すための攻撃が当たったのだから相手は死ぬ』と情報を上書きしてるわけだね。そしてこの場合、存在の階梯かいていが高い彼女の力の方が優先される」


「ってことはおい」


「うん、あの攻撃を受ければ僕も含めて全滅確定だね」

 リノンの顔に一切の嘘はなかった。

 これまで自分の安全だけは確実に守っていた彼が自身を含めた危機を語ったことが、アゼルたちがより一層の窮地に立たされたことを示していた。


「は!? だったら全力でアイツから距離をとるしか……」

 緊急事態に必死で考えを巡らせて、アゼルが代案を立てたところで、


「クソ魔王、オレからも残念な報せだ。あの魔神の攻撃の射程はヤツの目に見える範囲、それの倍だ。一度ターゲットされたら逃げようがない」

 魔人ルシアが絶望的な情報を追加した。


「お前らさっきから気が滅入ることばかり言いやがって。だったらもう──」


「私が止めるよアゼル。さっきのが最後の力のつもりだったけど、生きているのなら何度だって…………っ、」

 イリアが再び聖剣を手にして前に出ようとするが、彼女のまとっていた絶対の防御礼装である花嫁衣裳、レーネス・ヴァイスが端から粉々に砕け解れていく。


「イリア!」

 アゼルは慌てて彼女へと駆け寄る。


「あ、カッコ悪いとこみせちゃった。ごめんねアゼル、さっきので私、本当に限界だったみたい」

 イリアのレーネス・ヴァイスは完全に剥がれ落ち、石に変わりつつある彼女の関節は軋むような異音をあげる。


「ごめんね、みんなを、守りたかったのに」

 諦めの混ざった瞳でイリアは空を見上げた。

 魔神アーシェ・アートグラフは完全にイリアたちを視界に捉え、周囲の魔素を体内にかき集めて絶対的な死を与えんとしている。


「何が、だ。ふざけるなイリア! そんな言葉を、そんな呪いをお前の最後にさせてたまるかよ!!」

 アゼルは沸き立つような怒りに身を任せ、仲間たちを守るように最前へと立つ。



「あなたたちは、ほんとうに、うるさい。しんで、みんな、きえてっ! 神の死音シオン・アーシェ!!」

 魔神アーシェの口から、先ほどラクスに放たれたものよりも十倍以上の規模の魔光が絶望をまとって撃ち出された。



 逃げることも耐えるも叶わず、勇者による迎撃すら不可能となった今、彼らには数秒後の死を待つ以外にできることはない。


 しかし、


「顕現せよ王の棺!」

 魔王の祝詞のりとが響き渡る。


「その威容を持って我が王権を示せ。魔王城・アゼルクアルカ!!」

 アゼルの掲げる右手の先に、彼の人生とともに成長してきた魔城が顕現する。


 魔の神の裁きの光を前に、魔の王の城が仲間たちを守る盾として立ち塞がる。


 されど神と王の力の差は歴然。


 いかな魔城であろうとも端から全て砕け散るのが運命さだめ


「構うものか、城くらいくれてやる! だが命には、ひとつたりとも触れさせねえ!! 俺たちは、こんなところで死んだりしない! 誰一人、誰一人として死なせるものかぁ!!!」

 アゼルは叫んでいた。

 自らの積み上げた人生に等しい魔城が破壊、否定され続けながら、何よりも大切なモノを守るために彼は自身の魔素を城へと注ぎ込む。


 永遠にも思えた拮抗の末、魔城は跡形もなく消失する。

 その中で数枚、かつてアゼルが描いた絵画が空へと舞い上がるが、結局は破壊の余波で灰となって消えた。


 しかし、それらの代償を対価にアゼルたちはなおも健在だった。


「はぁ、はぁ。お前たち、全員無事か?」


「うん、アゼルのおかげで大丈夫だよ。でも、アゼルの城が」

 王として積み上げたモノも、アゼル個人としての拠り所であった彼の部屋もなくなったと、イリアは心配そうにアゼルへ声をかける。


「別に、命よりも大事にするようなものじゃない。親父だって城を砲弾みたいに殴り飛ばしたんだ。俺が盾として使ったって文句はないだろう、よ」


 魔素を大量に消費した反動でアゼルは肩で息をしていた。

 そんな彼をイリアは静かに見つめ、何かの覚悟を決めたように目を閉じた。


「せっかく魔王アゼルが頑張ってくれたところ悪いけど、残念ながら状況は変わってないよ。魔神は何度だってさっきの技を撃てるけど、僕たちにはこれ以上アレを防ぐ手段がない。申し訳ないがアルト嬢の城では今と同じことはできないだろうからね」


「……ええ、無理ね。私の20年に満たない城じゃ、一秒だって耐え切れないわ」

 アルトは取り繕うことすらできず、悔しそうに唇を噛んだ。


「アタシの魔法も似たようなもんか、完全に出力が違いすぎる。アレって一発あたりアタシの全魔力の100倍くらいは魔素をつぎ込んでるし」

 エミルも彼我の実力差をすぐさま測り終え、他にできることがないかと思考を切り替える。


「おいヘボ賢者。防ぐ手段はともかく方向性はこれでいいだろ。バカ強い女を一度殺したヤツと魔王の城を打ち崩した今ので2発。即死効果を付与するには、相当量の魔素を消費するんだろうな。大技を使った反動で、魔神の存在規模はかなり小さくなってる」

 蒼い瞳で魔神アーシェを捉えながら、ルシアは言葉を続ける。


「オレたちが戦った大魔王、グリモワールと同じだ。力の源である魔素を、無駄に消費させ続ければ、神が相手だろうと御しえるレベルにまで落とせる」


「それは机上の空論もいいところだよルシア少年。確かに魔神アーシェの存在規模は初めの頃よりはだいぶ縮小している。でも彼女の支配しているディスコルド全体の魔素を集めれば多少時間をかけるだけで元通りに回復してしまう。こちらに決め手が欠ける以上ジリ貧なのは変わらない。どんなに戦いを引き延ばしたって僕らに勝利、いや生存の可能性は出てこないよ」


「決め手に欠ける、だと? そんなはずはないだろ、だってここには…………」

 ルシアは何か口にしかけて、を見て途中で言葉を止める。


「ああ、そういうことかよ。賢者を名乗るお前が、なんでずっとアホのふりをしてるかが分からなかったが、そうか。─────ソレは、口にはできないよな」

 その言葉で力を使い切ったのか、魔人ルシアは諦めたように瞳を閉ざす。


「ちょっとルシア! 何かに気付いたならいいなさいよ。このままじゃみんな死んじゃうでしょっ」

 ルシアが言いかけた言葉をアルトがどうにか引き出そうとする。


「そりゃ、な。だが死ぬのが全員なら、それはそれで平等だろ? 誰か一人を犠牲にするよりは、ずっと平和だ」


「え、それって」

 ルシアの言葉の意味するところに、アルトも気付いての方へと振り向く。


「いいよルシア。気を遣ってくれて、ありがと。でも、私のするべきことは、わかってるつもりだから」

 イリアは軋む身体の音を無視して、聖剣アミスアテナを手に立ち上がる。


「何をする気だよイリア! お前はもう戦えないだろ。それに、お前の身体は、」


「うん、限界だね。でも違うのアゼル、本当はもっといい方法があるって知ってたのに、私のワガママでここまで引き伸ばしちゃったから」

 隠していたイタズラがばれた子供みたいに、イリアは誤魔化すような笑みを見せる。


「何を、言ってるんだ?」

 アゼルの頭は口にした問いとは逆に、イリアの言葉の意味を理解するまいと必死だった。


「忘れたのアゼル、アゼルの本当の力はまだこの聖剣の中に封印されたままなんだよ。封印を制御するアミスアテナが消えちゃったから、時間をかければアゼルの力は元に戻るはずだったの。でも、間に合わなかったみたい。……だから」


「だから何なんだよっ。それはあの女に、アミスアテナに文句を言えばいいことだろ。違うだろ、それは間違ってるだろ、そんな優しい目を、俺に向けないでくれイリア!」

 アゼルの目に、足元からすさまじい速度で無垢結晶の輝石に変わりゆくイリアの姿が映る。

 もはや何をしても手遅れな彼女を前に、これから起きることを止めることすら罪なのだとアゼルは理解してしまう。


「ひとつだけ、アゼルの封印を今すぐ完全に解除する方法があるの」

 そう口にして、イリアは聖剣の切っ先を自身の心臓へと向ける。


「俺の封印なんていい! やめろ、やめてくれイリア!」

 アゼルの叫びも虚しく、イリアは何一つ迷うことなく聖剣にて自身の胸を刺し貫いた。


「っ、私は、知ってるよ。今までで出会った人の中で一番強いのは、アゼルだって」


 胸を貫く痛みを一切感じさせず、柔らかい優しい笑みでイリアは告げた。


 血は、一滴も流れることはない。

 完全なる無垢結晶に成り果てた彼女の、なによりの終わりの証明だった。


「イリア!!!」

 アゼルは、ただ彼女の名前を叫ぶことしかできなかった。

 愛しく、愛しい彼女の名を。

 もはやそれだけが彼に許された最後の、彼女への優しさだと気付いてしまったから。


「ごめんね、アゼル」

 イリアの身体が、ボロボロと砂屑のように零れ散っていく。

 周囲の魔素を浄化しながら自らも消えゆくその光景は、まるで闇夜に深々と降る雪のように綺麗で、儚かった。


 イリア・キャンバスの身体は、何一つ残らず消え去った。


 残ったモノは、大地に突き立った銀晶の聖剣のみ。


「イリアァァァァ!!!!!!」

 ディスコルドの大地にアゼルの悲痛な叫びが響き渡る。



 同時に、彼を縛っていたあらゆる封印が、今解き放たれた。

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