第354話 死に至る残響

「なに、あなた? とても、うるさいひと。そのしんぞうのおとだけで、わたしのみみがこわれそう」

 魔神アーシェ・アートグラフは黒い空を背景に、宙に浮かびながら眼下の英雄ラクスに対してそう評価を下した。


「しっつれいね魔神ちゃん。そこまでバカみたいな物音は私だって立ててないわよさすがに。耳が良すぎるんだったら耳栓でもしてなさいって話でしょ。それを周りを全部消してしまおうなんて発想がダメ。そんなんだからこんな怖いお姉さんが来ちゃったわよ」

 軽口を叩きながらも、ラクスはアーシェを完全な敵として見据えていた。

 手にした剣『魔神殺し』は今か今かと魔神アーシェの隙を狙っている。


「ラクスさん、その剣を使うのは待ってもらえませんか? もしかしたらこの子とは言葉で……」


「分かり合えなかったでしょイリアちゃん。一度言葉を尽くしたのなら、あとは命を尽くすしかない。天秤にかかってる内のどっちかを守るって話なら、私の答えは決まってるから」

 イリアから背中にかけられた言葉を最後まで聞くことなく両断し、ラクスは魔神アーシェに向けて駆けだしていく。


「とう!」

 空高く浮遊するアーシェまで最短距離の地点まで到達したラクスは常人をはるかに凌駕した脚力で大地を踏み抜き飛翔した。


「こないで、うるさいひと」

 高速で接近してくるラクスに対しアーシェは魔素で固めた障壁を二重、三重に展開する。


「こんなもの、壊して通るまで!」

 ラクスの手にする『魔神殺し』は容易く障壁を破壊するが、同時に上昇力を削がれて魔神アーシェに到達する前に地面に落下していく。


「む~、なんの! こんな時のための『天馬のソニックブーツ』だから」

 瞬時に足の装備を換装し、再び舞い上がるようにラクスは空を駆けあがり今度こそ魔神の正面へと辿り着いた。


「なんなの、あなた? こわい、きえて。原初の一音ピアノ・オリジン

 魔神アーシェがかかげた右手から発生した波動がラクスへと襲いかかる。

 生命の始まりから離れるほどに自らの不純で自己崩壊をきたす恐怖の波。

 だが、


「いい音色ね、お姉さん思わず聞き入っちゃった」

 ラクスは原初の一音ピアノ・オリジンを受けてもなお涼やかな顔をしていた。


「────え、なんで?」

 目の前の不理解に、魔神アーシェは困惑する。


「あれ、もしかして今の技って何かリアクションをとった方がいい感じだった? ごめんねこういう空気読めなくて。でも私はどうあがいたって私だから、何も飾らないし何も誤魔化さない。そういう生き方しかできないからね」

 真っ直ぐなラクスの瞳が、アーシェを見つめている。


「そう、なんだ。あなたはとてもうるさいのに、たったひとつの音でできてるんだ」

 ようやく、彼女はラクスへの理解に至る。


「ええ、だから私は貴女を殺す。私が殺される前に貴女を殺す、貴女が誰かを殺す前に貴女を殺す。私は私が肩入れできる人たちのために、この手で貴女を殺すわ」

『魔神殺し』の切っ先をアーシェに向け、英雄ラクスは堂々と宣言した。

 真正面から、何一つ混ざり気のない殺意を表明して。



「ラクスのやつ、正面から魔神と渡り合ってるじゃねえかよ」

 魔神と英雄、彼らが空で相対する姿をアゼルたちが地上で見上げている。


「あ~もう、イリアの技でアタシの魔力全部吹き飛ばされてなきゃ、ラクスに先越されなかったってのに」

 アゼルと同様に空を見上げながらエミルはせっせと大気から魔素を摂取して魔力を回復させていた。


「あ、ごめんなさいエミルさん。そういえば魔素と一緒に魔力も全部浄化しちゃうんでした」

 テヘヘ、と苦笑いしながらイリアはエミルに謝る。


「まあ別にイリアが謝ることでもないけどさ。ああでもしなきゃ魔神は止められなかったし、あそこまでしてもあの魔神は健在なんだもんね」

 不満そうに頬を膨らませながらも、エミルは魔神の動向から目を離さない。


「だからこその『魔神殺し』でござるか。うむぅ、拙者も以前『人形殺し』とやらで痛い目にあった」

 シロナはかつての記憶を思い出して悩ましい表情をする。


「たしかに、ラクスくんの持つチート武器は概念干渉すらできる。人形を殺すっていうコンセプトが付与されていれば力量、事象を無視して人形に属するものを無条件で機能停止させる。だからあの『魔神殺し』もきっと魔神にだってその効果を発揮するだろう、でも……」

 解説をするリノンの顔は明るくない。そこに、


「お前は、あの女が、その手札を持っていると知った上で、オレたちに勝ち目はないと、判断したんだろ?」

 苦しそうな、途絶え途絶えの声が響く。


「ちょっとルシア! 無理して喋らないでっ」


「口くらい動かさせろよ、アルト。いいか、どんな絶対にも隙間はある。話を聞いてりゃ、『人形殺し』とやらを使われたのに、そこのオートマタは生きてんだろ?」

 呼吸をするのさえツラそうな表情をしながら、ルシアは真理の一端を突いた。


「魔人ルシア、だったね。以前と比べて随分と頭が回るようになったのかな。その瞳、賢王グシャと同じ力が覚醒したのかい? 大賢者を名乗る僕よりも鋭い考察をされちゃ困るよ。キミの言う通り、確実性がない以上、僕だって止められるものならラクスくんを止めたい。だけど、代案が用意できないのなら今は彼女に賭けるしかないだろ?」

 リノンは大賢者らしからぬ余裕のない、祈るような瞳で空を見上げた。



「さてと、今から貴女を殺すけど、何か言い残しておくことはある?」

 英雄ラクスは『魔神殺し』を肩に担ぐように構え、一足で踏み込めるように『天馬のソニックブーツ』へ力を込める。


「わたしを、ころすの? ただしずかにねむりたいだけなのに?」

 無垢な少女の純粋な問い。それに対し、


「ええ殺すわ。貴女の眠りのためにたくさんの人が死なないといけないのなら人の英雄わたし世界の敵あなたを殺す。……恨み言は、それでよかった?」

 ラクス・ハーネットは無慈悲で容赦のない答えを返した。


「いい、だってわたしは、しなないから」


「そう」

 ラクスは魔神アーシェの言葉を聞き終えた時には既に全力で空を蹴り抜き、腰溜めに『魔神殺し』を構えた状態で少女の懐に入り込んでいた。


「なんか、ごめんね」

 炸裂するように血しぶきが舞う。

 ラクスの『魔神殺し』は確実に魔神アーシェの胸部を貫き、剣は背中へと貫通していた。


 魔神を殺す『魔神殺し』、それをもって刺し貫いたことで彼女の死は確定する。


「気分は、あまりよくないよね。まあ、誰を守るためであろうと気分の良い殺戮があっちゃいけないけどさ」

 幼女を刺し貫いた剣越しに確実な手応えを感じながらラクスは呟く。


「あ、あ、あっ、ああぁぁぁっ」

 楽器から奏でられる美しい音色のような悲鳴が、魔神アーシェの口から漏れ出ていた。


「苦しいよね。今、楽にしてあげるから。って、やばっ!?」

 ラクスが魔神アーシェの命を確実に終わらせるために剣を引き抜こうとした瞬間、絶対的な死の気配を感じ取って彼女は『魔神殺し』の柄から手を離して全力で後方にバックダッシュした。


 空を駆ける靴『天馬のソニックブーツ』の能力もあいまって、ラクスはわずか一秒で100メートル以上の距離を魔神の少女からとっていた。


 彼女にとってはどんな反撃が来るととしても一撃死だけは必ず避けられるはずのセーフティーライン。


 だが、


「いたい、いたいっ。くるしいのに、しねない。ねむりたいのに、ねむれないっ。もう、もう、ぜんぶ、ぜんぶが、しねば、いいのにっ─────────死音シオン!!」

 魔の神を前に、その程度の距離など無意味に等しかった。


「うそっ」

 魔神アーシェの口から、黒条の魔光が解き放たれる。英雄ラクス・ハーネットは回避すらままならず黒い光の中に全身が飲み込まれていった。


「まずい、ラクスくん。逃げるんだっ」

 明確な焦りを含んだ大賢者リノン・ワールド・ウォーカーの声も、もはや遅い。


 飛翔の靴も砕け壊れ、放り投げられた人形のようにラクスは空から地上へと、イリアたちのいる場所へ向けて落下した。


「たくっ、アンタがミスるとか、らしくないじゃんっ」

 地面と衝突する直前、エミルが落下の衝撃を殺しきってラクスを受け止める。


「ラクスさんっ」

 イリアたちが遅れて駆け寄るも、ラクスがいつものような陽気な声を返すことはなかった。


「…………てか、ラクス。死んでるし」

 エミルが、ラクスの状態を一目みて看破する。


 英雄ラクス・ハーネットは、死亡した。


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