第353話 絶望のアートグラフ



 不協世界ディスコルド、色彩などなく黒と灰色のみで満たされる枯れた世界。

 君臨するのは魔神アーシェ・アートグラフ、三大魔王の余分な要素を捨て去った原初の神の姿がそこにある。


 赤雷の瞳、濡れた黒髪、黒衣をまとった幼い少女が無慈悲な死を謳わんとしていた。


 対峙するのは調和世界ハルモニアから現れた7人の勇者たち。


 勇者イリア・キャンバス。白銀の髪と瞳、その手には聖剣アミスアテナを携えた少女。その腕の一部は結晶化が始まっており、彼女の命を削り続ける血で濡れた絶対礼装レーネス・ヴァイスのドレスも既に……。


 魔王アゼル・ヴァーミリオン。漆黒をまとい、両手には自身の魔剣シグムントと父から受け継ぎし魔剣シグルドを握りしめる。魔族にとって絶対たる魔神を前に彼が切ることができる残されたカードは、あと……。


 魔法使いエミル・ハルカゼ。歩く大災害の異名を持つ最強の魔法使い。自らの限界を壊し、身体を駆け巡る魔力が灼銀の光となって彼女の魔奏紋を輝かせる。彼女の卓絶したセンスは魔神を打倒することの困難さを誰よりも直感的に理解している、それでも……。


 人形剣士シロナ。鍛冶師クロムによって造られし生きたオートマタ。二振りの聖刀を超越した技量で使いこなす刀神だが、先の戦いで彼の聖刀は砕け四肢も失った。しかしその白い瞳は今もなお……。


 大賢者リノン・ワールド・ウォーカー。叡智と異能をもって世界を騙し欺く詭弁のスペシャリスト。ディスコルドにおいてほとんどの力が制限されているが、動けないシロナを抱いて皆の安全圏として機能する。ただし、その力はもはや絶対ではなく、だからこそ彼の覚悟も……。


 紅き英雄ラクス・ハーネット。人間を越えた人間、究人エルドラの末裔。超人的なステータスと超抜的な武器アイテムを使いこなす反則的な英雄。だが彼女の保有する武器アイテムのほとんどは大魔王ファーヴニルとの戦いで消費、破壊された。なのに、彼女が笑うのは……。


 魔人ルシア。改造された魔聖剣と魔銃を操る人間と魔族のハーフ。しかし大魔王グリモワールとの一戦で持てる全てを使い尽くし、今やもう死ぬ寸前の身体となっている。だというのに、彼の瞳はまだ……。


 魔王の娘、次期魔王アルト・ヴァーミリオン。先の戦いで魔人ルシアにその力の全てを譲渡し、勝利した。その代償として死に瀕するルシアの命を彼女は必死で繋ぎ止め続ける。勝利すべき自身の矜持と、彼を絶対に助けたい想いとが、彼女の中でせめぎ合い続ける。だからこそ、彼女は……。


 以上が魔神アーシェ・アートグラフと相対する勇者イリアとその仲間たち。


「それで? ここから先はどうするんだい? 大賢者を名乗っておきながら情けない話だけど、僕にはこの窮地を脱する作戦は出てこないよ。─────どれも、すぐにダメだってわかってしまうからね」

 魔神アーシェからは逃げられないと断じた大賢者リノンは、心から残念そうに話を切り出す。

 これまでどんな場面であろうとなんらかの手段を用意していた彼ならぬ発言。


「うるせえなアホ賢者。前にも言ったが頭の中で諦めてたら何にも変わんねえだろうが。とりあえず試しながらどうにかすんだよ。この魔神がハルモニアにまで来ないってんなら、俺たちがどうにか生き残って向こうに帰れば勝ちだからな!」

 魔王アゼルはいまだ戦う気概を失わず、仲間たち全員を鼓舞するように声を張り上げる。


「私が前に出るよアゼル。魔神といっても魔族と同じようにここまで聖剣の攻撃が有効だったから。多分今のこの子にも効くはず。私を主軸にして魔神を抑え込んで、少しずつみんなで逃げよう」

 イリアは覚悟したように一歩踏み出した。


「うん、イリアの案でいいんじゃない? アタシたちが全力でサポートして足の遅い連中が先に逃げる。そしたら後から全力で追いかけられるし」

 エミルは気負いのない声でイリアに同意する。


「すまないエミル。こんなことならせめて足だけでも残しておけばよかったでござるな」

 そこへ四肢を失ったシロナの無念そうな声が響く。

 今の彼にはもはや仲間のためにできることがない、それが何よりもツラそうだった。


「お主が元気だったとしても変わらんぞポンコツ人形。…………どうしても妾たちが足かせになる」

 シロナと同様、アルトの声も普段の彼女からは考えられないほどに気弱だった。

 事実、まったく動けないルシアを治療し続ける彼女こそがどこにも動くことができない。


「アルト嬢にしては随分と殊勝な態度じゃないか。でも安心しなよ、キミたちは別に足手まといってほどじゃないさ。結局は、全て無駄になるって判断してる僕こそが、きっとみんなの一番の重石なんだから」


「なんか後ろで馬鹿なこと言ってるリノンはほっといて、魔神が動く前にこっちから仕掛けるよ。アタシたち前衛はとにかくイリアが大技を打てるだけの隙を作る。ラクス行くよ!」

 言うやいなや、エミルは既に駆けだしていた。


「もっちろんエミルちゃん。な~んか忘れてる気もするんだけどまあいいや。初っ端から全力全開、“たとえ私は愚かでも、その高みを目指さずにはいられない”起きろ、アトラス!」

 ラクスの口にした起動キーに呼応して、星剣アトラスが超巨大化していく。


「この場面でお前らほど頼もしいアタッカーはいねえよ。あの魔神に魔族である俺の攻撃はほとんど通じないから俺は陽動中心になる。上手く合わせろよ、アルス・ノワール・ツヴァイ!!」

 アゼルは自身の二振りの魔剣に魔素を走らせて、二条の黒い閃光を魔神アーシェ・アートグラフの、へと解き放つ。


「!?」

 アゼルの攻撃を脅威とも感じず、魔神は回避行動すらとらない。だが足元の地面に向けて放たれたアゼルの技は大きな土埃と魔素の霧を生み出して魔神アーシェの視界を奪った。


「ナイスアゼル君! ついでに相手も隠れちゃったけど私のアトラスなら問題なし。フルスイング行っきまーす!!」

 ラクスの掛け声と同時に、土埃でぼやける空間ごと彼女の星剣アトラスによる豪快な薙ぎ払いが振り抜かれた。


「いたっ、これきらい」

 ラクスの一撃によって魔神アーシェが後方へ飛ばされていく。

 そのタイミングに合わせて、


「ならもっと痛いのあげる。天を縛る星の鎖、我がかいなを喰らいて走れ。神星繋ぐ天鎖の座ディバインジェイル

 エミルの魔法の詠唱が完成し、極太の金鎖が魔神の少女を強く縛り上げた。


「っ! なに、これ」

 魔神アーシェは突然の束縛にどうしたらよいのか困惑して身じろぎをするのみ。

 だが、


「ヒドイ話、じゃん。こっちは全力出して縛ってるってのに、そっちが身体ゆするだけでも返ってくる反動が半端ないんだけどっ」

 金鎖の端を掴み引き絞るエミルは必死の形相で歯を食いしばっている。それでもなお、鎖は少しずつ崩れ出して強度を失っていく。


 ここまでの彼らの一連の動きで稼げた時間は数十秒程度しかない。しかし、


「みんな、十分です」

 凛とした声が響く。

 勇者イリア・キャンバスは聖剣アミスアテナを胸の前に掲げ、一歩一歩前へ踏み出していく。


 彼女の纏う真紅の礼装が、その端から白銀の輝きを取り戻していった。


「イリア、お前」

 アゼルはイリアの変化の意味するところに気付き言葉を失う。


「そうだね魔王アゼル、イリアはレーネス・ヴァイスの鮮血化を解いたわけじゃない。むしろより激しく自身の血をこの瞬間のために吐き出している。なのに、赤色から白銀へと色が変わっていくということは、もうイリアの血液も結晶化が始まってるんだ」

 遠く、後方から状況を把握していたリノンが、イリアの状態を正確に看破して悲しげに目を伏せた。

 これから起こることを、追い求めた未来から目を逸らすように。


「私の全てをここで出しきります。どんな結果になったとしても、みんなは全力で逃げてください」

 イリアのレーネス・ヴァイスの変質が完全に終わり、まさに白銀煌めく花嫁衣裳となる。

 その変容に呼応するように、イリアの周囲の大気が魔素満ちるディスコルドであるのにも関わらず瞬く間に浄化されていく。


「なに、あなた? しずか、すぎるのに、こわい」

 エミルの金鎖に縛られながらも、魔神アーシェは一歩一歩前に進み出るイリアをこそ脅威と認定した。


「叶うのならば、この一撃が貴女の安らかな眠りになりますように。終わり輝くホワイトノヴァ・……」

 イリアは厳かに聖剣を振りかぶり、無垢結晶の浄化の力が限界を超えて高まり眩いほどの極光が辺りを照らす。


純潔の無垢星ヴァージニティエンド!!!!」

 聖剣はついに振り下ろされ、白銀の光が魔神アーシェに向けて解き放たれた。


 暗き世界がひと時の間、白く暖かい輝きに満たされる。


 イリアの放った最後の極技は、魔神のみならず周囲数キロの魔素をわずか一瞬にして浄化した。


 あまりにも眩しい光に、誰もが目をくらませていた。


 ただ一人、イリアをのぞいて。


 イリアはあれほどの大技を放ったにも関わらず息も荒げていない。


 もう、その必要がないかのように。


 彼女が一歩足を進めるたびに、シャリシャリと何かが崩れる音がする。


 まるで、石でできた人形が動くかのように。


 彼女はまっすぐに前を見据える。


 イリアの極光を受けながら、当然のように無傷で立ち尽くす魔神アーシェと向き合うために。


「もうこれ以上ないほどの全力でしたが、足りませんでしたか?」

 優しい、母親のように優しいイリアの声。


「ありがとう、すこしだけ、ねむれそうだった。いたかったけど、それよりもずっと、やさしいひかりだったから」

 魔神の、幼い少女アーシェの無垢で無機質な声。


「そう、ですか。……できることなら、みんなを見逃して欲しいのですが」

 イリアのせめてもの願い、もちろんそのみんな中には彼女自身は含まれていない。


「だめ、もうわたしはねむりたいから。ずっとがまんしてきたの、ずっとねむれなかったの。あなたたちのおんがくは、わたしをくるわせる。いつまでも、ねむらせてくれないから」


「っ、それは──」

 アーシェの言葉にイリアは何か気付きかけるが、それよりも早く魔神は言葉を継いでいく。


「あなただけなら、のこってもいい。あなたはとてもしずかだから。─────それに、もうじかんはないんでしょ?」

 魔神の赤雷の瞳は、イリアの状態すら正確に見抜いていた。


「……ええ、そうです。ですから貴女が私の仲間を傷つけるのなら最後まで立ち塞がります。この命が尽きようと、最後まで」


「そう、なんだ。じゃまを、するんだね。ならあなたも、わたしのてき。ぜんぶ、おわらせる。あなたたちぜんぶ、なかったことにする」

 魔神アーシェは地面から浮き上がり、イリアによって浄化された魔素も周囲の空間から補填されてすぐに元に戻っていく。


「ばいばい、しずかなあなた」

 アーシェが静かに振り上げた手の平に魔素が圧縮されていく。

 それはかのグリモワール・ペンテレジアの魔天統べし極光グリモワ・ゼーレすらたやすく凌駕する神の極光。


「─────これは、さすがに。私の命を使い切っても足りないかもしれないな」

 文字通り全ての命を終わらせるであろう光を見上げながら、イリアは呟く。

 その言葉とは正反対に、彼女の両手は強く聖剣を握りしめて最後の迎撃に備えていた。


無へ至る原音ラスト・ピアノ

 魔神アーシェより振り下ろされた魔素の極塊。着弾と同時に周囲数キロを無人の荒野へと変えてしまうであろう一撃、それを、


「さっせませーん!!」

 空気をまったく読まない快活な声が、一斬のもとに切り伏せた。


「え、ラクスさん!?」

 背後から現れた援軍に、イリアは驚きを隠せない。

 何よりも、魔神の一撃を容易く打ち砕いた手段があったことこそが驚愕だった。


「私だってこれでも英雄だからね、勇者にばかり重いとこ持ってかせないよ」

 場にそぐわない明るい声は英雄ラクス・ハーネットから。彼女の手には星剣アトラスではない別の剣が握られている。

 それは、かつて魔王アゼルに絶対的な死を予感させた剣。


「『魔神殺し』、こんなおあつらえ向きの武器があったのになんで忘れてたんだか。さーて、覚悟しなさい魔神ちゃん。私はみんなの敵なら、子供だって殺す英雄よ」

 ラクスは禍々しい剣の切っ先を魔神アーシェに向けて宣言する。

 その言葉の重さを、誰よりも強く握りしめて。

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