第344話 魔天統べし邪王グリモワール・ペンテレジア②

「では狂犬、第一の遊興だ。余の支配にあらがえるか? 余と戦いたいのならばまずそれができなければ話にならない」

 邪王グリモワールは片手を挙げてルシアへと向ける。ただそれだけで戦闘態勢に入っていたはずのルシアの動きが石像のように固まる。


「がっ、テメエ。何をしやがるっ」

 どうにか声を絞り出すルシアだが、彼は自身の指のひとつすら動かせなくなっていた。


「余は別に大したことは何もしておらぬさ。狂犬よ、魔王の寵愛は知っているか? 上位の魔王から魔素を与えられてその身を強化した者はその生涯だけでなくその子々孫々に至るまで魔王からの支配を受け続けるというものだ」


「知ら、ねえよ。それがどうしたっ?」


「なに、余は寵愛を与えずとも全ての魔族を相手に支配を施すことができるだけだ。いくら弱々しくともお前も魔族の端くれだろう。余と相対した時点でその肉体の権限はお前のものではない」

 グリモワールが人差し指をクイッと上げると、それにつられるように魔聖剣を持つルシアの右手も吊り上がる。そしてそのままルシアの左手を切り落とそうと振り落とされた。


「──────っ」

 ルシアはその光景を前に、慌てずに冷静に呼吸を巡らせる。


「スゥ、ハァ。───それで、オレの身体が誰のものだって?」

 魔聖剣オルタグラムは、ルシアの左手を切り落とす直前で止まっている。


「……意外だな。驚愕とも言っていい。小僧、どうやって余の支配から逃れた?」

 グリモワールは本当に驚いたかのように目を見開いていた。


「あいにくだったな。オレは魔族の端くれですらない、魔族と人間の合いの子の魔人だ。人間の部分がある以上、お前の支配も完全には通らないんだろうさ」

 ルシアは自身の呼吸を整えながら、グリモワールを前に本当とウソを織り交ぜる。

 彼が呼吸を繰り返すたびに身体の内を魔素とは別の血流が巡り続ける。彼の新しい心臓、研究者ジェロア・ホーキンスによって埋め込まれた最高純度の魔石がルシアの肉体を疑似的に魔法使いへと変えていた。心臓の魔石に呼応するように魔奏紋がルシアの左腕に浮かび上がり、最大効率の力の源流である魔力を精製する。


 魔族にとって、さらにはハルモニアを知らない大魔王グリモワールにとって未知なる力である魔力は、彼の支配の及ばぬ領域だった。


「やっと、この心臓にも慣れてきたところだ。そもそもな、本当にお前が全ての魔族を従えられるってんなら、他の大魔王とやらもそうすればよかっただろうが。それができてない時点でテメエの支配が不完全なことはオレにだってわかる」

 ルシアの魔銃ブラックスミスの銃口がグリモワールへと向けられ、そこから爆炎を纏った弾丸が解き放たれた。

 だが、その銃弾もグリモワールに到達するまでの軌道を高熱で濡らしながらも、彼へ直撃する寸前でルシアの魔弾は当然のように霧散する。


 その光景をグリモワールは冷めた目で見ていた。


「ふむ、余に攻撃ができるとは、本当に余の支配が届いていないらしい。喜べ狂犬の小僧、お前は確かに魔天統べし邪王グリモワール・ペンテレジアとの戦いに至る資格を手に入れた。他の大魔王、巨王アーデンや武王ファーヴニルですら、1対1であるのなら余の支配から逃れられぬというのにな」


「それを喜ぶ気もねえし、誇らしくも思わねえよ。ただ戦いもせずに相手を見下し続けるテメエが鬱陶しいだけだ」

 放った魔弾が無効化されたことに悲嘆することなく、ルシアは鋭い眼光をグリモワールへと向け続ける。


「致し方なかろう、生まれ出でた時から他者との歴然とした力の差があるのだ。余はただそこにあるだけで誰よりも抜きんでた力を持ってしまう。余が見下しているのではない、お前たちが自然と余を見上げているだけのこと」


「はっ、だったらオレたちは対等だな。オレは生まれた時から他人とは違っていた。オレはずっと底辺で生きてきた。だけどな、オレは他の連中を見上げて生きれるほど暇じゃなかった。オレが見上げた星は二つだけ。テメエのことなんざただの邪魔な壁くらいにしか見えねえよ」


「よくぞほざいた憐れな犬よ、ではその壁に潰されて死ぬがいい。ああ、いや待て死んでもらっては困るのだった。ふむ、ではまずはその鬱陶しい左手の器物から潰すか」

 そう言うや否や、グリモワールは右手の人差し指を下へ向ける。同時にルシアの頭上の魔素が岩塊のように圧縮され、彼の左手を潰さんと加速して落下する。


「させない!」

 しかしルシアの身体を後方へ急激に引き寄せる力が加わり、まるで操られる人形のように加速してグリモワールの攻撃を回避していた。


「ちっ、アルト、テメエ邪魔すんじゃねえよ」

 ルシアは自分の身体を魔素の糸を介して勝手に動かした犯人に向けて文句を言う。


「何が邪魔よ、私が手伝わなかったら左手潰れてたでしょ!?」


「手を貸すとは無粋な真似をする、アルト・ヴァーミリオン。だが許そう、取るに足らぬ加勢に憤慨しては余の器が知れるというもの。お前たちは精一杯あがけ、その上で力の差を知り、余の心臓とあいなるがいい」


「そんな人生お断りよ。私は負けないし、ルシアだって負けさせない。自分で戦うのならともかく、他人を好き勝手操るのは得意なんだからね」

 アルトは再びルシアへと見えない魔素の糸を伸ばし、彼の戦いを補助できるように備える。


「ホント最低の特技だよなお前。だがいい、とにかく邪魔にならないように手を貸せアルト」

 ルシアは振り返ることなくグリモワールへと駆けていく。それは、アルトに全幅の信頼を預けるのと同じだった。


「魔聖剣オルタグラム、その力を解き放て!!」

 グリモワールへと振りかざす剣にルシアは全身の魔力を込める。魔剣と聖剣、両方の性質を持つ特異な剣に純粋な魔力が通されたことで爆発的な力が発生する。


「くだらぬ」

 しかしグリモワールはルシアの魔聖剣をなんなく掴み、次の瞬間には剣を完全に握り砕いていた。

 与えたダメージはわずかに血が流れる手の平の傷のみ。


 だがグリモワールは手の平の微かな傷を感慨深そうに見つめる。


「そうか、思ったほどくだらなくもなかったか。自身の血を見たのも数百年ぶりのことである。ハルモニアの世界に由来するさぞ特別な剣だったのだろうが残念だったな、さっそく砕けては話にもなるまい」


「本気でそう思ったならお前こそ残念だったな。折れても砕けても何度でも蘇る、それがオレの剣だっ!」

 砕かれた魔聖剣を全力で振り抜いて隙だらけの背中を見せているはずのルシアの手には再び蘇った剣が、彼はため込んだ力を逆流させるようにグリモワールへの腹部へと魔聖剣オルタグラムを叩き込んだ。


「なにっ?」

 驚きに目を凝らすグリモワール、だが実際には彼の身に幾重にも張られた魔素の防壁によってルシアの攻撃は通らない。


「だがそれくらいはやるだろうよ、自壊を恐れず貫けオルタグラム!!」

 その障壁をルシアは強引に突き破る。魔素の壁を突破するために幾度もオルタグラムの破壊と再生を繰り返しながら。

 結果、ほんのわずかではあるが魔聖剣の切っ先がグリモワールの肉体へと食い込んだ。


「まさか、な。本当にただの小僧ごときがこの魔天統べし邪王グリモワール・ペンテレジアに牙を突き立てるとは」

 感心して呟きながら、グリモワールはゆっくりと突き刺さった魔聖剣の刀身に手を触れる。

 次の瞬間、


「ガァァア!!!」

 剣は刀身から柄までが粉々に砕け散り、それだけではなくルシアの右腕までもが激しい血しぶきをあげていた。


「下がりなさいルシア!」

 すかさずアルトはルシアに絡めていた魔素の糸を引き寄せて彼をグリモワールの側から離脱させる。


「どうした小僧、その剣は何度でも復活するのではなかったのか? 余の魔素を少々送り込んだ程度で壊れるとは不甲斐ないにもほどがある。まあ木っ端の命が余に歯向かったのだからむしろ賞賛を送るべきだろうが、やはり期待などするものではないな」

 自らの腹部に突き刺さった魔聖剣の先端をつまらなそうに引き抜きグリモワールは嘆息する。


「ルシア、ルシア!」

 アルトは引き寄せたルシアに必死に声をかける。


「うるせえアルト。まだ死んでねぇし、まだ戦うぞ」

 激痛でほんの一瞬だけ気を失っていたルシアはすぐに立ち上がり、自身の傷だらけの右腕を一瞥する。彼の腕は内側から破裂したように痛々しいほどの血が流れ続けていた。


「アルト、血を止めてくれ、すぐにだ」


「それは、わかったけど。まだ、戦うの?」

 ルシアの右腕に触れながら、アルトは心配そうに彼を見上げる。


「当たり前だろ。アイツを殺さなきゃいけねえんだから」


「……イリアの、ため?」

 アルトは小さくつぶやき、ルシアの右腕を彼女の魔素で念入りにコーティングする。外側から強引に圧迫を加えたことで、一時的にではあるものの出血は止まった。彼女の瞳が、かすかに震える。

 

「わかりきったことを聞くな」

 ルシアは、右腕の簡易的な治療が終わったのを確認して再びグリモワールへと一歩踏み出す。


「お前を、こんなつまらないヤツの心臓にするわけにはいかねえだろ」

 ルシアは大きく深呼吸をする。肺の内にありったけの魔素を吸い込んで、それが心臓の魔石を通して劇薬のような魔力に変換されるのを知覚する。

 生まれた時から魔奏紋を有する魔法使いたちでさえ、魔力を正確にコントロールするには10年近い時を必要とする。しかしルシアはその天才的な魔素をコントロールする才能を応用してたかだか半日で魔力を自身の支配下においていた。


「肉体の強化に3割、魔銃の燃料と弾丸の強化に4割、魔聖剣の強化と維持に3割ってとこか」

 ルシアの右手には再び砕かれたはずの魔聖剣が復活していた。

 左手の魔銃ブラックスミスも彼が精製した魔弾が充填されており、それが火を吹く瞬間を待ちわびている。


「その剣、小僧の右腕ともども粉々に砕いたはずだが本当にまた復活するとはな。なるほど、カタチだけとはいえ余と戦いを演じるとは見事。ならば絶対なる力をもって応えてやるのが礼儀であったか」

 グリモワールは何かに納得したように一度瞳を閉じ、次に目を見開いた時には彼の表情から慢心が消えていた。

 その心情の変化に呼応するように彼は中空へと浮かび上がる。


「ちっ、アルト、オレは空は苦手だ。だから足場作り頼むぞ」


「……任せて」

 アルトはどうにかその言葉を絞り出す。本当は、もういいと彼女は言いたかった。素直に諦めようと言葉にしたかった。一緒に逃げて、そう言いたくなるほどに魔天を統べる王の名にふさわしい目の前の男は絶望的な存在だった。


 だが、ルシアはその足を前に進めることをやめはしない。アルトはせめてルシアの気持ちに応えるように、彼の前に魔素で構成された足場を作っていく。


「銃倉全開、魔力充填。ブラックスミス、応えてくれよ」

 自身の武装を確認し、飛翔するようにルシアは空へと駆けあげる。


 巨人を相手に小さな針ひとつで挑むに等しい無謀な行為、しかしそれをグリモワールは無様とは嗤わなかった。



 ──────たとえ、どんな結末になるか分かり切っていたとしても。



 わずか数分、激闘とも呼べない応酬の末、魔人ルシアは空から地上へと叩き落された。



「ぜぇ、ぜぇ。……クソッ」

 動かない手足で、彼の瞳だけはいまだ天をにらみつける。


「見事であった。きちんと子供は遺してきたか? 魔天統べる余を前にして戦いと呼ぶに値した今のひと時、子々孫々にわたって語り継いでよい武勲である」

 邪王グリモワールは彼にとっての純粋な賛辞をルシアへと送る。絶対的強者であるグリモワールに一介の魔族にすら劣る弱者の少年が挑んだこと、何もなせず死ぬとしてもそれ自体が何物にも勝る栄誉だと。


「ルシア! 生きてる!? っ、身体ボロボロじゃない」

 アルトは地上に落ちたルシアに駆け寄り、彼の身体がすでに戦える状態でないことがすぐに見てわかった。彼女は自身の内側から湧き上がる怒りを抑えきれず、グリモワールを呪い殺しかねないほど強くにらみつける。


「勘違いするなよ娘、その男がボロボロなのは余が与えた傷だけが理由ではない。恐ろしい話だがな、そやつは自身の内側を力の激流でボロボロに崩しながら余と戦い続けた。そうでもなければ魔王ですらない男が余とカタチだけでも戦えるはずがない」


「そんな、自身の内側って、本当だ、ルシアいったい何をしてたの!? 内臓も血管も、ほとんど壊れてるじゃないっ!」

 アルトはルシアの身体に触れて内側を彼女の魔素ですぐさまスキャンし、彼の身体がどれほどズタボロになっているかを知り思わず涙を流す。


「そりゃな、心臓に魔石を埋め込んで、即席の魔法使いってヤツになってんだからいくらか無理はする。いや、オレの場合は魔法は使えねえから魔力使いか。ったく、本当化け物だよエミルって女、こんな力を自分の内側に流して平気な顔してんだからよ」


「魔石を埋め込むってなんでそんなことアンタが!? そうか、ジェロアの仕業ね。なんであんなヤツを頼ってまでこんなこと」

 アルトはすぐさまルシアに改造を施した犯人に思い至り、呪い殺しかねない怒りが彼へと向かう。


「キレんなよアルト、お互い様だろ? オレはあんな奴の世話になってまで生き延びようなんて思ってなかったんだからな。なのにお前はアイツに頭下げてまでオレを生かそうとした。ホント、余計なお世話だよ。…………ありがとう」

「───────ルシア」

 ルシアは身体をどうにか半身起こしてアルトを左腕で抱きしめた。

 それは、魔天にそびえるグリモワールから彼女を守るように。彼には、それ以上にできることがもはやなかったから。


「ふむ、美しい、価値のある見世物であった。アルト・ヴァーミリオンよ、そこの男を刻むと口にした余の発言は撤回する。貴様たちは二人とも我がうちに取り込む、多少の不具合は余も許容することにしよう」

 それが決定事項だとグリモワールは二人へと手をかざし、大量の魔素が彼らを包み込むように広がっていく。


「ふざけないで! 私たちはアンタなんかのモノになんかならない!!」


「どれほど気丈に振る舞おうと手遅れである、もはや貴様たちの力量でできることはなにもない。大海に飲み込まれる川のごとく、静かに余の一部となるがいい」

 グリモワールの言葉とともに広がった漆黒の魔素がアルトとルシアを中心に収束していく。

 逃げ場も、勝機もどこにもなく、もはやこれまでと二人が瞳を閉じて互いを強く抱きしめ合ったその時、


「それは困る。大魔王の復活は魔神以上に我が国ハルジアにとっての脅威となるからな」

 聞こえるはずのない声が、静かに響いた。

 同時に鳴り響く爆撃音。次の瞬間には複数の剣がグリモワール・ペンテレジアを貫いていた。


「!? ガハッ! 何事だ。余を貫くこれは!?」

 グリモワールが視線をやった遥か先、そこには一人の男、いやその彼が率いる一軍が存在した。


「こちらの世界に聖剣は存在しないようだな。紛い物とはいえ十分に効果を発揮している。それにしてもあの賢者も随分と曖昧な情報をくれたものだ。おかげで到着が半刻もずれてしまった」

 重く、荘厳な声が響く。

 現れたのはハルジアの賢王グシャ・グロリアス。


「さて、貴殿を放置すると我が国に被害が出るのは明白。ここで駆逐させていただく、朽ちた王よ」

 ルシアと同じ蒼い宝石のような瞳を光らせて、人の王が邪王に挑まんとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る