第343話 覇国の武王ファーヴニル・ディストピア②
ファーヴニル・ディストピアによって顕現した巨大な魔国の中央、その玉座にて彼は思索にふけっていた。
「──────ふむ、もしかするとあの小娘を完全に殺してしまうのは不味いか?」
彼の眼前には魔素によって構成されたモニターが紅き英雄ラクス・ハーネットの様子をリアルタイムで伝えてくる。
彼女は広大な魔国の中で膨大な数の影のヒトガタ、ファーヴニルに魂を支配された国民たちを相手に戦い続けていた。
ラクス自身がいかに強いとはいえ多勢に無勢、何千もの影と戦う内に彼女の鎧は欠け名刀、名剣のたぐいも次々に限界がきて壊れていく。
さしもの彼女も息が上がり、少しずつ流れる血の量も増えていた。
「今回、私は小娘を殺すことを目的にあの魔神の内側から解き放たれた。その目的を果たしてしまえば再び魔神に取り込まれてしまうのが必定か」
ファーヴニルはモニターを漠然と眺めながら考えをまとめ続ける。
その画面の先で自身の民がどれほど殺されようと、それを遊興のひとつと愉しみながら。
「業腹ではあるが、一度取り込まれた身で再び魔神に挑もうと結果は同じ。ならば此度手に入れた自由、上手に引き延ばしてみるか。ならばあの娘を殺すのではなく、私の民のひとつとして取り込むのが最もよい選択かな」
そう彼が呟いた時、モニターの先でラクスが背後から斬りつけられる。
その場面を見て、ファーヴニルは少しだけ冷や汗をかく。ラクスが即死でもしてしまえば彼の自由時間はすぐにでも終わってしまうからだ。
しかし彼女は健気にも立ち上がって、取り囲む影を謎の袋から取り出した新しい武器を全力で振るって一斉に殲滅する。
ラクスの取り出した武器が持ち主の体力を異常に消耗するものだったのか、彼女は肩で強く息をしてすぐさま別の武器に切り替えた。流れ続ける血の量は増えていたが、ラクスは再び袋から小瓶を出して中の液体を一飲みして瞬く間に体力を回復させる。
「ほう、きちんと回復の手段も備えているな。なら安心だ、民には頭と心臓を狙うのは避けるように命令しておくか。ふふっ、疲れ果てた小娘の手足を潰して標本にでもすれば私の自由は確約されたも同然だ」
ファーヴニルは巡らせていた思考を完結させ、空を見上げて悦にひたる。
どこまでも暗く、濃密な魔素が漂うディスコルドの空。彼は片手に黒い杯を取り出して、そこへ空に満ちる魔素をひたすらに集め、凝縮させた一杯の漆黒の液体を作り上げる。
これは戦を愛するファーヴニルにとっての最高の愉しみ、彼の盤面の上で戦い血を流し続ける戦士を眺めながら極上の魔液を飲み干す。
一介の魔族では触れるだけで死に至るほどの超濃密な魔素。それを彼は味わい深くその舌と内腑で堪能していく。至高の酒などでは遠く及ばない刺激と酩酊、彼は恍惚とした表情で活きのいい戦士のあがきを眺めていた。
赤い髪を必死に振り乱しながら血を流し戦い続ける美しい女戦士。彼の持つ長い戦いの歴史の中でもこれほどの上物は記憶に見当たらないほどだった。
「……よい」
口寂しくなったのか再びファーヴニルは魔酒を精製してのどを潤す。
毒液にも等しいそれが、彼の血液中を巡って優れた大魔王としての肉体をさらに強化していく。狂気に満ちたその過程をファーヴニルは愉悦と酔狂の中で満喫していた。
なにせ目の前で戦い続けるのは最高の肴。ついつい最上の魔酒が進むのも彼にとっては仕方のないことであろう。
「………………ヒクッ、意外にも、粘る、ものだな、よい、よい。ん? また杯が空になったか。それも良い、これほどに魔酒を味わえることも今までなかった。さて、我が魔国の一部でも攻略できたか、小娘は?」
彼は気づけば16杯目の魔液へと手を伸ばしていた。
酩酊し、トロンとした目で女戦士の戦いを眺める。どれほどの時間が過ぎたのか、彼女の鎧は何度も壊れてストックが切れたのか今ではほとんどの素肌をさらしたままの姿で戦いを続けている。手にする武器もいくつも壊しながら品を替え続け、彼女、ラクス・ハーネットは既に魔国の
「ブフーッ」
ファーヴニル・ディストピアは思わず口にした魔酒を吹き出す。
「ハッ? 何事!? いつの間にこんなことになっている!?」
理解不能な出来事に彼は驚愕し取り乱す。
「遊びが過ぎたか? いやしかし、それ以前に我が国土、我が民の8割以上の物量をどうしてたった一人の人間が凌駕できるというのだ!」
ファーヴニルは一瞬で酔いがさめたのか、顔が真っ青になりモニターを覗き込む。残された彼の魔国の領土は彼の玉座が鎮座する魔城を含む2割程度のみ。
「それ以前になぜここまでの破壊が可能でありながらこんな回りくどい真似をする? 一直線に我が城まで向かってくればよいだろう」
モニターの向こうから声が聞こえる。
『あ、やっと大当たり引いたよ“国崩し”の大星剣。これなら結構いいとこいくんじゃない?』
画面の向こうのラクスは疲労を感じさせない笑顔を見せ、モニター越しのファーヴニルと視線があった。
ファーヴニルはゾクリと背筋に死神が這いよるのを感じ取る。
『王を灰に、国を塵に、無人の荒野なる汝こそが美しい。星剣ラグナロク!!』
ラクスの起動キーとともに莫大なエネルギーが剣から放出され、魔国に残った2割の区画をわずか一瞬で葬り去った。
ファーヴニルの居城すらも外郭から崩壊していき、彼の玉座以外は彼女の言葉通りの荒野と化す。
「お、引きこもりの大魔王を発見。あ~、結構疲れたわ──────アナタの国を全部壊すの」
ラクスは凄絶な笑顔とともに先ほど大破壊をしてみせた国崩しの星剣を肩に担ぐ。しかし剣はその役目を果たしたとばかりに粉々に砕け散った。
「あっちゃ~、壊れちゃった。極上レア武器だったのになぁ。なるほど、これって使えば壊れる系のやつだったんだ。まあこの威力を考えたら当然といえば当然だけど」
ラクスは壊れ朽ちた剣の柄を惜しげもなく放り捨てる。今の彼女にとっては、それ以上に優先すべきことが明確である証に。
「散財、散財、大散財だよ。私の袋の中の武器、防具、回復アイテムのほとんどを使い切っちゃった。─────ああ、これが最後のエリクサーだっけ?」
彼女は袋から謎の神秘的な瓶を取り出して一息に飲み干す。すると当然のように彼女の肉体は全快の兆しを見せる。
今ここで向き合うのは、裸同然までに装備を壊し尽くしながらも体力全開の英雄と、国と民を完膚なきまでに破壊された丸裸にされた魔王。
「ハ、ハハハ。なんだお前は、なんなのだお前は? 何故私の国を壊せた、何故執拗に全てを壊した!?」
「え? だって、アナタを殺すってこういうことでしょ? アナタが心のよりどころにするもの、アナタが支配する無辜の人々の魂、その全部を壊して解き放つ。そうしないとファーヴニル・ディストピア、アナタを完膚なきまでに殺したなんて言えない」
紅き英雄の高潔な瞳が、覇国の武王に絶対なる敗北を突き付けていた。
「本当になんなのだお前は? 王たる私に単身で挑むなど、英雄気取りもいい加減にしろ!!」
目の前の得体の知れない女にファーヴニルの声はどこか震えている。
「あら、おあいにく様。私は英雄気取りじゃなくて本物の英雄だから、お子様ヒーローみたいな中途半端なことはしない。敵の命は最後まできっちりと刈り取るわ」
その言葉とともにラクスは袋から巨大な剣を取り出す。星剣アトラス、彼女がもっとも頼みとする星砕きの剣。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!! た、戦えば私に勝てる思うその思い上がり、大魔王を、この覇国の武王たるファーヴニル・ディストピアを舐めるな!!」
対するファーヴニルもその手に自身の魔剣を顕現させる。
斬りつけた者の肉体も精神も魂すら持ち主の自由にする支配の魔剣。
「こ、この魔剣でほんの少しの傷がつくだけでお前はおしまいだっ。我が民は殺しつくされたが、お前を人形にすればさぞ優秀な兵になるだろう。そしてお前を孕ませ、一族を増やし、また再び我が魔国を作り上げてみせるっ!!!!」
冷静さを失ったファーヴニルは狂ったかのようにラクスへと突進していく。
「はぁ、最期に地金をさらしてくれてありがと。実は立派な人でしたとかいうオチがつかなくて嬉しいわ」
ラクスは嘆息して棒立ちのままファーヴニルの魔剣の一撃を受け入れた。
彼女の肩口に食い込んだ剣は、骨を断ち切ることはなくとも微かな血が流れる。
全力の一撃であったのに傷が浅いことがファーヴニルにとって屈辱ではあったが、これで彼の目的は叶い、英雄ラクス・ハーネットはファーヴニル・ディストピアの奴隷人形になる、はずだった。
「────本当、つまらない男。そんな短くて小さいのじゃ、私は何も感じないわ」
ファーヴニルはゾクリとするほどのラクスの軽蔑のまなざしを間近で浴びる。
「な、何故だ。どうして貴様に自由がある!? 何故私の支配がお前には届かないっ!?」
目の前の女はファーヴニルにとって不理解にもほどがあった。
「そりゃ私だって乙女ですから、どうでもいい他人に心はそう簡単に触れて欲しくないもん。魅了を含む精神支配を拒絶する装備は肌身離さずつけてますとも」
そう言ってラクスはゆったりと星剣アトラスを大きく振りかぶる。その間際、彼女の手首のブレスレット、魅了避けが微かに煌めいた。
「ハ、ヒ、嫌だ、嫌だ、死にたくない死にたくないぞ私はっ!!」
自身の死の直感が働いたのか、ファーヴニルは無様にも魔剣を捨て地面を転がりながらもラクスから距離を取って逃げ出した。
すでに彼は星剣の間合いから遠く離れている。しかしラクスはそれを追いかけるそぶりもなく、星剣アトラスの起動キーを静かに告げた。
「たとえ私は愚かでも、その高みに手を伸ばさずにはいられない。────起きろ、星剣アトラス!!」
ラクスの言葉とともに、わずか一瞬で星剣アトラスは雲にも届かんばかりに巨大化した。
アトラスの超重量がラクスの肉体を押しつぶさんとするも、彼女は真っ直ぐに殺すべき敵を見据えていた。
「国ってものは、そこに住む人ってものは、この剣よりもずっとずっと重いモノでしょっ。その重さも知らないヤツが王を名乗るなっ。人の期待も、人の命も、一度背負えばもう十分ってくらいに、すっごく重いモノなんだから」
そう口にした彼女の顔は、まぎれもなく英雄のそれだった。
「い、嫌だ、嫌だ、嫌だ!!」
ファーヴニルはラクスからはもはや遠く、しかし巨大化した星剣アトラスの間合いから逃げ出すにはすでに遅い。
「アナタが手にした国の重さ、ほんの少しでも味わってみたら?」
彼女の言葉とともに超重量が振りかざされ、ファーヴニル・ディストピアに向けてその剣撃が加速して落ちていく。
「嫌だ、私は死にたくなっ──────」
それはまるで流星が落ちてきたかのように、大爆撃の轟音とともに覇国の武王ファーヴニル・ディストピアは彼がこれまで弄んだ命の重さを知って絶命した。
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