第339話 覇国の武王ファーヴニル・ディストピア①

「ちょっと~、なんか飛ばされたのは分かるけど。なんで私ひとりだけなの~? せっかく久しぶりにパーティーが組めると思ったのに~」

 ディスコルドの大陸のとある場所、開けた平原にて紅き英雄ラクス・ハーネットが不満を大声で叫んでいた。


「私も驚きだ、まさか覇国の武王たるこのファーヴニル・ディストピアに与えられた役割が小娘一人を殺すことだけとは。実に不愉快、実に無駄極まる采配だ」

 対してラクスから少し離れた場所で謎の豪奢な椅子に座り、ファーヴニル・ディストピアを名乗る男も本当に不愉快そうに彼女をねめつける。


「あら、そちらの魔族の人も不満があるみたい。でも安心していいですよ、私こう見えてお相手を満足させなかったことなんてないんだから」

 不満を吐き出してそれなりにすっきりしたのか、ラクスは唇の端を妖艶に釣り上げて男を誘う仕草をする。もちろん戦闘の意味で。


「はて、君程度の小娘がとても私を満足させられるとは思えないが? 仮に君の言う通りなのだとしたらそれは今までの相手が軟弱過ぎただけだろう。私が求める戦いとは国と国との強大な力同士のぶつかり合い、そこで散る多くの命こそが我が無聊の慰めになるというのに」

 ラクスの誘いにも非常に憂鬱そうな顔でファーヴニルは嘆息する。


「ふ~ん、もしかすると他人にだけ戦わせて自分は高みの見物をしているタイプ? もしそうなら私の趣味とは合わないかな。いやまあそういう安全圏でふんぞり返っている連中を叩きつぶすのは凄く好きなんだけど、もうご対面しちゃってる状況だしねぇ」

 ラクスは一瞬だけ軽蔑するような視線を送るも、現在が既にタイマンの状況である以上は文句をつけるべきところがないと考え直す。


「まさかとは思うが娘、私と対等に剣を交える気でいるのか?」

 ファーヴニルはラクスの戦意に気づき、驚きで目を見開く。


「え、そのつもりだけど。状況的にアナタを殺さないと元の場所に戻れないんでしょ? 自力で戻ってもいいけど、さすがに時間かけすぎたらイリアちゃんたちは無事でいないだろうし。私もあの子たちに死なれたら嫌な気分になっちゃうからね」


「そこが不理解である。なぜ私を殺せるという発想が出てくるのか。もしやハルモニアという世界の生き物は知能が足りていないのか? 知性と品性が不足していることは娘を見てすぐにわかったが、まさかそもそもの頭の機能が十全でないとはな。ふむ、これでは殺すのも憐れに感じてしまう」

 覇国の武王ファーヴニル・ディストピアは本当にかわいそうな生き物を見るような目をラクスへと向けていた。


「よ~し殺す。ありがたいことに私の方は良心の呵責とかどっかに飛んでいってくれちゃった。兵隊がいないとは言ってもアナタもそこそこに強いんでしょ? 真っ当に殺し合い、始めましょ」

 ラクスは腰元にある袋に手を突っ込み、そこから当然のように名剣の類の武器を取り出した。


「え~とコレなんだったっけ? ああ持ち主の筋力を2倍にするヤツだ。まあ普段使うことないしここで使っとこうかな」

 使用する武器を定め、ラクスはファーヴニルに向けて構えを取る。

 彼が武器を用意、もしくはなんらかの攻撃の予備動作をした時点で戦闘を始められるように。


「それなりに戦いの経験はあるようだが、ますます憐れである。我はファーヴニル・ディストピア、ディスコルド最大の国を保有し、そこに存在する臣民全てを支配する覇国の武王である」

 ファーヴニルが無造作に右手を前に突き出すと地面から次々と影が起き上がってラクスを囲み始める。


「え、なにこれ? 魔素で構成された、兵隊?」

 突然のことに言葉は戸惑いながらも、ラクスは容赦なく手にした剣で近づいてくる影を片っ端から斬っていく。


「言ったはずである、我が臣民だと。私の国に兵隊などというモノはいない。いや違うな、我が国に存在する全ての命、それら皆が私の力そのものである」

 彼が言葉を口にするその間にも物凄い勢いで地面から影絵のようなヒトガタが現れてラクスを襲う。


「ちょっと、なにコレ。さすがにキリがないんですけど! ちょっと武器選び失敗したなぁ、筋力強化だけじゃ魔素で構成された相手には効果が薄かったや」

 ラクスは少しずつ後ずさりながらもすぐさま手にした剣を袋に戻して、次の瞬間には別の武器を取り出していた。


「え~と確かこれは『影殺し』だったはず。う~ん、多分当たりじゃない?」

 手にした武器を見てラクスは喜々とした表情を浮かべて、再び迫りくる影たちを斬り倒していく。

 すると先ほどまでは手応えの弱かった影たちがウソのように、ラクスに切り裂かれるたびに消滅していった。


「ほう、これは驚きだな。魔素に対する特別効果か? もしくは影という概念に対する特攻もありえるな。だがこれはこれで悪くない。少しは戦らしくなってきたではないか」

 ラクスが思いのほか戦えていることにファーヴニルはわずかだが喜びを見せる。

 だがその反面ラクスの表情は少しずつ冷めていく。


「こんな影人形を作りだして戦争ごっことか、さすがにスケールが小さくない? 私はたいして面白くないから、こんな命のない影どもはさっさと消してアナタを殺すわ」

 手近な影を一通り消し飛ばし、ラクスはファーヴニルへと強烈な眼光を飛ばす。

 しかし、


「ん、命がない? 娘よ、何か誤解をしていないか?」

 ファーヴニルはラクスの致命的な勘違いを指摘した。


「え?」


「先ほどからキサマが消し殺している影どもはまさしく我が臣民。長い年月によりカタチこそ失えど今もなお魂を宿すであるぞ」


「え、いやちょっと、なにそれ?」

 ファーヴニルの言葉に一瞬だけラクスの剣『影殺し』が止まる。

 だがそれも一瞬のこと、英雄としての冷徹な思考回路はすぐさま彼女自身の生存を優先して襲いくる影たちを迷うわず斬り殺していく。


「ふむよいよい。命があると知った程度で止まるような戦士なら興醒めであった。我が臣民の数はこんなものではない、いくらでも力尽きるまで殺しつくしてみるがいい!」


「なにふざけたこと、言ってんの? そもそも自分の国の民でしょ? それがなんでアナタたった一人に好き勝手されてるわけ?」

 迫りくる影たちを処理、つまりは殺害しながらラクスはファーヴニルを問い詰める。


「それが強者だ、娘。魔素を支配することこそ強さの証。それは突き詰めれば魔素で構成される自身の肉体、さらには他人の身体すら支配することを意味する。だからこそ私が最強なのだ、自身の硬さを誇るアーデンや魔素の総量を誇るグリモワールとは格が違う。一国全ての命を支配できるほどの強さを手にした私、ファーヴニル・ディストピアこそがこのディスコルドの支配者に相応しい」

 両手を広げ、まさに支配者といった風格でファーヴニルは宣言した。


「最、低」


「まあ、同様の手段で魔神に取り込まれてしまったのが手痛い失敗であったがな。幸いながら一時的にでも自由を手にしたのだ。これを永続的にする手段をキサマを殺した後で考えるとしよう」

 もはやファーヴニルは腕をあげることすらやめていた。彼が腕を組んで高笑いを続けるだけで、とめどない影の軍勢がラクスを襲い続ける。


「アナタに当たったのが、私でよかった。イリアちゃんやアゼルくんじゃ、この剣が止まってたかもね」

 ラクスは心を平常に抑え続け、迫りくる影たちを容赦なく斬り殺す。

 そのたびに彼女には聞こえていた。


 生きたい、生きたい。


 死にたくない、死にたくない。


 助けて、誰か助けて。


 自身の肉体を支配されて、抗う声さえあげられない影たちの断末魔が、ラクスにはずっと聞こえていた。


 そして彼女は既に気付いている。

 彼女が斬り殺し続ける影たちの中には、女の影も、子供の影も含まれていることに。


 

 やめて、殺さないで。


 お姉ちゃん、やめて。



 十や二十では足りない。既に百に近く、このまま続けば千も万も越えていくだろう悲痛の声を前に彼女は、


「なんか、ゴメンね」

 そのひと言だけで、全てを斬り伏せる決意をした。


「ほう、本当に活きが良い。既に千人くらいはぶつけたつもりであったが、いまだ息が上がってすらいないとは」

 ファーヴニルは豪奢な玉座で、まるで見世物をながめるように頬杖をして哄笑をあげている。


「こんな気分は、久しぶりね。ファーヴニル・ディストピア、アナタは私が殺す」

 ラクスは『影殺し』の豪快な一振りで周囲の百体近くの影を斬り殺し、ファーヴニルへと剣を向ける。

 今度はただの殺意の表明ではなく、明確な義憤に基づく英雄の討伐宣告だった。


「そうか、それは良い。私も本気を出してお前を殺したくなったところだ」


「本気、見せてくれるの? アナタに1対1で戦う勇気があるなら最高だけど」

 ラクスはとくに期待は込めずに一騎打ちを申し込む。もしそれができるなら余計な無関係の命に手をかける必要はなくなるのだから。


「ふむ、1対1なのは間違いないな。まあキサマ一人に対して我が一国であるが、『顕現せよ王の棺……」

 ファーヴニルは無造作に手を挙げ、ある詠唱を始める。

 それはラクスもかつて聞いた言葉。魔王アゼルが魔城を顕現させる時に唱えたものと同じだった。


 途中までは、


「……その威容をもって我が王権を示せ。 ディストピア』」

 

 ファーヴニルが宣言したのは城ではなく国。

 彼の詠唱の完了とともに周囲一帯が瞬く間に変質していく。


「え、ちょっとなにコレ!!」

 ラクスの驚きはここへ飛ばされた時の比ではない。

 彼女は再び瞬間的に強制転移され、気がついた時には巨大な壁の扉の前にいた。


「コレってまさか、城壁じゃなくて国境の壁ってこと? 本当に国を顕現させたの!?」

 壁の扉は、まさに彼女を招きいれんと開かれている。


「ああ、これぞ我が魔国である。かつてありし我が栄光、我が生涯の象徴だ。そして今もなお魂持つ私の臣民が蠢く絶望郷。さあ女、私を殺したいのならここまで来るがいい。キサマの心の悲鳴を聞きながら、私はこの玉座で待つぞ」

 はるか遠くから不思議な力で届く魔国の王の声。


「はっ、国を引っ張り出すとか、本当、ふざけた男」

 その声を聞きながら、英雄ラクスは怒りと、真に強大な敵を前にした喜びで打ち震えていた。

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