第337話 世界征服
イリアとアゼルを除く全員がディスコルドの大地へとバラバラに転移させられ、彼らはたった二人で魔神アーシェと対峙しなければならなくなった。
「さて、では死ぬがいい。お前の放つ音は弱々しすぎて聴くにたえん」
魔神アーシェは再びアゼルたちへと手を伸ばし、虚空を握りつぶすように手の平を閉じた。
同時にアゼルたちを包むように驚異的な爆発が起こり、その内圧で彼らを縮殺せんとする。
だが、
「聞くにたえないのはこっちのセリフです! これ以上、アゼルを馬鹿にしないで!! スノウ・ベール!」
イリアの作り上げた結界がその行為を阻止していた。
魔素の干渉を拒絶する無垢結晶の波動によるバリア。聖剣アミスアテナを構えたイリアは怒り心頭の様子で魔神アーシェを睨み返す。
「なんだ、その技は。というかなんだお前は、今まで気付かなかったぞ。不思議だな、声はするのに無音とは。目の前にいるのに、お前からは何も感じない」
ここにきて初めてイリアの存在に気づいたかのように魔神アーシェは目を丸くしていた。
「随分と、失礼な人ですね。私はイリア・キャンバス。魔を斬り払うために生まれた勇者、今日ここで貴女を打ち倒す者です」
「言うではないか無音の乙女よ。さきほどの賢者といい貴様といい、ハルモニアの世界は理解できぬことが多いな。……まあ全て消し去るだけだが」
イリアが何者であっても構わないと、アーシェは再び攻撃のために手を挙げようとする。
「どうしてそうなるんですか!? 誰もがそれぞれの理由で、それぞれの想いで生きています。そんな人たちの人生を勝手に終わらせるなんてことはあってはいけないんです。その相手が、たとえ誰であっても」
聖剣を握る手が、かすかに震えた。
「ふん、よく口にしたな勇者よ。お前の音は聞こえなくとも、勇者とやらに殺された魔族の悲鳴くらいは私にも聞こえていたぞ。そのお前が言うのだな、誰であれその
わずかに魔神アーシェの口角が上がり、楽しい見世物が始まったかのような愉悦に顔が染まる。
その顔が語っている。イリアの言葉も覚悟も、ただの偽善で欺瞞だと。
「─────そうです。傲慢で、今さらなのかもしれません。ですが、貴女が身勝手にハルモニアに住む多くの命に手をかけるというなら、私は身勝手にも立ち塞がらせていただきます。この命と引き換えにしてでも」
イリアはその言葉とともに偽善と欺瞞ごと聖剣アミスアテナを強く握りしめる。
震えは、止まっていた。
「笑わせる、ゼロの命と引き換えに我を止めるだと? 随分と虫のいい話もあったものだ」
「なんだとテメエ!」
魔神アーシェの言葉にアゼルが激昂する。
「いきがるな魔王の出来損ない。今はまだ無音という楽譜だが、我にはそこの勇者の演目がそれほど長く続くようには見えないのでな。楽譜にピリオドが打たれたのなら、そこから先は無音ではなくただの『無』だろう?」
イリアの行き着く先を見通した魔神の言葉は、嘲るような、憐れむような声音だった。
「…………確認です。貴女に飛ばされた人たちは、エミルさんやシロナたちは生きてるんですね?」
魔神アーシェの声に応じることなく、イリアは仲間たちの安否の確認を優先する。
「自分の命よりも他人の無事が知りたいとはな、まあいい答えてやる。今はまだ全員生きている、だがほどなく死ぬ。なにせ連中が相手にしているのは、かの三大魔王なのだからな」
「な、三大魔王だと?」
「かつてこのディスコルドを三つに分けて争った実力者ども。この我ですら殺しきれなかった連中と戦うのだ、生き残る道理などどこにもあるまい?」
結局のところ他の仲間たちは死んだも同然だと、魔神は語った。
「親父ですら足元に及ばなかった連中の相手を、あいつらが?」
アゼルですらも、魔神の言葉に絶望の表情へと変わっていく。
しかし、
「──────ならよかった、安心です」
イリアだけは朗らかな顔で、その事実を受け入れた。
「安心、だと?」
予想外のイリアの言葉に魔神アーシェの片眉がピクリと上がる。
「知らなかったかもしれませんが、貴女が飛ばした人たちはみんな私より強い人たちです。私が誰よりも弱い。そんな私すら貴女は殺せないんですから、きっと三大魔王とかいう人たちも大したことありません」
静かに、だが強い確信をもって勇者イリアは告げた。
「イリア、お前」
その彼女の強さを、アゼルは眩しそうに見ている。
「弱い私をみんながここまで連れてきてくれた。誰も私に強くなれなんて言わなかった。だったら私はみんなを信じるだけ。だからアゼルも私を信じて、私はあんなヤツに負けないから!」
絶対なる魔神を相手にイリアは真正面から啖呵を切って聖剣を手に対峙する。
「は、はははははははは!! 面白い、面白いぞ娘! まさか無音の静寂に笑わされる日が来るとはな。ああ、悠久の時も生きてみるものだ。…………そして残念でもある、その機会は今日限りで終わるのだからな」
魔神アーシェはひとしきり笑った後に真顔となり手を天へと掲げる。
するとその上空で滞留する魔素が急速に渦巻き、極大の黒い球体へと変化していく。
「なんだアレは!? ふざけるなよっ、俺のアルス・ノワールの百倍の規模だぞ」
「赤子の児戯と比べるな阿呆。さあ無音の勇者よ、我を笑わせた褒美を受け取るがいい。『ダークネス・ノヴァ』」
彼女が腕を振りおろすと同時に暗黒の球体が大質量の星のように降り落ちる。
しかしイリアは黒き星に見向きもせず、手にする聖剣の刀身に手の平を当てて傷を作り血を流す。聖剣はイリアの血を吸い上げるように瞬く間に白銀から朱銀へと色を変えて輝き始めた。
「こんなことしたら、アミスアテナ怒るだろうな。…………怒って、欲しいな。うん、だからもう後のことは考えない!」
イリアは天を見上げ、彼女自身の血液を吸い上げた聖剣アミスアテナを振りかぶり、
「
朱銀の極光にて黒き極星を打ち迎えた。
超重量の密度とともに降下する暗黒の星。
この世界の理において、絶対的な魔素の凝縮体を前に対抗する手段など存在しない。
だが、
「はぁぁぁ!!」
イリアの気迫一閃の奥義は、魔神の
「────ほう、これは。さすがにもう笑えはしないな」
魔神アーシェはイリアを真剣な眼差しでとらえ、ここへきて初めて
しかし、今のイリアの技に驚愕したのは魔神アーシェだけではない。
「イリアお前っ、今のは自分の血を使う技だろ!? しかもアミスアテナがもういないのに今の威力、どれだけの血を使ったんだよ?」
「えへへ、すごいでしょアゼル」
イリアの身体を心配するアゼルに対し、彼女は苦しさなど一切見せない笑顔で応える。
「こんな時に言うのもなんだけどねアゼル。私、今日が誕生日なの」
笑顔で、本当に曇りのない笑顔でイリアは言った。
「誕生日って、お前」
そのキーワードに、アゼルはかつてリノンに言われた言葉を思い出す。
イリア・キャンバスは、次の18歳の誕生日を越えられないという予言。
「だからね、アゼル。この戦いが終わったら、ご褒美ちょうだい?」
この一瞬のみ、勇者は一人の少女に立ち戻る。
「は、ご褒美? お前何言って、──────────いや、なんでも言ってみろイリア。お前が欲しいモノはなんだってくれてやるし、お前が何か望むなら俺が必ず叶えてやる」
この一瞬、アゼルは魔神がすぐそばにいることすら忘れ、目の前の少女の言葉に全神経を傾ける。イリアが願うのならそれを何でも叶える、絶対の覚悟を胸に抱いて。
彼女が生きたいと願うのなら、世界の全てすら敵に回す覚悟で。
「え~とね、アゼル。私、世界征服がしたい」
だが、イリアの口から出てきたのは突拍子もない願いだった。
「は? お前いったい何を」
意味が理解できずに、アゼルは思わず聞き返す。
「私ね、いい子でいることに飽きちゃったの。だから今度は悪いことがしてみたいなって」
無垢な子供のように、少女は一切悪びれることなく言った。
「いや、だけどお前っ」
「私の願い、アゼルが叶えてくれるんでしょ? …………この願いが叶うまで、ずっと一緒にいてくれるんでしょ?」
イリアは、一生かけても手の届かない星を見つめるようにアゼルを見ている。
そこでようやくアゼルは気付く。彼女は絶対に叶わない願いだから、それを口にしたのだと。
善良な彼女では一生涯届かない願い、だからこそそれを
そして同時に、その願いを口にするということは、勇者イリアが自身の命の限界を理解しているということでもあった。
「──────ああ、わかったよ。俺からお前へ、初めての、誕生日プレゼントだしな。それくらいのことは、叶えてやるさ。なんたって俺は、魔王、なんだからな」
アゼルは溢れくる涙を必死にこらえ、この戦いの果てにあるあらゆる結末を、覚悟した。
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