第334話 不協世界ディスコルド

「お前たち、それじゃあこれからディスコルドに行くぞ。おいリノン、このゲートをくぐればいいのか?」

 魔族領域アグニカルカの主城ギルトアーヴァロンの最奥の大魔王の間、魔界ディスコルドとつながる巨大な漆黒の門の前で魔王アゼル・ヴァーミリオンは集った仲間たちに確認する。


「ああそうだね魔王アゼル。ハルジアにあった門と違ってこっちは封印されていない。行き先はディスコルドに固定されているから突然変な場所に転移するおそれもないよ」

 アゼルの問いに大賢者リノン・W・Wはこれから危険な場所に赴くとは思えない飄々とした声で答えた。


「だったら問題ない。魔神を、俺たちのこの手で打ち倒す」

 そのアゼルの掛け声をきっかけに打倒魔神のため、魔王アゼル、勇者イリア、魔法使いエミル、人形剣士シロナ、大賢者リノン、英雄ラクス、次期魔王アルト、魔人ルシアの八名がディスコルドへと向かう門をくぐっていった。


 全員が門の奥の歪曲した空間へと踏み込むと彼らは飲み込まれるように加速して、振り返るとすでに大魔王の間ははるか遠くに見えなくなっていた。


「すごい技術だな、いったいどうなってんだか。それに、なんか変な感じだ。歩いているわけじゃないのに、動かされているというか」

 アゼルは初体験の感覚に驚き、落ち着かないようだった。


「その表現で正しいよ魔王アゼル。本来はとても離れているディスコルドまでの長大な距離をわずか十数分で到達してしまうほどにショートカットしているわけだからね。この転移において僕らの努力はとくに必要ないさ」

 リノンがソワソワしているアゼルに落ち着いた様子で答える。


「それならば、拙者たちに必要なのは心構えの問題だけでござるな。この転移が終わった直後に魔神と戦闘になる可能性もある」

 人形剣士シロナは帯刀する二本の聖刀、『凛』と『翠』の柄へと手を添えていつでも抜刀できるように臨戦態勢へと移行している。


「うん、そうだよねシロナ。アゼルのお父さん、大魔王アグニカが作ってくれた時間と状況を私たちが無駄にするわけにはいかないよね」

 シロナの様子に呼応して勇者イリアも自身の聖剣へと手を伸ばす。いまやひとりでに喋りだすこともなくなった聖剣アミスアテナへと。


「イリア、遅くなったけど貴女とその聖剣に感謝を。お祖父様があれだけの力を最期にふるうことができたのも、あの湖の乙女が大魔王アグニカの魂のくさびを解き放ってくれたからよ。彼女は貴女にとっても大切な友達だったはずなのに、本当にありがとう」

 そんなイリアに、アゼルの娘、次期魔王でもあるアルト・ヴァーミリオンが深く頭を下げていた。


「頭を下げなくていいよアルト、だって私が何かしたわけじゃないんだし。あれがアミスアテナの望みでもあったんだから、私が何か言うことじゃないもん」

 アルトの言葉にイリアは寂しそうに笑う。


「でもあれだね、友達に友情より愛情を取られるってこんな気持ちなのかな? 笑顔で送り出したいはずなのに、寂しいって思っちゃう」

 アミスアテナとの別れを思い出してイリアの表情が少し沈む。

 それを見てアルトはイリアを元気づけるためか軽く彼女の背中を叩き、


「……さあ、どうなのかしらね。私の友達はイリアしかいないから。しかも愛情どころか父親を取られてるわけだし、正直一般的な感情とは比べづらいわ」

 冗談めかすように、洒落にならない切り返しをした。


「うっ、それは、本当に、なんとお詫びをすればいいか」

 アルトの発言にイリアもギョッと固まって、恐縮そうに頭を下げる。


「いいわよ、悪いのはお父様なのだし。あらゆる責任はあの人にとってもらいましょ。もちろん、魔神との戦いに勝ったあとでね」

 お互いに頭を下げ合ったことでよしとしたのか、アルトはそれなりに満足そうに会話を切り上げた。


「ふ~ん、それはまあいいんだけどさ。イリア、アミスアテナの抜けた聖剣は性能的に大丈夫?」

 そこへ、先ほどまでの気まずい会話をまったく気にしない態度で魔法使いエミルがイリアへと質問する。


「あ、聖剣の力ですか? え~とどうでしょう、使ってみないとわからないのが正直なところだと思います。聖剣として機能しているのは間違いないはずですけど」

 エミルの言葉でイリアは改めて自身の持つ聖剣の状態を確認する。


「あのさぁ、イリア」

 そのある意味でのんきな様子にエミルは珍しく不満そうな顔をしていた。それは、勇者の聖剣の状態が万全でないということは彼らの生死、何よりもイリアの生死に深く関わるからこそ。


「まあまあ、エミルくんの心配はわかるけど、今どうにかできることでもないだろ? もちろん聖剣から湖の乙女一人分の無垢結晶が消失しているわけだから、どこかしこに影響が出ていてもおかしくない。でもアミスがその身を投げ出していなければ今の状況もないわけだから、そこは仕方ないと諦めるしかないね」

 エミルの不満げな声音に気づいたのか、リノンが会話に混ざってきた。

 そこへさらに面白そうな空気を嗅ぎつけたのか英雄ラクスも近寄ってくる。


「なになにどうしたの? イリアちゃんの剣の調子が悪い? 大丈夫大丈夫、武器が足りないなら私がいくらでも貸すし、なんならラクスお姉さんが余分に張り切っちゃうからそんな不安そうな顔しないでイリアちゃん」

 ラクスは陰鬱さなど吹き飛ばしそうな陽気なオーラを放ちながら、聖剣を改めて不安そうに眺めるイリアの肩をバンバンと叩いた。


「あいたっ、ラクスさん痛い、痛いですっ」

 本当に痛かったのか、イリアは涙目でラクスに訴える。


「あれ、ゴメンねイリアちゃん。加減したつもりだったけどなぁ」


「まったく、キミはもう少し空気を読むことを覚えなよラクス嬢、もちろん僕が言えた義理ではないけどさ。一応キミが持つ武器やアイテムのほとんどは究人エルドラにしか扱えないし効果がない。だから間違っても武器や防具を人に貸したりしないでくれよ。その重さ負荷だけで死んでしまう」

 イリアとラクスのやり取りを見て、珍しく苦笑いしながらリノンが忠告を入れる。


「何よそれ、人を怪力ゴリラみたいに」

 そのリノンの言いようにラクスは不満そうに頬を膨らませていた。


「あながち間違ってない気もするがな」

 それらの会話を耳にしていたアゼルは思わず小さく同意する。


「まあそれはそれとして僕には効果があるから、僕がピンチの時は超高性能の回復アイテムとかじゃんじゃん使ってくれて構わないよ」


「──────はあ、そうね。アナタが死んだのを確認してからアレを使っておけば良かったって後悔したフリならしてあげる」

 リノンの軽口にラクスは表情が一転して冷たく、酷薄な笑みを彼に向ける。


「むむ、どうしてかみんな僕に厳しいよね。一応言っておくけど、僕の能力はキミたちの生命線だからね。僕が死んでしまうと本当にパーティーが瓦解するから注意しておくように」

 リノンは人差し指を立てて全員に向けて自分の重要性をアピールする。


「え、リノンはどうやっても死なないんじゃなかったの?」


「なんだ、その男は死なないのか? だったらそいつを盾にしてしまえばいいだろ」


「名案じゃなルシア。どれだけ痛めつけても死なない生きた盾なら魔神とやらもさぞ驚くじゃろう」


「いやいや、キミたちの倫理観に僕が今驚いているところなんだけど」


「無駄話はここまでだ、どうやら出口が近いらしい。ラクス、そこのヘボ賢者の首根っこ掴まえとけ、いつもみたいにひとりで安全圏に逃げられちゃたまらないからな。いざとなったらオトリにしてもいい」


「りょーかい! それじゃあ賢者のお兄さん、この美人なお姉さんとお手て繋ぎしましょうね」

 アゼルの言葉を受けてラクスはものすごい速度でリノンの手をがっしりと万力のような力で握る。


「ひぃ、こんなに寒気のする女性とのデートは初めての経験だよ。本当、みんなの理解の深さに涙が出てくるとも。…………ああ、でも本当に。誰も、手を離さないでいておくれよ」

 リノンは拘束された手を見て諦めながらも、真剣な眼差しで祈るように小さく呟いた。

 それと同時にアゼルたちの視界が大きく開け、彼らの前に広大な世界が現れる。


「これが、不協世界ディスコルド」

 いざ目の前にした新世界に、イリアは思わず感嘆の声をもらしていた。

 ゲートを通じて彼らがたどり着いたのは小高い丘だった。

 背後には大魔王の間で使用したのと同じ巨大な門がそびえているが、前をむけば黒い濃厚な魔素に彩られながらも、確かな存在感を放つ雄大な景色が広がっている。


 仄暗い森々、長く連なる山々。

 そこには何ひとつ文明の気配はなく、それゆえの原初の力強さが存在していた。


 そして何よりもこの世界を象徴するように、遠目からでも分かるほどに巨大な黒晶の神樹がディスコルドの世界中央に根を張っていた。


「あれはもしや、ハルモニアの神晶樹と同じモノでござるか? いやしかし、大きさは5倍以上もあるが」


「ハルモニアのそれはオージュ・リトグラフの影響によってその成長が止まっていたからね。本来であれば神晶樹もあれくらいの大きさになっていたはずさ」

 リノンは右手を望遠鏡のようにして遠方の大樹を覗きながら簡単な所感を述べる。


「ともあれ、今は樹のあるなしはどうでもいいことじゃろう。それよりも例の魔神とやらはどこじゃ? 近くには気配は感じぬが」


「あっちじゃねえのか、アルト」

 ルシアが指さす先には大地を抉ってできたような真新しい巨大な道が森の木々を押し倒しながらはるか彼方へと続いていた。


「これは、親父が殴り飛ばした魔城が通り抜けた痕か? 本当、とんでもない人だよな」

 父の偉業を目にして、アゼルは嬉しそうな、そしてどこか悔しそうな複雑な表情をしていた。


「もしかするとこの道の先まで魔神は吹き飛ばされたってことかな?」


「多分、イリアの理解で、あってるんじゃない?」


「やっぱりそうですか? よかった……というかエミルさん、顔色悪いですよ!?」

 イリアが振り向くと、最強の魔法使いであるはずのエミル・ハルカゼが非常にツラそうな表情をしていた。


「ん? 別に大丈夫、この世界はちょっと、魔素の濃度が濃ゆいから、少し酔ってるだけ」

 エミルは明らかに調子の悪い顔をしながらも、気にしないようにと雑に手を振る。


「おや、エミルくんに不調が見られるとか、これは想定外だね。病み上がりのようだし無理はしないでくれ、と本来なら言うべきところだけど、正直エミルくんの戦力を欠くのはかなりマズイ。無理を押して、戦ってくれるかい?」

 リノンも一応は心配そうな顔をしながらも、その口から出たのは酷な言葉だった。


「平気、だからリノンもそんな顔するなっての。そもそも戦わないとか、ひとことも言ってないじゃん。大丈夫、すぐに慣れるからアタシのことは気にしないで」


「エミルちゃんでもそんなにキツイことあるんだね。まあ確かに普通の人間なら一息吸うだけで死にそうな魔素の濃度だけど、魔奏紋さえあれば全部無害な魔力に変換できるし私はそんなに気にならないんだけどな」

 ラクスは腕に浮かび上がる魔奏紋を眺めながら感想を述べる。


「色々と規格外のお前と一緒にするなっての。いや、エミルだって十分規格外だろうけどな。まあこいつが大丈夫って言うならそうなんだろうよ。というか小僧の方こそどうなんだよ。お前、大魔王の間にいるだけでも苦しそうだったろうが」

 アゼルは後方にアルトとともに控える魔人ルシアへと気をむける。


「うるさい魔王、オレのことなど気にするな。別に苦しくなどないし、もし何かあってもお前にいちいち報告するつもりもない」

 だがルシアは当然のようにアゼルに悪態をついて返す。


「ああそうかよ。だったら俺から言うことは何もない。……せいぜいアルトから離れるなよ」

 アゼルも最低限の気は使ったと、とくに気にすることなく前方へと気持ちを切り替える。


「言われなくともそうする。……やっと魔石も馴染んできたところだ。何があっても、守るさ」

 ルシアは一応アゼルの言葉に応えながらも自身の左胸を軽く押さえ、小さく彼の決意を呟く。


「?? 調子が良いのはいいことじゃが、あまり気を張るでないぞルシア。弱い者が強き者を頼るのは当然のこと。お前はお前にできることをすればいいのじゃからな」

 そんなルシアの様子を不思議に思いながらも、アルトは彼女なりの気遣いの言葉を従者である彼に伝える。

 その軽く口にした言葉を後になって後悔するとも知らずに。


「さてさて、まあ結論としてみんなひとまず問題ないってことでいいね。それじゃあ大魔王アグニカが遺した道をたどって魔神のもとへと向かおうじゃないか。──ああ、それと大した問題じゃないけど、どうやらこの世界じゃ僕のチート能力は使えないらしいよ」

 皆の先陣を切って歩きだした大賢者リノンは、清々しい笑顔で何よりの大問題を口にしていた。

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