第330話 受け継がれるもの
およそ200年に及ぶ門の守護の果て、大魔王アグニカ・ヴァーミリオンは跡形もなく崩れ消えた。
「親父ぃ!!」
主のいなくなった大魔王の間にアゼルの悲痛な声が響き渡る。
「なんで、こんな。もっと、もっと話したいことがあったってのに」
膝をつき、悔しさで拳を床に打ちつけるアゼル。
「そう、だよ。アミスアテナ、私だってもっとたくさん話したいことがあったのに」
イリアも同様にアミスアテナを失った悲しみにくれている。
偉大な父親を失った魔王と生まれた時からともにいたアミスアテナを失ったイリア。
その場の誰もが、そんな二人にかける言葉がなかった。
「──さて、寂しい気持ちはもちろん僕にもあるけど、あいにくと二人の死を悼んでいる暇はないよ。大魔王アグニカが消失した今、彼の残した門の結界もしばらくすれば壊れてしまうだろう」
しかしそんな空気のなか、あえて大賢者リノンは口を開く。
「簡易的に封印結界を張り直すにしろ、一時的に門を閉じるにしても時間はいくらあっても足りないはずさ」
「うるせえリノン。……だがすまん、お前の言う通りだ。確かに俺がここでモタモタしていたら、何のために親父が頑張ってきたのかわからなくなる」
「そう、だね。悲しいのも苦しいのも、全部終わってからにしないと」
リノンの言葉によって立ち上がるアゼルとイリア。
しかしその瞬間、突然の激しい揺れが大魔王の間を襲う。
「な、なんだよこの揺れは!?」
「大魔王アグニカが亡くなった影響でござるか?」
「いや、違う。これは、壊されてるんだ! 彼の残した封印結界、本来ならばあと数日はもつはずのそれを、ディスコルド側から強引に破壊されている!」
リノンは片手に
「破壊って、誰がそんなことを」
「そんなの決まってるだろ、魔神さ。このままじゃ10分といわずに結界は壊される」
「リノンそれって、壊されたら、どうなるかな?」
「決まってるさ、その瞬間ハルモニア世界の終焉が決定する」
「な、そんなことわからないだろうが! まだ戦ってすらいない」
「わかるさ、本来こっちから奇襲をかけてようやく戦いができるかって想定だった。まさかあちら側からすぐさま攻めてくるなんてね」
「だったら門を今閉じるしかないのか?」
「それも手遅れさ。既に魔神は向こうの門を使用してこちらに向かっていて、その途中にある結界に足止めされている状態だからね。こっち側の扉を一枚壊すくらいわけないさ。信じられないことだよ、まさかここまで魔神が積極的にハルモニアへ攻め込もうとしてるなんて」
「おい、じゃあどうすれば」
あらゆる手段をリノンに否定され、途方に暮れるしかないアゼル。
その間にも門の向こうから結界が軋む音が聞こえており、まるでその音に魔神の声までもが乗っているようだった。
為す術のない絶望が音を立てて近づき、皆が息を飲んで緊張するその時、
「頼もう~!!」
大きく明るい声をあげて大魔王の間の扉を蹴り開けてくる者がいた。
「私の名前はラクス・ハーネット。道場破りならぬ魔城破りに参上いたしました。さあさあ大魔王、いざ尋常に勝負を、ってアレ? なんかそんな空気じゃないね。というか大魔王はどこ?」
現れたのは紅き髪をポニーテールにして重厚な鎧を軽々と着こなす快活な若い女性だった。
「お前は英雄ラクス! なんでここに!?」
「お~、アゼル君じゃん! 久しぶり~、君こそなんでここに、ってそりゃ魔王だから当然と言えば当然か」
ラクスはアゼルを見て嬉しそうに手を振っていた。
「ちょっとラクス、アンタが前に出ると余計に話がこじれる。アタシが話聞くから黙ってて」
するとラクスの後ろから、イリアたちの良く知る人物が現れる。
「え~、そりゃないよエミルちゃん。せっかく私がここまで連れてきてあげたのに」
「エミルさん!? 良かった、間に合ったんですね。いや間に合ってないかもですけど。というかなんでラクスさんと一緒に?」
「あぁ、実はウチの里で下手打ってね。死にかけてたとこをラクスに助けて貰ったの。なんかエリクサーとかいう薬を強引に飲まされてそれが苦いのなんのって」
「そんなに不味かったかなぁ。私には別に普通なんだけど。まあそういうわけで、他の里の人たちもそこそこ介抱して、エミルちゃんが動ける状態じゃなかったから私が抱えてここまで連れてきてあげたってわけ」
「仕方ないじゃん、ラクスの薬が効くの遅いし。ようやくさっきから歩けるようになったけど」
「だからぁ、私には超速攻で効くんだって。あと2つしか残ってない貴重品だったんだよ?」
貴重な薬を提供したことを喜ばれずに不満そうにするラクス。だがそれ以上に今の会話をリノンは驚いて聞いていた。
「なんだって? ラクス嬢の霊薬が、エミルくんに効いた?
彼女たちの発言が意外だったのかリノンは一瞬深く考え込むが、すぐに思考の優先順位を切り替えた。
「いやそれよりもせっかく二人が来てくれたところ悪いけど、僕らはただいま絶賛大ピンチ中なんだよね」
「大ピンチ? どうしたのさリノン」
「あと数分で向こうの世界から魔神がこちらに現れる。ディスコルドの生命全てを滅ぼした魔神がね」
「あ~、さっきから感じる威圧感の正体はそれかぁ。なんかヤバいなあぁと思ってここまで来たけど、ダンジョンに潜ってた時でさえこんなオーラを放つ敵はいなかったよ。断言してもいいけど、私でも普通に勝てないかな」
イリアたちを単独で圧倒した英雄ラクスでさえ魔神の脅威を感じとって緊張で額から汗が流れていた。
「ちょっとラクス、戦う前から諦めるなっての。と言いたいところだけど、確かにマズイね。仮に戦いになったとしてもその余波だけでも相当の数の犠牲が出るよ。……具体的に言うと最低でもハルモニア世界の半分の命は巻き込まれて死ぬと思う」
エミルも自身の直感を働かせて、
「いい読みだねエミルくん。正直な話、僕にはもう打つ手がない。もちろん僕たちだけの安全を保障することならなんとかできる。キミらが他の犠牲を見過ごせるならそれでもいいけどどうするかい?」
「そんなことできるわけねえだろリノン! 親父が、父上が命懸けで守ったモノを犠牲にできるわけがない!! 結界の作り方を今すぐ教えろ、俺の命と引き換えにしてでも魔神を止める結界を張ってやる!!」
アゼルは門の向こうから迫る絶望を見つめながら、あるかどうかもわからない方法をリノンへと求める。
その時、誰かの強く雄々しい手がアゼルの肩に乗せられた。
「そう容易く自分の命を使おうとするなアゼル。私が、我が命を懸けてでも守りたかったモノには、お前も含まれているのだから」
「え、ち、父上!?」
アゼルが振り返った先にいたのは、先ほど死んだはずの大魔王アグニカ・ヴァーミリオンだった。
「ア、アグニカ様! その姿は、かつての……」
突然現れたアグニカに驚愕するセスナ。そして彼女の驚きはそれだけではなかった。何故ならば現れたアグニカが、彼が門の守護を始める前、三大魔王と渡り合っていた頃の若かりし姿であったからだ。
彼の背丈はアゼルよりもなお高く、腕も脚もその全てが魔王である彼よりもたくましく力強かった。
きっとアゼルがあと数百年かけてようやくたどり着くであろう姿。
「これは驚いたね大魔王アグニカ・ヴァーミリオン。私でさえキミは完全に消失したと思っていたのだけど」
突然の大魔王アグニカの復活に大賢者リノンも驚きで唖然とした表情をしていた。
「なに賢者どの、私もあれで終わったつもりだったのだが、最後の務めを果たしてこいとあの乙女に蹴り飛ばされてしまった。肉体のくびきから解き放たれた今だからこその、この一瞬だけの幻とでも思ってくれ」
アグニカはそう言って状況に似合わない朗らかな笑みを見せた。
「肉体のくびき? ああそうか、この空間に満たされる魔素も大魔王アグニカが200年近くも触れ続けてこの地に染みついたモノ。魂を縛っていた魔素結晶の肉体が消失した今、魂だけをベースにこの空間の魔素でその身体を再構成したのか、かつての魔王アゼルのように」
「小難しいことは私には分からんよ。だがおかげで私にもわずかながら時間ができた。ならばそれはこれからを生きる者たちへの時間を稼ぐために使わせてもらおうか」
その言葉ととに大魔王アグニカから莫大な魔素が放出される。
それは誰の目にも明らかに、自滅を前提とした行為だった。
「待ってくれ親父! 今なら、親父も一緒に戦ってくれるなら、魔神を倒せる可能性だって」
「おお、アゼルよ、また私を親父と呼んでくれたな。それだけで嬉しいさ。それに、私程度が加勢するだけで打倒できるほど
「でも、それでも!」
「ああ、そうだ。コレを渡さねばならなかった。持っていくがいいアゼル」
食い下がるアゼルにもお構いなく、アグニカは片手に顕現させた
「え、これは魔剣?」
アゼルの魔剣シグムントに似た黒く重い長剣。
「魔剣シグルド、お前になら使いこなせるはずだ」
アグニカは確信をもってそう告げた。魔剣の刀身には文字が刻まれている。『ああ、息子よ、我を超える英雄たれ』と。
彼がずっと思っていたこと。ずっと願っていたことだった。
あの日、この世界に踏み込んでしまった日に産まれた息子。見知らぬだれかを踏みにじることでしか民を導けなかった愚かな王を超える男になって欲しかった。
「ち、父上!」
「簡単な宿題だ。お前にならできるさアゼル。そして最後くらい、立派な父親らしいところを見せてやるとも」
大魔王アグニカはその意識をディスコルドと繋がる門へと向ける。
開かれた門からは魔界からの膨大な魔素と、その世界を破壊した魔神の咆哮が流れてくる。
「聞くがいい古の魔神、我らの愚かさに怒り全てを浄化した巨大な力よ! 我はその御身にもう一度立ち向かおう。この地ハルモニアは今なお多くの命が明日を信じて生きる無垢なる場所。そこを汚すことだけは決してさせはしない」
大魔王アグニカは両手を開かれし門へと構え、この空間全ての魔素を目の前へと収束させる。
「顕現せよ王の棺! その威容をもって我が王権を示せ。 魔城アグニカルカ!!」
彼の言葉とともに門の奥へと現れた超巨大な魔城、歴史と力と、大魔王アグニカの人生そのものを表す偉業の証。
それを、こともあろうにアグニカは門の果てへと
「は?」
目前で行なわれた光景にアゼルは目を疑う。
魔王の象徴でもある魔城を武器として扱う暴挙、ましてやそれを超高速の弾丸として打ち出すなど倫理的にも技術的にもアゼルの想像をはるかに超える行い。
だが、だからこそ
「───────────────っ!!!!!!!!」
門の最奥、魔神が迫っていたであろう場所から悲鳴のような声が響き、はるか遠くへと遠ざかって消えていく。
「え~とだね、一応事実だけを口にしよう。今の大魔王アグニカの行動で門の中を進行していた魔神はディスコルドまで押し戻された。ついでに言うと今の超巨大な城の下敷きになっておそらくあと数時間は動けないだろう」
珍しく苦りきった表情をしてリノンがそのことを口にする。
「ほう、そこまでわかるのか? さすが賢者を名乗るだけのことはありますな」
リノンの言葉にアグニカは素直に驚く。
「ですが良かった、どうやら失敗はしなかったようだ。なにせ城を殴るなど私も初めてのことだったので」
アグニカは朗らかな表情で、本当に全てをやりとげた顔をしている。
「父、上。いや、親父!」
大魔王アグニカの表情から全てを察したアゼルは、涙を堪えて彼の元へと駆け寄る。
「はは、どうだったアゼル。少しは、親父らしいところを見せられたか?」
笑いながら、アグニカは寄ってきたアゼルの頭をクシャクシャに撫でる。
「ああ、最高だったよ。貴方は最高の父親でした。俺も目指すから、親父を越える男に絶対なってみせるから!」
必死に涙をこらえ、アゼルは彼一番の笑顔を最愛の父へと贈る。
「なれるさ、お前なら。きっと明日には越えている」
大魔王アグニカ・ヴァーミリオンは息子の全てを信じて、満足そうに微笑む。
残された魔素も使い果たし、今度こそ彼の肉体は砂のように崩れていく。
こうして、彼は息子たちに確かな時を残し最後の務めを果たし消えた。
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