第328話 友愛女神<アミス・アテナ>

「親父を死なせるためには無垢結晶が必要、だと?」

 アゼルは脳裏に浮かぶ嫌な予感を必死に振り払いながら言葉を絞り出す。


「ああそうだよ魔王アゼル。それももちろん彼と同規模のね。以前イリアの治療の為に使った無垢結晶程度のサイズではとても釣り合わない。……いまここでその条件を満たせるのは、」


「私しかいない、ってこと? リノン」


「────その質問には、答えたくないな、イリア」

 イリアの言葉に困ったようにリノンは笑う。


「冷たいことを言ってしまえば、大魔王アグニカのことはイリアたちには関係のないことだ。魔王アゼルに手段を問われたから提示したけれど、イリアがその身を差し出す義理はないだろ?」


「いや、でもだって、アゼルのお父さんが。それに、私、もうそんなに、長生きできないし」

 自身の胸元を握りしめながら、イリアはそれが必要ならと自身の身を差し出そうとして、


「ちょっと待ちなさいイリア! リノン様もとぼけたフリしないで下さい。ここにある無垢結晶はイリアだけじゃないでしょ!!」

 イリアが言いよどんでいると、彼女の聖剣であるアミスアテナが強い声をあげた。


「別に、とぼけていたわけじゃないさ。僕にとって、を失うことだって寂しいことだと気づいてくれよ」

 本当に寂しそうに、リノンはまるで全ての結末が分かっているような瞳をしていた。


「意外、でした。リノン様にもそんな人間らしいところが残っていたんですね、それが知れただけでも十分です。ねえイリア、私を抜いてくれる?」

 イリアの腰に差してある聖剣アミスアテナ、いや湖の乙女アミスからの要求。


「え、アミスアテナ、まさか?」


「私が、あの人を消滅させるわ」


「ちょっとやめてよアミスアテナ、それって死んじゃうってことでしょ? そんなの、そんなの嫌だよ!!」


「さっきまで自分の命をどう使うかを悩んでいた子が何を言ってるの。覚えておきなさいイリア、貴女が死んでしまうことだって、みんな嫌なのよ」

 アミスアテナの言葉は優しく、まるで幼子をさとす母親のようだった。


「でも、だって」

 イリアは聖剣アミスアテナを自身の眼前に抜く。それは彼女を差し出すためではなく、彼女と正面から向き合って対話をするために。


 しかし同時に、聖剣アミスアテナは激しく白銀の光を撒き散らし始めていた。

 魔素に満たされたこの空間を塗りつぶすほどの白き極光。

 その光が収まった時、イリアの目の前には一人の女性が立っていた。


 イリアと同じ白銀の髪に、銀色の瞳。まるで親子か姉妹のような血の繋がりを感じさせる姿。


「え、アミスアテナ?」


「うん、この姿ではアミスというのが正しいけど、イリアに名前を呼ばれるならやっぱりアミスアテナがしっくりくるわね」

 女性は少しだけ恥ずかしそうに頬をかいて、友愛の瞳でイリアを見つめていた。

 いや、それこそ彼女はいつだって、そんな瞳で幼い少女を見てきたのだ。


「どうして、それ、トキノさんたちと同じ、湖の乙女」


「そりゃもちろん私は湖の乙女ですもの。……たった一度だけ、私は聖剣アテナから離れることができる、そして二度と聖剣と同化することはできなくなるわ」


「二度とってアミスアテナ、それじゃあ!」


「そうよイリア、その聖剣アテナは貴方が持っていなさい。聖剣も持たない勇者なんて、ナマクラもいいところでしょ?」

 湖の乙女アミスは冗談めいて笑っていた。

 イリアには、まるで笑えない冗談だった。


「無垢結晶の規模としては私一人で十分、そうですよねリノン様」


「ああ、そうだよアミス。まさかキミら湖の乙女にまで置いていかれる日が来るなんて、やっぱり長生きをするものではないね」

 寂しそうな笑みでリノンはアミスを見つめる。それはまるで今生の別れのようでもあり、


「やめてリノン! ねえお願い、アミスアテナを止めてよ」

 それをイリアは子供のようにアミスの服を掴んで涙をこぼす。


「わがまま言わないでイリア。貴女が泣く必要なんてないでしょ? 私はイリアをこんな場所へとおいやった張本人。貴女の運命をいたずらに変えた悪人よ。イリアが悲しむ必要なんて、どこにもない」


「そんなわけがないよアミスアテナ! 悲しいよ、悲しいに決まってるでしょ! ずっと、ずっと一緒だったんだから!!」

 まるで子供ようなイリアを慈愛の瞳でアミスは見つめる。


 いや、彼女にとってみればイリアは本当に自分の子供のようだったのだ。


 キャンバス村にようやく生まれた勇者の資質を持つ無垢結晶の赤子。


 始めは利用し、利用される関係だと彼女は覚悟を決めていた。


 しかし、いざ生まれてきた赤ん坊を見て、ないはずのアミスアテナの心が軋んだ。


 自分はこれからこの子に、いったいどれだけの重いものを背をわせる気なのかと彼女は吐き気さえ覚えた。


 初めてイリアが歩いた日、友達と喧嘩した日、周りと自分の違いで膝を抱えて泣いた日。


 その全てを彼女は見てきた。


 そして今、イリアは誰かを助け、人に恋をし、アミスアテナと喧嘩もできるほど成長している。


 その全て、その日々の全てが彼女の胸の内を駆け抜け、アミスは気がつけば泣いていた。


「イリア、私はあなたを、妹のように、娘のように思っていたわ。でもね、私はあの人を助けたいの。生まれて初めて恋した人を、せめてもの安らぎの中に連れて行きたい。最後まで、自分勝手な私でゴメンね」


「アミスアテナ! 私だってあなたを、お姉ちゃんみたいに、お母さんみたいに思ってたよ。ホント最後まで、最後まで自分勝手な、友達だよ」

 イリアとアミス、二人はお互いを抱きしめあって号泣する。


「……アミス、別れは惜しいが、もうそれほど大魔王アグニカに猶予はないよ」

 別れを惜しむ二人に、空気を読まないリノンが、いや誰よりも状況を正確に理解している賢者が迫る刻限を伝える。


「そう、ですねリノン様。それじゃあイリア、これだけは伝えておかないと。貴女と魔王の封印、それはね────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────になる。できればそんなことにはなって欲しくはないけど」


「え、アミスアテナ?」


「だって、希望が入る隙間くらいは私が作っておかなくちゃね。貴女の未来を、私は誰よりも信じているわ」

 その言葉をさよならの代わりに、アミスアテナはイリアに背を向けて大魔王アグニカのもとへと向かった。


 しわくしゃに干からびた老人の前に、老いを知らない湖の乙女が立つ。


「大魔王アグニカ、かつての誓いをここで果たします。私は貴方に引導を渡す、そう約束しましたからね」

 アミスは大魔王アグニカを前にしてあふれる万感の思いを必死に胸の内に抑えつけて、毅然とした口調で言い放つ。

 彼の姿を憐れんではいけない、彼の人生に同情してはいけない、アグニカの苦痛も苦悩もあくまで彼だけのモノでしかないと、彼女は自分自身に言い聞かせる。


「そなたと、刃を交えた時からどれほどたったのか。それでもなお、その心の気高さ美しさに変わるところがない」

 アグニカは眩しい光を見つめるように目を細める。


「そんなことはありません。私はあの時ほど純粋ではなく、あの頃ほど無垢でもない。多くの過ちを重ねて、ここまで戻ってきました」


「それは私も同じだ。数多の間違いの果てに今のこの姿がある。もっと良い手段はなかったのか、もっと多くの人が幸せになる道はなかったのか、何度後悔したか数えきれない。だからきっと、誰しもに当たり前のことなのだ、正しい道だけを選べないというのは」

 アグニカは静かに、アミスの瞳を真っ直ぐに見て語り続ける。


「だが、どんなに間違いを重ねても色褪せない想いがそこにあるのなら、やはりそれは美しいと私は思ってしまう」


「それを言うのならば大魔王アグニカ、貴方の方こそ。そんな姿になっても、その心は初めて出会った時と変わらない。ずっと貴方は誰かのために、ここに立ち続けた。いい加減に、休んでもいいでしょう」

 アミスの美しい手が、しわだらけのアグニカの頬をなぞる。

 それと同時に激しい光が二人の間に生じた。無垢結晶と魔素結晶、相反する物質はお互いを認め合うことなく拒絶しあう。本人たちの感情とは真逆に。


「今から貴方を死の旅路へと連れて行きます。────めんどくさい女に引っかかったと諦めてくださいね」

 最期に、湖の乙女アミスはイタズラ好きの少女のように笑う。


「とんでもない、息子や孫に囲まれ、貴女のような美しい乙女に付き添われて逝けるとは、私の人生は随分と恵まれたものだったよ」

 アグニカも静かに笑い、無垢結晶である湖の乙女アミスを自身の内側へと受け入れた。

 

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