第327話 遅すぎた決断、永すぎた決意

 確かな決意と覚悟をもって大魔王の間へと立ち入ったアゼルたち。

 しかしそこで彼らを待っていたのは、老人のように変わり果てた大魔王アグニカの姿だった。


「来た、か。アゼルよ」

 肉体に明らかな変化があってなお重々しい強い声をアグニカは放つ。


「ち、父上、なのですか?」

 対するアゼルは、父であるアグニカの変貌に戸惑い、声が震えていた。


「そうだ、アゼル。いくら離れていた期間があるとはいえ、私の顔まで忘れられては寂しいではないか」

 冗談を言うかのように、アグニカは朗らかな表情をしている。

 それは、アゼルにはまるで笑えない冗談だった。


「アグニカ様! いったい、何があったのですか!?」

 そこに近衛騎士であるセスナが黙ってはいられないとアグニカへ駆け寄る。


「何があったか、か。まあ、これは、その時が来た、とでも言えばよいのか」

 焦りを隠せないセスナに対して、アグニカは非常に落ち着いた様子で現状を示すに最適な言葉を探していた。


「そうだな、これもまた私の人生という旅への、ひとつの答えなのだろう。そしてアゼルよ、今日はここにお前の答えを持ってくるように私は言ったな。お前が何を選ぶのか、聞きたいと」


「はい、父上。俺は覚悟を決めました、ですがそれよりも……」

 アゼルには今まさに異変が起きている父アグニカのことが何よりも気がかりだった。

 だがアグニカはアゼルに言葉を継がせることなく、


「もうよい」

 ただひと言、何よりも重たい言葉を告げた。


「え、父、上?」


「もうよいと言ったのだ、アゼルよ。お前がコレを、私の責務を継ぐ必要はない。─────この結末は、お前たちには与えられない」

 そう言って、大魔王アグニカ・ヴァーミリオンは申し訳なさそうに笑っていた。


「口を挟んで悪いけど、偉大なる王アグニカ。貴方の身体は、もうそんなところにまで辿り着いてしまったのかい?」

 そこへ、本当に痛ましげな顔をして大賢者リノンが質問を挟んだ。


「うむ、おそらくは貴殿の想像の通りなのだろう」


「どういうことだよリノン! 親父に、父上にいったい何が起こったんだよ」

 そんなリノンにアゼルは喰いかかるように詰め寄る。


「魔王アゼル、この人はね、到達してしまったんだ。約200年に及ぶこの門の守護、それと同時に超高密度の魔素に曝され続けたことによって、彼自身がになってしまったんだ。本来ありえない存在、純度100%の魔石、とでも呼ぶべきものに大魔王アグニカは変質している」

 リノンはわずかな微笑みすら浮かべることなく、ただ真実のみを告げた。


「な、なんだよそれ。それっていったい、どういうことなんだ?」

 アゼルは泣きわめく寸前の子供のように瞳をうるませ、自身でも薄々と悪い予感を感じていながらもリノンへと問い質す。


「僕は、キミに言ったね。いずれイリアは、無垢結晶として死ぬこともできない石に成り果てると。その『いずれ』に、大魔王アグニカは既に辿り着いてしまった。彼はもう老いて死ぬことすらない。その内に会話すらできなくなり、自身を苛む永劫の苦痛の中で、ただ外界の音を耳に拾うだけの存在となる」


「う、嘘、だろ?」

 アゼル文字通り膝から地面に崩れ落ちる。


「ふむ、私自身なんとなく理解していたことではあるが、いざそうやって人の言葉で説明されるといささかへこむものがあるな」

 大賢者リノンの解析を聞き、大魔王アグニカはわずかに落ち込んだような声音を響かせる。


「まあ、そういうわけだアゼル。いずれ我が身が滅んで死んでしまうことは覚悟していたが、まさか私のしてきたことが身体にこのような変化をもたらすとは思わなかった。だから、これは誰も引き継ぐ必要はない。…………このような終わりを、我が息子に渡すわけにはいかないな」

 アグニカはそう言って、何故か嬉しそうに微笑んでいた。

 まるで、息子に苦難極まる責務を渡さずに済んだことが、心から嬉しいかのように。


「そ、んな。父、上」

 だがアゼルはそんな父に対し、まともに言葉を紡げないでいる。


「しかし大魔王アグニカ、このままでは貴方が仕掛けた封印結界もほどなく解けてしまうことになると思うけど」


「その通りだな、大賢者よ。だからアゼルよ、力の弱い魔族たちの安全を確保した後であれば、この門を閉じて構わない。それでも混乱は避けられぬだろうが、魔神がこちらへ来ることを考えれば、どちらが良いかは比べるまでもない」

 アグニカは今もなお自身の内側を駆け巡る激痛を当然のように無視して、残される弱き民の心配をしていた。


「あ、あなたは、どうして、そこまで。…………俺は、僕は、父上にずっと敵わないままだ」

 アゼルは地面に膝をついたまま、悔しそうに震えて拳を握り込む。


「そのようなことはないアゼル。そんなことは、ないのだ」

 アグニカの慈愛の瞳がアゼルを見つめる。


「ですが、父上。その言葉には従えません」


「?? アゼル?」


「ディスコルドへの門を閉じるという手段では、弱者が強者に全てを支配される世界は変わらない、いずれ我々は袋小路に陥ります。きっと父上が守った以上の流血がこの大地を濡らすでしょう」


「─────」

 大魔王アグニカは答えない。まるでその結果を彼自身も予想していたかのように。


「守りたい者たちにとってのよりよい未来を、その為に自らの危険を顧みずにあなたはこのハルモニアまで辿り着きました。だったら俺は、やっぱり守りたい連中の未来のために、よりよい明日の為にディスコルドへ向かいます」

 アゼルは顔を上げて、その決意を自らの父へと言い放った。


「アゼルよ、それがどういう意味か、理解しているのだな」


「もちろんです。それに俺は、ひとりじゃない。貴方から逃げていた時間の中でいつの間にか、ひとりではなくなっていましたから」

 アゼルはここにきて初めて、大魔王アグニカを前に笑えていた。


「そうか。ならばやはりアゼル、お前はとっくの昔に私を越えているよ」

 全ての元凶を解決して見せると言い切ったアゼルを、自分では選ぶことのできなかった選択をする息子を見て、アグニカの頬は本当に嬉しそうにほころんでいた。


 だが、それと同時にアグニカの内側から異質な音が響き始める。

 まるで石と石がこすり合うような、肉あるものが硬質な物体に変わりゆくような異音。


「くっ、どうやら思ったよりも時間はなさそう、だな」

 苦悶に満ちたアグニカの声が響く。


「父上!」


「魔王アゼル、まずい状態だ。大魔王アグニカの結晶化が急速に進行している。今のタイミングを逃してしまえば彼は二度と死ぬこともできなくなる。永遠の苦痛が彼に与えられることになる」


「ふざけるな! そんなこと、そんなことがあっていいわけがないだろ。ん、今を逃せばって、父上を助ける方法が何か方法があるのかよ!?」


「……残念なことにこうなった彼を助ける手段はない。だけど、彼に安らかな死を与える方法はある」


「っ、それでもいい、教えてくれリノン! ずっとみんなの為に頑張ってきた父上の最期が、こんなものであっていいはずがない」


「そうか、それなら教えるよ。今の大魔王アグニカは純粋な魔石、魔素結晶だ。だったらまったく反対の性質かつ等価のモノで相殺すればいい」


「は? つまり、どういうことだよ」

 アゼルは瞬間的に嫌な予感を感じて思わず聞き返す。


「まあつまりはさ、イリアたちのような無垢結晶をぶつけることによって彼を対消滅させるってことだよ」

 リノンは何の感情も込めず、アゼルの求めた答えだけをただ淡々と口にした。

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