第325話 あいつの部屋
イリアは一人、アルトに指定された階段を登り続けていた。
「ん、長い」
本当に終わりがあるのかと一瞬疑ってしまうほどの長い階段、そこをようやく登り終えた先にアルトの言葉通りの部屋があった。
そこは外からうかがうだけでもイリアの想像の数倍は
「でも今さら戻るのも、な」
そうイリアは呟き、アルトから預かった鍵で扉を開ける。
その扉の先は、華美ではないものの威風感じる部屋が待っていた。
「いや、でもこれって」
だがイリアは初めて訪れたはずのこの場所に、何故だか既視感を覚える。
配置してある調度品のひとつひとつ、自らを飾ろうとしないがそれでもなお生まれながらの強さと気高さをそなえた部屋の造り。
「うん、そうだよね。ここは魔王、アゼルの部屋だ」
イリアは調度のひとつに指を伝わせ、直感的にそれを感じ取っていた。
この場所はアゼル・ヴァーミリオンが魔王として君臨していた時の部屋。そこに並ぶインテリアを眺めながらイリアはありし日のアゼルを思い浮かべる。
「本当に、遊びっ気のひとつもない部屋。ただひたすらに魔王としてしか、アゼルはここで生きていけなかったんだね」
思わずイリアの言葉が漏れる。
何故なら、ここにはアゼルの魔王としての気配しか感じ取れなかったからだ。イリアが知っている彼の余分が、ここにはどこにもなかった。
「エリスさんが、アゼルが絵を描くわけないって言ったのも、わかっちゃうな」
一通り部屋の中を巡り、イリアは心から疲れたのかのようにベッドへと腰をかけた。
彼女は何をするでもなく、時間だけが過ぎていく。
窓からは月光が、いつかの彼との夜を思い出させる優しい光が、今はイリアを冷たく濡らしている。
「ひとりは、さみしいな。ひとりで、死んでいくのかな。いや、だなぁ」
ポツリポツリとイリアの弱音が部屋の床に転がり落ちていく。
それを誰が拾い上げるわけもなく、弱音とともにイリア自身さえも消え去りそうな気配を漂わせたその時、
部屋の扉が開かれる音が響いた。
「イリア?」
その声の主は、この部屋の主でもある魔王アゼルその人だった。
「アゼル、何でここに?」
イリアは呆然とした声で彼を迎える。
「それはこっちのセリフだ、ここは俺の部屋だよ。……アルトのところに行ったら、お前がここにいるって聞いたからな」
アゼルはイリアを正視できないのか、目を逸らしながら部屋の中へと入っていく。
「私のとこに来てくれるんだ、アゼル。もう、戻ってきてくれないと思ってた」
「っ! そんなわけがないだろ!!」
「大声を出さないで、夜だし響くよ。────私、ズルいね。エリスさんにはアゼルが私を好きだって信じられるって言ったのに、アゼルが戻ってきてくれることは、信じてなかったんだ」
「なに言ってんだよイリア、俺はそもそもどこにも行ってねえよ」
「そうなんだ、ありがとアゼル。それで、ここには何をしにきたの? 私を、抱いてくれるの?」
イリアは妖艶な気配すら漂わせて、その指先をアゼルへと向ける。
その瞳に、涙をうるませて。
「そうだよイリア、俺はお前を抱きにきたんだ。お前の心を、抱きしめにきたんだよ」
そんな彼女をアゼルは全力で抱きしめた。
「悪かったイリア、俺の弱さが、俺の中途半端さが、お前を傷つけてたんだな」
「違うよアゼル、アゼルの強さが、アゼルの優しさが、私に消えない傷をくれるの。だからそれを、私から奪おうとしないで」
イリアはその瞳から涙をこぼしながらアゼルを抱きしめ返していた。
二人は永い時間、そうして抱き合っていた。
月光がうつろい、闇夜の雲に隠れ消えるまでずっと。
「アゼル、セスナさんとの話は、どうだったの?」
「ああ、ようやく俺にも理解できたよ。結局のところ、俺たちのいるこの世界、ハルモニアにとっての脅威は魔神の存在らしい」
「そう、なんだ。三大魔王とかじゃないんだね」
「その三大魔王すらおそらくは魔神に殺されている。そんな存在が絶対にこちら側にこないようにせき止めるのが俺の親父、大魔王アグニカの役目。俺に引き継がせたい使命、なんだそうだ」
「アゼルのお父さんの身体の状態、どうみても普通じゃなかった。私は、アゼルにそんな風になって欲しくないし、できることなら大魔王アグニカにもその役目から離れて欲しい」
「それは同感だ、俺は、父上にはもっと安らかな時間を過ごして欲しい。それだけの資格があの人にはあるはずだ。だから、俺は、」
「ダメだよアゼル。私は、アゼルに同じ目にあって欲しくない。それにアゼル……」
「わかってるよイリア。仮に俺が問題なく大魔王アグニカの偉業を引き継げたとして、いずれは俺の身体にも限界がきて、それをアルトに引き渡さないといけない日がやってくる」
「うん、私は、アルトの友達だから、そんな未来は絶対にイヤ」
「それに、もしも魔神がこっち側の神晶樹の化身、オージュ・リトグラフと同質の存在だとするのなら、相手に寿命なんてない。このままだと俺の子孫にも未来永劫同じ宿命を背負わせることになる」
「……それじゃあ、どうする? あの門を封印するの?」
「それは、何度も考えた。でも、やっぱり簡単な話じゃないんだろうな。俺ひとりじゃ到底ハルモニアにいる魔族全員分の魔素を賄うなんてことはできやしない。だから、それをやるとしたらいくつもの力ある魔族がそれぞれの力に応じた数の弱い魔族の面倒をみなくちゃいけない」
「でもそれをやると、その中に悪くて強い魔族の人がいたら大変なことになっちゃうね。あの村みたいに」
「そうだ、親父の言ったとおりだよイリア。『良き王などどこにもいない』そして、他人に良き王であれと強制させることもできない。この選択も、きっといつかどこかで誰も気づかない地獄を生んでしまう」
「うん、それがわかっていて、アゼルのお父さんは今の手段を取った。だけどアゼル、私たちは……」
「わかってるさイリア。俺は一人じゃないし、俺たちはひとつじゃない。種族も考えもバラバラな連中ががここまでやってきたことに意味が、価値がきっとある」
「それじゃあアゼル、やっぱり」
「ああ、決めたよイリア。
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