第325話 ルシアの要求

 魔族の主城ギルトアーヴァロンの一角、知っていなければ誰も使わないような道を通り、魔人ルシアはある部屋の前まで辿りついていた。


「確かここだったな、アレがいるのは」

 ルシアは目の前の、厳重に鍵を掛けられた扉を見て一人呟く。

 その部屋は明らかに何者かを閉じ込めるための構造となっていた。


 部屋の鍵を持っていないルシアでは、その部屋の中に入ることはできない。


「っと、こんなもんか?」

 しかし彼は、自身の魔素を精密に操作して鍵型の魔石を瞬時に作成し、その扉をやすやすと開けた。


「ふん、アルトにしては随分とぬるいセキュリティだ。だが、アレにとっては最高の環境だろうからな、勝手に逃げ出すこともないのか」

 扉を開け、ルシアは悠々と部屋の中へと入っていく。

 その中は扉の前からでは想像もつかないほど広く、まるでのようになっていた。


 そしてそこではただ一人、白衣を身にまとった男が喜々とした表情であくせくと動き回っている。


「ちっ、幽閉された身で随分と楽しそうだな、

 ルシアは軽蔑と嫌悪をこれでもかと込め、その魔族の男ジェロア・ホーキンスに声をかけた。


「キヒッ? 誰かと思えば、魔人の研究素体じゃないか。いや、こう口にすればアルト様の機嫌を損ねるのだったか? ちょっと待て、思い出す……ああそうだ、確かお前にはルシアという記号を付けたのだったな」


「いちいちカンに障る野郎だ。やっぱり殺しておくか?」

 ルシアは眉間にシワを寄せて、左手に魔銃ブラックスミスを取り出していた。


「おお、それは我が魔銃のプロトタイプではないか。なんだ、わざわざデータ提出をするためにでもここに来たのか? それに、キヒヒ、お前の今の言い方だと、ここに来た元々の理由は私を殺すことではないように聞こえるぞ」

 研究者ジェロアはルシアの殺気にも怯える様子もなく、手元にある複数の瓶を操作して何かしらの研究を続けている。


「ケヒッ、今のお前に私は殺せまいよ。いや、違うな、殺すのが今である必要がないといったところか。お前はいつでも私を殺しにこれたはずなのに今までそうしなかった。だとすれば、お前がここに来たのは私を殺す以上の理由があるということ。キヒッ、違うかな?」


「クソッ、本当に気持ち悪い野郎だ。冷静な時だと少しは頭が働くんだな」


「クヒヒヒッ、私に冷静さなど必要あるものか! 私が求めるのは常に狂気だ、研究への熱、進歩への探求、それら全てへの情熱に身を浸していなければ、私は生きているとは言えない。その点ではアルト様は素晴らしいスポンサーだ。常に無理難題を振りかけてくる我が侭の化身、ああそれくらいでなければ我が研究への乾きは潤せない」


「ああそうかよ。だが、何か熱心に研究しているところ悪いがオレの依頼を今すぐ受けろ、じゃなきゃ殺す」

 ルシアは手にした魔銃ブラックスミスの銃口をジェロアへ向けて要求を突きつける。


「キヒッ、それはコワイコワイ。それで依頼の内容は?」

 対するジェロアは言葉とは裏腹に余裕の態度でルシアの言葉の続きを促した。


「このブラックスミスを強化しろ。出力と強度を5倍まで引き上げろ…………明日の朝までにだ」


「ヒッ!? 何を言い出すかと思えばそんなことか。期限の要求だけが頭に来るが、ここにある設備ならその程度の強化は造作もない。だがいくらその魔銃を強化したところでお前自身の性能が変わらなければ意味はない。キサマ程度の能力なら、今の魔銃の性能ですでに釣り合いは取れているぞ?」


「それも知っている、だからこっちの依頼が本題だ。強化した魔銃の性能に見合うよう、オレ自身を改造しろ」

 ルシアは何よりも真剣な表情で、その言葉を口にした。


「クヒッ、それは本気で言っているのか? 私がこれまでお前に何をしてきたか忘れたわけじゃないだろうに? それとも低能な記憶力ではそれすら忘れたか?」


「忘れるわけがねえだろうが。研究の素体として好き放題に身体をいじられたことは死んでも忘れない。……だがそれ以上に、オレは強くならなきゃいけない、今すぐにでも。オレは今、アイツらの中で一番弱い。その場に居合わせることすらできないほどに、オレの身体は、弱い」


「キヒッ、それはそうだろう。人間としての部分を持つお前では濃密な魔素空間に耐えられない。今この城の中にいることでさえ、よく我慢できているほうだと感心する」


「だとしても、オレはオレがが弱いのは我慢できない。オレがただ守られるだけの道具でいるのは我慢ならない。オレはせめて、役に立つ道具でもなきゃ、自分が在ることを許せない」


「…………随分と歪な、生まれた時からモノとして扱ったことで、道具としての根性でも身に付いたか?」

 ジェロアは狂気の冷めたような目をしてルシアを見ていた。


「なんだっていい、とにかくオレを強化し……」


「断る」


「なん、だと」


「既にお前は完了した研究だ。という研究素体を限界まで強化するという課題はとっくの昔に終えている。お前は魔人としては十分に過ぎるほど強く、そこから先の強さなどありえない」


「つまり、オレをいくらいじったとことで、強くはならないと?」


「キヒッ、正しい理解をできる脳みそはあったらしい。お前という肉体はもう限界だ、お前を強くするくらいなら既に強いモノを探した方が早い」


「そこをどうにかしろ。コレを使ってもいい」

 ルシアは懐からあるモノを取り出す。


「は? ん、なんだそれは…………っ、まさかそれは!? キヒヒッ、どこでソレを手に入れた?」

 ルシアが手にした黒く丸い物質を見て、ジェロアの歪な細い目が大きく見開く。


「冥府の大沼に住む毒竜ヴェノム・ハデッサの角を加工したものだ。純度99%の魔石、これならオレのガラクタの身体だろうと強くできるんじゃないか?」


「キキッ、当然だ、当然だとも! そんなものがあるのなら早く出せ愚か者! さあ今すぐ服を脱いでそこの手術台に横になっていろ。15分で最高の強化プランを組み立ててやる」

 最高純度の魔石の存在に狂喜乱舞するジェロア。

 それを冷めた目で眺めながら、ルシアは素直に上着を脱ぎ始める。


「…………クヒッ、しかしいいのか? 私が言うことでもないが、お前の身体は私の研究でムチャな強化を繰り返して相当にガタがきている。これから行う強化手術はさらにお前の寿命を縮めるぞ?」

 狂ったように興奮していたジェロアはふと思い出したように動きを止め、その事実をルシアに告げる。


「チッ、本当にお前が言うことじゃねえな。だがいい、オレが死んだとしても続く世界がある。オレの短い人生を使い潰すことになったとしても、その後の世界を生きるヤツがちょっとでも生きやすくなるのなら、オレの命の意味はそれでいい」

 ルシアは手術台の上で目を閉じて、イリアがこぼした涙ながらの言葉を思い出していた。


「キヒッ、それならば結構。ちなみにだが、私がここでしていた研究の最優先課題を教えてやろう」

 気持ち悪い笑い声をあげながら、ジェロアは実に愉快そうに語る。


「寿命の近い魔人のだ。たとえどんな手段であってもいいから、お前が少しでも健康に長生きできる方法を見つけ出せ、と依頼されたよ。ククク、お前がどのようにあの娘に取り入ったかは知らんが、研究体風情が随分と大切に扱われるようになったものだ」

 ジェロアの口からこらえきれない笑いがこぼれ続ける。


「……そうかよ、そんなことはオレの知ったことじゃない。さっさとオレを強くしろ」

 ルシアはジェロアから告げられた事実を知ってなお、自身への自殺行為のような強化を望んだ。 


「──────────ふざけやがってアルト。そういうところは、本当に似た者親子だな」

 ルシアは嬉しさで笑みがこぼれそうになるのを必死にこらえ、自分の未来を望んだ少女のよりよい明日を願って、そこから先のあらゆる苦痛を満足して飲み込んだ。

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