第316話 アグニカ・ヴァーミリオン

 いわおのように黙して動かなかった大魔王の目が見開く。

 彼はゆっくりとこの場に訪れた人々を見渡し、待ち望んでいた時が訪れたことを知った。


「セスナよ、務めを果たしてくれたのだな。ご苦労だった」

 重々しい大魔王アグニカの言葉が響く。


「いいえ大魔王様、私には身に余るお言葉です。魔王アゼルは自らここへと戻ってきたのですから」

 アグニカの言葉に恐縮するようにセスナは跪く。


「そうか、いずれにせよ迷惑をかけた。……そしてアゼルよ、私の前に戻ってきたということは、ようやく覚悟を決めてくれたのか?」

 大魔王アグニカの静かな瞳がアゼルをとらえた。


「っ、父上! 僕、いえ俺は、この度は貴方の責務を引き継ぐためにここへ来たわけではないのです」

 アゼルは苦しそうに自身の胸元を掴みながら、まるで少年のような面持ちで自らの父へと告げた。


「…………ほう、ではいったいどんなつもりでここを訪れたのか、アゼル」

 アグニカの静謐な瞳がなおもアゼルを捉え続ける。


「封印を、させてもらいにきました。貴方の背後にある魔界ディスコルドと繋がる門。それを封じてしまえば、門の守護という役目はなくなるのですよね」

 実の父親に対しての言葉、だがアゼルのそれはどこか震えていた。


「封印、か。お前が長い時間をかけて出した答えがソレとは、随分と落胆させてくれる」

 失望したかのような溜め息をアグニカは吐いた。


「っ!?」

 そんな父の反応に、アゼルは自身で思った以上に精神的な衝撃を受ける。だがそこに、


「どうしてですか!? 大魔王アグニカ・ヴァーミリオン。私が持つ聖剣、アミスアテナであればこの門を封印できると聞いています。事実、東の最果てハルジアでは同じ手段で門は封印されていました」

 イリアが食って掛かるように大魔王へ問いかけた。


「ん? そなたは、随分と眩しい少女だ。いつか会ったことのあるような…………」

 事実眩しそうに目を細めながら、アグニカは自身の記憶を辿るようにイリアをみつめる。


「私はイリア、勇者イリア・キャンバス。そしてこの聖剣アミスアテナこそ、かつて貴方にたった一人で挑んだ湖の乙女です」

 イリアは聖剣アミスアテナを抜き、その刀身をアグニカへと掲げる。


「そうか、あの時の乙女か。まさかその言葉通り、私を殺す手段をもってここに来るとは。あなた方がそれほどまでに身を尽くす価値など、私にもこの場所にもないだろうに」


「そんなことはどうでもいいだろう親父!! 俺は、ちゃんと答えを持ってきた。未来に繋がる手段を、確かにここに。ならアンタも答えてくれ、ちゃんと全部!」

 イリアの言葉で普段の調子を取り戻したのか、なかばヤケになったような勢いでアゼルはアグニカへ問い質す。


「答え、か。求めたところで、その中に己の聞きたい言葉が入っているとは限らないというのに。それでも聞きたいのだなアゼル。─────それならまずは大前提を答えよう。この門を封印して助かるのはだけだ。ディスコルドから流れ出る魔素を止めてしまえば、魔族は死に絶える」


「な、そんな!?」

 大魔王によって提示された真実に驚愕するアゼル。


「それはもちろん事実だよ魔王アゼル。僕は言わなかったけな? ああ言わなかったね。でもちょっと考えればわかることだろ?」


「ん、そなたは?」


「ああ申し遅れた、僕は大賢者リノン・W・W。結果的にだけどご子息の旅をサポートさせてもらっていた者さ。そして大魔王アグニカ、門の封印を行なえば魔族は死ぬ。でもそれって正確な表現じゃないんだろ?」


「……そうだな、我ら魔王や位階の高い貴族たちは自らで必要な魔素を生成できる。つまり死ぬのは下級の魔族たちに限られる」


「な、それなら」


「それならなんだ? 構わずに封印してしまえばいいと言うのか、アゼルよ」


「違う、そうじゃない! 俺たちなら一人でも千人以上の魔族に必要な魔素をフォローできる。ディスコルドからの魔素の供給が途絶えたからって、みんなが死ぬようなハメにはならないはずだ」


「そうか、それも一つの答えなのだろう。だがそれでもだアゼルよ。この200年、お前は何も学んでこなかったのか? 生まれた瞬間から死ぬときまで、誰かに命を握られ続ける。それを生きていると、お前は言うのか?」

 大魔王アグニカの厳しい言葉がアゼルを襲う。


「いや、それは……。だけど死んでしまうくらいなら」


「お前が想定しているのは、お前の庇護に入った魔族だけの話だろう。お前が正しくあり続ければ、たしかにその民たちは幸せかもしれない。だが他はどうだ、支配する者によって振りまわされる生、場合によっては死よりも苦しい生き方をすることにもなるだろう。それにアゼル、お前が本当に良き支配者でいられるのか、そんな保証すらどこにもないのだ」


「それは…………そうですね。父上」

 父の言葉を受け、アゼルはそれを否定することができなかった。

 自身が一度は国を捨て逃げ出した、その事実があるがゆえに。


「それはお前の責任ではないアゼル。良き王などどこにもいないのだ。ただそれでも、少しでもマシな世界を残したくて、私はこの選択をした。そして身勝手にも、それをお前に継いでもらいたいと思っている」

 静かに瞳を閉じ、大魔王アグニカはその願いを口にした。


「ですが! それはアゼルにここで全ての人生を使い果たせということですよね? 貴方がそうしてきたように」


「その通りだ勇者イリア。私はもう永くない。しかし誰かが、ここで備え続けねばならない。その条件を満たしているのが、我が息子しかいなかった。それだけの話なのだ」


「それは、勝手です。それならアゼルに選ばせるべきです。滅びも、救いも、自分自身の選択として」

 イリアは自身の何倍もの体躯の大魔王を前にして、少しも怯むことなく自分の言葉を伝える。


「そうか、それもその通りだ小さき勇者。─────貴方は、自身で選んでここに来たのだな。それは、本当に良き旅だったのだろう」

 再び瞳を閉じて、何かに思いを馳せるようにアグニカは微かに笑った。


「では私も私の旅を語ろう。ここまでやってきた旅人への礼と、自分の答えを持ち帰った我が子への、せめてもの応えとして」

 自身の胸の中で決意を決めたように、大魔王は語りだす。

 かつてありし日々、誰にも語り継ぐことのなかった物語を。

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