第313話 挨拶

『その女、誰?』

 まるでそんな意味を含んでいるかのような妃エリスの問いによって大広間の空気が張りつめる。

 しかしそんな彼女を前に、アゼルは覚悟を決めたように口を開き、


「エリス、こいつはだな……」

「待ってアゼル、自分のことくらい自分で紹介できる」

 一歩前へ出たイリアに言葉を遮られた。


 イリアは真っ直ぐにエリスへと視線を向けて答える。


「初めまして、挨拶が遅くなり申し訳ありません。私の名はイリア・キャンバス。勇者イリアと言えば、魔族であるあなた方にも伝わりやすいでしょうか?」

 イリアは自身の正体を妃エリスへと素直に明かし、そして間髪を入れずに、


「そして、アゼルの恋人です」

 まるで相手を拳で殴りつけるような宣言をした。


「……?? まあ、あなたが勇者。確かにその響きは戦場に出る魔族の兵士にとって大変恐ろしいモノだとうかがっております。え~と、それと、アゼルという方の恋人なんですね? まさか魔王様と同じ名前の方と交際していらっしゃるなんてすごい偶然です」

 対するエリスはイリアの発言を見当違いに受け取っていた。


「私も挨拶が遅れました。魔王アゼル・ヴァーミリオンの妻、エリス・イノセントです。お互いに同じ名前のお相手がいるだなんて、まるで運命を感じますわねイリア様」

 エリスは本当に嬉しそうな声で少女のように笑う。だがイリアは笑っていない。


「勘違いをさせてしまったようで申し訳ありません。アゼルというのはここにいる魔王アゼルその人のことです」

 イリアは隣にいるアゼルを指差して言い切った。その声は一切ぶれることなく、まるで研ぎ澄まされた真剣を振りおろすような潔さだった。


 彼女の発言によってさらに高まる緊張、そしてダラダラと滝のように流れるアゼルの汗。


「?? まあ、魔王様がアナタの恋人、ですか? ────ねえアルト、私は人間たちの文化を良く知らないのですけど、彼らは主人と召使いの関係を恋人と表現したりするのですか?」

 妃エリスは本当に理解できないといった様子で、近くにいるアルトに小声で尋ねた。


「ええと、お母様。それはですね…………」

 その純真な母からの質問に対して、娘であるアルトは意外なことに口ごもる。そして瞬時に行なわれる父娘おやこ間でのアイコンタクト。


(おいアルト、お前まさか散々俺を脅しておきながら、エリスに何の説明もしてなかったのか?)


(はぁっ? 自分でやらかしておいて私に説明させる気だったのお父様? こんな世間知らずのお母様にあなたの夫が浮気してましたよ、なんて言えるわけがないじゃない)


(いや、それは俺が悪いだろうけど、どうすんだよこの空気。これからする扉の封印の件とは別の空気でピリピリしてんじゃねえか)


(自業自得って言葉の意味をお父様から教えてもらう機会がくるなんて娘としては嬉しい限りですわ。もちろん反面教師としてですけど。……いいでしょう、わかりましたよ。私がこれまでのこと全部洗いざらい言ってあげるから、その後の責任は全部とってくださいね)


 アゼルとアルトの二人の間でそんな視線だけのやりとりをわずか一瞬で行なった結果、アルトは意を決して母であるエリスに説明を行なう決意をする。


 だがその時、


「アルト様! 魔王様たちが帰ってくるって本当ですか!?」

「もしかしてシロナにも会えるの?」

 元気に扉を開けて魔族の少年少女、ユリウスとカタリナが入ってきた。


「おいガキども、今はそこに入るなってアルトがうるさく言ってただろうが」

 続けて気だるそうな顔をして魔人の青年ルシアが扉の奥から現れる。


「こらルシア、ちゃんと二人を監督しておかぬか。…………だがナイスタイミングじゃ」

 ユリウスとカタリナの登場に会わせてアルトは瞬時に口調を切り替え、そして内心ではガッツポーズをしていた。


「オレに怒るなよアルト。魔王たちが来るって話をしたらこいつらが急に突然走りだしたんだよ。ん、ナイスタイミング? ああ、イリアと魔王、もう来てたのか。……って、そういうことかよ」

 ルシアはこの場に集まっているメンバーを見て、今の状況をなんとなく察してしまう。


「え、ナイスタイミングってどういうことですか?」

 純真な瞳でユリウスはアルトを見上げる。


「いやなに、こっちの都合じゃ。……そしてお母様、どうやらお父様は急ぎ大魔王アグニカ様にお会いしたいご様子です。久々の再会で嬉しいとは思いますが、細かい話はそれが終わってからにいたしませんか?」

 アルトは即席の笑顔を張り付けて、母エリスに対して現在の話題の先送りを図った。


「そうなの、アルト? 何か私にとって重大な話があちらの勇者様とあるような気もするのだけど。…………ですが、わかりました。私が魔王様の道の妨げになってしまっては妻として面目がたちません」

 妃エリスは一瞬だけ迷うそぶりを見せるが、すぐさま王妃として毅然とした表情となり集まった面々に対して恭しく頭を下げる。


「それでは皆々様、私は部屋に下がらせていただきます。イリア様、よろしければまた後ほどお声かけいただければ」

 そう言って妃エリスはこの場を退室していった。


「ユリウス、カタリナ、済まぬが母上についていってくれ。お前たちが彼らと話す時間も後で用意するからな」


「はい、わかりました」

「エリス様~、待ってくださ~い」

 素直にアルトの言葉に従ってユリウスとカタリナの二人はエリスを追っていった。


「ん? オレはついていかなくてよかったのか?」


「丁度良い、ルシアは妾の側についておれ。おじい様と顔を会わせるまたとない機会じゃ。その代わり、意識を失わぬように気を張っておれよ」

 そうして残ったのはイリアたちとアルト、ルシア、セスナのみとなった。


「はあ、これから大魔王様に謁見しようというのに閉まらぬものだな。アゼル、お前をどんなカタチであれ連れてこいというのはあのお方の命令でもある。頼むからあの人に情けない姿を見せてくれるなよ」


 この状況の中でひとり陰鬱な様子のセスナであったが、彼女は覚悟を決めたようにアゼルたちを大魔王の間への案内を開始するのだった。

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