第306話 アルトの願い

 イリアたちが村に泊まった翌日、彼女らが出立の準備をしていると外が騒々しくなる気配が伝わってきた。


「あれ、どうしたんだろ? 外が騒がしいけど何かあったのかな?」


「さてな、とりあえず行ってみるぞ」


 そうしてアゼルたちが家の外に出ると、村の入り口で大声をあげている男がいた。


「何? 今日は出せる食べ物はないだと!? ふざけるなよお前たち、誰がお前たちのような下等な魔族を生かしてやってると思ってるんだ!」


「どうか気をお鎮めくださいギーニアス様。前回の徴収からそれほど時間も経っておりませんので、私どもの村にも備蓄はほとんどないのです」


「何を思い違いをしている、ほとんどないというのならある分を全てここに出せと私は言っているんだ。所詮は農耕をするくらいしか貴様たちには価値がないのだから、それくらいはやって私を楽しませろ」


「お、お言葉ですが、我々は昨日魔王さまの寵愛を受けてどうにか自立できる程度の魔素を生み出せるようになりました。ですから今後もこのようなことが続くのであれば、ギーニアス様のお力を頼るのも控えたいと存じます」

 村長であるグレグは勇気を振り絞るようにその言葉を口にする。


「は? こともあろうに魔王さまの寵愛だと? ブ、ブァッハッハ!! おい、楽しませろとは言ったが笑わせろと言った覚えはないぞ。うっかり笑い死ぬところだったではないか。……で、なんだと? お前たちみたいなゴミに寵愛が下っただと、ふざけるなよゴミクズが!! ゴミに寵愛を与えるなど、我らが魔王がそんな偏執狂なわけがないだろ!!」

 貴族ギーニアスは、突然気が触れたように村長グレグの頬を力いっぱい殴り飛ばした。


「ガッ、ギ、ギーニアス、さま」


「ん? 生きていたのか。うっかり殺してしまったかと思ったぞ。ただまあなんだな、今ので生きているあたり、確かに肉体の強度が上がっている。何がきっかけかは知らんが、どうやらそれで思いあがったらしい。ここらで教育でもしておくか?」

 ギーニアスは下卑た笑いを見せて、グレグを心配して駆け寄った村の若者に目を付ける。


「おい、お前たち。その村長を殴り殺せ」


「ひ、いや、嫌です!」


「ん? お前たちの意見を聞いた覚えはないぞ。俺はただお前らのに命令したんだ」

 そう言ってギーニアスが強く睨みつけると、若者はまるで操られたかのように村長グレグに向けて拳を振り上げていた。


「やめろ、

 そこへアゼルの一喝が響く。それと同時に若者の拳もグレグを殴る寸前で止まっていた。


「なんだ? 何者だお前!」

 突然現れたアゼルに怪訝な視線を向けるギーニアス。


「それはこちらのセリフだが、どうやらお前が話に出ていた貴族らしいな」

 アゼルはいかにも不機嫌な様相で前に出てくる。


「はは、そうか。お前がこの村の連中に力を分け与えたヤツだな。人の縄張りを荒らすなんてマナー違反だろうが。同じ貴族だと言うのなら、もっと場所を弁えろ」


「…………はあ、まさか貴族の中にこんな馬鹿がいたとはな。いや、人間への侵攻を行なった四天王の例もある。単純に俺の目が節穴だったってだけか」


「おいお前、何をブツブツ言っている。我が名はギーニアス・ゼルフォン。貴様も貴族だと言うのなら名を名乗れ」


「たく、俺は貴族だと言っていないし、そこの連中が『魔王の寵愛』を受けただの言ってただろうが。……にしてもゼルフォン家か、お前の顔を見た覚えはないから代替わりでもしてたか?」


「は? お前何を言って」


「まあいい。イリアたち、ちょっと見てろ。これが『寵愛』、上位の魔族からの恩恵とを受けるってことだ。ギーニアス、

 アゼルがギーニアスに向けて短く命令するとその言葉通りにギーニアスは跪いてしまう。


「がっ、お前、今何を?」


「さっきお前がやったことだよ。上位の魔族からの魔素を供与されることで魔族は簡単に強くなる、だがその代償に魔素を与えた者の命令からは逆らえなくなるんだ。子々孫々とな」


「ま、まさか本当にお前が、いやあなたが魔王だと言うのか?」


「俺とまともに口がきけるなどと思うな小僧。せめて力の差を感じ取れるくらいには己の感覚を磨いておくんだったな。ここでお前に『死ね』と言うのは簡単だが」


「ひ、やめろ! いや、お、お待ちください魔王様!」


「待て? 俺に意見をするな愚物、いますぐに失せろ。そして二度とこの村に現れるな」


「は、はい! 仰せのままに!」

 アゼルが強い瞳でギーニアスを睨みつけると、彼は猛獣の前から逃げ出す小動物のように村を去っていった。


「────はあ、これで本当に二度とアイツはここに来ないだろうよ。つまらん後始末だったが、むしろ俺たちがここを出る前でよかったな」

 ギーニアスへ向けていた怒気が薄れ、やれやれといった顔でアゼルは村長グレグへと言葉をかける。


「ま、魔王様のお手を煩わせてしまい本当に申し訳ありません。で、ですがおかげさまで村は助かりました。本当に、本当にありがとうございます」


「そんなに『本当』を連呼するな。何が本物かわからなくなるだろうが。……にしても、これでわかっただろイリア。『寵愛』なんて良い事ばっかりじゃないんだよ」


「うん、なんか今のアゼル、ちょっとだけ怖かった。でもアゼルの命令に逆らえなくなるのに、なんで昨日ここの村の人はあんなに喜んでたの?」


「それはねイリア、『魔王の寵愛』があろうとなかろうと魔王との絶対的な力の差を前にして逆らえる魔族なんていないからだよ」


「…………ちっ、勝手に説明するな大賢者」


「いいじゃないか、それに君だってこんなことを自分の口から言いたくはないだろ? 魔族というのは絶対的な血統能力社会、魔王アゼルが魔王であるのも王の血統である以上に魔王としての力を引き継いでいるからに他ならない」


「リノンよ、それはつまり魔族において強い者の子供は強く、弱い者の子供は弱いと決まっているということでござるか?」


「まったくもってシロナの理解で正しいよ。だから魔族は少しでもいいから強い魔族からの恩恵を受けたい。たとえ魔王に一生逆らえなくなるとしてもそんなのは最初から変わらない。なら『寵愛』を受け取って強くなり、優れた配偶者を見つけて次代の子供が強くなる可能性を高めた方がいいだろ」


「本当に、そうなの? アゼル」


「……ああ、その通りなんだろ。あいにくと俺は強者の立場で生まれてきたから実感はないが、貴族連中の動きを見ていればなんとなく想像はつく。少しでも上に、他者より強く、そんな権力闘争の場でもあったからな、あの城の中は。でもおかしいのはむしろ俺の方で、魔族としてはアイツらの方がずっとまっとうなんだろさ」


「でも、そっか」

 アゼルの言葉を受け、そしてイリアは村の全てを見渡して納得した。


「魔族にとっては力が全て、力がないとそもそも生きていくことすら難しい。だけどここの村の人はたとえ力が弱くても、畑を作って狩りをして、つまりは工夫をして生きていこうとしていた」


「イリア、突然どうした?」


「アルトが前に言ってたことを思い出したの。魔族は生まれた時点で力の上下関係は決定されていて、その後の努力では覆ることはない、でも…………」

 イリアは続く言葉をアゼルの前で紡ぐことができなかった。

 何故ならそれは彼にとっての当たり前を否定することであり、魔族ならぬ彼女が口にすべきことではないと思ったからだ。


 しかしイリアは思い出さずにはいられなかった。

 人間の文化、知恵、価値観を取り入れることで生まれついての弱者の生き方にも変化が与えられるのではないか。誰もが公平である世界は作れずとも、誰もが平等に生を実感できる機会を手に入れられる世界にしたいと口にした、そんなアルトの願いを。

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