第301話 友との断絶…………そして

 ハルジアの城下街、エヴァンス孤児院の一室にて一人の少女が目を覚ます。


「あ、れ。ここは?」


「君の部屋だ、クレア。良かった、意識を取り戻したんだね」


「なん、で? 痛っ、ああ、そっか。────私、イリアごと自分を刺したんだっけ」

 クレアは自身の手をまじまじ眺めてそう言った。

 汚れひとつないその両手が、彼女には血で赤く染まったように見えてしまう。


「何故、あんな真似をしたんだクレア」

 そんな彼女に、アベリアの真剣な目が問いかける。その目には隠しきれない怒りもにじませて。


「……だって、殺されそうだったじゃない、アベリア」

 しかしアベリアの強い視線を受けてなお、動じることなく彼女は答えた。


「ああ、あのまま続けていれば勇者イリアは私の命を刈り取っただろう。だけど、だからといって君が命をかける必要なんてなかった。親友を騙し、裏切るようなことまでして」

 アベリアは知らず知らずのうちに拳を強く握り込んでいた。クレアにそこまでさせてしまったことをひどく悔やむように。


 そんな彼を見て、彼女は静かに首を横に振った。


「勘違いしないでアベリア。私は自分を、イリアを軽く扱ったわけじゃないわ。ただ私にとって生きていて欲しい命が何かを考えただけ。その命の中にアナタと村の子供たちは入っていて、私とあの子は入っていなかった。それだけのことなの」

 クレアは少しだけ悲しそうに呟く。


「ただ、アナタを殺されたくなかった。一番大事な友達に、一番大切な人を殺してほしくなかった。一番大事な親友だから、私の命をもって応えるしかないと思ったの」

 さらに続けて寂しそうに話す彼女の頬を、


「ふざけるな!」

 アベリアは思わずはたいていた。


「自分の命を、友の命をわざと軽く扱おうとするな! 一度失ってしまえばそれに釣り合うモノなんてないんだクレア。だからこそ失わないように己を尽くすしかない。それを、君は」

 彼は苦しそうに胸元を抑えながらも、その言葉を言いきった。

 苦しいのは当然だろう。何故なら目の前の少女からあらゆるモノを奪ったのが彼自身なのだ。そんな矛盾だらけの言葉を、誰が平気な顔をして言えるだろうか。


 そしてそれを素直に聞き届ける者がいるわけもない。


「…………ばか、自分のことを棚にあげてよく言えるわねアベリア」

 だがクレアは苦笑して、そんなアベリアの顔を気付けば抱き寄せていた。


 彼を抱きしめることで治りきっていない胸元の傷が痛む。だけど彼女はそれをありがたいとすら思っていた。真面目で愚直で、自らが傷つくことも厭わない目の前の黒騎士と痛みを分かち合えるのならそれでいいと。


「クレア、やめてくれ。私は、僕には君の優しさを受ける資格がない」


「だから、勘違いをしないでアベリア。私はアナタが傷つくと思ってこうしてるの。だからこれは優しさなんかじゃない。素直に、ずっと苦しんでいてよ」

 そういってクレアは黒い騎士に気付かれないようにその頭にそっとキスをした。


「……ああ、そうか。これが君が与える罰だと言うのなら、僕には逃げることすら許されないか」

 アベリアは静かに何かを受け入れ、落ち着いた心持ちで顔をあげて彼女と向き合った。


「クレア、君に伝えることがある。勇者イリアは生きているそうだ。彼女は死ななかった、助かったと賢王グシャは教えてくれた」


「────そう。恨んでるかな、イリア」


「そうかもしれない、少なくとも傷ついただろう。心と身体、どちらの意味でも」


「意地悪ねアベリア、ウソでも大丈夫だって言ってよ」


「言わない、君のやったことは恨まれて当然だ、僕と同じように。だけど、勇者たちが復讐のためにハルジアを訪れることは今後ないとも言っていた。もう彼らにはそれだけの余裕がないと」


「そう、なの? 相変わらず賢王グシャの話は根拠が分からないけど、でもあの王がそう口にしたってことはそうなのかもね。でもそれでも私はもうあの子イリアには……」

 クレアが何か言葉を続けようとしたとき、


「違うクレア、僕が言いたかったのはそういうことじゃない。誰も死ななかった。誰も失われなかったんだクレア。僕たちはまた愚かな選択を繰り返したけど、今回の件で誰も死ぬことはなかった、失われる者はいなかったんだ」

 そう言ってアベリアはクレアの両肩を掴み、真正面から彼女と向き合った。


「だから、僕はこのせめてもの幸運を無駄にはしない。これからも、いやこれからこそ僕たちの前から何も失われるモノがないように僕の全てを尽くす」

 真剣な瞳が、彼女を逃がさないと告げている。


「だからクレア、僕と……」

 アベリアの口が、決定的な何かを口にしようとしたその瞬間、


 ギ、ギ、ギィ。バタンッ!!

 激しい音を立てて、部屋の扉が内側に倒れ込んだ。


「へ、え、えぇ!?」

 突然のことに驚くアベリア。

 何故なら倒れ込んだ扉にはまるでそれに張り付くようにリンやオルフェを始めとするキャンバス村の子供たちと、そしてあろうことか白騎士カイナスまでもが聞き耳を立てていたからだ。


「ちょ、え、カイナスまで。なんでみんなで盗み聞きしてるんだよ!?」


「ちっ、別に盗み聞きをしてたわけじゃない。お前たちの様子を確認しようここに来たらガキどもが集まっているから何事かと思っただけだ」


「え~、カイナス兄ちゃんズルいよ。一番に身を乗り出して聞き耳立てたの兄ちゃんじゃないか。兄ちゃんが体重かけなきゃ扉だって壊れなかったんだぞ」


「うるさいオルフェ、だいたいなんだこの扉は分厚過ぎて全然何を言ってるか分からなかったぞ。普通孤児院の壁とか扉とかもっと薄く安く作るだろうが」


「それはカイナスが情報漏えいがあるといけないから腕の良い大工に質の良い木材を使えとか言い出したからだろ? 結局それで予算が足りなくなってカイナスまでここのお金を出すことになったんだし」


「え、アベリア。その、カイナスさんもこの孤児院の出資に協力してくれてたの? 私、初めて聞いたんだけど」

 アベリアからの初耳な情報に驚くクレア。


「だって、カイナスが絶対に言うなっていうからさ」


「ならなんでそれを今ここで言ってるんだよアベリア!」


「大事な話を盗み聞きされて、その上邪魔までされちゃあ秘密のひとつふたつくらい言いたくなるだろ」


「ぐ、ふざけやがって。……とりあえずお前らは大丈夫そうだとわかったから今日はもういい。帰る」

 そう言ってカイナスが部屋から出ていくと、なぜか子供たちもそれに付いていく。


「カイナスお兄ちゃん帰っちゃうの? もうちょっと遊んでいこ?」


「俺は別に遊びに来たわけじゃねえよ」


「だったらまた俺らの修行に付き合ってくれよ」


「ガキの剣に付き合うほどヒマじゃない」


「カイナスお兄ちゃん、お腹空いた」


「あん? ミリアまだメシを食ってないのか? ああ、クレアが寝込んでるしその辺行き届かないか。簡単なモノでいいならちょっと待ってろ」


「やったぁ! カイナス兄ちゃんの料理だぁ」


「別にお前らの分まで作るとは、まあいいついてこい。メシがすんだらちょっとだけ剣の稽古もつけてやる、覚悟しとけよ」


 カイナスの言葉に盛り上がる子供たち。その喧騒が少しだけ遠のいていく。


「なんだかんだ面倒見がいいよね、カイナスさん」


「カイナスも孤児だから、自分と重ねるのかもしれない。街の子供らには結構厳しいよアイツ」


「だけど人見知りのミリアがなつくんだから、やっぱり根はいい人なのよ」


「そうかなぁ、世間じゃ王の双剣、氷のカイナスなんだぜアイツ」


「ふふ、とても聞き耳立てたあげく扉を壊すような人とは思えないわね」

 二人はふと同時に壊れた扉を見てしまい、思わず笑い出す。


「もう、笑いすぎて傷が痛い。──────ふう、ごめんねアベリア。この痛みも笑いも、生きているからこそよね」


「うん、だからどうか君には生きていて欲しい。生きることを簡単に手放さないで欲しい。簡単に、僕を許さないで欲しいんだ」


「わかったわよアベリア、私が生きていることがアナタへの罰になるのなら、ずっとアベリアをだきしめてあげる。それで、いい?」

 そう口にする彼女の瞳からは涙がこぼれる。

 そしてアベリアの瞳からも同様に。


 そんな二人の唇が触れ合おうとするその瞬間。


「おいお前ら、って何泣いてんだよ。メシを作り過ぎた、お前らも一緒に食べろ」

 そこにフライパンを片手にもった白騎士カイナスが空気を読まずに現れる。


 その姿を見て、クレアとアベリアはまた思わず吹き出して笑ってしまう。


 涙を流しながらも、楽しそうに。


 

 失った者と失わせた者、与えられた者と与えることで支えられた者。

 歪でも、儚くとも、そこには笑いあえる人の姿があった。

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