第299話 勇者イリア

 白騎士カイナスに連れられ、クレアはハルジアの城下街へと赴いていた。

 彼女の存在が公にならないように、カイナスは彼女にローブを渡して顔を隠させている。


 しかしそんな扱いが気にならないほどに、クレアの瞳は驚きで見開いていた。


 何故なら、そこにあったのは地獄でしかなかったからだ。


 街の中で蠢く人々、そう表現するしかないほどにハルジアは人であふれかえっていた。

 その中に、無事健康な者がどれほどいるだろう。


 腕や足を失い治療を受ける兵士たち。


 魔素で汚染されたのか、肉体が黒く変色して呼吸もままならない子供たち。


 食糧や、魔素を浄化する浄水を奪い合って殴り合う大人たち。


 阿鼻叫喚の地獄、それが今のハルジアの姿だった。


「言葉にならんか、娘」

 そんなクレアを見て、嘲るでも、罵るでもなくただ現実を見据えてカイナスは言葉を吐いた。


「こんな、ことが。私たちの村の外では、こんな…………」


「ふん、これでもずいぶんと正常化したものだ。数日前はもっとひどかったさ、この世の終わりかと思えるほどにな。賢王グシャの治世において、ここまで国が混乱したのは初めてだ。それほどに、あの王でもコントロールできないほどに今の世界は狂っている」

 そう口にしながらカイナスはクレアを連れて外壁を目指していた。

 体調がおぼつかず、足取りの重いクレアに舌打ちしながらも、彼は決して彼女を置いていこうとはしない。


「……あと数日、遅れていれば終わっていた」

 その途中で、カイナスは身を震わせながら言った。


「え?」


「あとほんの数日、勇者の到着が遅かったら、さっきの人々も俺たちもみんな死んでいたと言っている」


「そ、そんな」


「信じられんだろう、だがそれが事実だ。賢王グシャの知略、俺たち聖剣騎士の奮闘、そして一般の兵士たちの数多の犠牲をもってしてもなお、このハルジアは陥落寸前だった。勇者イリアの力、ただそれだけで俺たちは今を生かされている」

 そのカイナスの言葉には自身への情けなさと救われたことによる安堵が入り混じっている。


「勇者イリアの、力。じゃあイリアは? 今あの子はどうしているんですか!? イリアに会わせてください!」


「心配するな、今向かっているところだ」


「向かっている? でもこの先は外壁じゃ、今イリアは魔族を追い払ってどこかで休んでいるじゃないんですか?」


「何を言っている娘、魔族は今もなお現在進行形でこのハルジアへ攻めこんでいる。勇者イリア・キャンバスはそれを食い止めている真っ最中だ」

 そうカイナスが口にした時、彼らは外壁の見張り台がある場所にまで辿りついていた。そしてその見張り台を登り切った先で彼女が目にしたものは。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!!」

 たった一人で魔族の群れに立ち向かう、親友の姿だった。



 クレアが見張り台から見渡した先には、悪鬼のように押し寄せてくる何千もの魔族の軍勢がいた。

 巨大な浮遊要塞を背後にしてまさに無尽とも言えるほどの物量をもって襲いくる人間の外敵。


 そしてその膨大な暴力を一身で受け止めていたのは、たった一人の少女だった。


 勇者イリア・キャンバス。


 彼女と同じ村で同じように育った同い年の女の子は、彼女の知らない顔で、鬼気迫る表情で悪鬼たちを切り裂いていた。


「な、なんで?」

 そんな彼女を見て、クレアの口から言葉が漏れる。


「なんでイリアはたった一人で戦ってるの!?」

 クレアは目の前の光景が理解できず、隣にいる白騎士カイナスに詰め寄った。

 それは当然の疑問だろう、国の陥落の危機、人類の窮地において何故戦っているのがたった一人の少女だけなのかと。


「それを問うか、女」

 そのクレアの問いを受け、カイナスの表情は怒りと屈辱に染まる。


「……邪魔だからだ」

 端的に男は答えた。


「え、邪魔? それはイリアが邪魔だってこと? あの子を使い捨てにする為にアナタたちは!!」


「そうじゃない、俺たちが、邪魔なんだ」

 悔しそうに唇を噛み、白い騎士は答えた。


「あの勇者にとって、他の戦士は足手まといでしかない。それは俺たち聖剣騎士も含めてな。もちろん初めは総力をあげて我々も参戦していた。正直、途中でやってきたあの勇者一人に何ができるのかと侮ったさ」

 カイナスは目下で単身戦う少女を見て、数日前の出来事に思いを馳せていた。


「だが勇者の力は絶大だった。魔族の誰一人として彼女を傷つけられず、彼女の聖剣の一振りが何十という魔族たちを殲滅させた。俺たち聖剣騎士ですら魔族の末端の兵士を一人葬るのがやっとの戦場において、彼女は間違いなくたった一つの輝く星だった」


「な、ならその星を守ったって、いいじゃないですか」

 クレアは声を震わせながら、なんとか自分の意見を言い切った。

 だが彼女の声が震えたのは、返ってくる言葉が予想できたからに違いなく。


「逆だ、俺たちがいることであの勇者は動きが鈍くなる。足手まといを守ろうとしてな。あの勇者にとって、守る者がいることはただの足かせにしかならないんだ」


「そんな! イリアはそんな子じゃ」


「だったら見てみろよ、あの勇者の目を。アイツはこの3日間ずっとあの戦場に立ち続けている。その女がどんな顔をしているか見てみろ」

 カイナスの強い言葉に促されて、クレアは目を凝らして親友の姿を捉える。


「え、イリ、ア?」

 そこにいたのは、彼女の知らない誰かだった。

 白銀の美しい瞳は血のような憎悪の赤に染まり、魔族を切り裂くそのたびに愛らしかった頬は薄く歪に笑っていた。


「わかったか? 今の勇者にとってこの戦場は自分の復讐を果たす絶好の環境。人間の情を戻しかねない仲間など不要だということだ」

 冷たく、それこそ氷のような薄情さで白騎士カイナスは言い切った。


「復讐!? キャンバス村を襲ったのはアナタたちじゃないですか!」


「ハ、俺も報告は聞いている。アベリアの到着と魔族の襲撃は紙一重の差だったとな。アベリアが行かずともお前たちの村は魔族に襲われていた。ただの順番の違いだ」


「順番、ですって?」


「ああ順番だ。仮に魔族が先に村を襲撃していた場合、アベリアは迷うことなくお前たちを助けただろう。子供らを優先してな。その場合はお前は純粋な感謝をアイツに捧げただろうさ」


「そんな、ことは」

 ない、とクレアは言葉にできなかった。自分が詭弁に惑わされているとわかっていたとしても、あの黒い騎士が間違いなくそうしたであろうことは確信できてしまったから。


「もしアベリアが村に行かなくても一緒だ。魔族に滅ぼされた自分の村を見て、あの勇者はその場にいた魔族を皆殺しにして最終的には全ての魔族を滅ぼしに動いただろう。まあその場合はこの国の危機には間に合わんから人間も全滅だったろうがな」


「結局、何が言いたいんですか?」


「言いたいことは一つだ、真実はどうあれ、この結果は変わらない。あの勇者は魔族を憎むことでしかあそこに立っていられない。だから真実などにこだわろうとするな。結果的に救われる人数が多ければ、それでいいだろ」

 白い騎士はクレアには視線を向けず、ただ戦場のみを見つめてそう言った。


「…………」

 そんな男に、彼女は言い返すことができなかった。

 彼の言う言葉は詭弁であり欺瞞である。

 しかしそれでも、その嘘を信じて勇者イリア・キャンバスが数多の命を救っていることは事実だった。


 イリアが聖剣を揮うたびに煌めく白銀の極光。

 どんな魔族の一撃を受けてもひるむことない強い瞳。

 その一挙手一投足全てが白く輝き、闇に満ちた戦場において彼女は間違いなく一輪の花だった。


 誰よりも身近にいたはずの親友は、近づくこともできない遠い彼方で輝いていた。


「そう、そうだったんだね」

 その光景を見てクレアは思い知らされた。

 彼女の特別な友人は、ただひたすらに『特別』であったことに。

 この魔族という闇に押し負けそうな世界において、たった一つの宝であったことを。


 その宝を独り占めにしようとした末路が、あのキャンバス村の最期であったのだと。

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