第九譚 外伝 クレア・キャンバス

第297話 黒騎士アベリア

 ハルモニア大陸の東の最果てにあるハルジア国。その城のある一室にて一人の少女が目を覚ました。


「あ、れ。……ここは、どこ?」

 ベッドから身体を起こし少女はキョロキョロと部屋を見渡すが、まったくもって彼女には見覚えのない場所であった。少女はどうして自分がこんな場所にいるのか必死に自分の記憶を探るが、まるでモヤがかかったように思い出すことができない。すると部屋の外からコツコツと足音が聞こえ、扉が開かれる。


 現れたのは、黒い鎧を身に纏った男だった。


「目を、覚ましたのか」

 男は少女を見て驚いたように目を見開き、そして申し訳なさそうに視線を逸らす。


 少女はその男に見覚えがあった。そう、見覚えが。

 急速に解凍されていく記憶、燃えるキャンバス村、殺し合う大人たち、突然現れたハルジアの兵士、そして目の前で殺された、彼女が兄のように慕っていた青年。


 ああ、それをやったのは、目の前の、黒い鎧の……


「あ、ああぁぁぁ!!」

 少女は気が触れたように色素の薄い髪を掻き乱し、そして憎しみに染まった瞳で黒い鎧の男を睨みつける。

 だが、その憎しみを具体的な行動に移そうにも、彼女の手元には武器と呼べるモノがなかった。

 いやそれ以前に彼女の肉体が思うように動きだしてくれない。

「っ、何で? 身体が、重い」


「……無理をするな。君は5日ほど寝込んでいたんだ。とっさのこととはいえ、力加減ができずにすまなかった。だがその様子だと、火傷の方もだいぶ癒えてきたみたいだな」

 少女の狂乱と憎しみの視線を受けながらも、いやそれをあえて受け止めるかのように黒い騎士は真っ直ぐに彼女を見つめて言った。


「5日? 火傷? いったい何のこと? ねえ、教えてよ。村が燃えていたの。お父さんたちが、みんなと殺し合ってたの。ラルクお兄ちゃんが、殺されたの。────ねえ。ねえアナタ、いったいどれが夢でどれが本当のことだったの!?」

 少女は薄々真実に気付きながらも、それを否定するように涙を流しながら男に向けて言葉を吐き捨てる。


「…………君の思う最悪が、どうしようもない現実だ」

 そんな彼女に対し、無慈悲に、誠実に黒い騎士は答えを突きつけた。


「や、そんなのイヤ。イ、イヤァァァァ!!」

 騎士のその言葉に、少女は今度こそ発狂したように声をあげ、言葉ごと彼を否定しようとベッドから飛び出して襲いかかろうとする。


 だが、先刻の騎士の言葉通り、少女は上手く動くことができずにそのまま床に倒れそうになった。


「っ!」

 少女が床に身体を打ちつける前に、黒い騎士は素早く彼女に駆け寄って支える。

 その代償に騎士が手にしていた物が床へと転がって音をあげた。

 

 落ちた物、それは人を殺すための鋼の剣ではなく、水の入った容器とタオルだった。


 零れ広がる水とともに、その場の熱がわずかに冷える。


「触ら、ないで。……なん、で、助けたの。それに、コレは何? いったいアナタ、何をしにきたの?」

 少女の言葉に憎しみはこもったまま、現状への疑問が少しずつ彼女の口から漏れ出た。


「言ったはずだ、君は火傷をしていたと。聖剣イグニスの加護があった私とは違い、君は無防備なままあの燃え盛る村の中にいた。こうして目を覚ませたのも、君自身の強さがあったからこそだ」

 黒い騎士はそう言いながら少女を抱き起し、再びベッドへと寝かせる。


「……ここは、どこ? アナタは、結局誰なの?」

 どうしようもない敗北感に打ちひしがれたまま、彼女は仕方なさそうにただその質問を口にする。


「ここは私の部屋だ。そして我が名はアベリア、最果てのハルジアの聖剣騎士、王の双剣の片割れ、炎のアベリア。簡単に言えば賢王グシャの近衛このえだ」

 騎士アベリアは淡々と少女の質問に答えた。


「近衛って、聞いてあきれるわ。王の側近がこんなところで何をしてるのよ」


「ふむ、それはもっともだが、我が王は必要な時にしか我らを側に置かない。今私に声がかかっていないということはそういうことなのだろう。そして、君の容体も良くなったようだし、少し話をさせてもらおうか」

 アベリアは床に零れた水を拭き取りながら会話を続ける。


「君の名前は子供たちから一応聞いている。クレア、クレア・キャンバスで間違いないか?」


「子供たち、生きているの!? どこ!? それにイリアは!?」

 アベリアの言葉にクレアは喰いつき、どうにか必死に身を起こす。


「……順番通りに話そうか。キャンバス村にいた子供たちは私の独断でこのハルジアへと移送し、今はある孤児院に預けている」

 動揺するクレアを落ち着かせるために、アベリアはゆっくりと状況を説明する。


「そして勇者イリア・キャンバス。彼女も既にこのハルジアに到着して、我々人間の為に戦ってくれている。どちらの件も、君の体力が回復次第しかるべき案内をしよう…………ん、どうかしたかな?」

 粛々と真摯に言葉を紡ぐ黒騎士を見て、クレアは目を見開いていた。

 

「いえ、アナタがあんまりにも丁寧に話すから。キャンバス村を襲った人なのにって、混乱してた」


「そうか、では誤解のないように言っておこう。─────あの村を滅ぼしたのは間違いなく私だ。だから君が向ける憎しみの矛先は、私で間違いない」

 黒騎士アベリアは真っ直ぐに彼女に告げる。まるで明日の死罪を受け入れた者のような顔持ちで。


 その時、部屋の扉がノックされる。


「アベリア、入るぞ」

 そうして間をおかず、白い鎧を着た騎士が入室してきた。


「カイナス、どうしたんだ? 一応今は取り込み中だったんだけど」

 アベリアは部屋に入ってきた騎士、カイナスへと身体を向けてやや不満そうにここに来た目的を聞いた。


「王が呼んでいる。話がしたいそうだ」

 しかしカイナスはアベリアの不満を意に介さないとばかりに端的に用件を彼に告げる。


「王が、話を? 珍しいな」


「だったら少しは予想もつくだろ。どんなに隠したところであの人には全部バレているぞ」


「…………そうかもしれない、だけど僕にはこうするしかなかったから」


「それもわかってる。あと言葉遣いが素に戻ってるぞ。賢王グシャの前に行くのなら少しは気合いを入れておけ」

 そう言って白騎士カイナスはアベリアの肩を軽く叩いて彼を送り出した。


「すまないクレア、話の続きはまた落ち着いた時に」

 部屋に残されるクレアへ去り際にアベリアは言葉を残す。


 目の前の突然のやりとりに文字通り置いてけぼりのクレア。

 しかし実際のところ、まだ一人置き去りにされた方がマシという状況であった。


 何故なら、


「ったく、アベリアも余計な爆弾を抱えたものだ。いっそ、殺しておけばよかったものを」

 そう口にする白い騎士が、いまだ彼女と同じ部屋に残ったままだったからだ。

 

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