第295話 ジェロア回収

「ヒ、ヒ、ヒィィィ」

 ハルジア国の外れの草原、ジェロア・ホーキンスは息も絶え絶えと言った様子で両手を地面について何十キロも走った後の犬のように舌を出して喘いでいた。


「な、なんなのだ、アイツらは。ヒ、ヒ、ヒィ」

 それも当然、ジェロアはここまで本当に命からがらといった状態で逃げてきたのだから。


 ジェロアはどうにか冷静にここまでの状況を振り返ろうする。

 ハルジアの王城から放り出された彼は、意外なほどに気分を切り替えて悠々と城下町の大通りを通って帰ろうとしていた。

 優良な支援者パトロンを失ったのは手痛いとはいえ、それでも法外なほどに彼の望む研究はさせてもらえた。そろそろ潮時だったと思えば、彼が惜しむモノはそれほどなかったからだ。


 幸い彼は魔族であり寿命は人間と比べればまだまだ残っている。新しい支援者パトロンはまた時間をかけて探せば良いと思っていた。


「いたぞ、この男だ間違いない! 魔族の男を見つけたぞ!!」

 だが突然の大声に彼は現実に戻される。気付けばハルジアの兵士たちが彼を取り囲もうとしているではないか。


 ある意味当然のハルジアからの追手。だがジェロアは内心で違和感も覚える。彼の知っている賢王グシャという男は自分の言葉を覆すような男ではない。


 彼がただ「去れ」と口にしたのなら、少なくともハルジアを出るまでは自分の身は安全だと高を括っていたのだ。


「本当だな、手配書通りの顔だ。貴様を王の命により捕縛する」


「手配書だと!? 何の話だ。私はそのキサマたちの王に出ていけと言われたのだ。それを捕まえるとは一体何事だ!?」

 ジェロアは混乱しながらも精一杯の訴えをする。


「それこそ何の話だ? 我々は今日一日中この手配書を頼りにお前を探していたんだぞ。それも街全体に外出制限までしてな」

 その兵士の言葉でジェロアは今の状況を概ね把握する。今日一日ジェロアを探してたという兵士たち、つまりは賢王グシャは勇者イリアたちとの戦闘の結果の如何に関わらず、ジェロア・ホーキンスを今日限りで見限るつもりであったということである。


「キ、キヒィ!! あの小童めぇ。あれだけ私を利用しておいて、突然手の平を返したように捨てるなぞ、キィィィィ!」

 現状を理解したことで怒り狂うジェロア。

 だがそれも自業自得といえばそれまでのこと。賢王グシャは、自身の未来演算において、ジェロアとの縁がここまでとわかっていたので彼なりの送別を用意していたまでの話。

 本当にグシャにはジェロアに対する怒りや憤りなど、心当たりなどなかったはずなのだ、さきほどまでは。


「何をおかしなことを言っているんだコイツは。それにしても気をつけろみんな。一人で武器もないとはいえ魔族は魔族。対策を忘れるなよ」

 そういって兵士たちは皆次々を用意していた水を被っていく。

 それはもちろんただの水ではなく、神晶樹の森の湖に由来する浄水である。

 これにより魔族はただ接触するだけで手痛いダメージを受けることになる。


「キ、キヒィ!! ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなよ!! 低俗な人間ごときが、私を、ワタシを止めるなどぉ!」

 着々とジェロアの包囲が進む中、彼は一心不乱に城門へ向かって駆けだした。

 当然彼を止めようとする兵士たち。だがそれを手にした魔銃を乱発して強引に道を開けさせる。


 何故なら、彼にはもはやそれ以外の手段などなかったから。


 魔素圏外にて生活ができる彼は一応ながら貴族に分類される魔族である。

 だが戦闘に関しては本当にからっきしなのだ。だからこそ自分以外を研究するという道に歩みだしたのだから。


 先ほどルシアに撃ちこんだ魔銃の一発でさえも、当たったのは偶然に近い。相手が静止しており、かつ油断していたあの瞬間だったからこその一発。

 実戦闘において、彼は魔銃をまともになど扱えるはずがなかったのだ。


 だから必死に当たるはずもない銃を乱発し、振り回して兵士たちを一瞬引かせるのが関の山だった。


 だがその一瞬にかけて彼はハルジアの街を駆け抜け、どうにか逃げ出すことに成功した。


 300年近い彼の人生の中で、一番速く大地を駆けた瞬間だった。


 その代償として彼は今現在、犬のように息を荒げて地面に這っているのだが。


「ク、キヒィ、くそ、くそ、くそっ。何故私がこのような目に」

 自身のこれまでの所業を棚にあげて、ジェロアは悪態を撒き散らす。


 誰も見ていない、誰の反応も返ってこないはずの空間で、


「随分なありさまじゃの、ジェロア・ホーキンス?」

 優雅に、優美に、遥か高みから彼に声をかける者がいた。


「ヒィ?」

 ジェロアが見上げるとそこには美しい紫の長い髪をした少女、アルト・ヴァーミリオンが立っていた。


「まさに良い様とはこのことよな。お前は誰かを見下ろすよりも犬のように這いつくばっているのが良く似合う。うん? それでは犬に失礼じゃの。地面を転がるゴミと例えた方が適切じゃったか」

 アルトはジェロアの心情など意にも介さぬといった様子で、明後日の方向に視線を向けていた。


 それをチャンスと見たジェロアが、もう一度駆け出そうとしたその瞬間。


「ヒィ!?」

 彼の目前にアルトの魔素で構成された槍が突き立っていた。


「ん? おかしなことを考えるでないぞ下郎。気付いておらぬようじゃがここら一帯の空間はすでの妾の支配下。我が魔素が既に散布済みじゃ」

 ジェロアには一切興味がない様子はそのままに、アルトはなまめかしくその指を唇に当てた。


「お、お前は、いや貴女は、一体?」

 あまりの恐怖からまともな思考すら奪われるジェロア。


「何を今さら、と。そういえば自己紹介はしておらなんだか。妾の名はアルト・ヴァーミリオン。魔王アゼル・ヴァーミリオンの娘にして次代の魔族を統べる者じゃ」


「キ、キ、ヒィ」

 呆然とジェロアはアルトを見上げる。今の彼女の言葉は、彼にとって死刑宣告にも等しかった。


「貴様の罪状を述べると日が暮れてしまうの。魔王の命令に対する不従順、無許可でのアグニカルカからの出奔、魔族の誘拐、人間の誘拐、反逆罪に不敬罪、その他その他、といったところじゃが、何よりも重いのは妾のルシアに傷をつけた罪じゃろうな」


「い、ぬ?」

 意味が分からぬとジェロアはつい聞き返してしまう。


「お前が魔銃を撃ちこんだあの男のことじゃ、今は妾の城で強引に寝かせておる。アレに対するお前の所業、それだけは見過ごしてはおけんのぅ」

 アルトがそう口にした瞬間、ジェロアに恐ろしいほどの重圧がかかる。

 ふと気づくと、アルトの手には美しくも恐ろしい魔剣が手にしてあった。


「ヒ、ヒィ˝~」

 恐怖と物理的な重圧により、彼は地面に押し付けられる。


「だが、それも妾個人の話」

 ふとアルトがそう呟くと、先ほどまでのプレッシャーが嘘のように消失する。


「ヒ?」

 突然のことに意味もわからずに顔を上げるジェロア。


「お前がアグニカルカにとって使えるか使えないかでいえば、残念なことに使える人材になるのよなぁ」

 本当に残念そうにアルトは口を零す。


「キ、ヒヒ? では、もしや」


「赦さん、だが使えるモノはゴミでも使う」

 そう言ってアルトは魔剣を手にしていない方の手を宙に上げる。

 すると辺り一帯に散布されていた彼女の魔素が一カ所に集まってきた。


「ヒ、ヒィ!?」

 そう、ジェロアの周りへと。

 それらの魔素はまだまだ集まり続け、恐るべきことにジェロアを物理的に固めてしまう。


「うん? 驚いたか? 別にゴミに人権など必要あるまい。運ぶなら固めてしまうのが簡単なのでな」

 アルトがそう言い終わった時には、ジェロアは黒く四角い魔素の箱の中に身動きもできずに閉じ込められていた。


 ジェロアの意識すら定かではない中、アルトは彼女本来の口調に戻り、


「なに、次期魔王の魔素でできたブラックボックスの中なんだから、居心地は最高でしょ? アグニカルカに戻り次第、大好きな研究をやらせてあげるから、楽しみしてるといいわ」

 妖艶に、残酷に、一人の男の人生けつまつを決定づけた。


 

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