第293話 孤児院、幸せを抱きしめる少女

 ある晴れた昼下がり、ひらけた庭で子供たちが遊んでいる。


 いや、もしかすると遊んでいるのとは違うのかもしれない。彼らは木剣にやわらかい布を巻きつけてお互いに構え合っている。大人から見れば十分に遊戯の範疇だが、子供たちからすると真剣な稽古の最中であるのかもしれなかった。

 

 彼らの歳の頃は4歳から10歳くらいの少年少女と少し幅広い。

 だが、彼らはまるで本当の兄弟のように仲が良さそうでもあった。


「オルフェ、少しは加減しなさいよ。サイールもロイもまだ小さいんだから」

 子供たちの中でも少しだけ年長の少女は頬を膨らませながらオルフェという少年に注意をする。


「うるさいなぁリンは。このくらいで根を上げてたら男としてやっていけないよ。オレらがここを守っていかないといけないんだからよ」

 注意された少年オルフェは、木刀で自分の肩をポンポンと叩き、快活に笑ってみせた。


「オルフェお兄ちゃん、私たちにも剣を教えて~」

「私もいつか勇者になるの~」

 そこに二人の幼い少女がオルフェに駆け寄る。


「お、ルカとミリアも興味があるのか? いいぜ、ちゃんと手加減して教えてやるからよ」


「あ、の、ねえ。それができるなら最初からそうしてっての。本当に女の子には甘いんだからオルフェは」


「オルフェ兄ちゃん、オイラたちももっと頑張るから。全然厳しくしていいよ。な、ロイ」

「う、うん、サイール兄ちゃん。だって、ボクらがこの孤児院を、守らなくちゃ、ね」

 笑顔で見栄を張るサイールの言葉に、少したどたどしい声ながらも、拳を胸に当てて、小さな少年ロイはそう口にした。


「はは、さすがオレの弟分だ! そう、このエヴァンス孤児院はオレたちが守らなきゃな。アベリア兄ちゃんもクレア姉ちゃんも最近は仕事が忙しいみたいだしよ」

 オルフェが頭の後ろで手を組んで再び快活に笑い始めたその時、孤児院の敷地の入り口の柵が大きな音を立てて開く。


 子供たちが目を向けると、そこにはクレアを両腕で抱えるアベリアがいた。


「アベリア兄ちゃん! お帰り、ってどうしたんだよ!? クレア姉ちゃん大丈夫なのかよ!?」

 少年オルフェはアベリアの抱えるクレアを見て表情を真っ青にしていた。


「…………任務中に怪我をしてな。一命は取り留めたがしばらくは安静にしていないといけない。孤児院のクレアの部屋に運ぶ。しばらくは面会禁止だ、こいつが意識を取り戻すまでは俺が看る。だが、クレアが元気になった時は、お前たちにも世話を頼むぞ」

 そう言ってアベリアは真剣な顔で迷うことなく孤児院の扉を開けてクレアの部屋へと向かっていった。


「クレアお姉ちゃん、大丈夫かな?」

 心配そうな声をあげる年長の少女リン。

 

「大丈夫だよ! だってアベリア兄ちゃんが大丈夫って言ったんだから」


「そうだよリンお姉ちゃん。アベリアのお兄ちゃんが私たちにウソついたことなんて一回もないでしょ?」


「そ、そうだけど。心配になるのは仕方ないじゃない」


「…………よし、稽古の続きだ。お前たちいいか?」

 そして、既に気持ちを切り替えたようにオルフェは再び木刀を握る。


「アベリア兄ちゃんもクレア姉ちゃんもこの国の為、オレたちの為に身体を張って戦ってくれてるんだ。いつか二人の力になる為にも、オレたちが強くならなきゃな」

 そう口にしてオルフェは唇を震わせながら何度も素振りを始めた。


「うん、そうだね。ボクらの村を、お父さんお母さんを殺した魔族から、今度こそみんなを守らないと」

 2番目に背の高い少年サイールもオルフェにならうように木刀を握りしめた。


「わたしも頑張る! そしていつかイリアお姉ちゃんみたいな立派な勇者になるの!」

 下から2番目の少女ルカが誇らしげにそう言った。

 

 その言葉に、一瞬だけ空気が固まる。


「イリア、姉ちゃんか。今頃どうしてるんだろうな。勇者として魔族を追い返してくれたけど、そこから何にも話を聞かないもんな」


「イリアお姉ちゃんは今でも魔族と戦ってくれてるんだよ! 私知ってるもん!」


「知ってるもん、って誰から聞いたんだよ。オレたちこの孤児院から出れないのに」


「だって、だってそうだもん。お姉ちゃんは戦いで忙しいから会いに来てくれないんだもん。もし時間があったら、絶対に私たちに会いに来てくれるはずだもん」

 少し涙ながらに少女リンは訴える。


「おい、やめろよ。年下の連中まで泣いちまうだろうが。……わかってるよ、イリア姉ちゃんのことは。ただ、オレたちが一人前になるまではこっちからは会いにいけないんだ。仕方ないだろ」


「ねえ、イリアお姉ちゃんってどんな人?」

 オルフェたちの会話に、一番幼い少女ミリアが不思議そうに首をかしげていた。


「ああ、そうか。ミリアは覚えていないのか。姉ちゃん、ミリアのことすごく可愛がってたんだけどな。イリア姉ちゃんはな、この世界を救った勇者なんだ。たった一人で魔族を追い返したオレたちの英雄。今はもう滅んでしまったキャンバス村から出た最高の戦士、そしてみんなが大好きなオレたちの家族なんだぜ」

 誇らしげに、それはもう誇らしげに少年オルフェは勇者イリアを語った。


「真面目でまっすぐで、私たちの憧れなの。クレアお姉ちゃんだって、イリアは私にとっての宝物だって一緒にお布団で眠る時に言ってたんだよ」


「──あ、クレアお姉、ちゃん」

 リンの言葉に反応して、一番下のミリアの瞳に涙が溢れだす。

 それに呼応するように、全員がクレアの容体が気になるかのように彼女の部屋がある場所に視線をやっていた。


「…………ちょっとくらい、顔を見に行っても、いいよな?」


「オルフェ!? ダメだってアベリアお兄ちゃん言ってたじゃない。だから────見つからないようにこっそりとだよ?」

 年長の二人がそう判断したことで、彼らは本当にこっそりとクレアとアベリアがいるであろう部屋を目指し始めた。


 だがその時、

「?? どうしたのミリア? 一緒に来ないの?」

 一人だけ、少女ミリアがその場に留まっていたのだ。


「ん~とね、何だか身体が動かないの。でもね、全然イヤな感じじゃないの。お母さんみたいな人に、抱きしめられてる、みたい」

 たどたどしく、彼女なりの言葉を紡ぐミリア。


 その様子を不思議に思いながらも、リンはミリアの手を取った。


「どうしたのかな? 一緒に行こミリア。私が手を握っててあげるから」

 そう言ってリンがミリアの手を引くと、まるで何事もなかったかのようにミリアはトコトコと彼女についていった。


 そうして孤児院の中へと消えていく少年少女たち。


 そして、それを見送る者も、ここに。


「どうかな、少しは満足できたかいイリア?」

 現れたのは世界すら騙そうとする大賢者リノン。

 そして、今まさに腕の中から去っていった熱を名残惜しそうに抱きしめる勇者イリアの姿だった。


 リノンの能力『焦点化リアル・フォーカス』によって世界からの視点をずらされている二人は、今もなお誰にも観測されることのない状態になっている。


「ま、満足も何もないか。失ったと思った者たちが生きていた。失くしたと思った場所がここに残っていた。その感覚は、言葉で言い表せるモノではないだろうからね」

 その言葉とは裏腹に無感動に、無感情に、イリアの心にできるだけ触れないであげたいかのようにリノンは言った。


「クレアが私を刺した時に言っていたの、『キャンバス村の子供たちは今も生きてる。ハルジアのエヴァンス孤児院で幸せに過ごしてるって』 本当、だったんだ。あの子たちは、生きて、くれてたんだ」

 嗚咽をもらすように涙を流すイリア。


「どうやらこの孤児院は、黒騎士アベリアが建てたモノらしい。生まれが関係しているのか、彼はもともとハルジアの孤児院には協力的に活動していたようだが、キャンバス村を滅ぼして子供たちを匿った時に私財を投じてこのエヴァンス孤児院を創立したそうだ。それはもちろん情報の隠ぺいと、そしてあの子たちを守る為だろうね。コミュニティの成立している既存の孤児院に別のグループの子供がくれば必ず不和が生じる、それを彼は知っていたんだろう」


「でも、そんなの」


「ああ、もちろん欺瞞さ。彼はキミにとって故郷を滅ぼした仇敵に違いない。キミを刺した少女クレアにとってもね。だが、彼女彼らにとってはアベリアはそれだけの存在じゃなかったってだけさ。この孤児院にキャンバス村の子供が匿われていることは賢王グシャにも秘密のことらしい。もちろんグシャはそれを把握しているだろうが、アベリアはそれを承知の上で、自身の立場を危うくしてまでも彼らを守ろうとした。よっぽど慚愧ざんきの念に堪えられなかったんだろうさ」


「…………それ、は」

 リノンの言葉を聞いて、イリアはあの日の後悔を思い出す。

 魔族の少年少女、ユリウスとカタリナの父親を殺していたと知ったあの日。

 自分はあの檻の中で、いったい何を思ったのかを。


「彼らがここで暮らす条件は二つ。勇者イリアに会いにいかないこと。そして自身の身を守れるくらいの一人前になるまではあの孤児院から出ないこと、らしい。まあキミと会って、彼らが生きていると知られればこの生活は破綻するし、未熟なまま外の世界に飛び出しても同様だ。まあ、彼なりの精一杯の過保護な檻といったところか。それで、どうするかいイリア? その檻を壊すも守るも、キミの自由なわけだけど」

 試すように、リノンはイリアに語りかける。


「生き、てたの。生きていて、くれたの。それで、十分なの。本当は、会ってみんなを抱きしめたいけど、それじゃ全部全部壊してしまう。今の私じゃ、きっとダメなの」


「うん、それで?」


「今は、ダメだけど。時間が経てば、きっと大丈夫。みんなが大人になる頃には、きっと笑って抱き合えるようになるはずだから」


「うんうん。まあ、みんなが大人になる頃にはキミは死んでいるわけだけど」

 残酷に、確認をするようにリノンはそう言った。


「知ってる。だから探すの。私が長生きできる道を。みんなと早く笑い合える道を。ちゃんと、絶対に、見つけてみせる」

 イリアは涙を拭って立ち上がる。

 賢王たちとの戦いを経てボロボロのその身体、しかし彼女の顔は憑き物が落ちたかのような晴れ晴れしい表情をしていた。


「行こう、リノン。みんなが外で待っていてくれてるから」

 そう言ってイリアは孤児院の外を目指す。


 その背を見て、


「ああ、いいねぇ。勇者の旅立ちとは、やはりこうでなくちゃね」

 リノンは無責任にそう口にして、賢者は勇者の背中を追うのだった。

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