第292話 ある騎士の物語

 ある男の話をしよう。


 彼には親がいなかった。

 いや、生物学上の親は存在するのだろうが、彼が物心ついた時に彼に親と呼べるような人間はいなかった。


 だが彼は一人ではなかった。兄がいたからだ。

 いや、それも実際に血が繋がっているわけではないのだが、兄のように彼を引っ張ってくれる存在がいたのだ。


 彼らはお互いに孤児であり、本来であれば湖水教の教会が運営する孤児院などに保護されるべきである。


 しかし生まれた場所が悪かった。

 彼らが生まれたのはフロンターク。魔族との戦争に備えて各国が共同で用意した前線都市であり、それゆえに明確な支配者を持たない自由都市。

 性風俗とそれを運営する暴力組織が幅を利かせており、孤児院などという気のきいた慈善組織など存在しない場所だった。そのくせ性風俗店の乱立と前線都市ということもあり多くの子供が孤児となった。


 そしてそれらの孤児を暴力組織が受け皿となり、組織がさらに成長するという悪循環に陥っている、それがフロンタークであった。


 だが幸か不幸か、彼らはその受け皿からすり抜け、どうにか二人で生き延びていたのだ。


 当然ながら治安の悪い街において幼い子供を雇い入れるところなどあるはずもない。彼らは生まれ持った知性と類まれなる身体能力をもって盗みを働くことで日々をしのいでいた。


 暴力組織が力を持つ都市でのことである、彼らは何度も危ない橋を渡り、殺されかけたのも一度や二度ではなかった。


 一人であったのなら、間違いなく死んでいた。それを二人とも同じように確信していた。

 彼らは二人でありながら、一つの命のようにお互いを助け、支え合った。


 孤児である彼らには名前がなかったが、ある日忍び込んだ屋敷から気まぐれに盗んだ本から自分たちの名前をつけた。神話の英雄から名前をもらい、少年にはアベリア、兄貴分の彼にはカイナスと。


 少年たちは地獄の日々を駆け抜ける。

 いつか自分たちをこの地獄に陥れた大人たちに復讐することを夢見て。


 そんなことを思うことでしか、彼らは未来の自分を思い描くことなどできなかった。


 だが、フロンタークにおける彼らの日々も、唐突に終わりを告げる。

 正確な年齢は分からないものの彼らが10歳くらいになったころ、いよいよ本格的に二人は暴力組織のターゲットにされて執拗に追い回されることになる。

 捕まれば死、そうでなくても奴隷の日々が始まることは間違いない。


 身体能力に優れた少年たちであれ体力には限界がある。

 フロンタークの中を逃げ回っていた彼らはついに大通りの中心で力尽きて倒れた。


 その日はある王の凱旋の日であり、彼らはよりにもよってそのパレードの真ん中、王の乗る馬の前に倒れ込んだのだ。


 突然のことに一時パレードは止まり、二人の少年を追いかけて暴力組織の一員がやってくる。


「ああいや、すいやせん。このガキどもはすぐに始末をつけますんで」

 暴力組織の男はアベリアとカイナスの襟首を掴んで引きずって路地裏まで連れて行こうとする。


 だが、

「待て、その者たちの名は?」

 馬上より彼らに向けて声がかかる。

 賢王の誉れ高きハルジア王、グシャ・グロリアスより。


「お、オレは、カイナス。……こいつはアベリア、だ。なんでも、する。助けて、くれ」

 かろうじて目を見開いて、掠れた声でカイナスは答える。


「おい、このクソガキ! 恐れ多いこと言ってんじゃねえ」

 そのカイナスの発言に男は全力で彼に蹴りを入れる。


「待てと言ったはずだ、次はない。さて少年たち、カイナスとアベリア、神話の英雄の名だな。どうやらお前たちをここで助けることは私にとって有益のようだ。だから敢えて聞こう、助けられるつもりはあるか? お前たちには騎士としての栄誉と、私の駒となる苦悩とを与えることになるが」

 賢王グシャ・グロリアスは、少年二人に対してそう告げた。


「やる、何だってやってやる。アンタがどんな奴だろうと、こんな地獄よりマシだ」

 地べたに顔を押し付けられながらも、渾身こんしんの気概でアベリアは答えた。


「オレも、同じだ。アベリアが行くのなら、オレも行く。だけどオレ達を離ればなれにするのなら、この話はなしだ」

 同様に力強い瞳でカイナスも答える。


「ふむ、自ら条件を出すとは面白い。良いだろう、その条件を飲んだ上で私の手駒としてお前たちを飼おう。────そういうことだ男よ。その二人から手を放すがいい」


 そうしてこの日、アベリアとカイナスの二人は賢王グシャ・グロリアスに拾われた。


 驚くべきことにグシャの言葉に偽りはなく、孤児であったはずの二人はグシャの近衛騎士として鍛え上げられていった。


 当然ながら孤児出身である彼らを快く思わない者たちも城内には多くいた。

 だがグシャは表だってアベリアとカイナスを非難する者たちをここぞとばかりに放逐していった。


 結果としてグシャの家臣として残ったのは能力的にも人格的にも優れた者たちばかりとなったが、逆に言えばそれらの少数精鋭で国家運営をしなければならない事態となった。


 放逐された者たちは自分たちをないがしろにしたグシャ王を始めはあざけり、近い内に国が潰れてしまうことを予想した。しかし賢王グシャは国政の半分以上、いや9割近くを彼自身が担うことで今まで以上にハルジア国は発展することとなったのだ。


 そのような環境の中でアベリアとカイナスはメキメキと頭角を表し、10年もする頃には名実ともにグシャの近衛騎士『王の双剣』の黒騎士アベリア、白騎士カイナスと呼ばれるまでになっていた。


 そして、ついにその日は訪れる。


 黒騎士アベリアは賢王グシャ・グロリアスからある勅命を受けた。


 それは、『アニマカルマの外れ、神晶樹の森にほど近いところにあるキャンバス村の住人を皆殺しにしろ』というものだった。


 その命令に内心で強く動揺するアベリア。

 これまでの10年の中でもいくつか汚れ仕事と呼べるようなものもこなしてきたアベリアだが、賢王グシャのこの命令は明らかに異質のものだった。


 命令を下すグシャの瞳には微塵の揺れもなかった。

 理由を確認するアベリアだが、返ってきたのは『魔族の襲来に対して勇者なる人物の供出を再三要求したが、村の者たちはそれに従わなかったから』とのことだけである。


 あまりに一方的な理由にアベリアは悩みながらも、結局はそのキャンバス村に向けて自身の部隊を率いていった。

 アベリアたちが賢王グシャに受けた恩はあまりにも法外であり、そのグシャの命令に逆らうことなど彼にはできなかったのだ。


 果たしてアベリアはキャンバス村に到着する。

 すると、そこにあったのは戦いの光景だった。


 何故かはわからない。魔族が襲ってきたわけでもない。

 本当にどうしてなのか、村人同士が武器とも呼べぬ武器を持って争っていたのだ。


 斥候せっこうに確認させると、現在勇者は儀式のために神晶樹の森に出向いており、村の中では勇者を旅立たせることに対しての賛成派と反対派が争っている状況であるとのことだった。

 そして幼い子供たちは、家の中にかくまわれているとも。


 アベリアは一度瞳を閉じて判断を下した。


「我が王の命を伝える。この村の者たちは世界が魔族の脅威に襲われる中で自分たちだけは勇者の恩恵をもって助かろうとする逆賊である。皆殺しにしろ!!」


 こうして彼の部隊に命令は下され、虐殺が始まった。


 突然のハルジア軍の襲来に驚くキャンバス村の住人たち。

 だがアベリアたちは心を冷たい鉄のように凍らせて、ことごとくを殺していった。


 そしてアベリアが村一番に腕の立つ青年を斬り殺した時、一人の少女の叫び声が聞こえて振り返る。


 そこにいたのは木剣を手にした少女、歳の頃は15、6歳だろうか。

 少し銀色がかった髪をした少女は、事前に把握していた勇者の情報と近かった。


「よくも、よくもラルク兄さんを!!」

 少女は木剣を振り上げて怒りのままにアベリアに斬りかかってきた。

 少女の幼さを考えれば十分に練り上げられた剣技、しかしいくつもの実戦を越えて国を代表する騎士となったアベリアにとってみればあまりにもつたない剣だった。


 激しい音とともに折れ砕ける木剣。

 アベリアは木剣を避けることなく、彼の代名詞ともいえる黒鎧にてその剣を受け止めていた。


 アベリアは彼の炎の聖剣イグニスを振りかざす、ことなく拳を彼女の腹に打ちつけて気絶させた。


 賢王グシャの命令は皆殺しだった。


 だが彼は勇者と情報の似通う彼女を殺すわけにはいかないと、心の中で言い訳していた。


 そこへ、

「あっはっは、なんだよこりゃ? 人間どもが野垂れ死んでるじゃねえか」

 甲高い下卑た声が彼の耳に届く。


「おいおい、傑作だぜ。四天王ルシュグル様に『勇者』なんてものがこの村にいるから殺してこいなんて言われたのに、とっくに人間同士で殺しあってんじゃねえか」


「まったくやめて欲しいぜ。どうせ殺されるなら俺たちに殺されろって話だよ。せっかく本部隊から離れて自由に殺しができるってのによ」


 現れたのは四天王ルシュグル配下の魔族の兵士約10名。

 普通の人間では傷一つ付けられないのが魔族である。それが10名とは国の外れの寒村に向けられるにしては明らかに過剰な戦力だった。


「まさか、魔族とこんなところでかち合うとはな。…………せめてやつらが、」

 早くこの村を襲ってくれていれば、そんな考えが一瞬アベリアの脳裏をよぎる。


 しかし彼は煩悶はんもんを振り払うように頭の中のスイッチを切り替えて部下たちに命令する。


「作戦はここまでだ。この魔族どもは私が抑える。その間に家の中にいる子供たちを全て馬車に乗せて退却せよ!!」

 響くアベリアの命令。


 部下たちは迷うことなくアベリアの命令を遂行し、事前に用意してあった馬車へと見事な手際で子供たちを連れ込んでいった。


「おいおい、手前ぇ何様だよ。せっかく残ってた獲物まで逃げちまうじゃねえか!」

 当然そんな光景を魔族たちが見逃すはずもなく、それぞれへと襲いかかろうとする。


 だが聖剣イグニスを抜いたアベリアを前にして、彼らの動きが止まる。


「おい、なんだよ。ありゃ聖剣じゃねえのか。どうしてこんな辺鄙へんぴな村に聖剣使いがいるんだよ」

 アベリアを見て毒づく魔族。

 彼らにとってみれば無傷で一方的に人間をなぶれることが約束された環境に一匹の毒虫が混じっていたようなものだ。絶対数の少ない魔族にとって、これでだれか一人でもその毒に当たって死んでしまえば笑い話にもならない。


 慎重にアベリアを取り囲む魔族の兵たち。


 いかに国を代表する聖剣騎士といえども、この状況で生還することなど不可能に近い。


 しかし、アベリアは少し嬉しかった。

 自身の胸にある行き場のない煩悶を遠慮なくぶつけていい相手が現れてくれたのだから。


「燃えろ、イグニス」

 魔族が現れたことで充満していく魔素を逆に利用して、聖剣イグニスは爆発的に加熱、炎焼していく。

 その持ち主すら焼き焦がすほどに。


 一匹の毒虫と侮った男の、自身を省みない戦いぶりに恐れ惑う魔族たち。

 彼らも奮戦するものの1分ごとにその数を減らしていく。


 そしてキャンバス村の建物全てに火が回る頃には、アベリアの周りで息をしている魔族は一人もいなかった。


「ぐっ、」

 聖剣イグニスを握る右腕は重度の火傷を負っている。


 だが彼はまだ倒れるわけにはいかなかった。

 足元には気を失って倒れた少女。彼女にだけは、鬼神じみた戦いの中で危害が及ばないように細心の注意を払っていたのだ。

 左腕で少女を抱え、燃え盛るキャンバス村を後にするアベリア。


 村の外では、彼の生還を信じていた部下たちが荷馬車で待ち構えていた。


「アベリア様! 早くこちらへ、治療を開始します」

 彼を心配して駆けつける騎士。

 しかし、アベリアは重傷を負った右腕よりも先に、左腕に抱える少女を渡す。


「彼女も、馬車に乗せてあげてくれ」


「はっ! いや、しかし。家の外にいるものは皆殺しにするのが王の命令では?」

 彼に忠実な部下の一人は、彼の身を案じるが故にその確認をとる。


「…………いいんだ。頼む、彼女も一緒に連れていってくれ」

 ただアベリアは寂し気な顔で、もう一度頼み込んだ。


 振り返ると未だに村は燃え盛っている。


 ふと、彼は王のもう一つの命令を思い出す。

 あまりにも苛烈な命令の影に隠れた、重要な使命を。


「お前たちは行ってくれ、私の治療は不要だ。聖剣の加護があるからな」

 そう言ってアベリアは再び燃えるキャンバス村へと向かった。

 聖剣の加護の効果は、彼の火傷の痛みに対してのみ働くものでしかなかったがのだが。


 それでもなお残る痛みをこらえながら馬を進め、そこで燃えるキャンバス村を目の前にして呆然としている少女を目にする。


「どうして、どうして!? みんな、どうして!?」

 狂ったように叫びながら燃える村へと飛び込む少女。


 遠目にもわかる美しい白銀の髪と銀の瞳。

 アベリアはすぐに理解する。

 ああ、この娘が、そうなのかと。


 そう、アベリアはわかっていた。

 先ほど助けた少女が勇者ではないことを。自分程度に御しうる存在が勇者であるはずがないと。


 白銀の髪をした少女は炎の中で必死に生存者を探していた。


 だが、アベリアは知っている。もはやそこに生きている者など誰もいないことを。


 焼け焦げた死体を見つめる少女にアベリアは話しかける。


「失礼ですが、貴方が勇者なのでしょうか?」


 振り返る銀の瞳。いや、その瞳は憎しみの焔で濡れていた。


「そう、です。私は勇者イリア・キャンバス。世界を救う為に、今日勇者に成りました。ですが、これはどういうことでしょうか? 何があったのですか? 私の村に、何が。みんな、みんな死んでしまったの?」

 その想像を否定して欲しいと、必死に懇願するような声だった。


「残念ですが、この村に生存者はいません。私は、私が……」

 そう言いかけた時、アベリアの背後で何かが崩れる音がした。


「っ!?」

 彼が振り返ると、そこには先ほどの魔族が一人立ち上がっていたのだ。

 左肩から胸にかけて、いまだに燃えくすぶる傷痕があるが、その瞳は爛々らんらんと殺意に満ちてアベリアを睨み付けている。


「ちっ、仕留め損ねていたか」

 自身の失態に気付き、聖剣へと手を伸ばそうとするアベリア。

 しかし、重度の火傷を負った右腕は、わずかに反応が遅れてしまう。


「人間ごときが、我らに刃向かうなどと、死ねぇ!!」

 魔族は魔剣を手に、アベリアへと迷わず斬りかかる。


 もはやこれまでと、アベリアがその刃を受け入れようとした瞬間。


 美しい白銀の輝きが、彼の前を駆け抜けた。


「うぎっ? な、なんだコレは?」

 魔族の男は自分の胸を貫く銀晶の剣と、それを手にする少女へと目を向ける。

 いや、もはや男にはその程度の自由しか残されていなかったのだ。


「それは聖剣アミスアテナ、貴方たち魔族を滅ぼす、真の聖剣です」

 少女が手にした聖剣を大きく振るうと、まるで砂が崩れるように魔族の男は消失していく。


「ふう、大丈夫でしたか? え~と、」

 聖剣を持つ少女は振り返ってアベリアを気遣おうとするが、名前が分からないのか口ごもってしまう。


「アベリア、私の名は黒騎士アベリアです。助けていただき感謝いたします。、この村は魔族によって滅ぼされました。魔族が大侵攻を開始した今現在、このような出来事はハルモニアの大地の各地で起きています」

 アベリアは何かを決心したように喋り出した。


「そして今、生き残った人間たちも追いつめられ、ハルモニア大陸の端、最果てのハルジアに向けて避難しています。ですが、そのハルジアすら魔王軍が攻勢をかければ一瞬で滅んでしまうでしょう。どうか勇者様、我らを救うため、ハルジアまでお越しいただけないでしょうか?」

 彼女を騙しきる、そう覚悟を決めたアベリアの言葉。


 それに対し、少女は少しだけ悩むように辺りを見渡す。

「ええ、それは私の使命でもあります。ですが……」


「この村のことについてご心配なのはわかります。ですが事は一刻を争うのです。この村のあとのことは我らに任せていただければ。なにとぞ、お願いいたします」

 アベリアは頭をいまだ熱い地面に押し付けてイリアに懇願する。

 それは、まるで謝罪のようですらあった。


「─────わかりました。そう、ですね。それが、私の生まれた意味、なんですよね」

 まるで自分に言い聞かせるように少女は呟く。

 

「では案内をお願いします、黒騎士アベリア。それと、」


 決心したように村の外へと向かう勇者イリア。

 彼女はアベリアの横を通り過ぎる際に、こう言った。



魔族は全て、殺していいんですよね?」


 アベリアの背すじを駆け巡る悪寒。

 

 彼はこの日の後悔を、生涯に渡って忘れることはないだろう。


 無惨に誰かの事情で殺された大人たち。

 見ず知らずの他人の都合で生かされた子供たち。


 そして、まったく関係のない世界の都合で駆り出されるこの勇者少女


 アベリアは心の中で強く叫ぶ。



 あ、ああ、


 あああああああぁぁぁあぁ!!!!


 俺だ、俺だ、俺なんだ!


 あの日の自分たちを、そしてこの子たちを地獄に叩き落としたのは俺なんだ!!!!



 誰の耳にも届かない、終わることのない慚愧の声。




 こうしてキャンバス村は滅び、勇者は世界を救う為に旅立つ。

 

 そして、この日のツケは、長い時間を巡り巡って彼らに還るのだった。

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