第291話 くだらない夢

 くだらない、自己の夢を省みる。


 母を失い、父を失い。


 それでも残った自分と国を失うことだけはできずにここまで駆け抜けてきた。


 多くの物を使い潰した。多くの人をきっと傷つけた。


 それでも、ハルジア王グシャ・グロリアスは今日まで立ち止まることはできなかったのだ。



 国と自分を守る為に有力貴族を彼らの反乱を利用して抹殺した。


 国の円滑な運営の妨げになる既得権益を手にした大臣や貴族たちを城から放逐ほうちくした。


 それによって手の足りなくなった箇所は才能を持て余している若者たちを拾い上げて代わりとした。


 いずれ起こるであろう魔族の大規模侵攻に備えて、兵力の強化と装備・兵器の増強と開発を欠かさなかった。

 そして自分自身も、その前線に出て死なない程度に鍛え上げた。


 そう、死なないように。


 死ぬことが怖かったから。


 ただそれだけで、私はこの人生を走り抜けてきた。


 

 あの日、もはや回避できぬ母の死を知った時の絶望。


 父が死ぬことでしか、国と自身の未来がないと知った時の諦観。


 本当に、本当に不思議だった。


 どうしてみんな、こんな未来を知った上で、何も知らないように笑えるのか。何も知らない風にして悲しむことができるのか。


 不思議で、不思議で、たまらなく羨ましかった。


 そんな人生を送り続け、何の為に生きようと足掻くのかすら分からなくなった頃、私は一人の女に出会った。



 場所はアニマカルマの外れの森、そこに建てた科学者ジェロアの研究所だった。


 当時、私は出資者を探していた魔族の男ジェロア・ホーキンスを拾い、彼の為にアニマカルマに研究所を用意した。


 もちろん他国の土地に勝手にそのような物を建てるのは骨が折れたが、そこが研究にとって一番効率の良い場所であったのだから仕方ない。


 ジェロアは倫理観のタガが外れた男で、どんな非道な研究も下卑た笑い声を上げながら楽しんで行なっていた。

 それを良いとは思わなかったが、彼の研究の中から自分にとって必要なモノが出てくるという予測があったのだから仕方がない。その過程でどれほどの命が失われようと、それでも私は自分の死を恐れたのだ。


 それ故に、定期的にその研究所に足を運ぶようにしていた。


 せめて、ジェロアの研究による犠牲が最小になるように。

 私の良心の問題ではなく、資源の無駄を避ける為に。


 ジェロアは実験の為に数多くの研究素体を集めていた。

 近隣の街に魔族の兵に、見境なく。


 そんな中で、ただ一人、私の目に留まった女がいた。


 多くの檻の中でもより強固に作られた特別な一室。


 両腕を鎖に繋がれた、魔族の女だった。


 ふと、何故か、私は声をかけてしまう。


「苦しくは、ないのか?」


 すると、女は一瞬驚いたように目を見開いて、

「どうしたんだいボウヤ、そんなに私が憐れに見えたかい?」

 まるで少年に話しかけるように、言葉を返してきた。


「憐れ、かどうかはわからない。ただ不思議に思えた。お前の命はそう永くないように見える。なのに、お前の表情が穏やかだったから」

 そう、彼女の寿命は残り少なかった。私の蒼い瞳は、ほぼ正確に彼女の命の残り火を読み取ってしまう。いや人間の観点から言えばあと数年はもつだろう寿命を短いとは言えないかもしれない。だが、長寿である魔族の視点でいえば、それがあと僅かの命であることに変わりない。

 そんな状況であるというのに、その女は今にも鼻歌を歌い出しそうなほどに穏やかな顔をしていたのだ。


「ふうん、そうか。もしかすると君は私の寿命が見えるのかな? 面白い人間もいたものだ。私はちょっとした病気にかかっていてね、周囲のススメもあってジェロア・ホーキンスに診てもらってたのが運の尽きさ。奴がアグニカルカを離反する時に一緒に連れてこられてしまったよ」

 アハハ、といって乾いた笑いを女は零す。

 自身の不覚を笑う声。だがしかし、元凶であるジェロアを憎んでいるようには聞こえなかった。


「恨んで、いないのか?」


「恨む? まあ私自身の不手際と言ってしまえばそれまでだからね。分不相応の命を望んだツケとも言える。もちろんアイツが無茶な研究をしようとした時は蹴り飛ばすけどね」

 そういって彼女は少しだけ痩せた脚でヒョイヒョイと蹴る仕草をする。


「……分からない。魔族の格としてはアナタの方が上位のはずだ。逃げ出そうと思えば逃げられるのでは?」


「そうさね、───それで? 私にどこへ行けと? 意外と私の病気は厄介でね。ちょっとしたことで体力を物凄く消耗する。遠くへ行くこともできないし、今さらアグニカルカへ帰るのも面倒だ。家族や仲間への別れは随分前に済ませたつもりだったから、顔をもう一度合わせるのもめんどくさい」

 遠い、穏やかな目をしながら女はそう言った。


「それでもやはりわからない。何故鎖に繋がれたような生活を良しとする。自身の生を、自分の成功を最後まで追い求めないのか?」


「さて、ね。そんな頃もあったかも、しれないね。だけどある日なんとなくわかってしまったのさ。ああ、私の命はこの辺りで終わるんだって。なんとなくの予想じゃなく、どうしようもない確信としてね。だからそれはそれで仕方ないと受け入れた。それだけの話だよ」

 女はよく分からない瞳で、私を見ている。

 女の言葉の意味も、その感情も私にはよく分からなかった。


 だから、私はせめて私にわかる行動をした。


 檻の扉を開け、彼女の鎖を外す。


「あれま、この研究所に紛れ込んできた実験素体か新しい研究者かと思ったら、ここの鍵を持ってるなんてボウヤは相当のお偉いさんだね」


「…………私はジェロアの研究を支援している立場だ。いざという時のために私も鍵を持っている。それで、アナタはどうする?」

 私は試すように彼女に言葉をかけた。

 本当に自由になった今でも、同じ言葉を吐けるのかと。


「う~ん、ありがとボウヤ。これで腕が少し楽になったよ。ま、それだけさね、あとはのんびりと変化を待つよ。いいことであれ、悪いことであれね」

 その言葉が嘘でないというかのように、女は頭の後ろで手を組んで瞳を閉じた。

 本当に今から一眠りするかのように。


「理解が、できないな。私はここまで、自分が死にたくない一心で多くのことを積み重ねた。死を遠ざけ、死を押し付けて。この研究所も、その一貫だ。私はどうしてかわからないが、そうまでして生きたいと思ってしまう。なのに、アナタは……」

 まるで、自分の対極にいるようだった。

 自分も彼女と同じになれば、何か変わるのだろうか。

 何か、救われるのだろうか。


「小難しいねぇ。色々と見えすぎて、大事なモノが見えなくなってるんだろうさ。ま、それすらも大事なことかもしれんし、とりあえずは自分から立ち止まりたくなるまでは走ってみなよ。しかし、初対面の魔族にこんな話をするくらいだ、ボウヤも相当悩んでいるのかね。たまにグチを聞くくらいならしてあげるさ。その時にまだ私が生きているかは知らんけど」

 瞳を閉じたまま女は言う。


「グシャだ」


「ん?」

 私の言葉が気になったのか、彼女は片目だけ開けてこちらを見た。


「私の名前だ。グシャ・グロリアス、これでも自国では賢王と呼ばれている。まあ、呼び名などどうでもいいことだが、それでも先ほどからボウヤと呼ばれるのは何か体がこそばゆくなる。やめてくれ」


「あはっ、それは失礼したよグシャ。仏頂面の唐変木かと思ったけど、アンタもそんな顔をするんだね。私はルーチェ。ルーチェ・バニングス、もうロクに意味のない名前だと思ったけど、まだ使いどころがあったとはね」

 そう言って彼女は快活に笑う。

 乾いた笑いでは、なかった。




 それから、私は足繁く女、ルーチェのもとへと通っていた。

 私は何も言わなかったが、ジェロアはあれから彼女に鎖を繋ぐことはやめたようだ。


 それでも、彼女は檻の中から出ることはしなかったのだが。


「ふ~ん、お母さんが小さい頃に死んだんだ。それは本当に可愛そうだね、何せ魔族ではそんなこと滅多に起きないからさ。基本的に人間より長寿な割に、幼少期の期間ってのは人間と変わらないからね私たち。え、可愛そうだなんて言うなって? もうめんどくさいなぁ、そういう話を振られたら慰めて欲しいのかなって思うじゃん。グシャは偏屈だなぁ」



 また研究所に行った。



「え、何? 今の人間たちの貨幣制度ってグシャが作ったの? へぇ、黄金がほぼ無限に出てくる洞窟なんてあるんだ。────でもま、そんなもんがあるならその程度のこと誰だってできるよね…………ってなんで今度は不機嫌になるのさ。え、もしかして褒めて欲しかったの? ああもう、男の子はめんどくさい!」


 また、彼女のいる研究所に行った。



「へ~、グシャは王様なのに戦いの最前線に立つんだ、どうして? え、そうしないとたくさん兵士が死んじゃうから? まあ、そうなんだろうけど、それでもグシャは無傷で帰ってくるって凄いね。ん? 相手の魔王の方が凄い? ……魔王アゼル様か、確かにあの人は魔族の中でも飛びぬけてるしね。でもどこか寂しそう。結婚もしたってのにねぇ~」



 また、彼女のいる部屋に行った。



「ん、私に子供がいないのかって? う~ん、そういうご縁はなかったなぁ。魔族ってさ、結構血統主義なところがあって、だから病気持ちは相当敬遠されるんだよ。せっかく高めてきた血筋が台無しになるってね。ああ、私の病気? 自家中毒って奴らしいよ。自分の中で生成される魔素が強すぎて、自分の身体をボロボロにしちゃうの。これでも少しは症状抑えられてる方だよ。今の私にとっては魔素に満ちているアグニカルカはむしろ毒だからね。あのロクでもないジェロアの治療兼実験もないよりはマシってところ。ま、いつ死んでも良かったけど。─────今はちょっとだけ長生きしたいかな」



 また、彼女に、会いに行った。



「何さ、そんな真剣な目をして。え、私を伴侶にしたい? どうしたのさグシャ、ついに頭が良すぎておかしくなっちゃった? あなた人間の王様なんでしょ? 長生きしたくて、死にたくなくてここまで色々してきたんでしょ? 私と一緒になったら色々台無しになっちゃうじゃん。それに、言っておくと私にだって好みはあるからさ。───つまらない男はゴメンだよ、ボウヤ」



 それでも、彼女に会いに行った。



「ちょ、どうしたのさその顔? 変な模様で塗りたくってさ。え、つまらないって言われたから? もう、やめなよ賢王なんて呼ばれてる男がさ。もう、拭いてあげるからこっちに来な。うわ、結構ベッタリついてるし。あんまりアホなことしないでよグシャ。別に、私は、つまらない男が嫌って言っただけでさ、アンタがつまらないとは一言も言ってないんだから─────」



 そう言って、彼女は、ルーチェはその唇を私のそれに押し付けた。

 生まれて初めての感覚。初めての感情だった。


 自分が嫌いな自分を、誰かが認めてくれる。


 まるで、世界に許されたかのような錯覚に落ちた。


 だから、礼儀も手順も分からぬまま、ただひたすらに強く彼女を抱きしめ、抱いた。


 


「おはよ、いや、こんばんわだっけ? こうやって建物の中にいると時間なんて分からなくてね。この前グシャに会ったのがいつだったか、それすらも朧気になってしまう。大事な時間だったっていうのにね」


 次に私が彼女のもとを訪れた時、虚ろな瞳で彼女はそう言った。


「──────────なんだ、来てたのかい? 来たのなら素直に声をかければいいのに。私の調子が悪そうだった? 私の体調不良は今に始まったことじゃないよ。だからさ、遠慮せず、お前の声を聞かせて欲しい」


 そう口にした彼女の表情は、明らかに青ざめていた。だが、彼女がそう望むならと、私もそのことには触れずにいた。


「来て、くれたのか。いや、来てしまったんだね。なあグシャ、もう私のところに来るのはおよしよ。この時間はアンタの為になんかならないんだから。いや、これは私の欺瞞だね。本当は見られたくないのさ。今から少しずつ朽ちていくだけの私を。アンタに、だけは、ね」

 彼女は掠れた声でそう言った。彼女の肌はカサカサに乾き、そう遠くない終わりを予感させる。

 いや、予感などと生易しい。

 ルーチェはちょうど半年後に、その命を終える。


 私の眼には、その未来がはっきりと計算され…………


 それを、私は不要と無視することにした。


 私が認識さえしなければ、そのような未来はやってこない。


 そんな幼稚な考えだけを頼りにして、私は彼女との別れを決意した。


「もう、ここには来ない。私の存在がお前の死にざまを汚すというならなおさらだ。私は確かにルーチェ、お前に憧れた。お前のようにあるがままに迫る死を受け入れられたらどれだけいいかと。だがその思いがお前の重石になるのなら、私はここに来るべきではないのだろう」


「あのねぇ、最後まで頭が固いんだから。私はただ、アンタにはせめて綺麗な私を覚えていて欲しいだけ。これからさらにボロボロになる自分をアンタには見せたくないだけ。別にアンタの存在が重石だなんて一度も思ったことはないさ。─────ま、身が重いのは確かだけどさ」

 彼女は小さく、謎の言葉を付け加える。

 だが、私にはいくら考えてもその意味がわからなかった。

 いや、分かろうとしなかっただけなのか。


「アンタたち人間からすればそこそこ長い人生の、幕切れに、アンタみたいな男と出会えて良かった。………………ちなみに、なんだけど。グシャ、アンタの好きな言葉って何かあるかい? 具体的には、人の名前にも使えそうな奴だとなおいい」

 ふと、本当の別れ際に、彼女は謎の質問をしてきた。

 やはり、意味は分からない。

 だが、思い当たる言葉はあった。

 昔、母が読んでくれた物語の中に出てきた名前だ。


「『ルシア』、究人エルドラと呼ばれる人間たちが活躍した時代、『光』を意味する言葉だったそうだ。─────それで、良かったか?」


「ルシア、か。ああ、いい名前だ。意外とロマンチストなところもあるじゃないか。─────もっと、話すだけの時間があれば、よかった」


 それが、ルーチェとの最後の会話だった。



 私は、彼女との記憶をどこか遠くへと切り離し、国の運営に全力を傾けた。

 そしてまた一段とハルジアは繁栄し、半年が経った頃。


 必要に駆られて(必然性を探し出して)、私はジェロアの研究所へと向かった。


 真っ先に向かったのは、かつて何故か足繁く通った場所。


 そこには、もう、誰の姿もなかった。


「キヒ、キヒヒヒ。おや賢王グシャ、何かその部屋に用事でもありましたかな?」

 私の背中から下卑た笑い声が聞こえてくる。


「ジェロア、ここにいた女は、どうなった?」


「ああ、その女でしたら数日前に死にましたが、何か? キヒッ、あれでも位の高い貴族でしたからな、丁重に弔ったところです、キヒヒヒ」


「─────そうか。その女は、何か遺さなかったか?」

 ふと、自分の口から必要のない言葉が漏れ出てしまう。

 記憶からも切り離した女。絶対に劣化することのないように、しっかりと鍵をかけてしまい込んだ記憶思い出


 だから、自分がこれ以上彼女へと想いを割く必要はないはずなのだ。


「キヒ、キヒヒヒ? いやぁ、とくに遺したモノなどなかったですなぁ。まあ私からしてみれば良い研究素体でしたから、そう言う意味では色々と実りを残してくれたのは事実ですが。キヒヒヒヒッ」

 ジェロアは何度も何度も、下卑た笑いを繰り返す。

 ああ、きっと何かを隠しているのだろう。


 それでも、彼女の死が確定していることに変わりない。


 それを承知で自分はここまで来たのだから。


 きっと、私がほんの少し頭を巡らせれば、ジェロアが何を隠しているかなどすぐに判明するだろう。


 だが、私はそれすら拒んだ。


 彼女に関することは、思い出すことのない想い出として、箱に入れたままどこかへと捨てたのだ。




 当時の私は、その選択をした。



 しかし、今の自分であれば振り返ることは用意だ。


 私の息子だという、ルシアを名乗る魔人の少年。


 彼が現れたということは、ジェロアはあの日、私が去った後にこう口にしたのだ。



「キヒ、キヒ、キヒヒヒヒッ。最高だ! お笑い種だ! 面白い面白い面白すぎる!!! 人間が、それも人の王が、魔族の女に興味を示すとは。キヒヒヒヒッ、実に面白いだった。しかもまさか子供まで遺すとは。キキヒヒヒ、ルーチェ様、アナタはどこまで私の研究に貢献してくださるのか。ルシア、でしたか? いいでしょう、その記号なまえで私が育成してあげます。人間と魔族の子供など本当に貴重ですからな、丁寧に、丁寧に、擦り切れるまで実験させていただきますよ。キヒヒヒヒヒッ!!!」


 

 別に、何も思うことはない。

 彼がそういう人物だということは承知で引き入れたのだ。


 そこで起こる不幸を前提に、私は今日まで生きてきたのだ。


 だから、別にあの男に対して復讐をしようだなどとは思わない。



 そしてあの少年についても同様だ。


 結局のところ、まったく違う人生を辿った他人同士、かける言葉を持ちあうはずもない。



 ただ、彼と一緒にいた魔族の女、次代の魔王を見て。



 ああ、そうなったのか。



 そんな言葉が出てきただけのこと。



 くだらない自分、くだらない人生ゆめ



 そこから私は現実に向けて浮上して、玉座にて目を覚ました。



「くだらない、夢を見たな。そして、白騎士カイナスよ。?」

 私の隣に控える、忠節の騎士に問いを投げかけた。

 彼はその聖剣に手をかけながらも、決して引き抜こうとはしていなかった。

 だが、私の問いに返ってくる言葉もない。


「私は、お前に殺されるのだと、予測していた。どれほど死を遠ざけ、私にとっての最善を貫いたとしても、最後にはお前が待ち受けているのだと。そしてそれでも良いと思っていた」

 私にとって手の付けようがない未来。

 魔族の猛攻を、勇者の復讐を退けたとしても、この白い騎士にくすぶる憎しみだけは避けられないのだと。


「グシャ王、貴方は承知していたのですね。私の中の憎しみを、貴方が無防備になった瞬間に衝動的に湧き上がるこの殺意を」


「…………私には、人の気持ちなどよく分からない。ただ、何度未来を演算したところで、待ち受ける結果がそれだった。だからそうなるのだと思っていた」


「そう、でしたか。では、せめて一つ聞かせていただきたい。貴方は何故、あの日、キャンバス村を滅ぼす任務をアベリアに任せたのですか?」

 カイナスは聖剣の柄を強く握りしめて聞いてきた。

 返答によっては、ということだろう。


「私であれば、私に任せて下されば、アベリアがあんなに苦しむことはなかった。我らが賢き王よ、あなたはアイツの苦悩と絶望を承知の上で、彼を送り出したのですか?」

 苦しみを吐き出すように、カイナスはさらに問いかける。


 それに対して、私は、


「そうだ、私はアベリアが苦しむことを承知で命令を下した。『キャンバス村の住人を皆殺しにしろ』とな」


 死を受け入れて目を瞑る。

 ああ、結局はやはりこうなるのか。


 風を切って迫る聖剣。

 しかし、その風は半端なところで止んでしまう。


「何故、ですか? 何故、なのですか、王よ」

 目を開けて見えたのは、涙を流しながら聖剣を私の首筋に突き付ける白い騎士の姿。


「何故私では、いけなかったのですか?」

 もう一度、彼は問うてくる。

 だから、私は答える。


「お前であれば、彼らを皆殺しにしただろう。それでは、良くない。それではお前が勇者に殺されていた。それは、良くないと思ったのだ」

 そう、私は思ったのだ。

 何故だかよく分からぬ理由。それでも私は、この騎士たちが死んでしまうことを良しとできなかった。

 その片割れが傷つき、私の命がこうやって危険に晒されるとしても、どうしてか。


「……王よ、やはり、あなたは」

 そう言ってカイナスは剣を引いていた、自身の鞘に向けて。


「そうだカイナスよ。私の問いにも答えて欲しい。どうして私を殺さなかったのだ?」

 もう一度、先ほどの問いを繰り返す。

 どうしてもその答えが分からないのだから仕方ない。

 これで何が賢王だと、私は心の中で笑ってしまう。


「どうして、だなんて、貴方はこれだから。本当に賢王グシャ、貴方は人の心がわからないのですね」

 白騎士カイナスは、泣きながら笑っていた。


 ああ、まあこれはこれでいいだろう。

 私に人の心が分からずとも、この男は私のことをわかってくれているらしいのだから。


「それでは、せめてもの復讐を貴方に」

 ひとしきり笑ったあと、私の腹心はそう告げた。


「王よ、貴方にはきっと未来が見えているのでしょう。確かで強固な未来図が」


「ああ、その通りだ。だがそれはお前たちだって……」

 私の心と体が疲弊していたからだろうか、今まで恐ろしくて誰にも聞けなかった問いが口から出かけてしまう。


 私と同様の未来演算、それをお前たちは何故しないのか。何故未来を予測した上で無視できるのか、と。


「できないのですよ、王よ。それは貴方だけの、特別な力なのです。見たところあの魔人の少年だって、その力は持っていないようでした」

 

 ああ、これが復讐か。

 私が誰にも聞けなかった答えが、ついに返ってきた。


「そう、なのか。そう、だったのか。私はてっきり、できるのにできないフリをしているものとばかり」

 瞼を閉じて、私は思わず笑ってしまう。

 ああ、そうか、私だけ、だったのか。


「以前から気付いてはいましたが、ご指摘する勇気が持てず申し訳ありません。ですが、何故そのような勘違いを? 王にしてはそれはあまりにも、」

 愚かではないか、そう口にしかけてカイナスは踏みとどまったようだ。


「昔、母に言われたのだ。『自分が特別だなどと思いあがってはいけない』、その時の母の厳しい顔が、いつもは優しかった彼女のその特別な表情が忘れられず、ずっとその言葉を守ろうとしたのだ」


「それは、確かに良い教えだったのでしょう。賢王、貴方が本当に特別な人間でさえなければ」

 ああ、なんて男だ。

 本来であれば私を誉めそやす言葉が、今何よりも私の胸を抉る。


 私は周りと違うのだと突き付けるこの男の刃が、今日何よりも痛かった。

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