第286話 貫く友情

 イリアの背中から胸をまでを深く貫く鋼。


「クレ、ア。何、で?」

 どうにか絞り出した言葉とともに、彼女の口から血液が零れる。


「ごめ、んね、イリア。でも、こうしないと、さ」

 イリアの問いに、クレアは途切れ途切れの言葉で返す。

 何故なら、強く抱きしめるように突き刺した短剣は、イリアの身体を貫通してそのままクレアの胸部にも到達していたからだ。


 それを、クレアはさらに自分の胸を刺し貫くように短剣に力を入れる。


「だって、イリア。それでもアベリアを、許せないでしょ?」

 彼女の口から出てきたのは、二人の故郷を滅ぼした黒騎士の名前。


 イリアは何も答えられず、ただ一条の涙が零れ落ちる。

 その涙が復讐の紅い瞳から流れたことが、何よりの肯定だった。


「わかるよ。イリアの目から、復讐の火が消えてないの。だって、私だってそうだもん。本当なら、殺したい。あんなに幸せだったキャンバス村を台無しにした連中、その全てをこの手で殺したい」


「……っ」

 イリアは何か言葉にしようとするが、短剣の突き立った場所が悪かったのか、何も言葉にできない。


「あの、黒騎士が、あの人がアベリアじゃなかったら、きっと私は殺してた。でも、だから、ごめんね、イリア。私じゃ、やっぱり勇者にはなれなかったよ。─────友情より、そっちを取っちゃうんだもん」

 ふとクレアの手から力が抜け、彼女は床に倒れ落ちる。


「───っ、───っ」

 イリアは何かしらの言葉をかけようと手を伸ばすが、彼女も短剣が突き刺さったままで上手く息ができずにその場に倒れ込む。


「イリアっ!!」

 そこへアゼルが真っ先に駆けよってイリアを抱き起す。

 短剣から流れる赤い血が、彼女の血塗られた礼装をさらに真っ赤に染めていく。


「クレア、クレア! 何故こんなことを!」

 対するクレアの側にも黒騎士アベリアがようやくたどり着き、彼女の胸から今もなお流れ続ける血を必死に抑えていた。


「だって、アナタが死んだら、約束、守ってもらえないでしょ?」

 掠れた唇で、クレアは黒騎士の頬に手を伸ばす。


「いい、もう動くな。お前は死なせない!」

 そう言ってアベリアは彼女の止血をしたまま抱きかかえる。


「ふざけるなアベリア、その女は殺す! そこに置いていけ!」

 だが怒りで頭に血がのぼったアゼルは、アベリアに向けて魔剣を投げつけた。


 しかしその魔剣も白騎士カイナスによって防がれる。

「っ、行けアベリア。女に腑抜けた騎士など足手まといだ」

 カイナスはアベリア達を守るように彼らを背にして、アゼルと対峙する。


「ちっ、もういい。それよりイリア、イリア! 声が聞こえるか!! くそっ、何でだよ。お前のその服はどんな攻撃も通さないんじゃなかったのかよ!?」

 アゼルはアベリアへの追撃を諦め、胸の中のイリアへと強く声をかけ彼女の手を握る。


「──っ」

 イリアは声を返すことはできなかったが、どうにか彼の手を握り返していた。



「ふむ、勇者にあるまじき攻撃性を手に入れた代償なのだろう、純粋であるが故にあらゆる干渉を拒んだ礼装も、一度不純を孕んでしまえば強度は紙とさして変わらないらしい。だが、先ほどまで自らの血液を媒介にして爆発的な力を手にしてた勇者のことだ、本来は即死であろうが失血に対して多少の耐性ができているのかもしれん。まあ、もちろんそれはより人間の枠から外れるということだが」

 今までの光景を傍観に徹していた賢王グシャがここにきて口を開く。


「ってめえ! いや、それよりも、お前の言葉通りならイリアは助かるのか?」


「?? 何をおかしなことを。死に至るまでの時間が多少延びるだけで、いずれは死んでしまうことには変わりない。人間とはそういうものだろう?」

 不思議なことを聞くものだと、賢王グシャはアゼルの問いに対して自身のあご髭を撫でて答えた。


「ちっ、だったら医者を呼べ! いや、呼んでくれ。このままじゃ、イリアが死んでしまう」

 アゼルは自身の優先すべきことを思いだし、イリアの為ならばと躊躇ためらいなく彼らに懇願こんがんする。


 そこへ、

「いいよ、魔王アゼル。キミの気持ちは僕に伝わった。というかゴメン、あのクレアという少女の凶行を止められなくて。未来を読むことに頼りすぎてたツケかな、ああいう人の機微に疎くてね」

 まるで初めからこの場にいたかのように大賢者リノンが現れる。


「リノン! お前は今までどこに、いやそんなことはどうでもいい。イリアを助けてくれ!」


「ああ、もちろん助けるよ。この日の為に準備をしてたんだからね」

 そう言ってリノンは懐から白銀に美しく輝く結晶体を取り出す。


「それは、」


「うん、いつぞやの無垢結晶さ。強引な手ではあるけれど、これをイリアと同化させることで血液とか失った諸々を補完する。さあ魔王アゼル、イリアからその短剣を抜いてくれ。タイミングを間違うと即死してしまう」


「…………ああ、頼む」

 アゼルは緊張で手を震わせながらも、心を決めて短剣をイリアから引き抜いた。


「──うっ」

 一瞬零れるイリアの悲鳴。

 しかしリノンはすかさずに手にした無垢結晶を彼女の傷口に当てる。

 すると瞬く間に出血が止まり、無機物である結晶体がみるみるうちにイリアの肉体へと同化していった。


「まったくイリア、血濡れの花嫁衣裳とか、僕のトラウマを思い出させないでくれよ」

 リノンは苦々し気に呟く。


 そしてやはりその光景を、賢王グシャは興味深そうに眺めていた。


「ふむ、突然現れたように見えたのはこちらの誤認だな。お前はこの場から逃げたフリをしてずっと姿を隠していた。いや、その姿を誰からも認知できないようにしていたのか」

 あごに手を当てて、賢王は常人には想像もつかない速度で思考を構築していく。


「つまるところ、大賢者リノンには他者の認識に干渉する能力がある。しかしそれだけでは説明のつかない大賢者の逸話が多いのも事実。となれば、その能力の本質は人間への干渉ではなく、世界への干渉が可能ということではないかな」

 まるで跳躍したかのような結論を、賢王は疑問ではなく確信をもって口にしていた。


「─────ちぇっ、誤魔化すのも無駄みたいだね。そして最悪だ、賢王グシャに僕の能力を知られたことで、僕に知覚できる未来の8割が消失した」


「……どういうことだよ」

 アゼルはイリアの容体を診ながらも、リノンに問いかける。


「賢王グシャは未来を正確に計算できる。その計算の中に僕の能力の存在が組み込まれた。今までは何でもありの僕の力を知らなかったことで彼に予測できなかった未来が、『そんな力がある』という前提で計算されることで未来の選択肢が狭まったのさ。というか、彼が絶対に選ばない選択肢が増えたことで未来の可能性が減った、って言った方がわかりやすいかな」


「?? いや、よくわからんぞ。とにかく、あのグシャにより有利になったってことかよ。お前らしくないミスだな」


「それは多少語弊があるぞ、魔王アゼル・ヴァーミリオン。そこの大賢者はそんなことは承知の上で姿を現したのだ。自身にとっての不都合を飲み込んで、それでもそこの勇者を助けたがった。そこは履き違えるべきではないだろう」

 そう口にして、賢王グシャは王剣グロリアを手に立ち上がった。


「さて、大勢は決したように見えるが、まだ続けるか?」

 黒騎士アベリアとクレアがいなくなったとはいえ、白騎士と賢王は健在。そして彼らがその気になればいつでも国中の兵士をこの場に集めることができるだろう。

 

 対してイリアはいまだ気を失ったままである。

「負けるかどうかはともかく、これ以上戦う意味はないな。というかイリアをこれ以上戦わせたくない」


「それは同感さ。とはいえイリアが回復するまでにはもう少し時間がかかりそうだし、僕とキミだけで兵士あふれる城下町に逃げるのも下策。ここは頼りになる護衛を回収しに行こうじゃないか」

 そういってリノンはエミルとシロナが落ちていった穴へとイリアを抱えて飛び込んでいった。


「お、おい。なんでお前がイリアを!? ちっ、仕方ねえ…………イリア、少ししんどいが耐えてくれよ」

 イリアをとられたことに悔しがりながら、アゼルもリノンを追って飛び降りていった。


 この場に残されたのは賢王グシャと白騎士カイナスのみ。


「よろしかったのですか王よ、彼らを見逃して」


「見逃すもなにもない。このまま戦いを続けていれば最終的に滅ぶのはこちらなのだ。もしあの勇者が命を落としたその時には、魔王アゼル・ヴァーミリオンは一切の迷いなくこの国ごと我らを葬るだろう」


「それは、そうなのでしょう。では何故彼らをこの城に招くようなマネを?」


「さて、答えるのが難しい質問だな。何の為にと聞かれれば、それは私が生き残る為だと答えるしかない。しかしそれがどうして必要だったのかと問われれば、やはり答えに困ってしまう。計算をして予測をして、答えを出すだけならば簡単だが。その解を出すまでの人の心の機微を、私には説明することができないのだ」

 少しだけ悲しそうにグシャは語る。


 そして彼は玉座に戻りいくつかの仕掛けをいじる。

 するとまるで最初からなかったかのようにアゼルたちが飛び込んだ穴は閉じてしまった。


「それで、彼らをどうするつもりで?」


「どうするも何もない、彼らは勝手にここから脱出するだろうさ。ここで彼らに殺されても困るが、彼らが死んでしまったとしても、我らは死の運命からは逃れられぬ。何とも細い糸の上を歩かせられるものよ」

 そう言ってグシャは玉座に座り目を瞑る。

 その瞬間、途方もない速度で演算処理を続ける彼の脳裏に、微かなノイズが走った。


 時折彼が感じる不知覚の領域。


 まるでその感覚が前兆だったかのように、この玉座の間に新たな闖入者ちんにゅうしゃが現れた。


「ほう、人間の城というものもなかなかに豪奢じゃの。いくつかの造詣ぞうけいを妾の城に取り入れてみるのも面白そうじゃ」

 声の主はアルト・ヴァーミリオン。紫の美しい長髪をなびかせた少女だった。


「貴様は何者だ! ここはこのハルジアを統べる賢王、グシャ・グロリアスの玉座の間であるぞ」

 現れたアルトに対し、白騎士カイナスは迷わずに聖剣を抜き構える。


「いやなに、先ほどまで妾の父君と友人がお世話になっていたようでな。その顛末てんまつを確認しにきたところ、というのも半分本当で半分嘘じゃが」

 アルトはカイナスの問いに対して自身の瑞々みずみずしい唇を美しい指でなぞりながらはぐらかす。

 そこへ、


「おいアルト、お前がどうしてもというからついてきたが、イリアたちに助太刀するわけでもなく、本当に何の用があってここに来た?」

 不機嫌そうな魔人ルシアが彼女について現れる。


「…………っ」

 その瞬間、賢王グシャはわずかに顔をしかめる。彼の中のノイズがより強くなったのだ。


「一応説明はしたつもりじゃったが忘れたか? あと人前で妾を呼び捨てにするでない」


「はぁ、アレか? あの賢者の言ったことなら性質の悪い冗談だと思っていたが。ありえんだろ、ハルジアの国王がだの」

 ルシアはそう言って心底めんどくさそうな顔をしていた。


「!? そこの男が王の息子だと? 笑わせる、そんなことありえるはずがないだろうが」

 カイナスの耳にも届いたルシアの言葉、彼はそれを一笑に付した。

 何故なら賢王グシャには妃はおらず、その上カイナスの知る限り女性の影一つ彼の王には見当たらないのだ。

 そんな王に子供がいるなど、妄言にしても度が過ぎていた。


「いやそうよな、妾もここに来るまではあの賢者の戯言としか思っておらんかった。だがまあ確かに、そこの賢王の瞳は美しい蒼色をしておるのう。────こやつと同様に」

 アルトはそう言ってルシアの髪をかき上げ、隠れていた彼の片目を露わにする。


 そう、賢王グシャとまったく同じ輝きを放つ、蒼い瞳を。

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