第284話 クレア
かつてキャンバス村で、誰よりも仲の良かった友達。
一緒に剣の腕を競い高め合った親友。
勇者になる運命を背負ったイリアの横をずっと一緒に歩いてくれていた少女、クレア・キャンバス。
死んだと思っていた友達が、もう二度と会えないと思っていた親友が、狂おしいほどに夢見たあの幸せの残光が、イリアの前に突然現れた。
兜を破壊され、素顔を
そんなイリアをクレアと呼ばれた騎士は額からかすかに血を流しながら静かに見つめている。
「おい、どうしたイリア。この女が何だっていうんだ」
そこにすかさず駆けつけるアゼル。
先ほどまで彼を阻んでいた白騎士カイナスは、すでにアゼルによって反対側の壁に叩きつけられていた。
「何で? クレア、死んだんじゃなかったの? 生きていてくれてたなら、どうして教えてくれなかったの?」
しかしアゼルの声はイリアには届かず、イリアは涙を流しながら目の前の親友へと問いかける。
「ごめんね、イリア。でもそれはできなかったの。だけど私は嬉しい、こうしてちゃんとイリアとまた向き合うことができて。ちゃんと話をすることができて」
「そ、そんなの。私だって嬉しいよ!?」
イリアは混乱した頭で、それでも自分の感情をどうにか言葉にする。
「イリアがすごく頑張ってきたことは知ってる。魔族によって滅ぼされかけた人間をこのハルジアで守り、そしてたくさんの魔族たちを殺して追い返してくれた。それから連中の残党も狩りだし、ハルモニアの平和を築いてくれた。イリアは、すごく頑張ったよ。イリアは私の、私たちキャンバス村のみんなの誇りだよ」
「────え、あ、あれ?」
クレアの言葉を受けて、イリアは言葉を失った。その代わりに、彼女の瞳から涙が零れ落ちる。血に濡れた涙ではない、透き通った美しい涙が。
イリアがずっと欲しかった言葉。どんなに求めても手に入ることはないと思っていた報酬が、今ここで渡された。
イリア・キャンバスの本質。彼女は、勇者として世界を救いたかったわけでもなく、万雷の喝采を浴びたかったわけでもなく、ただ、ただ村のみんなに頑張ったことを褒めてもらいたかった。それだけでこの17年間の人生を駆け抜けてきたのだ。
「泣かないで、イリア。あなたを泣かせたいわけじゃないんだから。今までのつらい戦いの日々を、力になってあげられなくてごめんね。あなたが泣きたくなる時に、イリアの側で支えてあげられなくて、ごめんね」
イリアを真っ直ぐに見つめ、悲しげな表情でクレアはそう口にした。
「あ、あぁ、」
その言葉になお心を揺らされ、イリアは膝をついたまま両手で涙を拭う。その手は、自身の血で濡れていた。
「イリアは十分に頑張ったよ。だからもう、頑張らなくていいんだよ」
イリアにかけられる優しい言葉。まどろみの淵でまぶたを閉じてしまいたくなるような、甘い声。
だけど彼女の手は、血で濡れている。
「ねえ、だから、イリア」
「クレ、ア?」
ひと時の甘い夢から目覚めるように、イリアはクレアを見上げた。
クレアの瞳は悲しそうではあったけど、それ以上に憐れな虫を見るようでもあった。
そして彼女は最初と同じ言葉をイリアにかける。
「イリア、これ以上戦っても何の意味もないよ。だから、もうやめよう?」
彼女が求めたのは戦闘の停止。復讐の対象を前に、その剣を収めろと、そう告げた。
「な、何で? 何でクレアがそんなことを言うの? クレアも聞いてたでしょ? この人たちが、キャンバス村のみんなを殺したって!」
イリアは親友の発言が理解できないと、
「うん、知ってる」
だがそれを、クレアは平然と受け止めていた。
「賢王グシャの命令によって、黒騎士アベリア様がキャンバス村の全てを燃やした。でも仕方なかったことなの。あの日、お父さんたちは死ななくちゃいけなかった」
淡々と、感情の見えない声でイリアの親友クレアは語る。
「極端な話、イリアが生まれたことであの村の役割は終わってた。だからつまり、世界から見ればイリア以外の人間は死んでしまってよかったってこと」
「死ななくちゃいけなかった? 死んでしまってよかった? クレアまでそんなことを言うの? どうして? どうして!?」
イリアは聖剣から手を放し、感情の荒ぶるままにクレアへと詰め寄ろうとする。
「……はぁ、イリア。何も知ろうとしなかったアナタがそれを言うの? 何も気づこうとしなかったアナタが!? 特別であることを特別とも思っていなかったアナタが、全ての原因であるアナタが!!」
ここにきて初めて、クレアは強い感情をもってイリアへと応える。
その瞳には哀しいほどに行き場のない憎しみが渦巻いていた。
「いいわ、教えてあげる! あの日何があったのかを。アナタが見ないフリをしていたモノが何なのかを」
そしてクレア・キャンバスは語り出す。
キャンバス村の最期を。知らなければよかった真実を。
それでも、イリアが向き合わなければいけない現実を。
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