第274話 少女の幻幸

 イリア・キャンバスは思い返す。


 かつてはその価値に気付かず、今では確かに幸せだったと断言できる失われたあの日々を。


 彼女は間違いなく愛されていた。


 もちろん彼女が待ち望まれた聖剣の担い手、勇者の資質を持っていたということもあるが、それ以上に彼女が生来持つ優しい気性が多くの人々を周囲に集めた。


 彼女の父と母はもちろん、近所のおじさんおばさんであるバッカスとニカニ、イリアを妹のようにかわいがった青年ラルク、イリアと同い年で彼女と剣の腕を競いあったクレア、弟分、妹分のリン、オルフェ、サイール、ルカ、ロイ、ミリア。


 彼女は確かに愛されており、彼女も彼らを愛していた。


 その中でもとくに彼女と仲が良かったのは同い年のクレアである。


 イリアの白銀の髪には及ばないものの、銀色がかった美しい髪色。

 落ち着いた物腰とイリアより少しだけ豊かなバストは、同い年ながらも少しだけ彼女に姉のような雰囲気を与えていた。


「イリア、どうしたの? 今のイリア、隙だらけだったよ」

 思い出の中、イリアはクレアに軽く木剣で頭を叩かれる。


「痛っ、あれ? クレアだ」

 頭を叩かれたイリアは少しだけ涙目になり、少しだけ……泣いていた。


「ホントにどうしたのさイリア? 稽古の途中でしょ。将来勇者に成る為の修行なんだから頑張らないと」

 クレアは木剣を手に拳を高く掲げ、イリアの気持ちを上げようと鼓舞こぶする。

 しかしイリアは少しためらった様子で、


「あ、勇者。…………そうだね、勇者になるんだもんね。頑張らなきゃいけない、よね」

 手にした銀晶の■■をギュっと握りしめていた。


「そうそう、あたしは残念なことに勇者には選ばれなかったけどさ、こうやってイリアと鍛えあってイリアの力になれたらって思うし、できるならいつかイリアと世界を救う旅なんてのにもついて行けたらなって思うよ」

 まるで夢を語るように、クレアは瞳を輝かせていた。


「そう、かな? そんなにいいモノじゃないかもよクレア。たくさんの人を傷つけることになるかもしれないし、たくさん傷つけられるかもしれない。それでも、立ち止まっちゃいけないんだよ」

 うつむき、服の裾を強く掴み、イリアは言う。


「イリア? イリアの口からそんな難しい話が出るなんて思わなかったな。イリアはいつも、選ばれたんだから私がやらないと、勇者として世界を救わないとって繰り返してたのに」

 意外なモノを見るようにクレアは瞳を丸くする。


「はは、そうだったっけ? でも仕方ないよクレア、私もいつまでも子供じゃいられないし」

 そんなクレアに対し、イリアは泣き笑いのような顔で言い訳した。


「私ね、気づいちゃったの。私が守りたかった世界っていうのはこのキャンバス村のことで、私が救いたかったのはこの村の人たちのことだったの。他はきっと、おまけでしかなかったんだって」

 泣き笑いのままイリアは続ける。


「でもね、私が勇者に成って一番先に失ったのがその世界だった。キャンバス村のみんなだった。だからね、それから私はずっとそのおまけの為に戦ってたんだ」

 泣き笑いのまま、いやイリアは泣いていた。


「それでね、私わかんなくなったの。大事なモノ、大切なモノを失って、それでもまだそのおまけの為に戦い続けなきゃいけないのかな? もう、私はゴールして、好きな道を歩いてもいいんじゃないかなって」

 イリアは泣いたまま語る。


「そっか、人生ままならないね。私たちごと世界を救えたら、きっとイリアは悩まなくてすんだのにね。きっと悩まずに、そのまま二十歳の寿命を迎えたんだろうね。でもさ、イリアが今泣いてるのは、それが正しいとは思ってないからでしょ。勇者をやめることが、正しいとは思ってないからでしょ?」

 イリアの親友、クレアは真っ直ぐに正面から彼女を見つめる。


「自分の道がそれだけじゃないと知って、その上でイリアが何を選ぶか。大切なのはきっとそこだよ。逃げるんじゃなくて選ぶの、その方がきっと後悔しないよ」

 イリアと同い年で、それでも姉貴風を吹かせるクレアはそう言った。


「選ぶ?」


「そう、選ぶの。与えられたモノをつかみ取るだけじゃなくて、嫌な現実から逃げるんじゃなくて、道の行く末をしっかり見据えた上で選ぶの。それなら、何が起こったって自分で選んだことだもん、笑って立ち向かえるよ」

 笑顔で、確信をもって語るクレアに、イリアも思わず笑わずにはいられない。


「もう、嫌だなぁ。…………クレアが生きてるうちにその言葉を聞きたかったよ」

 笑顔のイリアから、ポツリと涙がこぼれる。


「あはは、勝手に殺すなっての。それにイリア、さっきイリアはキャンバス村以外の世界はおまけだって言ったけど、世の中にはおまけが凄い価値を持つことだってあるんだからね。守ったのなら、大切にしなよ」


 淡い幻影が消えていく。


 イリアは必死に手を伸ばすが、何も掴めずに空を切るのみ。



 果たしてこれは夢か幻か。


 この記憶がイリアの中に残るかすら定かではない。


 しかし願わくば、かつてありし思いが、イリアの行く末を守り導かんことを。

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