第九譚 覇道羅刹の逆襲譚
第273話 ある王の物語
少年の話をしよう。
彼はとある国に生まれた。
長い伝統と歴史こそあるものの、逆に言えばそれくらいしか誇るところのない質素で目立たない国だった。
父と母に愛され、望まれて生まれてきた彼は、彼の生まれた国と同様にその時点で特筆すべきものは何も持っていなかった。
しいて挙げるとするのならば、彼の父親がその国、最果てのハルジアにおいて国王と呼ばれていることくらいだろう。
だが、彼に
彼は生まれて1ヵ月後には周囲の大人の言葉を正しく理解していた。
そして発声器官が安定してくる半年後には言葉も話し始めた。
彼の周りの大人たちは驚き、そして喜んだ。
次代の王となる男児が、神童であったと。これでこの国ハルジアが豊かな繁栄を手に入れるのは欲深だとしても、少なくとも衰退していくことはないだろうと。
そのような淡い期待を受けながら、3歳になる頃にはその少年は多くの書物、多くの人々から知識を得て、城中の誰よりも博識なのではないかと噂されるようにすらなっていた。
だが同時に、あまりに出来過ぎな少年を不安視する声も増えてくる。
優秀すぎる振る舞い、早すぎる成長、それを気持ち悪いと思う者がいても不思議ではあるまい。
何故なら少年は生まれてから一度も泣いたことがなかったのだ。
この世に生まれ落ちた時でさえ、キョトンと目を見開いて「どうして自分はここに生まれてきたんだろう?」といった表情をしていたと、まことしやかな噂が流れるほどだった。
まあ、そんな噂は、ただの事実でしかなかったわけだが。
しかし一部のそのような不安も、しばらくのちに払拭されることとなった。
少年が四歳になってしばらくした頃、突然に彼は泣きだし、母親があやし続けるもそれは三日三晩止まることがなかった。
周囲の人間は大いに困惑し、そして安心もした。
ああ、理解できない異人のように感じた少年も、当たり前のように感情を乱すこともあるのかと。
そして翌年、少年の母、つまりはハルジア王の妃が病没する。
葬儀は国を挙げて行われ、その式の間、少年は一度も涙を流さなかった。
五歳にして実母の死を
母親の死に人知れず泣いていたとしても、
だが実際には、少年は母の病気が判明してから彼女が死に至るまでの間、一度も涙は流すことはなかったのだ。
何故なら、母親の死を彼は一年前に既に知っており、その時に悲しみの涙を全て流し終えていたからである。
そう、少年は知っていた。
少年、グシャ・グロリアスには未来が見えていたのだ。
これから起こりうる悲劇、それを事前に理解していただけの話。
もちろんこれは、どこぞの大賢者のように未来の記載されている本に目を通したわけではない。
端的に言うならば、少年はひたすらに頭が良かった。
もっと具体的に言うならば、彼の演算処理能力は常軌を逸していた。
人間に本来備わる、ごく短時間の未来予測。
例えば石を投げつけられた場合、石が自身にぶつかる危険を予測して人は目をつむる、もしくは回避が可能なら大きく避けるはずだ。
これが武芸の達人になってくると、相手の動作から石の軌道を読み取ってごく最小限の動きで躱すことができるだろう。
そして少年グシャ・グロリアスはその未来予測をより遠大に行うことができたのだ。
石を投げられるのであれば、その投げられるであろう石を事前に処理することでそのイベントのフラグを折る。
もし目の前で石を投げられたとしても、その人間の各関節の可動性、筋出力、石の重量、気圧、風量、などなどあらゆる事象データを正確に演算して達人以上の精密さで回避する。
それが可能となるだけの演算処理機能が彼には備わっていた。
それはつまり、彼にとって不利な出来事が予測できるのであれば、事前に対処してより都合の良い展開に置き換えることができるということでもある。
グシャ・グロリアスの頭脳による演算処理能力は、未来を閲覧できる者からすれば未来の改竄と言っていいほどの恐ろしい精度を有していたのだ。
これは余談ではあるが、彼が何故母の死を前に泣いたかと言えば、彼がどんな手段を尽くしたところで母の死の運命を変えられないところまできてしまっていたが為である。
そして運命は非情にも、彼の父をも死へと追いやってしまう。
国王の死、つまりその先に待つのは少年の早すぎる戴冠である。
わずか十歳で玉座についた少年を、誰もが『惜しい』と思った。
せめてあと八年、いやあと五年だけでも時間があれば、この少年は誰よりも素晴らしい王として国を導いただろうにと。
そして一部の有力貴族は内心で喜んでいた。
権力の地固めも不十分な若すぎる少年王。
反旗を翻すならこのタイミングは逃せないと。
地方の貴族領を取りまとめるリーダー格の有力貴族はいざクーデターを起こす前に少年王グシャ・グロリアスに謁見する。
これから全てを奪われる子供は一体どんな顔で玉座に座っているのかを嗤いに。
対するグシャはその有力貴族の謁見を快く受け入れ、そして内心不思議に思っていた。
明後日には反乱を引き起こし、その直後にハルジア国軍の包囲を受けて公衆の面前で死刑となるこの男はどうして笑っていられるんだろう、と。
その貴族は知るよしもないが、グシャは父親が近い内に死ぬことを彼の未来演算で事前に知っていた。だから彼は父が亡くなる前に大まかな公権力の掌握を済ませていたのだ。
そして、より円滑に動く手足が欲しいグシャにとって従来の貴族制度は邪魔であり、それを一斉に潰す理由ができるのは非常に都合が良かった。
だから彼にとって分からなかったのはただ一つだけ。
彼にとって生まれた時から不思議なことは、負けると分かっていながら笑い、勝利することを知っていながら嘆く人間の矛盾、ちぐはぐさである。
そう、彼は大きな思い違いをしていたのだ。
自身が生まれ持った異常な演算処理能力、それを人間は誰もが当たり前に持っているモノだと思っていた。
だからこそ、最善手を常に打ち続ける彼にとって悪手を打って大喜びする彼らが不思議だった。
まるで未来など知らないと、未知に脅え試行錯誤してあがく姿が理解できなかった。
そしてそれゆえに、少年はそんな
だからそう、これはある王の物語。
賢王と呼ばれながらも、そのたったひとつの勘違いにさえ気が付くことのできなかった哀れな王の物語。
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