第272話 初仕事

 魔族領域アグニカルカ、その主城たるギルトアーヴァロンにて、


「アルト様、よろしいでしょうか?」

 一人の魔族がある部屋の扉をノックしていた。

 だが、部屋の中から返ってくる声はない。


「アルト様? いらっしゃいますよね? また勝手に抜け出したらセスナ様になんと言われるかわかりませんよ!?」

 主の不在を不安に思った魔族はより強く扉を叩く。


「……うるさい、聞こえておるわ馬鹿者!!」

 すると部屋の中から罵声が響いてきた。


「申し訳ございません! ああ、ですがご不在でなく良かった。……それで、なのですが、貴族会議にていくつか議題に挙がっていたモノをお伝えに来たのですが、入ってもよろしいでしょうか?」

 扉の前の魔族は恐る恐るといった様子で中の人物、アルト・ヴァーミリオンに伺いをたてる。


「…………よろしくない。そこで話せ」

 しかし何故かアルトは部下の入室を拒む。


「は、了解いたしました。それでは以前から問題になっていた狂魔の城周囲の探索結果についてですが…………」

 すると部下の魔族は、それが当たり前のように扉の前で長々と話し始めたのだった。

 

 都合10分ほど、扉を挟んでアグニカルカの政治の重要なやりとりが続けられた。


「以上であります。貴重なご意見ありがとうございます。この件は貴族会に報告しますので」

 部下の魔族はアルトに見えていないにも関わらず恭しく扉の前で頭を下げる。


「きっちりやるように伝えておくのじゃ。手を抜くようなら殺すともな。それと功績を挙げた者には寵愛を与えるとも言っておくといい」


「おお、それは皆喜びましょう」

 『寵愛』という言葉に反応して部下の魔族は目を輝かせる。


「ああそれとアルト様、先ほど小耳に挟んだことなのですが、どうやら小一時間ほど前から何者かがギルトアーヴァロンに侵入しているようです」


「侵入者? 馬鹿者、そのくらいのこと自分たちでどうにかせんか。……いいか、未知数の相手に対して1対1で挑むなと厳命しておけ。2人、可能なら3人以上でかたまっておけともな」


「は、了解です。それでアルト様の護衛はいかがしましょうか? 必要でしたら貴族たちの中から数名およびしますが」


「!? いらぬわ馬鹿者、妾を誰だと思っておるのじゃ! ──イタタタ、大声を出すと響く~~~」

 アルトは部下の気遣いに突然怒り、そして同時に謎の苦悶を示していた。


「失礼しました! それでは私はこれで」

 彼女の後半のセリフは聞き取れなかったのか、部下の魔族はアルトの逆鱗に触れたと思い高速で頭を下げてそのままの速度でどこかへと去って行った。


 扉の前の気配が消えたことで、中にいるアルトも一息をつく。


「ふぅ、行ったかしら。……今ここに貴族連中を呼ぶ? 冗談じゃない、ヒドイ笑いものだわ」

 アルトは素に戻った口調で自らの状態を嘆いていた。


 何を隠そう、今のアルトは次期魔王とは思えないほどの情けない格好をしていたからだ。

 先日、大魔王側近騎士かつ大貴族でもあるセスナ・アルビオンからお尻百叩きという屈辱的な罰を受けた彼女だが、その後遺症としていまだにまともに座ることができないでいた。


 そのためアルトは今、ソファの上でお尻を高く上げてまるで尺取虫しゃくとりむしのような姿で休んでいるのだ。


 その姿を誰かに見られれば、彼女が今まで積み上げてきた威厳が崩落してしまうことは間違いない。

 彼女はヒリヒリするお尻を自分でさすりながら、どうにか回復するその時を待っていた。


「痛い~~~、セスナのやつ絶対に許さないんだから。私のせいってバレないように手を回してすっごく恥ずかしい目に会わせてやる~ まあお父様のせいってことにすれば大体ダイジョウブかしら」

 アルトは頭の中でセスナへの復讐の方法を模索していく。


 そんな時、彼女の部屋の窓際に何かが着地する音がした。

 だがアルトはとくにそれに対して気を払うことはしない。


 何故なら部屋の大窓は、彼女の使い魔である魔鳥ハリスが帰ってこれるように常に開け放たれているからだ。


「帰ってきたのね、ハリス。ちょっと待っててね」

 アルトはお尻の痛みが強くならないように慎重にのそのそと動いて扉の方へと振り向く。


 すると、


「何をやってるんだ? お前」

 まるで意味不明な生き物を見るような目をして、魔人ルシアがそこにいた。


「!?!?!?!!?!?」

 瞬間、アルトの脳裏を駆け巡る混乱の記号。

 彼女は目を白黒とさせて、現状をどうにか整理しようとしていた。


「え、あ、え? 何で? お前がここに? え、え?」

 次期魔王の威厳も何もないまま、アルトの口から疑問文にもならない疑問が出てくる。


「何でもなにも、俺を雇うと言ったのはお前だろうが。あれから色々考えて、それも悪くないかと思った。もちろんここもつまらない場所なら出ていくが」


「いや、確かに、お前を引き入れると言ったのは妾じゃが、それなら何で窓から入って来るんじゃ」

 アルトはどうにか口調だけは取り繕い、当然の疑問を口にする。


「……別にここが窓だと思って入ってきたわけじゃない。ただお前から貰った方位魔石の示す方向へ真っ直ぐについていったらこうなっただけだ」

 ルシアはアルトの戸惑う様子が少し心外そうに一応の理由を説明する。


「ええい、この常識知らずが、せめて城は正面玄関から入ってこんか。あ、ということはつまり城に侵入者が入ったというのは貴様のことか、」

 アルトがその考えに至った時、彼女の部屋の扉が再び強く叩かれる。


「アルト様! よろしいでしょうか!! 賊がこちらに忍び込んだという報告がありました。ご無事でしょうか? 返事がないようであれば罰を覚悟で我々は突入いたします」

 扉の向こうからは覚悟に満ちた声。

 あと2秒も返事がなければ扉を打ち破って部屋に入る気満々の様子だった。


 尺取虫状態のアルトのいる部屋にである。


「いや待て逸るなお前たち!! 絶対に入るなよ! もし入ったら入った者からミンチじゃからな!」

 アルトは情けない姿勢から威厳に満ちた声をどうにか絞りだす。


「ご無事でしたかアルト様。しかし賊がこの部屋に入ったと──」


「妾はなど知らぬ。話は終わりじゃ。それとも、妾の機嫌を損ねたい奴がまだいるか?」


「いえ、大変失礼しました!!」


「あと半刻も探して見つからぬようなら諦めて普段の仕事に戻るのじゃ。万が一の責任は妾が取る」

 最後にアルトがそう付け足すと、扉の前の魔族たちは敬礼したのちに去っていった。


 その様子をルシアは興味深そうに眺めていた。

 魔王の娘、次期魔王、そして現在この城を取りまとめている者、その威厳に満ちた声が、お尻を高く突き上げた謎のポーズから発せられている様子を。


「…………………なんじゃ?」

 ルシアのその視線に気づいたアルトは、気まずそうな顔を彼に向ける。


「いや、王というのも大変だと思っただけだ。一応、お前がなんでそんな格好をしているかの説明はもらえるのか?」

 彼は窓枠から降りて、当然のようにアルトのもとへと歩いていく。


「別に、大したことはない。ちょっと年増をつつき過ぎただけじゃ。お前もその手の地雷は良く踏みそうだから気を付けるのじゃな」


「?? よく分からんが、忠告は受けておこう。それで、俺は何をすればいい?」

 アルトの返答に要領を得ないながらも、早速ルシアは仕事の話に入る。


「…………基本は妾の護衛じゃ、その都度こまごまとした仕事を与えるかもしれんが。しばらくすれば皆に紹介もしよう」


「ああ、それは構わんが、紹介ってまさかその格好かっこうで人前に出るのか?」


「出るわけがなかろうバカもん。だから貴様を紹介するのは、…………妾のお尻が治ってからじゃ」

 アルトは最後に小さな声で付け足す。


「ん? 良く聞こえなかったが、要はお前のそのへっぴり腰が治るまではこの部屋の中にいろということか? まいったな、思った以上に暇な仕事らしい」

 ルシアは少しだけ退屈そうに呟く。


「暇じゃと? 妾の側で働く以上は暇などさせんぞ。ちゃんとこの部屋の中でも妾の為に尽くせる有意義な仕事を与えてやろう」

 アルトはルシアの発言が心外だったのか、彼に相応しい仕事を頭の中で一生懸命に考え出す。


 そして考えに考え抜いた末、今の彼女にとっての急務、なによりも重要な事柄に思い至る。


「おいルシア、」


「ああなんだ? どんな汚れ仕事でも引き受けてやるよ」

 ルシアはやる気満々の様子で答え、

 対するアルトはソファに顔をうずめて恥ずかしそうに、


「わ、妾の、………………お尻をさすれ」


 栄誉ある初仕事をルシアに与えるのだった。

 

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