第271話 もう一度キャンバス村へ、そして

 イリアたち一行は神晶樹の森を後にし、イリアの故郷であるキャンバス村跡地に再び向かっていた。


 そんな馬車の中、

「ひと言、ひと言良いでござるかリノン?」

 シロナがふいに、耐えきれなくなったかのように切り出す。


「ん? どうしたんだいシロナ」

 御者台にいるリノンはどこ吹く風といった清々しさでシロナに合の手を入れる。


「空気が、空気が悪すぎるでござる。何で先ほどの休憩中にイリアたちがちょっと席を外して以降こんなに空気が悪くなってるでござるか?」

 シロナは馬車の中の異様な空気を指してそう言った。何せイリアはアミスアテナを置き去りにしており、結局リノンが回収するはめになったのだ。しかし二人ともそのことには一切言及せず、アミスアテナにいたっては以降一言も発せずにただの剣のようになっている。 

 そして馬車の中のイリアは死んだ魚のような目をしてアゼルの隣に座っており、アゼルが気を遣っていろんな話を振るがどれも上の空といった状態である。


「へぇ~、オートマタであるキミが空気の良し悪しを気にするなんて興味深い。呼吸は必要ないものだと思ってたけど」


「拙者は息はしなくても、他人の息遣いには敏感なのでござる。いや、そういうことではなく、少しはどうにかしようと思わないのかリノン」


「別にぃ、こういうのはなるようにしかならないさ。……僕らの運命と同じようにね。さて、そう言えば僕らは何だってまたキャンバス村に向かってるんだっけ?」


「ボケたのリノン? イリアがお墓にちゃんと花を添えたいって言い出したからでしょ。まあ神晶樹の森の中にちょうど良さそうな花が自生してたし、大した回り道じゃないからアタシも反対じゃないけどさ。ただ肝心のイリアが途中からあんな感じだからね。まったくこのナマクラはイリアに何言ったんだか」

 馬車の中の異様な空気に嫌気がさしたのか、エミルが身軽に御者台に出てきてリノンが持つ聖剣アミスアテナを一瞥する。

 そして何故か唐突にリノンの首を戯れに締め始めた。


「ちょ!? ギブギブ、いくら森の中で暴れられなかったからって、僕に向けてそれを発散しないでくれよ」


「大して苦しくないくせに大袈裟だっての。────で、本当のとこはどうなの? イリアとアゼル周りの伏せられてたカードを色々と表にして、さぞ内心じゃ上手くいったって思ってんじゃないの?」

 エミルはリノンの首を絞めながら彼の耳元に口を近づけてそう言った。


「いやぁ、人聞きが悪いねぇエミルくんは。僕は条件付きで全知というだけで万能とは程遠い。世の中が僕のシナリオ通りに進むことなんて稀なことだよ。むしろそうだね、僕らは誰かのシナリオの上を上手に走らされているだけかもしれない」

 たがリノンはエミルを煙にまくようにそう語るのみである。


「もし、リノンの言う通りなんだとしても、どっちにしろ気にいらない話であることに違いないでしょ。アタシにはそのシナリオとやらは読めないけど、世界の空気が、駆け巡るジンが教えてくれてる。これからとんでもないことが立て続けに起こるぞって」


「とんでもないこと、でござるか?」


「うん、具体的に言うと誰かが死ぬ。まあ、ただの予感だからいつどこで誰がとかは知らないけど」

 エミルはそれこそ涼しげな顔で、そのとんでもない予感を口にした。


「………………やめてくれよエミルくん。キミにまで予知をこなされちゃ僕の立場がない。キミにはぜひ誰にも分かりやすい脳筋キャラでいて欲しいのだけどね。──ま、僕にできることがそれほど多くないことを、キミたちくらいは知っておいてくれよ。さあ、着いたよ。キャンバス村だ」


 リノンはついに到着した馬車を程よく拓けた場所に止め、馬車の中のイリアを促す。


 彼女は少し昏い表情のまま、抱えた大量の白い花束を抱えて馬車から降りた。

 墓へ向かうのはイリアただ一人、


 いや、彼女に控えるようにアゼルが側についていく。事前の秘密の話し合いで、アミスアテナが同席しない方がいいだろうということで、それならばリノンたちは残って待機しておこうとなったのだ。



「イリア、少しくらい俺が持つぞ」

 溢れんばかりの花を抱きしめるようにして持っているイリアをアゼルは気遣う。


「いいのアゼル、これは私の我がままだから。──みんなにも色々気を遣わせちゃった。明日からはもうちょっといい子にするから、今日のことは許してもらえるといいな」

 イリアは少し明るい声で、だからこそ感情の見えない表情でそう言った。


「別に良い子にしていようとそうじゃなかろうと、あいつらなら気にしないだろ?」


「そうだと、いいな」

 アゼルの言葉に素直に頷くことなく、イリアは真っ直ぐにキャンバス村の人々の碑銘がそれぞれ刻まれた墓の前に向かう。


 そして墓の前に立った時、彼女は言葉を失った。


 その、全ての墓の前に、彼女が供えようとしていた真白の花たちが、すでに供えられていたのだ。



 強い風が、吹く。



 イリアの抱えていた花々が、空へ舞い上がるように散っていく。


「え、なんで?」

 イリアの頭に湧いた疑問は『誰が?』ということ。


 彼女以外の全ての住民が全滅したこの場所に、誰がわざわざ花を供えに来たというのだろうか?


 この村は閉鎖的で、外部の村や街と積極的に交流を取るようなことはなかった。


 もし仮に、ある程度以上の交友関係を持つ人がいたのだとしても、個人ではなく村人全員に対して花を供える奇特な人間がこの世の中にどれほどいるだろうか。


 それよりもイリアの脳裏に直感的に走るモノがあった。


 もしも、


 この行為も、ありえるのではないかと。


 自身の罪の呵責かしゃくを減らす為に、こんなことをしているのだとしたら。


 無意識の内に、イリアは爪を立てて拳を握り込んでいた。



 大好きだった人たちの墓の前で、こんな気持ちでいてはいけないと思いながら、それでもイリアの中を駆け巡る感情は止まらない。


「イリア、大丈夫か?」

 もちろんイリアが今考えていることは当事者である彼女の先走りであり、傍目はためから見ているアゼルにとってはちょっとした予想外の出来事が起きたに過ぎない。

 だから彼は冷静に、ある事実を指摘する。


「ん? イリア、その目の前の墓。花の下に手紙が置いてないか?」

 

「え、手紙?」

 アゼルの指摘でイリアもようやくその存在に気づき、恐る恐る手を伸ばす。


 果たしてこの手紙の意図とは何なのか?

 謎の献花、そして手紙、明らかに何者かの誘いであることはわかっていても、イリアはその中身を見ずにはいられなかった。


「───────────、っ!?」

 その手紙をイリアはほんの一瞬で読み終える。

 それはイリアが速読したわけではなく、端的な文章しか載せられていなかったからだ。


「どうしたイリア、何が書いてあったんだ?」

 手紙の内容をアゼルも気になるようで、そっとイリアに寄って覗き込む。


 そこには、


“この村を滅ぼした犯人を知っています。


 最果てのハルジア、その王城の玉座の間にて真実を話しましょう”


 とのみ書いてあった。


「なんだこれは? 誰の悪ふざけだよ」

 アゼルはこの手紙の内容が本気であることに薄々気づきながら、それでも誰かの悪戯ということにしたかった。


 何故なら、


「ううん、アゼル。これはきっと本当だよ。多分そんな気がする。もしそうじゃないとしても、確かめなきゃ、絶対に」

 イリアの瞳の奥に宿る復讐の火が、真っ赤に燃え上がることが容易に想像できたからだ。


「いや待てよイリア、わざわざ今からハルジアに向かって無駄足だったらどうすんだよ? 言いたくはないが、俺たちに残された時間はそうないんだぞ」

 アゼルはイリアの考えを変えようと必死だった。彼には未来視など持ちえようもないが、それでもイリアがハルジアに行けば取り返しのつかないことになる予感を強く感じたからだ。


 だが彼の思いもむなしく、ある存在が二人の目につくことで手紙が悪戯ではなく確かな意図を持って用意されたことが判明する。


「あれは、アベリア?」

 イリアたちの視線の先、キャンバス村の境界を少し出たくらいの場所に二人の騎士の姿が見えた。


 二人とも立派な馬に騎乗しており、一人は何度もイリアたちが目にしたことのあるハルジアの黒騎士アベリア。もう一人は彼より小柄でフルフェイスの甲冑を纏っていた。


 彼らは馬上からイリアたちに視線を送り続け、そして自分たちの存在が気付かれたと判断したところで何も言わずに去って行った。当然、ハルジア国のある方角へ向けて。


 それはまるで、イリアについてこいと言わんばかりの行為だった。


「アゼル、もう文句はないよね」

 イリアはそう言って、手紙を手にリノンたちの待つ馬車へと戻っていき、アゼルは慌てて彼女を追った。


 そしてイリアは颯爽と馬車に乗り込んで、御者であるリノンへと言い放つ。


「リノン、アミスアテナを!」


「はいはいどうぞ」

 リノンはイリアの意図を読み取って実に雑に聖剣アミスアテナをイリアへと投げ放つ。

 それをイリアは当然のように掴み取り、


「馬車を、ハルジアに向けて出して」

 抑えきれぬ感情をもって、これからの道行きを指し示した。


「……痛っ」

 アミスアテナから漏れるわずかな悲鳴。


 イリアがあまりにも強く聖剣である彼女の柄を握りしめたが故のことであり、その結果としてイリアの手のひらが僅かに裂けて血が聖剣を伝っていく。

 白銀を旨とする聖剣の輝きが、僅かに赤く変色する。


「さてと、いよいよなるべくしてこうなったか」

 御者台にいるリノンは一人呟いた。


 こうして、かつてイリアが成り行きにまかせて訪れ勇者としての伝説が始まったハルジアへ、彼女は今度こそ確かな目的をもって向かい始めたのだった。

 

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