第270話 アミスアテナからの宣告
翌日、イリアたちは湖の乙女トキノたちに別れを告げ、神晶樹の森からの帰途についていた。
当然オージュに対しても挨拶をしたのだが、彼は振り向くこともなく片手をわずかに挙げたのみで、それが彼にとっての別れの仕草なのかどうかも怪しかった。
そして帰路の途中、小休憩を取ろうとしたところで、
「何、話があるって、アミスアテナ?」
イリアはアミスアテナに呼び出されていた。
もちろん呼び出されたと言っても、彼女はイリアが帯剣しているわけなので、イリアが森の少し拓けた場所に移動しただけなのだが。
「………………」
しかし、アミスアテナはイリアを呼び出したにも関わらず、会話を切り出しあぐねていた。
「どうしたの、アミスアテナ? 湖に何か忘れモノがあった? あ、トキノさんたちとゆっくり話したかったんでしょ? もう、言ってくれればよかったのに」
「違うわよ、イリア」
「ん~、それじゃ何なの? 私、今はあまりアゼルから離れたくないんだけどな」
イリアは少し不満そうに、愛しき恋人がいるであろう方向に目を向ける。
「────本気で、イリアはアイツのことが好きなのね」
そんなイリアを見て、アミスアテナは諦めたかのように呟く。
「?? アミスアテナ? まさか、今さら勇者が魔王を好きになるな、なんて言わないよね?」
アミスアテナの語り口に何か不穏なモノを感じたイリアは、今一番否定されたくないことを真っ先にあげる。イリアにとって生まれた時からの相棒にだけは、そんなことを言われたくなかったのだ。
「違うわよ、イリア」
だがアミスアテナは、イリアの不安な予想を真っ向から否定する。
「なんだ、びっくりさせないでよ。それじゃあ何の話がしたいの?」
そして再び、会話は振りだしに戻った。
アミスアテナはまた少しだけ黙ったのち、覚悟を決めたように話を切り出す。
「イリアが魔王アゼルのことを好きなことは私でも十分にわかるわ。
「─────」
イリアはアミスアテナの言葉を否定しない。
それが、何よりの彼女の肯定の証だった。
「勘違いしないで欲しいのは、私は別にそれに対してどうも思っていないわ。何せ勇者を作り出すなんて大それたこと、今では私の思い上がりだって言われても、何も否定できない」
「─────、」
アミスアテナの自嘲のような言葉にも、イリアはなんと声をかければよいかわからず言葉を返せなかった。
だがアミスアテナはそれすらもどうでもいいと話を続ける。
「私が聞きたいのは一つだけ。イリア、あなた魔王の子供が欲しいの?」
彼女の言葉の後に、一瞬の
「え、あ、うん。なんだ、わかっちゃうのかなそういうのって。いや、まあ、うん。もしそうなったらいいなくらいには思ってるよ。私には先がないけど、アゼルに残せる何かがあればいいなって。もちろん私だって生まれてくる子にできるだけのことはしてあげたいし、その為にもアゼルの使命の解決をできるだけ早くしないとね。それでその子とアゼルに幸せに生きてもらうの。私がその光景の中にいられないのは残念だけど、そういう幸せを思い描けるだけでも十分かなって。ああ、でも、アゼルが私の長生きできる方法を見つけちゃったら、本当に幸せになっちゃうね。そっか、アゼルが私に見つけろって言ってた自分の幸せって、そういうことなのかな?」
イリアは少しだけ早口で、自身の胸の内を語りきる。その、ありえたらどんなに暖かいだろう幸せを、
「………………………無理よ」
アミスアテナは、苦渋に満ちた声で否定した。
「あ、そうだよね。私が長生きなんてできるわけないもんね。うん、贅沢言っちゃった」
イリアは、失敗失敗とでも言うように恥ずかし気に頭を搔く。
「違う、そうじゃないのイリア。あなたの寿命については、私も諦めたくない。もし方法があるのならこの命を差し出したっていいわ。でもそうじゃないの。私が無理って言ったのは、…………子供のことよ」
苦しそうに、わずかに感情を荒げて、アミスアテナはそう言った。
「────────────────え?」
「無理なの、あなたと魔王じゃ、妊娠が成立しない」
残酷な、アミスアテナの宣告。
結局のところイリアは、生まれた時からの相棒に、一番言われたくないことを言われたのだった。
「え、いや、だってアミスアテナ。そんなことないよね? ルシアだって、クロムさんだって人間と魔族の間に生まれたんでしょ? それなら、別に私とアゼルにだって」
「できないの。魔族と人間ならそりゃ確率は低いだろうけどそういうこともありえるかもしれない。でもあなたは、イリアは、人間である前に、無垢結晶なのよ。どんな奇蹟が起きたって、あなたの中で魔素に基づく生命は誕生しないわ」
「なん、で? なんでそんなことが言えるの?」
「私も、その可能性をずっと考えていたからよ。そして百年以上考えた結論がこれ」
「違う、そうじゃない! なんでアミスアテナは私にそんなヒドイことが言えるのかってこと!!」
イリアは聖剣アミスアテナを引き抜いて地面に強く突き立てる。
「あなたの残された時間を、不毛なことに費やして無駄にして欲しくなかったから。そしてイリアが、いつか母親になりたいって夢見ていることも知ってたから。ずっとあなたを子供の頃から見てるんですもの、わかるわ。あなたは勇者として生まれてきたけど、村の誰よりも少女的で、女の子としての夢を強く持っていたことを」
感情を抑えきれずに息も絶え絶えなイリアに対して、アミスアテナは不思議と冷静な気持ちで告げる。
「だから、あなたの保護者として言わせてもらうわ。あなたが魔王アゼルと添い遂げるだけで満足というなら私は何も言わない、でも、イリアが子供を欲しいと思うのなら彼はやめなさい。イリアが思う以上にあなたを慕ってる人はちゃんといるわ。あのルシアという魔人だって、魔王よりは可能性がある。何はともかく、私が言うべきことは言ったわ。選ぶのは、あなたよ」
「…………」
アミスアテナの言葉を受け、虚ろな表情のイリア。
その顔は、泣けばいいのか怒ればいいのかわからないように様々な感情が渦巻いていた。
「─────うん、わかったよアミスアテナ。言いたいことはわかった。余計なお世話だとか、私をこんな身体にしたのはアミスアテナたちでしょとか、言いたいことはいっぱいあるけど今はいいや。でもちょっとだけごめん。ちょっとだけ、今はアミスアテナの顔も見たくない」
イリアはアミスアテナに背を向け、振り向きざまに涙が少し零れる。
そしてその場を走り去ってどこかへと行ってしまった。
「─────、」
一人、残されたのはアミスアテナ。彼女は深い後悔と悲痛で、何も言葉にできなかった。
「ったく、何を言ったんだよお前。イリアが凄い顔で走っていったぞ」
そこへ、魔王アゼルが現れる。
「何よ、今の話を聞いていたの?」
「盗み聞きする趣味は俺にはねえよ。ただあまりにも戻ってくるのが遅いから迎えに来ただけだ」
「ならイリアの方に行きなさいよ」
「行くよ、ただイリアの様子が普通じゃなかった。どうせお前がロクでもないこと言ったんだろ? ケンカしたって言うなら、一応原因くらい聞いておかないとイリアを追いかけても話にならないからな」
「ケンカ、ね。それで片付いてくれればいいけど。もしかしたら、あの子はもう二度と私と口を聞いてくれないかも」
自嘲するようにアミスアテナは言う。
「そこまでの言い争いしたのかよ。まあいい、こんなとこに突き立ってても自分じゃ身動き取れないんだろ? 俺が運んでやるからさっさと仲直りしろよ」
アゼルはそう言って地面に突き立つアミスアテナの柄に手を伸ばし、
激しい光とともに、彼の右腕は消滅した。
「がぁっ!」
わずか一瞬で存在しなくなったアゼルの肘から先。
「あらごめんなさい魔王、でも昔言わなかったかしら。魔族が真の聖剣に触れるとどうなるかって。その命が残っているだけ儲けものと思ってちょうだい」
突然の肉体損失に驚くアゼルに対して、アミスアテナは不遜極まる態度で彼にそう告げる。
普段の彼女をもってしても行き過ぎとも思えるその態度は、彼女がこれ以上ないほどに気が立っていることの証明だった。
「随分な態度だが、正直お前のことを舐めてたよ聖剣。確かにお前は俺を、そして親父を殺しうる剣だったんだな」
アゼルは失われた腕が瞬く間に再生していくのを実感しながら、彼女への侮りを自覚する。
触れるだけで魔族の王の腕が消し飛ぶ聖剣。それは彼以下の魔族を問答無用で皆殺しにできるだけの力を有していることを意味する。
例え一部の能力を封印された状態、魔素を浄化する神晶樹の森の環境下であることを差し引いても、彼女が魔族という存在にとっての脅威であることは変わらない。
「あなたは早くイリアのとこに行ってあげなさいよ。あの子はもう、あなたしか目に入ってないんだから」
どこかつらそうにアミスアテナはアゼルに言う。
「お前に言われるまでもねえよ。……本当は、それじゃイリアの為にはならないんだろうが」
アゼルもここ最近の彼女の様子、そしてあらゆる角度から見た自分たちの在り方に不安を抱きながらもアミスアテナへと背を向ける。
「途中でリノンに声をかけてお前を回収するように伝えておく。それまでに、イリアと仲直りする方法くらい考えておけよ」
「………………」
アミスアテナは、既に走り去ったアゼルの方角を見つめている。
「仲直り、ね。本当は一度だって仲が良かった時なんてあったのかしら、私たち」
誰もいない虚空へ向けて、アミスアテナは言葉をこぼす。
生まれる前から利用する前提の命、そんなイリアと付き合ってきたこの17年の年月は、果たしてどんな名前をつけるのが相応しいのだろうか。
アミスアテナは涙など流せない身体で泣きながら思う。
「それでもね、イリア。私はあなたのことが…………」
誰もいない空へ放たれる言葉を、受け取る者などいるはずもない。
未熟な乙女、過熟な聖剣がもらした『本当』は、世界に記録されることもなく虚空へと散って消えた。
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