第269話 アゼルの使命

 セスナが去ってのち、


「ありゃりゃ、行ってしまったよ。まあでもとりあえずしたい話もできたしいいかな。それじゃあ僕らも今夜はこの辺でお開きにしよう。トキノに頼んでそれぞれの寝床は用意してもらったから」


 リノンの言葉でイリアたちは解散し、それぞれの夜を過ごしていた。


 オージュが聖剣を打つ姿に感銘を受けたシロナは、何かヒントを得たように一人で刀を振り続け、魔力をまったく生成できない環境に置かれたエミルは、自身の限界と向き合うように瞑想を始める。


 そしてリノンは湖の乙女たちを呼び集めて様々な物語を語り聞かせ、イリアはそんなリノンにアミスアテナを預けてアゼルを連れ出していた。



「ごめんね、白鯨。ここまで運んでもらっちゃって」

 イリアは白鯨に礼を告げる。

 彼女は白鯨にお願いしてアゼルとともに湖の対岸にまで連れて来てもらっていたのだ。


「いいよ~ おんなの子のお願いだからね~ それに君は、トキノたちにも似てるし~ また戻りたくなったら呼んで~ しばらくおよいでるから~」

 白鯨はそう言い残して深い神晶樹の湖の底へと潜っていった。


 それを見届けて、イリアとアゼルは湖の岸辺に並んで座る。


「聞きたい話があるって、何だ?」

 静かにアゼルは切り出す。


「私が聞きたいことなんて、わかってるでしょ? アゼル、アゼルがお父さん、大魔王から引き継がないといけない責務って何なの?」


「そんなの、決まってるだろ。国と民を守り導く、それだけだ」

 アゼルはイリアの問いに対してごく自然にそう答える。

 

「アゼル! それが嘘だって、本当のことを言ってくれてないって、私でもわかるよ」

 だがイリアはアゼルの横顔を強く見つめて、彼に真実を要求した。


「────まったく、自分の身体のことを隠していたイリアには、言われたくないんだがな」

 そう言ってアゼルは空を見上げる。


 そこにはいつか見た満天の星空が広がっていた。


「リノンの言っていたことは、なに一つ間違っていない。いや、むしろ俺が知らないことすら多く含まれていた。何せ俺はこの世界、ハルモニアで生まれたからな。魔界、ディスコルドのことは何も知らないんだ、教えて貰えなかった」

 星満ちる空を見上げながら、アゼルは話を続ける。


「だがアチラに何かマズイ存在がいるのは確からしい。その存在からこの世界を守る為に、父う……親父は門を守り続けている」


「門?」

 セスナの口からも出た『門』という単語にイリアは反応する。


「あっちとこっちを繋ぐ特別な場所だな。俺も一度しか見たことはないが、そこをくぐればあっちに転移できるんだろう。そこで親父は向こう側の危険な存在がこっちに来ないように結界を張り続けている。俺が継がないといけないのはその役目だよ」

 静かに、何でもないことのようにアゼルは語る。


「それは、危ない仕事じゃないの?」

 アゼルの静かな語り口に、何故か不安が募るイリア。


「馬鹿言うなよイリア、ただの門番だぞ。魔王にとってそんなものが危険なわけがないだろうが。俺はただ、そんなつまらない仕事を継ぐことが嫌で、あそこを出て、来たん、だか、ら、なっ──」

 イリアの問いに、自然な様子で答えていたはずのアゼルは、何故か少しずつ嗚咽を上げ始め、


 そして、泣いていた。


「アゼル!?」

 突然の彼の様子の変化にイリアは戸惑う。

 だが彼は天を見上げながら歯を食いしばり涙を堪え、それでもとめどなく彼の頬をつたって涙が落ちていく。


「アゼル、どうしたの? 何を隠してるの? つまらない役目なんてウソなんでしょ!?」

 イリアは彼の腕を掴んで激しく心配する。


「本当、だよ、イリア。つまらない役目なんだ。父上、アグニカ・ヴァーミリオンは俺に魔王の座を譲った後ずっと、その門の前でみんなを守っていた。俺が魔王として君臨し、みんなにもてはやされる中、静かに誰にも知られることなくずっとだ。約200年、休むことなく、俺がもう一度父上に会った時、その姿は俺の知っている父上じゃなかった」

 涙は止まらないまま、アゼルはどうにか言葉を紡いでいく。

 自身が蓋をしていた、一番目を背けたかった事実を。

 彼は思い出す、門の守護を命じられたその日を、200年の過酷な年月は父の肉体をまるで別物のように変貌させていた。


「思ったよ。そんな父の姿に、次はお前がこの役を引き継げって言われた時。無理だって。俺は魔王として民を導く役目すら満足にこなせずに、何で父上は俺にこんな役を押し付けたのかって、心のどこかで文句を言っていた。そんな中その父上が、俺なんかよりもずっとツラい役目を人知れずやってたんだ。俺には、無理だって、よ」

 アゼルは目を見開いて遥か遠くを見据える。

 涙は、止まっていた。


「思ってたって。それじゃアゼル」

 そう口にしてイリアは思い出す。その役目を自分が引き継ぐと言っていたアルトに対して、アゼルがなんと口にしたかを。


「ああイリア、俺はその責務を継ぐ。じゃないと、この世界が終わってしまうらしいからな。それは、イヤなんだ」

 アゼルはそう言って、イリアの手を力強く握っていた。

 まるで、彼がそう決めた理由は、その手の中にあるとでも言うように。


「アゼル、それは私の為? でも私はどっちにしても長生きなんてできないよ? もし私の為だって言うなら、そんなことの為にアゼル自身を犠牲にしないで」

 イリアは自惚れを承知でアゼルに言う。今の彼なら、イリアの為に迷わずその選択をするだろうと確信して。


「イリアの為なら、いいと思ったんだ。俺の今までを認めてくれたお前の為なら。お前がこれから生きていく世界の為なら。だから俺はお前を死なせない。イリアが長生きできる手段を見つけて、その上でこの世界を守り続ける」


「でもそれじゃアゼル、アゼルが犠牲になっちゃうんでしょ? 私が長生きしても、アゼルと一緒にいられないなら意味ないよ」


「バカやろ、俺を残して先立とうとしてたヤツが何言ってんだよ」

 アゼルは笑いを浮かべながら、イリアの頭を優しくなでる。


「それに、俺がやらなきゃ世界が滅びるらしいぞ? イリアは、勇者だろ?」

 わかってくれよとでも言うような優しい表情でイリアを見つめるアゼル。

 だが、


「何よいまさら、今まで勇者じゃない生き方を見つけろって散々言ってきたクセに。世界の為に自分を引き換えにする魔王なんて聞いたことない」

 イリアは強く、まるで攻撃のようにアゼルの胸に突貫し、彼の胸元に顔を押し付けて泣いた。


「世界のためじゃねえよ。お前のいる世界のためだ。だからイリア、お前は生きてくれ。俺の全てをかけてその道を探すから」

 そんなイリアを抱きしめるように、アゼルは胸元の彼女をなでた。


「ムリだよ、そんな方法も、そんな時間もないよ。そんなことに時間を使うくらいなら、私はアゼルがその門を守らなくてもいい方法を探すよ。アゼルがいくら反対したって、そうするから」


「そんなこと、言うなよ。…………何で俺たちは、ここまですれ違ったかな」

 未来の行き詰まった二人の関係を思い、アゼルの口からそんな言葉が出る。


「それはそうだよアゼル、勇者と魔王、そして妻子持ちとの初恋だもん。上手くいくわけ、ないじゃん」

 イリアはアゼルの胸元で泣きながら笑う。


「は、言われてみれば、そりゃそうだ」

 釣られてアゼルも笑い、より一層強くイリアを抱きしめた。


 闇夜の中でもなお白銀に煌めく神晶樹の森の中、二人の男女がその淡い輝きに照らされる。


 どれほどの時間二人はそうしていただろうか。


 イリアは少しだけアゼルの胸元から離れ、そして彼の唇を迷うことなく奪う。


 今となっては意味などほとんど失われた封印の光が彼らを包む。


「イリア?」

 彼女の口付けに、何か強い意味を感じたアゼルはイリアの瞳をじっと見つめ返した。


「アゼル、私たちのこれからは、わからないけど。やっぱり私は長生きできなくて、アゼルはつらい重荷を背負うことになるかもしれないけど…… それでも、私たちの間に残せるモノはあると思うの」

 熱く濡れた瞳で彼を見つめるイリア。


「────、」

 その意図、その意志をアゼルは真っ直ぐに受け止め、彼女の濡れた唇にキスをしてそのまま押し倒した。


 繋がれる手と手、触れる指と指、お互いが対極に位置するはずの者たちが、一つに交じり合う。


 星々は祝福するように彼らを照らし、


 結局白鯨は、夜が明けるまで戻ってくることはなかった。

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