第268話 彼らの理由

 イリアの渾身の一撃によって白銀の波動に飲み込まれたセスナ。

 そのエネルギーが徐々に減衰して消え去った後には、満身創痍の彼女の姿だけが残っていた。


 だが、それでもなお彼女はボロボロの翼で空に飛翔する。


「ハァ、ハァ、ハァ、くそっ、油断、した。いや、素直に貴様の覚悟が上だったと認めよう。だが、ディスコルド生まれの魔族との戦いがこの程度で終わると思うなよ」

 崩れかける肉体に魔素を循環させて、セスナは強引に回復を試みる。


「くっ」

 それによりヒドイ激痛が彼女を襲うが、引き換えに少しずつ肉体が治癒を開始していった。


「ああもうまったく。魔王にしろコイツにしろ、上位の魔族ってのはどうしてこうもしぶといのかしらね」

 その光景にアミスアテナが呆れたように悪態をつく。

 そしてイリアは何も言わずに、いくらでもセスナと向き合う覚悟で空を見上げていた。


 だがしかし、この場で気付いた者がいただろうか?


 この神晶樹の森の中において常に響いていた、オージュの錬鉄れんてつの響音がいつの間にか止んでいたことに。

 代わりにズシィ、ズシィと地響きのような音が彼女らの耳に届く。


「まったく、ワールドウォーカーが来たものだから多少騒がしいのは仕方ないと我慢していたが、流石にやかまし過ぎるわ小童こわっぱども」

 そう口にして現れたのは誰であろう、この森の主、樹王オージュ・リトグラフであった。


「おやぁ、キミが聖剣の錬鉄の場から離れるなんて珍しい。というか初めて見たよ。いやまあ作業している真隣でこんな派手なバトルをされちゃたまらないってのはよく分かるけどね」

 そんなオージュに対してリノンは物珍しそうな目をしている。



「ん、なんだ、お前は? まだ私の邪魔をする者がこの場に誰かいたのか。いや、その気配は、まさか!?」

 空をかろうじて飛び続けるセスナもオージュの存在に気付き、そして何故か戦慄せんりつしていた。


「お前たち小童がどこで遊ぼうとも構わんが、せめてもう少し静かにしろ!」

 オージュはとくにセスナの存在に気を留めることなく、自身の真隣の虚空に向けて存在しないはずの鎚を無造作に振るった。


 すると先ほどまでのイリアたちの戦いの比ではないほどの無色の波動が瞬く間に神晶樹の森全体を駆け抜けていく。


 そして森の中にいる全ての生命は駆け抜けた衝撃によって一時的に身体の自由を奪われてしまう。


「くぅ、いやいや全体無差別攻撃だなんてキミらしくないなオージュ。いやまあ単純に制圧するだけのようだから、十分に手を抜いているんだろうけど」

 真っ先に肉体の自由を取り戻したリノンはオージュの行動に呆れながらも全体の様子を俯瞰する。


 オージュの波動はあくまでも一時的に行動不能とするものであり、肉体的にダメージを受けている者は一人もいない。


 湖の上で戦っていたイリアであっても、バランスを崩して湖の中に少し沈むことにはなったが意識の方は問題なく、きちんと水面から顔を出している。


 しかし上空を飛んでいたセスナだけは例外であり、自由を失った彼女は魔族にとっての猛毒である浄水の湖に向けて真っ逆さまに落下していた。

 そしてすぐに肉体の自由を取り戻したイリアとは違い、彼女は恐怖で身を震わせており、まともな受け身すらとれそうにない状態である。


 そこへ、


「あ~ぶな~いよ~」

 白鯨の暢気な声が響き、彼はその身を上手にクッションのようにして落下するセスナを受け止めていた。


「おや、いい仕事をしたね白鯨。でも良かったのかい? その女性はキミの大事な湖を荒らしてしまったわけだけど」


「そ~う? でもいいよ~ きれいな女の人だし~」


「おやおや、随分とゆるい基準だなぁ。まあ実際に彼女はこの場所をどうにかしようと悪意を持って来たわけではないからね。それに、彼女を助けてくれたことで話が聞ける、グッジョブだよ白鯨」


「ん~?」

 白鯨はリノンの言う話がよく理解できないまま、ゆったりと彼らのいる浮島の方へ泳いでいく。


「ま、これで一旦戦いはお開きってことでいいんでしょ。イリアも早くこっちに泳いできなよ。着替えはちゃんと持ってきといたから」

 終戦の気配を読み取り、エミルはピョンピョンと水辺まで飛んでいき裸のままのイリアに声をかけた。


「あ、エミルさんありがとうございます。すみません、何か無我夢中で」

 そしてイリアも素っ裸であるという自身の今の状態を正しく認識したことで、今さらながら恥ずかしそうにエミルのもとへと泳いでいく。


「やっとこれで少しは静かになったか。ワールドウォーカー、この場の平穏を破るようなら貴様は出ていけ」

 オージュは場の空気が落ち着いたのを確認してリノンに向けてそう告げる。


「え~? 今回のは僕の責任じゃないと思うんだけどなぁ。それにキミのおかげで興味深いことが分かったんだ。少しくらい確認させてくれよ」

 リノンはオージュの言葉もどこ吹く風で、近づいてきた白鯨の背に乗るセスナへと視線を向けていた。





「う、……ここは?」

 目を覚ますセスナ。


 彼女は焚き火に照らされながら地面に横たわっていた。


「目を覚ましたかセスナ。ここは神晶樹のすぐ近くだよ。お前は4時間ほど眠ってたんだ」

 セスナの側に座っていたアゼルは静かな心持ちで彼女の疑問に答える。


「そうか、私は負けたのか……」

 彼女はそう言って天を仰ぐ。するとそこには日が暮れたにも関わらず、白銀に煌めく神晶樹の枝々が見える。


「負けた、というのもどうかと思うけどね。何せキミはイリアの全力を喰らってもなお戦意を失ってなかった。あれでキミに負けの裁定を下すのはいささか不公平なジャッジと言える」

 そこへ焚き火に新たな薪をくべながらリノンが会話に参加してきた。

 そしてこの場には彼と同様にイリアやエミル、シロナも輪を描くように焚き火を囲んでいる。


「だからこそ僕は聞きたいのさ、キミが気を失ったのは明らかにイリアとの戦闘とは別の要因。そしてこれは僕の推測だけど、キミの魔素がされた原因なんじゃないかい?」

 リノンは含み笑いを浮かべながら、小枝で薪をつついていた。


「……貴様は、何を知っている?」

 セスナはようやくといった様子で身体を起こしながら、それでもなお力強い瞳でリノンを見る。


「別に、色々と? 何せこれでも大賢者を名乗ってるからね。まったくの無知では話にならない。だからと言って全てを知ったと豪語するほど面の皮が厚くもなくてね。とくにキミら魔族の世界である魔界、いや、本当の名称は不協世界ディスコルドだったかな。そこについては足りない知識が多すぎる」


「ディスコルド? それがアゼルたちの世界の正式な名称でござるか?」


「まあ魔界なんて呼称は人間たちが得体の知れない魔族の世界として勝手に想像してつけただけのものだからね。にしてもなかなかのお笑いぐさだろ? 魔界なんてものをイメージしながらも、その本質に迫ろうとする人間は誰もいなかった。僕ら人間と同じように、彼らにも彼らの世界、彼らの生活が存在することに想いを馳せることはしなかったんだから」

 ケラケラと笑いながら、大賢者は語る。

 それは人間の無知を笑ってか。それとも自身の空虚さを嘆いてか。


「そこまでに至る知識がありながら、それ以上何を望む?」

 セスナはできることならこれ以上口を開きたくない気持ちではあったが、彼女の生来の生真面目さがリノンに言葉の続きを促してしまう。


「まあ、色々と確証を取りたいのさ。これから起こりうる未来に備えるためにもね。まずキミは、オージュを見て恐怖した。それは間違いないんだろ?」

 リノンは焚き火をつついていた枝を無造作に背中の方へ振り、その延長線上にいるオージュへと向ける。


 そのオージュはというと、リノンたちの話などどうでもいいと言うように虚空へ向けて鎚を振るい続けて聖剣の鍛造に挑んでいた。


「────っ!」


 そして彼へと視線を誘導されてしまったセスナは、それと同時に頭を抱えこんで身を震わせてしまう。

 そこには、つい先ほどまでアゼルやイリアと戦いを繰り広げた戦士としての姿はなく、まるでおとぎ話に出てくる怪物を恐れる小さな子供の様であった。


「セスナ?」

 そんなセスナの行動がまるで理解できないと、アゼルは彼女を見て困惑していた。

 彼にとっての彼女は強さと厳しさと清廉せいれんさの化身であり、弱々しさとはまるで無縁だったからである。


「安心したまえよセスナ殿。オージュはキミの恐怖の対象じゃない。キミを、そしてキミたちを破滅に追いやる存在ではないよ」

 リノンは謎の恐怖におびえるセスナの心に染み入らせるように静かに語りかける。

 するとセスナの身体から少しずつ震えが消え、彼女の瞳も徐々に正気を取り戻していく。


「ん、今のはどういうことだったでござるか? 拙者にはセスナ殿がオージュ殿に対して苦手意識を持っていることくらいしか分からなかったが」


「その理解は正しくもあり、間違いでもある。今セスナ殿はオージュのに恐怖したのさ」


「?? それって何が違うのリノン? というか、むやみに女の人を怖がらせないでよね、趣味が悪いよ」

 リノンの説明が理解できないイリアが声をあげる。そして注意もする。


「いやいや、僕も女性をイジメるのはまったくもって趣味じゃないんだけどさ。言ったろ、確認だって。これは改めての確認だけどセスナ殿、キミはオージュの中に同じモノを感じたんだろ? キミが本来恐怖する存在と同質のモノを」

 言葉通り、改まって真剣な瞳でリノンはセスナへと問いを投げる。


「…………そうだ、だが、これ以上は口にできない。我ら以外の誰にも背負わせてはならない。それが、王命なのだ」

 そのリノンの問いに苦しそうにセスナは答える。

 それはまるで、口にできるものならいまここで全てを打ち明けてしまいたい衝動をこらえているかのようにも見えた。


「いいさいいさ、その確認が取れれば十分。ま、突っ込みどころがあるとすれば、我ら以外と言いながら、魔王アゼルには背負わせる気満々なのが気になるくらいかな」

 セスナの答えに対して意地悪げにリノンは口の端を釣り上げる。


「……アゼルは魔王で、あの方の息子だ。全てを受け継ぐ責務がある」

 

「………………」

 そんなリノンの言葉にセスナは険しい表情でその言葉を絞り出し、そしてアゼルはそれをただ黙って受け止め、話題を元に戻す。


「…………今はその話はいい。だがリノン、さっきのセスナとの話で何が分かったんだよ。セスナが恐怖する存在? 俺は聞いたこともないぞ」


「それはキミが聞かなかっただけだろう魔王アゼル。少しは不思議に思いなよ、何でセスナ殿の魔素が白いのかを。まさかキミはそれが生来の当たり前のモノだなんて思ってないよね」


「ん、違うのか?」


「はあ~、これだよ。キミには学者の才能がまったくないらしい。もしキミの配下に学者肌の奴がいたらそれはもう不遇を受けてただろうね。ま、それはいいとして、いくつか仮説を立てれば彼女の症状の原因も想像がつく」

 リノンはそう言って指を一本立て、


「まず何で魔族はこの僕らの世界、調和世界ハルモニアに入って来たのか。大まかに考えらえるものは三つ、『侵略』、『偶然』、そして『避難』だ。人間側の認識においては『侵略』とされているけど、実はそう捉えるには無理がある」


「ふ~ん、言ってみなよリノン」

 頬杖をつきながら聞いていたエミルが、退屈そうに続きを促す。


「結果的にハルモニア大陸の半分が魔族の勢力圏になったことはひとまず置いておいて、それならなんで半分でやめてしまったのか? 1年前に魔王軍四天王が行なった大陸東側への大侵略を、なんで200年前に実行してしまわなかったのか?」


「それは半分で十分だったのではないか? いや、それでは1年前の魔族の侵攻に説明がつかないでござるか」

 リノンによる疑問の提起に対して、シロナは真剣に考え込でいた。


「そうだね、半年もたたずにハルモニアの半分を支配下におけたんだ。侵略する気ならその時に行動に起こしていないとおかしい。わざわざ200年近く計画を後ろ倒しにする必要がない」


「それじゃあ2番目の偶然ってのは? 何かの拍子に魔界、え~とディスコルドだっけ? そことハルモニアが繋がったってのもありえるでしょ?」

 話がリノンのペースになっていることは承知の上で、むしろさっさと続きを促そうとエミルが合の手を入れる。


「もちろんありえなくはないだろう。しかし問題は数だよ。あの時、彼ら魔族は国家単位の人数で押し寄せてきていた。だからこそ当時最高の権勢を誇っていた西の大国は押し返すことすらできずに滅んでしまった。これらのことから逆算すると、魔族は侵略するつもりはなかったけれど大勢でハルモニアに押し寄せた。まさか観光に来たわけでもあるまいし、国家単位の大移動、それは『避難』と呼ぶにふさわしいだろう」

 つらつらとリノンは語る。


「避難というからには『何か』から逃げてきたということ。そしてセスナ殿の真白の髪と魔素がその脅威の大きさを示している。人間だってあまりの恐怖に一瞬で老人のように白髪になってしまうこともある。セスナ殿ほどの人物が恐怖で魔素まで漂白されるほどの脅威、どれほどの異常事態かわかるだろ?」


 リノンの言葉に、一瞬その場の誰もが言葉を失う。


「お前は、たったそれだけの情報から…………、そこまで言い当てるのか」

 それを黙って聞いていたセスナは、悔し気に唸ってしまう。


「はは、名探偵とは呼ばないでくれよ、これでも大賢者を自称しているんだからさ。まあ問題はその脅威、魔族をこちら側に追いやった『何か』なんだけど、僕はその『何か』をセスナ殿のおかげでようやく絞り込むことができたのさ」


「その何かが、そこのオージュ、と同質の存在ってこと?」

 真っ先にリノンの話す内容を理解できたエミルが、鋭い視線で聞き返す。


「いや待てよ、オージュはこの神晶樹の同位体ってやつなんだろ? それと同じ存在がいるってことは、この大樹と同じ物が別の場所にあるってことか?」


「うんうん、いいリアクションだね魔王アゼル。学者は無理でも良い生徒にはなれるかもしれない。さあここからは、僕からの情報開示だ。この大賢者が300年をかけて掴んだ世界の構造をお伝えしよう」

 リノンは両手を広げて大仰に語る。


「とは言っても意外と単純な構造なんだけどね。調和世界ハルモニアと不協世界ディスコルドは『真海』を間に挟んで、ちょっと歪なひとつの星として存在している。まあハンバーガーみたいなものだって言えばわかるかな? 真ん中に挟まれてるお肉が『真海』で、それを挟んでるパンがそれぞれの世界。あ、わからない? いやまあ、そういうものなんだよ」


「『真海』って、今じゃ確か『ダンジョン』って呼ばれてる場所でしょ? あのラクスが潜ったっていう。私たちの世界と魔界、それが『真海』を挟んで対極の位置に存在するって理解でいいの?」


「さすがはエミルくん、この手のことに関して理解が早い。まあその『ダンジョン』ってのもあくまで『真海』の一部。『真海』の深奥は時間も空間も意味をなさない、怪物たちの住処らしいけど。ま、そんなこと僕らには関係ないか」

 リノンはあっけらかんとした様子で話を進めていく。


「てなわけで、ハルモニアとディスコルドは鏡写しの存在なのさ。だからこっちに神晶樹が存在するようにあちらにも同質の大樹が存在することが予想できる。そして大樹が存在するのなら、」


「……オージュさんと同じ存在、ディスコルドの大樹の同位体がいるってこと?」

 ここまでの話を聞いてイリアが恐る恐る自身の理解を口にする。


その通りイグザクトリーイリア、キミも成長したね。まあこれが僕の仮説であり、傲慢ごうまんさを隠さなくてもいいのなら真実だろう。セスナ殿たち魔族はあちらの同位体から逃げ出し、このハルモニアにやってきた。そしてオージュが何千年たってもピンピンしているようにあちらさんも健在なんだろう。だから魔族は自分たちの世界に帰ることができない。そして、ということは? どうだい、おのずと魔王アゼルが大魔王から引き継がないといけない仕事ってのが見えてくるんじゃないかな?」


「…………」


「え、リノン、それって……」


 リノンの言葉に対して黙り込むアゼル。言い知れぬ不安にうろたえるイリア。


 そしてセスナは、


「話はここまでだな。戦いに敗れておきながら介抱される不始末。死をもって恥をそそぎたいところだが、あの方がいまだ倒れることなく重荷を背負い続けている以上それすら怠慢たいまんだ。礼は言わせてもらう、だが同時に忠告もしておく。アゼルをアグニカルカ、その主城たるギルトアーヴァロンまで連れてこい。貴様たちがこの世界を死の色に染めたくなければな」

 そう言って立ち上がり、この場を後にしようとする。


「っ、セスナ。行くのか?」

 そのセスナの背中に向けて思わず声をかけてしまうアゼル。


「行くさ、いくつになっても聞き分けのない子供の相手をしている暇はない。……悔しいのなら、成長したというのなら顔を出せ」

 セスナは振り向くことなく、闇夜の中で美しき白翼を顕現させた。


 そして飛び立つその直前、


「だがアゼル、お前が無事に生きていた。それをこの目で見れて良かった」

 誰にも聞こえぬ声でそう言い残し、わずかに零れるしずくを残して彼女は神晶樹の森から去っていった。

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