第267話 イリアVSセスナ

 対峙する白銀の勇者と真白の魔族騎士。


 まったく違う属性ながらも、何の偶然か似通った姿の二人はお互いを当然のように敵視する。


「何だ貴様は。貴様が魔王の、アゼルの恋人だと? 何を言っている、そこのそいつは妻も子供もいるんだぞ」

 セスナはイリアの恋人宣言を一笑に付す。


「知っています。知った上で恋人なんです」

 だがイリアも一歩も引かない態度でセスナに言い切る。


「なに? アゼルが妻子持ちなのを知ってなお、だと? おい、お前は正気か? 騙されていないか?」

 そんなイリアの発言にセスナは驚き、ちょっとだけイリア本人の心配を始めていた。


「騙されてなんかいません。私はアゼルに家庭があるのを承知で彼のことが好きで、アゼルも全部わかった上で私の側にいてくれるんです」

 

「ん~、なんだか本題とはまったく別のところで議論が過熱しているような」

 アミスアテナの小さな独り言が場に少しだけ響く。


「──────────、」

 そして当人であるアゼルはいたたまれなくなって、せっかくの臨戦態勢が解けていた。


「……そうか、全てをわかった上でアゼルが好きだと言うのなら何も言うまい。もう少し自分を大切にしろとは思うが。だがそれでどうした? 仮に貴様が恋人であったとしても、私が魔王アゼルから手を引く道理にはならんぞ。私は是が非にでもアゼルを大魔王様の前に連れていかなければいけないのだ」


「それは、アゼルの意志を無視してもですか?」


「……ああ、そうだ」

 冷たいセスナの声音が響く。


「そう、ですか。失礼ですが、貴女の名前は?」


「セスナ・アルビオン。大魔王様の近衛騎士にしてそこの魔王アゼルの師、そして育ての親のような者だ」


「そう、やっぱり。貴女、だったんだ」

 アゼルが以前してくれた話から、彼女がアゼルの初恋の相手であることは明白である。

 イリアは悲しみを堪えながら何かに納得して、セスナを強く睨みつけた。

 

「アゼルにとって大切な貴女が、アゼルにそんなことを言うんだ。そうやって、アゼルを何度も傷つけるんだ。私は、そんな貴女を許せない!!」

 セスナのアゼルに対する冷たさを見て感情に火が付いたのか、イリアは爆発的な速度で駆けだして聖剣アミスアテナをセスナに向けて振るう。


「何が気に喰わないかは知らないが、たかが小娘の太刀が私に通じるとでもっ、!?」

 セスナはイリアの斬撃をあやまたずに魔剣で受け止めるが、彼女の想定を超える衝撃がセスナを襲う。


「どこの魔族様かは知らないけど、今のイリアを舐めたらひどいことになるわよ。ここの湖でみそぎを終えたこの子はチューニングも完璧の絶好調な勇者。仮に大魔王が相手でも倒しちゃうくらいなんだから」

 そこにアミスアテナが自信たっぷりに解説を入れる。


「は、そうか貴様が勇者。……そして大魔王様が相手でも、か。それならなおのこと私が負けるわけにはいかないな」

 だがアミスアテナの発言がキーになったのか、セスナの気迫はより一層と高まっていく。


 天上に昇らんばかりに溢れだすセスナの白い魔素。


 対するイリアも負けじと白銀の極光をその身から放つ。


「絶対に、絶対に」


「ああ、絶対に」


「貴女には負けない!」

「お前には負けん!」


 お互いの力と想いを証明せんと、二人は全力で衝突する。



「あ~、もう始まっちゃってる。イリアったら着替えもせずに飛び出すんだもんなぁ」

 そこへ髪もまだほとんど乾いていない状態のエミルが駆けつけてきた。

 その手には本来イリアが着用しているはずの衣服がある。


「おや、エミルくん。キミがどうしてって、ああそうか。キミも一緒にイリアと沐浴してたのか。キミにしては随分と情に厚い。そしてイリアの服がここにあるってことは、あの子は裸の上にレーネス・ヴァイスを纏っているのか」


「まったく、アゼルの身に何かあるかもって聞きやしないんだから。もうちょっと自分のことを心配したらって感じ」

 エミルは若干呆れながら、絶対礼装を纏ってセスナと戦うイリアを見る。

 彼女たちは陸地だけでは狭いとばかりに、イリアは湖面を当然のように駆け、セスナはその上空を白き翼を広げて飛び回りながら湖水の上を戦場にしていた。距離が離れたことで二人の会話もまったく聞こえなくなる。


「おいリノン。イリアは大丈夫なのかよ、あんな風に戦って」

 そんなイリアを不安げに見つめるアゼル。


「大丈夫もなにも、今の状態のイリアに魔族が勝つなんてまず無理だよ。イリアの人生には普通より短いタイムリミットがあるけれど、逆に言えばイリアはその限界が来るまで絶対に立ち止まることのない強さを有しているとも言える」

 リノンはそう言って俯瞰した視点で語り、その視線に少しだけの寂しさを紛れさせていた。


「まあもちろん、それはイリアが負けないというだけの話であって、封印されていない魔王アゼルに並ぶほどの力を持つセスナ殿に勝てるかというと別の話だけど」

 そう語るリノンの言葉通り、イリアとセスナは何度も激突を繰り返してなおその力は拮抗していた。


 神晶樹の湖を満たす浄水と無垢結晶である自分自身を反応させるかのように爆発的に跳躍するイリアと、まるで天の使いのような白い翼で宙空を縦横無尽に飛翔するセスナ。


 その両者の衝突は無色の衝撃波を何度も発生させていく。


「ちっ、たかだか十数年を生きた程度の小娘の力とは思えんな」

 セスナの口から忌々いまいまし気に言葉が漏れる。


「貴方こそ、初めて戦った時のアゼル、封印される前の魔王と変わらないくらい強い。でも、なら、それだけ強い貴女がいるのならアゼルを連れて行かなくたっていいじゃないですか」

 イリアもセスナの強さを認めながらも、それと同時にその疑問に思い至っていた。


「強い、か。ただそれだけの話であれば良かったのだがな。娘、イリアと言ったか? 残念なことに私ではとはなりえないのだ。器の大きさも、質も、私ではアゼルに遠く及ばない」


「器? それって一体なんの器なんですか!?」

 セスナの口から出てきた意味深な単語にイリアは何か不吉なものを感じて聞き返す。


「あのお方の偉業を引き継ぐための肉体だ。私程度では、その役目を果たせない。今後、数百年に及ぶであろう『門の守り人』の責務、私はあの人の代わりにもアゼルの代わりにもなることができないのだ」

 悔し気なセスナの告白。それはイリアではなく自分自身を責める言葉のようだった。


「っ!? 数百年? 守り人? 何を言っているんです貴女は? 何だかよくわかりませんが、危険なことなんですよね。それをアゼルにやらせるつもりなんですか!?」


「……話し過ぎたな、貴様たち人間は知らなくていいことだ。どうか知らないまま、私たちを憎んでくれ」

 その言葉と同時にイリアに再び襲い来る白き魔剣。


「いいえ、嫌です。知らないままでなんていたくない。知らないままで生きるのも、知らないままで死んでいくのも嫌! せめて、たとえ短い時間であったとしても、アゼルの全部を分かった上で私は死にたい!」

 イリアは瞳に涙をたたえながらセスナの剣を受け止め、その逃げ場を失った衝撃が足元の湖面に伝わって大瀑布のように水しぶきが上がっていく。


「…………これだから、若い娘は手に負えん。一度誰かを好きになったなら、誰に何を言われようと止まりはしないのだからな」

 イリアの瞳に何か感じるものがあったのかセスナはゆっくりと天高く上昇し、そして肩に担ぐように魔剣ホワイトスワンを構える。


「恋する乙女を止める方法はただ一つ、その命を止めることだ。もし仮に生き残ったとしても、目が覚めるころにはアゼルは連れて帰る。それと一緒に儚い夢から覚めてくれ」

 セスナはまるで自身に言い聞かせるようにそう言って、その純白の魔素を刀身にたぎらせる。


「命が止まることは怖くなんてないですよ。ずっと前にいつかその日が来ることを受け入れてましたから」

 対するイリアは湖面が再び静謐せいひつさを取り戻そうとするのと同様に、静かな気持ちで上空のセスナを見上げる。


「私はアゼルに恋ができて幸せで、アゼルが私の為に泣いてくれて幸せです。幸せはもうここにあるから、それ以上はいらないんです。だから私が欲しいのはアゼルの未来。他はどうなったっていいから、残された私の時間でアゼルが笑える未来を作りたい」


「イリア」

 そのイリアの悲痛な宣言を、アミスアテナは聞き届ける。

 そして同時にイリアは聖剣を掲げて、自身の最高の技をセスナに向けて解き放とうとしていた。


「アゼルの明日に貴女が邪魔だと言うなら貴女を消します。最低で最悪の勇者かもしれないけれど、これがイリア・キャンバスに残ったただひとつの、守りたいって思える願い未来だから。ヴァイス・ノーヴァ!!」

 イリアの振りかざした聖剣から、無垢結晶の共鳴と反発による白銀の極光が天に昇っていく。


「憐れな、その未来ひとつのために自分たちの全てを失うとしても止まりたくはないのだな。ならば私も同質の想いで立ちはだかろう。……すまぬなアゼル、私はどうしてもあの方の明日を守りたいのだ。シュバルツ・アルビオン!!」

 セスナは迫りくるイリアのヴァイス・ノーヴァに対して真白に練り上げた自身の魔素を魔剣ブラック・スワンの刀身で加速させて解き放つ。


 イリアの白銀とセスナの純白、その二つの力が森の中空にて激突する。


 お互いの意地と想いをかけてぶつかり合う、白と白。

 その光景はどこか神秘的ですらあった。


「うんうん、こういうのは見ていて気持ちいいねぇ。本質が女の子同士の意地の張り合いだとしても、いやだからこそかな。飾りのない衝突が、僕みたいなひねくれた人間には眩しく映る。それで、キミは今どんな気持ちかな、魔王アゼル?」

 リノンはイリアとセスナの必殺技の衝突を安全な距離から眺めながら、同様にその光景を呆然と見ているアゼルに問いかける。


「ん、言葉もないかい? まあそうだよね、二人の会話はここまでは聞こえなかったにしても、気性の真っ直ぐな二人のことだ、お互いの手札を迷いもせずに見せ合ったことだろう。その中に魔王アゼル、キミの知られたくない話も混ざっていたかもしれないね」


「うる、さい」

 そのリノンの言葉をアゼルは忸怩じくじたる思いで受け止める。


「それで、キミが動かないのは。動けないのはどうしてだい? キミがどちらかに加勢すれば一瞬で決着となるだろう。ああ、だからかい。自分の行動がを選んでしまうことが怖いんだね、キミは」

 リノンはそれこそ知ったような口ぶりで話す。


「どちらか? それはイリアか、あのセスナという女性かということでござるか?」

 いつでも駆け出せる体勢で二人の戦いを見守っていたシロナは、リノンの発言につい反応してしまう。


「ううん、多分ちょっとそれは違うかもね。もちろん魔王アゼルはセスナ殿にもある意味特別な感情を抱いているのかもしれないけど、きっとその背後にいる者をこそ気にしてるんだよ。イリアを守ると彼は言うけど、それを今この場で選ぶことで、もう片方を自分の手で見捨てることに怯えてるんだよ」


「やめろ、やめて、くれ」

 リノンの言葉に弱々しく反応しながら、アゼルは地面に膝をついていた。本当にリノンの言葉通り、彼の中で強い葛藤かっとうがあるかのように。


「顔を上げなよ、アゼル。アタシはアンタの悩みの根っこを知らない。だからアゼルが今ここで駆け出せないのだとしても責める気はないよ。てか今のアタシもイリアを見守るくらいしかできることないしね。だけどせめて顔は上げなよ。今イリアは、アンタを連れていかれたくない、ただそれだけの想いであそこに踏ん張ってるんだから」

 アゼルの肩をポンと叩き、エミルは彼にそう声をかける。


 その言葉に促されてアゼルが顔を上げると、そこにはさらに輝きを増した極光が美しくお互いを打ち払わんとぶつかり合っていた。



「これが、勇者の力。魔族を滅ぼすためだけの力か。それを魔王のために振るうなんて、酷い矛盾だ。お前の気持ちは、わかるよイリア・キャンバス。しかしだからこそ、あの方のこれまでを想えばこそ、私も引けないんだ!!」

 上空からさらに圧力を増すセスナの極技。

 本来、無垢結晶の波動の前に為す術もなく崩れ去るはずの魔素の奔流が、その原理を覆してまでイリアに牙を向いていく。


 壊れる力の均衡。

 衝突した力は、この世の節理に従って天から地に向けて下っていく。

 ここまでお互いの間で溜めこまれたエネルギーが一方的にイリアへ押し流れ、彼女は自身の敗北を悟る。


「いや、なの。ダメ、なの。アゼルがいないと生きて、いけないの。生きて、いたくないの」


 だが、


「だから、絶対に、誰にも、アゼルは渡さない!!」

 瞳に溜まった涙を振り拭いながら、イリアは上空のセスナを強く見上げる。そして同時に迫りくる力の奔流を自らが纏う絶対兵装レーネス・ヴァイスを無色の力として解放することで減衰させ、同時にその力を無垢結晶である自身と共鳴させて聖剣アミスアテナにて弾き返した。


「何!?」

 絶対の勝利を確信したセスナへと返ってくる白銀の咆哮。

 それはセスナを彼女の白き翼ごと飲み込んでいった。


 地上の湖面に残るは聖剣を手にした一糸纏うことのない少女イリア。

 裸のその身を一切恥じることなく敵の行く末を見つめる彼女は、まるで一枚の宗教画のように美しかった。

 

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