第265話 セスナ・アルビオン

 アゼルたちの前にふわりと着地をすると同時に霧散するセスナ・アルビオンの白き翼。

 彼女はその切れ長な瞳をアゼルへと真っ直ぐに向ける。


「久しぶりだな、アゼル。いや、魔王アゼル・ヴァーミリオン様」

 セスナはアゼルを前に片膝をついてひざまづく。


「……やめろ、セスナ。ここには俺とお前以外の魔族はいない。王と臣下の体裁を気にするな。────そして、どうしてお前がここに来た?」

 張りつめた緊張の中、アゼルは当然の質問を彼女に投げた。


「どうして、だと?」

 アゼルの言葉にピクリと反応し、セスナは立ち上がって迷うことなくアゼルへと歩み寄り、


「そんなもの、お前を連れ帰りに来たに決まっているだろうがこの馬鹿者!!」

 渾身の平手打ちをアゼルの頬に放ち、彼を


「ぐぁはっ!」

 セスナの平手打ちで優に十数メートルは真横に飛ばされるアゼル。


「一体今までどこをほっつき歩いていたんだこの大馬鹿者。お前がいない間にアグニカルカが、大魔王様がどれだけ大変だったと思っている」

 セスナはアゼルに向けて厳しい表情を向けている。


「っ、わかっている。わかっていたさ、だがそれでもあの時の俺はああせずにはいられなかった。…………お前なら、わかってくれてると思ってたよ」

 叩かれた頬を押さえながらアゼルは言う。


「──────たとえ仮に私がお前の気持ちを理解していたとしても、お前の行動をと頷くわけにはいくまい。まあいい、いずれにせよ私は我らが王たるお前に手を挙げた。お前をアグニカルカに連れ帰ったのちであれば好きに罰を下すといい。もしも償いに価するものが私の命であると言うのなら、それで構わん」

 セスナは毅然きぜんとした目で、心から本気でアゼルに告げる。


「ふざけやがって、俺にそんなことができるわけないだろうが」

 そんなセスナに対して、アゼルはふてくされた反抗期の少年のように小さく呟いた。


「まあまあその辺で、先ほどまでさんざん殴られてた僕が言うのもなんだけど暴力ではなにも解決しないよ素敵なお方。魔王アゼルがセスナと貴女を呼んだあたり、キミは大魔王の側近騎士のセスナ・アルビオン殿ということでよろしいのかな?」

 そこへ、リノンが空気をまるで読むことなくセスナとアゼルの間にゆっくりと歩いて割り入った。


「なんだ貴様は?」

 セスナは突然会話に入ってきたリノンに向けて胡散臭いモノを見るような視線を向ける。


「ああ僕の名はリノン・W・W。皆からは大賢者と尊敬されているよ。そして大賢者と名乗るだけあって多くの知識も有している。キミはどうやら魔族の大侵略以前から大魔王に仕えていたようだね。魔王アゼルどころか僕よりも長生きしているお姉さんだ。いや僕も300年も生きていると年上と出会うことなんてまずなくてね。甘えたがりな僕としては貴女のような麗しいお姉さんに出会えたことは幸運というほかない」

 リノンはセスナのいぶかし気な視線もまったく気にすることなくにこやかに手を差し出す。


「ふん、貴様のような軽薄な男は好かん。それより、アゼルとの話を邪魔するというのであれば貴様から排除するが?」

 セスナは差し出された手を一瞥いちべつすることもなく、リノンに向けて闘気をたかぶらせている。


「おやおや、ナンパは失敗かな。ま、それは仕方ないとして僕としても貴女に聞きたいことがある。何せ大賢者と言ってもこの世界、ハルモニアに限った話。僕はキミら魔族の本来の世界である魔界、いやについての知識をほとんど持たない。だから生き証人である貴女にはぜひ聞いてみたいのさ、いったい何があってキミらはこの世界にやってきたのかを」

 軽薄な態度をひそませて、リノンはセスナへと根幹的な質問をした。


「我々がこの世界に来た理由か……」

 彼女はそう呟いて、リノンの後ろにいるアゼルを見つめ、


「あいにくだがそれを語るわけにはいかん。大魔王様の命令なのだ、あの時のことを語り継ぐことは許さんとな」

 静かに悔いるようにそう呟いた。


「そうかいそれは残念だ。まあその口ぶりだけでも色々と推測できるものがあるから無駄な質問ではなかったけどね。それでなんだい? 貴女は魔王アゼルを連れ帰るつもりなのかい?」


「当然だろう、そこの男は本来玉座にありて民を導くはずの存在。そして今は、それ以上に重要な使命を持っている」


「まあだろうね。しかし魔王アゼルにその気はあるのかな?」

 リノンはとぼけたフリをしながら背後のアゼルへと振り向く。


「セスナ、俺が戻るべきなのはわかっている。もう覚悟も、できている。だが、あと少しだけ時間をくれ」


「時間をくれ、だと? ふざけるなよアゼル、10年間もアグニカルカから離れておいて何を言っている!!」


「わかってるさ、これがわがままだってことも。だがあと少しだけ時間が欲しいんだ。せめてあいつの身体の問題が解決するのを見届けさせてからにしてくれないか」

 アゼルは拳を握りしめながら言葉をこぼす。

 自身の国のこと、イリアの身体のことでアゼルの心はその拳以上に強く握りつぶされそうになっていた。


「あいつ、誰のことだ? まあ誰だとしてもそんな余裕はもはやない。…………時間がないのだ、こちらもな」

 最後に小さく付け加え、セスナは再び白き翼を顕現させると同時に彼女の右手には魔剣が握られていた。


「これ以上の問答は時間の無駄だな。気持ちの整理をつけたいのならせめてアグニカルカに帰ってからじっくりとしていろ」

 セスナは完全なる戦闘態勢に入り、美しい白き魔剣を手にアゼルへゆっくりと歩み寄る。


「魔剣、ホワイトスワン……か。その魔剣も随分と長く見ていなかった気がするな。だが思いあがるなよセスナ、子供の頃と同じように力づくで俺をどうこうできると思うな!」

 臨戦状態のセスナに呼応するようにアゼルも魔剣シグムントを顕現させて真っ直ぐに彼女と向き合った。


 こうして、あらゆる魔を拒むはずの神晶樹の森にて、大魔王の近衛騎士と魔王との直接対決が始まろうとしていた。

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