第261話 アミスとアグニカ
これは遠い、しかして他人事とは思えない、ある少女の話。
彼女が生まれた経緯はとても不思議で、上手く説明することは難しい。ただある男が無心で聖剣を完成させた結果、その少女も同時にこの世界に生を受けていた。
始まりは無。彼女に個性と呼べるようなものなどなく、彼女と同様に生まれた姉妹たちもただ生きているだけに等しい命だった。
だが彼女らのもとにある青年が現れ、外の世界の話を聞かせ始めたことで彼女らにも自我が芽生え始める。
青年は歳を取らず、自らを大賢者と名乗る変人だったが、そもそも外の人間を知らない彼女らにとって彼はとてもまばゆい存在に見えたのだ。
そうして各々の乙女たちが個性を獲得していく中で、彼女、アミスと名付けられた少女の胸に強く灯ったのは『義憤』だった。
弱い者が虐げられることが赦せない。
強者が横暴に振る舞うことが赦せない。
不条理に、理不尽に人々の命が失われていくことが赦せない。
ありきたりで、誰もが一度は胸に抱く、どこか幼稚な正義こそが彼女が獲得した
そしてある日、青年からある話が告げられる。
人間の世界に穴が開き、そこから恐ろしい魔族と人間を殺す猛毒が溢れ出したのだと。
結果として人間たちの半数近くが死に至り、生き残った者たちも大混乱の中で命懸けの日々を送っていると。
そして人間たちが魔族に立ち向かおうとしても、彼らはとても強く太刀打ちなどできないとも教えられた。
その話を聞いて彼女、アミスは考えた。
今この世界で虐げられている者は誰だ?
人間だ。
今この世界で強者を気取っているのは誰だ?
そう、魔族だ。
今まさに失われていく命は正順な流れの中で死んでいったのか?
違う、これは不条理だ。理不尽だ。
ならそれは、正されなければいけないに決まっている。
その考えに至った乙女アミスは、自らと対になる聖剣アテナを手にしてある晩こっそりと神晶樹の森から飛び出していった。
彼女が向かったのは魔族領域。人間にとって猛毒である魔素の充満した死の地域だ。
だが聖剣と同様に無垢結晶である彼女の肉体はその猛毒を当然のように弾いていた。
いや、弾くどころか彼女の周囲の魔素がみるみる浄化されていってしまうほどに彼女の存在は強かった。
彼女は迷うことなく魔素が流入した原因である西の果てを目指していく。
その間に魔族や魔物が彼女を襲ってきたが、無垢結晶である彼女は彼らにとってこそ猛毒。まともに触れることすらできずに彼らは打ち倒されていった。
その事実に彼女は気を良くしながらもついには魔族の本拠地である巨大な城にまで到達する。
そこでも聖剣アテナを手にした彼女を止められるような存在は誰もおらず、城の奥、ハルモニア世界に魔素が流入する原因の場所を見つけ出した。
無垢結晶である彼女ですら目をそむけたくなるような濃密な魔素、その中に一人の男がいたのだ。
彼は、大魔王と呼ばれていた。
大魔王アグニカ・ヴァーミリオンと。
彼女、アミスは彼に問うた。
お前が、人間たちを虐げているのかと。
彼は、『そうだ』と答えた。
お前が、この世界に害を
彼は、『そうだ』と答えた。
お前が、この全ての災厄の原因なのかと。
彼は、『そうだ』と答えた。
彼女、アミスはそれを聞いて胸の中で頷いた。
なんてわかりやすい世界の敵なんだ、と。
この大魔王と呼ばれる彼さえ倒してしまえば、世界はまた再び平和になるではないかと。
そんな胸に湧いた英雄願望を抑えながら、アミスは大魔王アグニカに言う。
『では、貴方にはここで死んでもらいますが構いませんね?』
その言葉に対して大魔王アグニカは、
『いや、それはできない』
静かに、だが強い意志をもって返答した。
『それは、何故?』
『答える必要はない。そなたの望むものが我らの
アミスに対してただ
『まあ確かに、貴方がどんな返答をしてこようと斬るつもりでいましたが。この聖剣アテナの力をもって、この世界の闇を晴らしてみせましょう』
そういってアミスは彼に斬りかかっていった。
そして戦いは三日三晩続く。
数多の魔族、魔物を前に無敵を誇り、全ての敵を打ち払ってきた彼女をしても、大魔王アグニカに傷をつけることができなかった。
いや、たとえ多少の傷を与えたとしても彼の肉体は瞬く間に莫大な魔素をもって癒えてしまう。
無垢結晶としての無限の体力、圧倒的な優位性をもってしても決してアグニカは揺らがない。
『くっ、何故っ?』
焦燥するアミスの声。
『何故、貴方は
そう、大魔王アグニカは一度も彼女に手をあげることはなかった。
それどころか彼に加勢しようとする部下たちもなだめて、ただ彼女と一対一で向き合い続けたのだ。
『私はそなたに返すものをもたない。それが言葉であれ、力であれ。そしてこの地を離れることもできぬ。ならせめて、そなたの気が済むまでこの身を打つがいい。────それ以外の術を知らぬ』
静かに重く、彼は言う。
『そんなの、ふざけないで下さい!! なんで貴方が悪で、私が正義なのにそんな態度でいられるんですか!? これじゃ、まるでっ』
私の方が悪者みたいじゃないですか、その言葉をアミスはすんでのところで飲み込む。
『すまぬな、乙女よ。確かにここで断罪されることもひとつの道ではあろう。だがどうやらそなたの力では私を殺しきることは叶うまい。であれば、そなたの気がすんだのならどうか帰って欲しい。我らにも、守りたい平穏はあるのでな』
大魔王アグニカは決して責めるような口調ではなく、静かに諭すようにアミスへと語りかける。
だが、その言葉がより一層アミスの激情を駆り立てた。
『っ! 何が平穏ですか! 人間たちの平穏を壊したのは貴方たちのくせに! ………………いいです、私の力が届かないことは理解しました。であれば次は貴方の命に届きうる刃をもって貴方に引導を渡しましょう』
アミスは悔しさで瞳に涙を滲ませながら大魔王アグニカに宣言する。
『そうか、無理はせぬようにな』
『っ、なんで貴方に気遣われなければいけないんですか。せいぜい首を洗って待っていて下さい。無理でもなんでもして、絶対に貴方を殺せる剣を用意してみせますから!』
彼女はそう吐き捨てて大魔王の城を、そして魔族領域から去っていった。
だが彼女は自身の故郷、神晶樹の森に帰ろうとはしなかった。
魔族を追い払うために森を飛び出し、そしてそれが叶わぬまま戻っていくことなど彼女にはできなかったのだ。
アミスは人間領域にまで辿り着き、そこで途方に暮れて泣いていた。
無力な自分、明確な悪を断罪できなかった自分、そして彼に敵とすら認められなかった自分が悔しかった。
そんな彼女と共鳴するように雨が降り、雨具など持たない彼女の身体を濡らしていく。
そこへ、フードを被った青年が通りかかる。
『おや、キミはアミスじゃないか。家出をしたと聞いたけど、こんなところでどうしたんだい?』
彼は、大賢者を名乗る青年だった。
アミスはこれまでの経緯を彼に話す。
大魔王と対峙したもののまるで歯が立たなかったことを。
『へえ、それはそれは。むしろよく単身でそこまで行けたものだよ。さすがは無垢結晶といったところかな。だがまあ、その大魔王とやらは相手が悪かったね。文字通り格が違うんだろう。生まれた時から完成していて、成長することのできないキミでは単純に出力が足りなかったんだよ』
ふむふむと頷きながら、大賢者は彼女の敗因を分析する。
『では、私はどうしたらいいですか?』
『ほう、それを僕に聞くかい? いいよ、僕は大賢者だからね。別に魔族がこの世界に
そうにこやかに答えて大賢者は語る。
『さっきも言ったけど、キミと聖剣アテナでは出力不足。レベル1からずっと成長しないようなものだしね。となると答えは簡単、キミらが生まれた時から完成した、成長しない無垢結晶だとするのなら、
『え、それは一体どういうことですか?』
『キミらと違って僕ら人間は成長をする。つまりは人間でもあり無垢結晶でもある、そんな存在がいればいいということさ。本来は存在自体が矛盾しているはずの無垢結晶と人間の融合なんてありえない。だけど幸いにも僕には
『…………あります。私はどんな手段を使ってでも、もう一度あの男に挑むと決めたんですから』
『そうか、それはなにより』
そう言って大賢者は彼女に人間たちの切り札の作り方を耳打ちした。
『う~ん、そうだな。無垢結晶人間じゃ語呂が悪いし、せっかくだから何か通りの良い名前が欲しいな。────そうだ、勇者なんてどうだろう? 選ばれし勇者、本当は外れくじみたいなものだけど、勇者って言っておけば本人も周りも納得してくれるんじゃないかな』
大賢者の言葉を半分は聞き流しながら湖の乙女アミスは活動を開始する。
大賢者から提示された方法のまず一つ目は村を作ることだった。
アミスは大境界の近くで魔素に怯えながら暮らす人々へ声をかけていき、安全な生活を保障すると言って人を集めていった。
事実、無垢結晶であるアミスと聖剣アテナの存在は魔素や魔物、果ては魔族までをも退ける力を有している。その事実をもって瞬く間の内に人は集まり、一つの集落が形成された。
そして次に彼女は自らが結界の起点になると言って聖剣アテナと同化して村の祭壇に捧げられた。いずれこの村より人々の希望となる『勇者』が生まれると予言を残して。
聖剣との同化は彼女が想像した以上に簡単であり、大賢者曰く、本来同じ存在、同位体である聖剣と湖の乙女に限ってそれが可能とのことだった。
そうして湖の乙女アミスがその身を捧げて村の結界となり、物言わぬ聖剣アミスアテナとなってから約200年、ようやく望んだ存在がこの世界に産まれ落ちた。
結界内の魔素を完全に浄化し、あらゆる生命の存在基盤であるジンすらも排除し続けた結果生まれる矛盾。成長する無垢結晶、生きた輝石、白銀の髪と瞳を持つイリアと名付けられた赤子が。
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